第百六十話「今、不幸か?」
「では。さようなら。」
ミゼラが、優しく微笑んだ。
引き金にかかった指が、動く。
——はずだった。
「……?」
ミゼラの笑みが、止まった。
指が震えている。
何度動かそうとしても、引き金を引けない。
銃を覆っていた水膜が揺らぎ、床へ落ちた。
俺は、何もしていない。
静止電撃を使う余力なんて、残っていなかった。
『……ジュディ!!!』
頭の中で、声が響いた。
(……アルト。)
ミゼラが、ピクリとも動かない。
これは、静止電撃じゃない。
水膜を維持する魔術ごと、乱している。
——ジャミング電撃。
アルトの魔術だった。
(アルト。なんで……。)
赤薬は、使っていない。
体を、こいつが動かせるはずがない。
(だって、赤はまだ——)
『んなもん、俺が知るかよ!!とにかく、今は立て!!!』
(……無理だ。)
『あぁ!?』
(もう、無理なんだよ。)
視界の先に、ガレスが倒れている。
ガレスはもう、動かない。
(俺は、望まれたジュディを捨ててまで、抗った。)
『……おい。話してる時間は——』
(守るためって、言えば。)
俺は、俺を許せた。
(人を殺しても。俺は正しいって思えたんだ。)
ロイドに止められても。
ガレスに忠告されても。
守るために必要だと、自分へ言い聞かせた。
(それで、殺した。)
殺した。
それなのに。
(殺したのに。今度は、ガ、ガレスが……。)
『……。』
(俺は!!!もう、俺を許せない!!!)
『ごちゃごちゃ、うるせぇ!!!!』
脳内で、アルトの声が響いた。
『てめぇのこと考えんのは、後だ。目の前の女を見ろ!!!』
(……女?)
顔を上げる。
ミゼラの腕が、小さく痙攣した。
必死に、引き金を引こうとしている。
『ダンを殺した。ガレスを撃った。この女は、これからも殺す。』
ミゼラの指が、僅かに動いた。
ジャミング電撃が、弱まっている。
『きっと、カイラも。サヤもな。』
(……殺す。)
『あぁ!!殺さなきゃ、殺される!!お前がじゃねぇ!!お前の守りたいものがだ!』
(……。)
『懺悔も、後悔も、自分のことだって後でいい!!』
床へ、左手をつく。
『今は、立て!!!』
(……っ。)
脚に、力を入れた。
膝が震える。
——それでも。
ゆっくりと、体を起こす。
そのまま、ミゼラを睨んだ。
「……ミゼラ。」
「……っ。」
「俺はお前を、殺したいよ。」
「……私もです。」
ミゼラの指が、動いた。
——パンッ!!
銃弾が、頬の横を通り過ぎた。
地面を蹴る。
同時に、ミゼラが後ろへ跳んだ。
その顔から、笑みが消えていた。
「ねぇ、ジュディ。私の言ったとおりでしょう?」
「……。」
「私は、正しいですよね?」
俺は、答えない。
落とした銃を、拾う。
「ねぇ、ジュディ!?私は、正しいですよね!?」
「……。」
「答えてよぉ!!!!」
ミゼラが、右手を振る。
天井を走る配管が、二か所破裂した。
噴き出した水が、ミゼラの周囲へ集まる。
「あなたは、今、不幸ですよね!?」
水が、ミゼラの前で壁となった。
「工房も、失った!」
銃を撃つ。
——パンッ!!
弾丸は水の中へ入り、軌道を逸らされた。
「……っち。寄るしかねぇか。」
「ダン・ベルンも!今しがた、ガレスだって!!!」
ミゼラが、左手を前へ出す。
水の塊が、鋭く伸びた。
『ジュディ!右だ!!』
(分かってる!!)
両脚へ、電流を流し込む。
——バヂッ!!
体が、一気に右へ飛ぶ。
直前まで立っていた場所を、水の刃が貫いた。
そのまま柱へ足をつけ、もう一度電流を流す。
——バヂッ!!
ミゼラとの距離が縮まった。
「あなたが、人を幸せにしようとした結果が、これですよ!!!」
ミゼラの周囲に浮いていた水が、弾ける。
一つ。
二つ。
さらに、三つ。
高圧の水弾が、四方から飛んできた。
体を捻る。
一つを避ける。
二つ目を右腕で弾く。
三つ目が、肩へ当たった。
——ドンッ!!
体勢が崩れる。
そこへ、水の鞭が横から迫った。
両脚へもう一度電流を流し、鞭を飛び越える。
着地する前に、次の水弾が来る。
「くそっ……!」
義手を盾にして、凌いだ。
水壁。
水の刃。
鞭。
高圧の弾丸。
速さでは、こちらが圧倒的なはずだ。
それでも、攻撃の手数で押し切られる。
右へ避ければ、そこへ水弾が飛ぶ。
左へ跳べば、水の刃が待っている。
加速しても、逃げ場がない。
ミゼラは、俺が動くより先に。
次の場所へ、魔術を置いていた。
「でも、おかしい。」
「……。」
「なぜ、あなたは、人から幸福を貰えるのですか?」
「さっきから、意味わかんねーよ。」
両脚へ、さらに電流を流す。
——バヂヂッ!!
視界が、一気に後ろへ流れた。
水の隙間を抜ける。
ミゼラへ、銃口を向けた。
——パンッ!!
水壁が、弾丸を逸らす。
同時に、足元から水が噴き上がった。
「……なっ!!」
噴き上がった水が、腹へと直撃する。
——ドンッ!!
背中から、柱へと叩きつけられた。
「っ……!」
息が止まる。
それでも、銃は離さない。
遠距離の銃も、ダメ。
かと言って近づこうとすれば、魔術の餌食。
……相当厄介だな。
「どうしました?」
ミゼラが、笑った。
「もう、終わりですか?」
「……。」
俺は、懐からレールガンを取り出した。
こいつなら、遠距離から水の壁ごと撃ち抜ける。
レールガンへと、魔術を流した。
その場で、レールガンの状態を確認する。
チャージ完了まで、あと——
「あはは!!!やっと、止まりましたね!!!」
ミゼラの両手が、閉じた。
水壁が、崩れる。
——何が、狙いだ?
そう思った時には。
冷たいものが、顔へ張りついていた。
「……っ!?」
鼻と口を、水の膜が覆う。
息が、できない。
視界が歪んだ。
加速しようにも、前が見えない。
足を動かせば。
待ち構えている水の刃へ、自分から飛び込むことになる。
「やっと、捕まえました。」
「……ごぼっ!!!」
「これが、一番好きなんです。」
ミゼラの声が、水の向こうから聞こえる。
「皆さん、最初は必死に暴れるんですよ?」
「が、がぼっ!!!」
息を吐く。
気泡が、水の中へ浮かんだ。
新しい空気は、入ってこない。
「まだ、助かると思っているから。」
肺が、痛い。
喉が勝手に空気を吸おうとする。
水が、口の中へと侵入してきた。
「でも、少しずつ動かなくなる。」
膝をつく。
「幸福が、絶望へ変わっていく。」
ミゼラが、近づいてくる。
「その瞬間が、一番美しいんです。」
「……。」
両手を、顔へ当てた。
水膜を剥がそうとしている。
ミゼラには、そう見えるだろう。
そのまま、手のひらへ電撃を集める。
『……っち。マジでやんのか?』
(……これしか、ねーだろ。)
『あー。一応言っておくが、痛覚は俺にもくるぞ。』
(知るかよ。)
魔力を、流し込む。
——バヂンッ!!!
顔面で、電撃が破裂した。
水が、一瞬で沸騰する。
蒸気が弾けた。
皮膚が焼ける。
視界が、真っ白になった。
「があ゛っ……!!すぅーーー。」
息を吸う。
焼けた喉へ、空気が入った。
「……は?」
「がっふ。ごほ。ごっほ。」
「自分に、魔術を……?……狂ってる。」
ミゼラが、後ずさった。
初めて。
その声が、震えていた。
「……お互い様だろ?」
銃を向ける。
ミゼラが水壁を作る。
引き金を引かずに、そのまま前へ走った。
「……っ!」
ミゼラが腕を振る。
高圧の水が、肩を切り裂いた。
もう一度、腹へ水流が直撃する。
——それでも、止まらない。
最低限の急所だけを避ける。
正面から、ミゼラへと突き進む。
「こ、来ないでください。」
ミゼラが、後ろへ下がる。
水の刃が、左脚を切った。
それでも、前へ出る。
「来ないで!!!」
「……っ!!!」
水の壁へ、右腕を突っ込んだ。
義手の表面が削れる。
接続部が、悲鳴を上げた。
その奥にいる、ミゼラの腕を掴んだ。
「今度は、こっちのセリフだな?」
「……っ!!」
「捕まえた。」
電撃を、流し込む。
人の命だって奪える電撃を、加減なく流し込む。
——バヂヂヂヂヂッ!!!
水膜が沸騰した。
ミゼラの体が、大きく跳ねる。
「あぁぁぁぁぁがぁぁぁ……!!」
白目を剥き。
口から煙を吐く。
周囲に浮いていた水が、一斉に床へ落ちた。
ミゼラの体から、力が抜ける。
その場へ、崩れ落ちた。
「……はぁ。」
俺も、膝をつく。
呼吸するだけで、全身が軋む。
それでも、ミゼラを見る。
「……いや。」
ミゼラが、動いた。
床へ手をつき。
這って、俺から離れていく。
「いや……!!!嫌だぁ!!!」
この期に及んで、逃げようとしてんのかよ。
俺は、銃を構えた。
——パンッ!!
右脚を撃ち抜く。
「ぎゃあああっ!!」
ミゼラが、床へ倒れる。
それでも。
左脚と両腕を使い、這った。
——パンッ!!
左脚。
「あああああああっ!!!」
これで、進めなくなった。
ミゼラが、右手を伸ばす。
床の水が、僅かに浮かんだ。
——パンッ!!
右肩。
「やめっ……!!」
左手が、水へ伸びる。
——パンッ!!
左肩。
「やめ、てぇ……!!!」
ミゼラの体が、床へ落ちた。
両脚。両肩。
これでもう、動けない。
「……。」
ゆっくりと、立ち上がる。
ミゼラへ近づく。
一歩。
また、一歩。
「待って……。」
ミゼラが、顔だけを動かした。
「待って、ください。」
ミゼラの初めて見る顔だった。
笑っていない。怯えている。
「だ、だだ、大丈夫です。」
声を震わせながら、ミゼラが言った。
「私は、今。不幸になりました。」
「……。」
「私が、こんなに不幸になったんです。今度は、あなたに幸福が来ます。」
「……。」
「そういう、仕組みなんです!!」
ミゼラの前で、足を止める。
銃口を向けた。
「ま、待って!!お願い!!!待って!!」
ミゼラの声が、裏返った。
「他の人間を、不幸にします。」
「……。」
「誰でもいい。あなたが嫌いな人でも。知らない人でも。」
「……。」
「もっと、たくさん不幸にしますから。」
涙が、頬を伝っている。
「その幸福を、あなたにも分けます。」
「……。」
「だから、助けて?」
銃口を、ミゼラの額へ合わせる。
「ねぇ、ジュディ。」
ミゼラが、息を震わせた。
「ね?お願い?」
「……。」
「……し、幸せに。幸せに、なりたいだけなの。」
ミゼラが俯き、嗚咽を漏らす。
「……お前さ。今、不幸か?」
「うん。……うん。」
「すげぇな。お前。」
引き金へ、指をかける。
「まだ、自分が幸せになれるって思ってんだ?」
「……。」
「死んでも幸せになれるって、言えんの?」
第百六十話、お読みいただきありがとうございました。
他人の不幸を、自分の幸福だと信じてきたミゼラ。
今度は、自分が不幸になる側へ回りました。
次回も20:10、更新予定です。
よろしくお願いします。




