第百五十八話「資格」
ハピレスの拠点が、燃えていた。
三十階建てだったビルは、中央から折れるように崩れ落ちている。
立ち上る黒煙が、カルディアの夜空へ溶けていく。
周辺には、カルディア政府の車両が何台も止まっていた。
人が瓦礫を運び、消火と救助活動を進めている。
といっても、中に生存者がいる可能性は低いけれど。
「……。」
ハピレスの構成員。
人質に取られていた民間人。
——そして、ミゼラ・ノックス。
全員、あのビルの中にいた。
「……。」
俺は、崩れたビルを見上げた。
爆発する直前。
割れた窓の向こうで、ミゼラは笑っていた。
——私は、死にません。
何の根拠もない。
逃げる準備も、爆発に耐える装備もなかった。
それでも、あいつは本気で言っていた。
「ジュディ。」
隣にいたロイドが、俺に呼びかけた。
「……なんだよ。」
「いつまで、そうしてるつもりだ。」
「別に、他にやることもねーだろ?」
「……っふ。違いない。」
視線を下げる。
俺たちは、政府が設置した規制線の外側にいた。
ロイドは壁へ背を預け、腕を組んでいる。
俺も似たようなものだった。
やることがない。
だからといって、二人のところへ帰る勇気もなかった。
「ジュディ。ロイド。」
背後から、声が聞こえた。
ジャスが、紙カップを三つ持って歩いてくる。
そのうちの二つを、俺とロイドへ差し出した。
「……コーヒー?」
「嫌なら、返してくれて構わない。」
「……どうも。」
カップを受け取る。
手のひらに、温かさが伝わってきた。
ロイドも無言で受け取った。
ジャスは、崩れたビルへ目を向けた。
「人質を助けるために、拠点へ侵入したそうだな。」
「……あぁ。」
「初めから、そうすればいいものを。」
「……悪い。」
ジャスが、俺を見る。
その目には、まだ怒りが残っていた。
「結果として動いたのなら、いい。だが、二度目はないぞ。」
「……悪かったって。」
誤魔化すように、コーヒーを一口飲む。
……苦い。ブラックかよ。
ジャスとは長い付き合いだ。
俺がいつもコーヒーにミルクを入れることくらい、知っている。
……嫌がらせだよな?
「それと、次の酒はお前の奢りだ。」
「……は?」
「カイラとサヤは、今も政府で匿っている。諸々の費用も、お前持ちだぞ。」
「……全然許す気ねぇじゃん。」
「当たり前だ。貸しは大きいとも言ったはずだぞ?」
ジャスが、僅かに口元を緩めた。
怒っている。
でも、俺を見限ったわけではないらしい。
それが、少しだけ苦しかった。
ジャスが、隣に立つロイドへ顔を向けた。
「ロイド。」
「……なんだ。」
「アルカナの部隊が、この現場へ向かっている。」
「……。」
「バイオストーン所属のお前は、離れた方がいい。」
ロイドが、ジャスを見る。
「それは、慈悲か。」
「まさか。」
ジャスは、鼻で笑った。
「テロを行っている企業の犬に、慈悲など向けるものか。」
「ならば、なぜ教える。」
「貸しを返しているだけだ。」
「……貸しなど、つけた覚えはないが?」
ジャスは、少しだけ黙った。
手の中にあるコーヒーへ、視線を落とす。
「ハピレス殲滅への協力。」
「……。」
「それと——。」
ジャスが、俺を見た。
「友人を、繋ぎ止めてくれた。」
ロイドが、こちらへ視線を向ける。
「……っふ。」
小さく息を吐いた。
「それは、受け取っておこう。」
「……なんだよ。」
「何も言っていない。」
「いや、言いてぇことがある顔だ。」
「……いい友人を、持っているな。」
「……あぁ?」
ロイドは、コーヒーを飲み干した。
紙のカップを潰し、近くの廃棄箱へ放り込む。
「ジュディ。ひとまず、この場は離れる。」
「……おい。言い逃げかよ?」
「進展があれば、連絡をしろ。」
「……無視かよ。」
ロイドは、背中を向けた。
その背中に、俺は声をかける。
「……ロイド。」
「……。」
「あんがとな。」
ロイドの足が、一瞬だけ止まる。
「お前が来なければ、私一人で人質を助けるつもりだった。」
「……。」
「結果は、変わらなかったかもしれん。」
振り返らないまま、ロイドが言った。
「だが、お前は来た。それで十分だ。」
「……あぁ。そうかい。」
ロイドは、そのまま規制線の向こうへ消えていった。
—
「それで。」
コーヒーを飲みながら、ジャスへ尋ねる。
「ミゼラの遺体は、見つかったのか?」
「いや、まだだ。」
ジャスは、崩落したビルへ顔を向けた。
「地下まで陥没している。瓦礫の撤去だけでも、明日の朝まではかかるだろう。」
「周辺の監視には、怪しい動きはなかったんだよな?」
「あぁ。爆発の前後を含め、地上から出た者はいない。」
「……そうか。」
だったら、死んでいる。
普通に考えれば、それ以外にない。
しかし、あの女の言葉が頭から離れなかった。
——今の私が、死ぬはずがないでしょう?
「ジュディ。」
「んだよ。」
「今のお前に、この場でできることはない。」
「急に、手厳しいな。」
ジャスが、俺を見る。
「カイラとサヤに、会いに行ったらどうだ?」
「……また、それかよ。」
「何度でも言うさ。」
「……。」
「会えない理由もないだろう?」
紙のカップへ視線を落とす。
温かかったコーヒーは、もう随分と冷めていた。
「俺は、もう二人の傍にいる資格があるのか。自信がない。」
「……なぜだ。」
「キムラ・ジュディは、人を殺しすぎた。」
この世界に生まれてから、聖人君子でいたわけじゃない。
三年前から、望む望まないに関わらず、人の命を奪ってきた。
でも、今回のハピレス殲滅は、それまでとは違う気がした。
殺さなければ、守りたい人が、死ぬ。
そういう理由をつけて、殺してきた。
その理由以外の動機が、俺にはあった。
「今日だって、俺は人質を殺すって決めた。」
「……。」
「結果的に、手を下したのはミゼラだ。でも、俺はあいつらを見捨てた。」
「……それでも、お前は助けに行っただろう。」
「行っただけだ。後戻りもできなくなって、結局間に合わなかった。」
「それは、ただの結果だ。」
ジャスが、一歩近づいた。
「お前に資格があるかどうかは、俺が決めることではない。」
「……。」
カイラとサヤの顔が、頭に浮かんだ。
「お前が、二人の傍にいていいかどうかは、二人が決めることだ。」
「……そ、れは。」
「お前はまた、二人の意志を無視するのか?」
……返す言葉がなかった。
二人を守るためだと言いながら、二人を遠ざけた。
二人の意志なんて無視していいと、ジャスに言った。
今度は、自分に資格がないと決めて。
また、二人の答えを聞かずに離れようとしている。
「……嫌な大人ばっかりだな。」
「お前が、聞き分けのない子供なだけだろう?」
「おい。一応、今年で三十五だぞ?」
「……見た目は、十八かそこらだ。いや?召喚された日を誕生日とするなら、三歳だ。」
「……勘弁してくれ。中身は、おっさんだよ。」
「ふふ。違いない。」
コーヒーを飲み干した。
苦味が、口の中に残った。
「とりあえず、進展があったら教えてくれ。」
「……あぁ。」
「後のことは、その時考えるよ。」
「俺は、すぐに会いに行けと言っているんだが。」
「……うるせぇな。」
「ヘタレめ。」
空になったカップを廃棄箱へ投げる。
端末を取り出した。
ガレスとは、まだ通信が繋がっているはずだ。
爆破までずっと支援してもらっていた。
後処理が終わるまで、付き合わせる必要もない。
「ガレス。」
呼びかける。
「とりあえず、今日のところは、あんたも解散でいいんじゃないか?」
返事はなかった。
「……。」
少し待つ。
「ガレス?」
端末を見る。
通信自体は、まだ接続されている。
ノイズもない。
切断された様子もない。
ただ、返事だけがなかった。
「おい。ガレス。」
胸の奥に、嫌な感覚が広がっていく。
ガレスが、こちらの声を無視するとは思えない。
ましてや、こんな状況で。
「……なんだよ。」
もう一度、呼びかけようとした時だった。
「——何だと!?」
ジャスが、突然こめかみを押さえた。
政府からの脳内通信のようだ。
「被害状況は!場所はどこだ!?」
「……ジャス?」
ジャスは、通信の向こうから伝えられる内容を聞いている。
その顔から、徐々に血の気が引いていった。
「……ジュディ。よく聞け。」
「なんだよ。」
「地下の監視に当たっていた部隊から、連絡が入った。」
「……。」
「監視員が一人、殺されている。」
「……まさか。」
ジャスが、崩れたビルを見る。
「崩落した地下区画から、何者かが抜け出した形跡があるそうだ。」
「……くそ。」
何者かなんて、考えるまでもない。
「ミゼラ……!」
あいつは、生きている。
本当に。
あの爆発の中から。
——直後。
頭の中に、通知音が響いた。
「……っ。」
脳内通信へ、メッセージが届いている。
送信者の情報はない。
本文もない。
記されていたのは、一つの座標だけだった。
「ジュディ?」
「……座標が、届いた。」
「誰からだ。」
「分かんねぇ。非通知だ。」
分からない。
それでも、誰なのかはすぐに理解できた。
「十中八九、ミゼラだ。」
「座標を、こちらへ転送しろ。」
「あぁ。」
ジャスへ座標を送る。
カルディアの外れ。
工業区画からも離れた、人気のない場所だった。
「政府の部隊を先行させる。お前はここで——」
「とりあえず、ロイドに連絡する。」
「待て。」
「先に、現場に向かう。」
俺は、走り出した。
ジャスの声が、背後から聞こえる。
「ジュディ、待て!」
止まる気はなかった。
脳内通信で、バイクを呼び出した。
遠くから、エンジン音が聞こえてくる。
無人のバイクが規制線を抜け、俺の前で急停止した。
「ジュディ!!」
ジャスが追ってくる。
バイクへ跨がり、アクセルを回す。
「座標は送った!!部隊は任せる!!」
「一人で先走るなと、言っているんだ!!」
「一人じゃねぇよ!!ロイドも呼ぶって!」
バイクが、前方へ飛び出した。
背後でジャスが何か叫んでいた。
エンジン音に掻き消され、もう聞こえなかった。
—
夜のカルディアを、バイクで駆け抜ける。
既にロイドには、座標を送っている。
車両の隙間を縫い、高架道路へ上がった。
目的地までは、十数分。
『ジュディ。』
頭の奥から、アルトの声が聞こえた。
(なんだよ。あんまり相手してる時間はねぇぞ?)
『分かってる。端的に言うぜ?』
(……あぁ。)
『この間、赤を使ってから。どうにも、俺とお前の境界がぼやけてる。』
(端的にって言ったよな?)
カーブへ入り、車体を倒す。
(言いてぇことがあるなら、はっきり言えって。)
『赤は、使うな。』
(……。)
『何か、やべぇ。』
アクセルを握る手に、少しだけ力が入った。
(やべぇって、何が。)
『お前も、気付いてんだろ?俺とお前の思考や感情が、混ざる時がある。』
(……。)
俺にも、心当たりがないわけではない。
煙草の吸い方。
酒の好み。
戦っている最中の言葉。
自分のものか、アルトのものか。
深く考えないようにしてきた。
(それでも、状況次第だな。)
『……。』
(お前の方が適任なら、俺は迷わず使う。)
『……あぁ。命あっての物種だしな。』
(止めてぇのか、使わせてぇのか。どっちなんだよ。)
『知らねぇよ。』
アルトが、頭の中で息を吐く。
『お前が死んだら、俺も死ぬんだ。まだ、お互いケリつけてぇこともあるだろ?』
(……まぁ。そりゃ、そーだな。)
しばらく、エンジン音だけが続いた。
『あとよ。』
(……まだ、何かあんのかよ。)
『外野から、散々言われてたみてぇだが。今は気にすんな。』
(……。)
『俺は、お前が間違っていたとも、正しかったとも言わねぇ。』
正面に、大型車両が見えた。
車線を変えて追い越す。
(……なんだよ。それ。)
『後悔すんのは、全部終わってからにしろって話だ。』
(……。)
『敵を殺す時に、殺してきた奴らまで背負うな。余計なもんを背負えば、隣にいる奴まで死なせるぞ。』
(……なんなんだよ。急に。)
『とにかく今は、てめぇが生きることだけ考えろって話だ。』
(……。)
アルトは、それ以上何も言わなかった。
前方に、カルディアの街外れが見えてくる。
高層ビルが減り、使われていない工場や倉庫が増えていった。
ミゼラから送られてきた座標。
何が待っているのかは、分からない。
あいつが、何を用意したのかも。
ただ、一つだけ分かっている。
——素晴らしい舞台を、用意しました。
これは、招待状だ。
俺を、もっと不幸にするための。
「……上等だ。クソ野郎。」
アクセルを、限界まで回した。
指定された座標へ向けて。
バイクを、夜の中へ走らせた。
第百五十八話、お読みいただきありがとうございました!
資格があるかどうか。
色々ジュディは言い訳してますが、二人に会うのにビビり散らしてますね。
そして、おそらく爆発程度では死なない女。
ミゼラからの招待状が届きました。
明日も20:10、続きます。
よろしくお願いします。




