第百五十七話「ミゼラの幸福論」
ロイドが残したワイヤーを掴み、屋上の縁を蹴った。
向かいにあるハピレスの拠点。
三十階の窓が、一枚だけ割れている。
「……っ!」
ワイヤーを手放し、割れた窓へ足から突っ込む。
窓枠に残ったガラスを蹴り飛ばし、そのままフロアの床を転がった。
——ガシャン!!
すぐに立ち上がり、銃を抜く。
正面の通路に、人影はなかった。
「……ジュディ。」
「……ん?」
「ここだ。」
通路の角から、ロイドが姿を現した。
銃を構えたまま、周囲を警戒している。
「何故、来た?」
「……分からねぇ。でも、このままじゃダメだと思った。」
「……っふ。」
ロイドは小さく息を吐いた。
なんだか、癪に触る。
「んで?人質はいたのか?」
「いや。まだだ。」
「俺が先行する。退路の確保を頼めるか?」
「……一人で、構成員を相手にするつもりか。」
「十七人だろ。今更、ビビる数じゃねぇよ。」
端末を見る。
爆破まで、残り四分半。
時間がない。
問答をしている暇もなかった。
「ガレス。人の位置は分かるか?」
『三十階の監視カメラは、全て切断されている。こちらから内部は見えん。』
「……んだよ。焚きつけた割には使えねぇじゃん?」
『今動かすのは口ではないだろう?』
「……へい。」
通路の奥へ進む。
結局、ロイドも後ろからついてきた。
「……俺の話、聞いてた?」
「承諾した覚えはない。人質の場所が分からない以上、分かれる方が非効率だろう。」
「……みんな、ちょっとは話聞いてくんないか。」
「知るか。」
足音が、通路に響く。
俺とロイド。二人分だけだった。
警報は鳴っていない。
銃声も、怒鳴り声も聞こえない。
ハピレスの構成員が十七人もいるとは思えないほど、フロアは静かだった。
「……おかしいな。」
「あぁ。何か、妙だ。」
角を曲がる。
机や椅子は並んだまま。
放棄された様子もなく、端末の電源まで入っている。
——それなのに、誰もいない。
「逃げたのか?」
「それなら、ガレスの監視に引っかかるはずだ。」
「……だよな。」
さらに奥へ進んだ時、鼻を刺す臭いがした。
鉄のような、生臭い臭い。
床を見る。
赤い筋が、通路の奥から流れていた。
「……ジュディ。」
「あぁ。」
ロイドが、銃口を奥へ向ける。
通路の最奥。
ハピレスの事務所。
扉は半分だけ開いていた。
隙間から、赤い液体が流れ出している。
『ジュディ。爆破まで、残り三分だ。』
「……分かってるって。」
扉の横に背をつけ、ロイドを見る。
無言で頷いた。
——ガン!!
俺が扉を蹴り開ける。
無言で、部屋の奥に銃口を向けた。
「……。」
だが、誰も反応しなかった。
「……はぁ?」
広い事務所。
壁も、机も、床も。
何もかもが、赤く染まっていた。
「……んだよ。これ。」
人が、倒れている。
一人や二人じゃない。
入口近くに、ハピレスの構成員。
奥には、何人もの死体が折り重なっている。
全員、首を切られていた。
ロイドが、死体の瞳と口元を確認した。
「争った形跡がない。先に、薬で動きを奪われたらしい。」
「……なんで、そんなこと。」
「私に、分かるわけがないだろう。」
「……そりゃ。そうだな。」
その中に、スーツ姿の男女が混ざっている。
武器は持っていない。
体に戦闘用のストーンウェアも見当たらなかった。
——人質。
俺たちが助けに来た、五人だった。
ロイドが、近くに倒れていた男の首元へ指を当てた。
次の一人へ移り、同じように確認する。
「死んでいるな。」
「……くそっ。全員か?」
「あぁ。間に合わなかった。」
俺は、何も言えなかった。
自分が殺すと決めた、五人だった。
名前も、顔も見ないまま、必要な犠牲だと切り捨てた。
それでも、助けるためにここへ来た。
——なのに。
俺が殺すより先に、全員死んでいた。
足元に、血で汚れた社員証が落ちている。
男の顔写真と、名前が書かれていた。
ロイドが端末に送られてきた名簿を開き、社員証と見比べる。
「五人のうちの一人だ。」
「……。」
社員証には、男の名前が書かれていた。
——アレン・モール。
見るつもりなんてなかった。
それでも、読めてしまった。
俺が必要な犠牲だと切り捨てたのは、五人じゃない。
それぞれ、自分の名前を持つ一人だった。
「……くそったれ。」
さっきまで、知れば手が鈍ると思っていた。
今はもう、知ったところで何もできない。
「ふ、ふふふ。ははは。」
部屋の奥から、笑い声が聞こえた。
死体の山。その中央。
女が一人、椅子に腰かけていた。
スーツも、手も、顔も。
返り血で赤く染まっている。
それでも、いつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべていた。
「あぁ。キムラ・ジュディ。会えることを、待ち望んでいました。」
——ミゼラ・ノックス。
「……そりゃ、こっちのセリフだよ。」
銃口を、ミゼラへ向けた。
「……お前が、やったんだな?」
「はて。何をでしょう?」
「とぼけんなよ。」
自分でも分かるほど、声が低くなった。
「こいつらを殺したのは、お前かって聞いてんだ。」
「えぇ。もちろん。」
あまりにも、あっさりと。
何でもないことのように答えた。
ロイドが、静かに尋ねる。
「自分の、部下までもか。」
「……部下?あぁ。この人たちですか。」
ミゼラは、周囲の死体を見渡した。
「この人たちは、もう幸せにはなれませんから。」
「……何を、言ってんだ。」
「アッシュガードには見捨てられました。拠点は全て潰され、逃げる場所もない。ここに残っても、待っているのは死だけです。」
ミゼラは、足元に倒れた構成員の頭を撫でた。
「怖かったでしょうね。明日も、生きたかったでしょう。家族や恋人がいた方もいるかもしれません。」
「……。」
「まだ、食べたい物も。行きたい場所も。たくさん、あったはずです。」
死体を悼むような、優しい声だった。
その言葉を発している本人が、全員を殺したとは思えない。
「だから、いただきました。」
「……何を。」
「この人たちが、幸せなうちに。この人たちの持つ、幸せを。」
ミゼラの笑みが、少しだけ深くなった。
「これだけの人を不幸にしたのです。私は今までより、随分と幸せに近づいたと思いませんか?」
「……イカれた女だ。付き合ってられねぇよ。」
「そうでしょうか?」
ミゼラの目が、俺へ向けられた。
「あなたも、この五人を見捨てたのではありませんか?」
「……あ?」
「事前に、人質がいることは分かっていたでしょう?」
「……。」
「本来であれば、政府の部隊を突入させるか、人質の解放を求めて交渉を始めるのが筋です。」
「……お前が、素直に交渉に応じる女かよ。」
「ふふ。でも、ここに来たのはお二人だけ。しかも、先ほどから何度も端末を気にしている。」
ミゼラが、天井を見上げた。
「この建物に、何か仕掛けているのでしょう?」
——気づいている。
爆破術式の存在までは、知らないはずだ。
それでも、俺たちの動きだけで察していた。
「部隊を入れず、建物ごと潰す。そういうおつもりだったのでは?」
「だったら、なんだってんだよ。」
「いいえ。ただ、私は、嬉しい。」
「……。」
ミゼラは、立ち上がった。
血の中へ、ヒールの先が沈む。
「あなたは、私を殺すために。この五人を、必要な犠牲だと判断した。」
「……。」
「私と、何が違うのでしょうね?」
「……黙れよ。」
「誰かを不幸にして、自分の望みを叶える。あなたも、同じではありませんか?」
「黙れっつってんだよ!!!」
引き金へ、指をかける。
ミゼラは、怯えなかった。
むしろ、楽しそうに俺を見ている。
『爆破まで、残り二分だ。』
ガレスの声が聞こえた。
「……ミゼラ。お前は一体、何がしてぇんだ。」
「幸せに、なりたいだけです。」
「……仲間を殺して、幸せになれんのか?」
「えぇ。世界は、そうやって出来ています。」
「……関係ねぇ人まで殺して。」
「えぇ。」
「俺の知人にまで、手をかけた。」
「……当然でしょう?」
ミゼラに、一切の迷いはなかった。
「あなたが幸せでいると、困るんです。」
「……あ?」
「ジュディ。あなたのことは、調べました。あなたは、自分が消えると知りながら、誰かを幸せにしようとしている。」
「……。」
「あまつさえ今、あなたは幸せを感じている。」
ミゼラの笑顔が、初めて僅かに歪んだ。
「そんなあなたが、私は心の底から気に食わない。」
「……なんなんだよ。」
「おかしいじゃないですか。人を幸せにして、自分も幸せなんて。」
「……知らねぇよ。」
「ですから、証明したいのです。」
ミゼラが、両手を広げる。
周囲には、死体の山。
その中央で、舞台に立つ役者のように笑っていた。
「誰かを幸せにしようとした人間ほど、最後には不幸になる。」
「……。」
「あなたも全てを失う。守ろうとした分だけ奪われて、最後には一人になる。」
頭の中に、工房が浮かんだ。
瓦礫の下に埋まった、俺たちの家。
サヤの血。
カイラの泣いた顔。
「そうでないと。釣り合いが取れないでしょう?」
「……ふざけんな!!!てめぇ!!!」
右腕へ、電撃を集める。
青白い光が、血に濡れた室内を照らした。
『残り、一分。ジュディ、撤退しろ!!』
「こいつを殺してからだ。」
「ダメだ、ジュディ!!間に合わん!!」
ロイドが、横から言う。
俺は、構わず右腕を振るった。
——バチン!!!
電撃が、一直線にミゼラへ走る。
ミゼラは笑ったまま身を翻した。
電撃が椅子を吹き飛ばし、背後の壁を砕く。
「……っちぃ!」
——パンパンパン!!
そのまま、構えていた銃の引き金を引く。
銃弾が、ミゼラの前にある見えない壁へ弾かれた。
——魔術防壁か!!
「……上等だぁ!!!」
もう一度、電撃を放とうと腕を上げる。
その肩を、ロイドに掴まれた。
「ジュディ!!!もう止せ!撤退だ!!!」
「離せ!こいつを、ここで——!」
『残り、四十秒!ジュディ、戻れ!』
「……っ!!くそっ……!」
ミゼラは、微動だにしない。
壊れた椅子の横で、笑いながら俺たちを見ている。
「早く離脱しなければ、お二人とも死にますよ?」
「それは、お前もだろうが!」
「……いいえ?」
ミゼラは、自分の胸へ手を当てた。
「私は、死にません。」
「……は?」
「これだけの幸せを、いただいたのですから。」
ミゼラに、何か策があるとは思えない。
逃げ道も、ビルの爆発を凌ぐための備えも見当たらない。
何の根拠もなかった。
「ビルの爆破程度で、今の私が死ぬはずがないでしょう?」
それでも、ミゼラは本気で信じていた。
自分は、死なないと。
「……マジで、イカれてんな。お前。」
「あなたも、同じでは?」
「一緒にすんなよ。反吐が出る。」
ロイドが、俺の腕を引いた。
「行くぞ!」
走り出す。
来た時と同じ通路を、窓へ向かって戻る。
「ジュディ。」
背後から、ミゼラの声が追ってきた。
「素晴らしい舞台を、用意しました。」
足を止めず、振り返る。
「何を、言って——」
「あなたが、もっと不幸になれる場所です。」
『残り、二十秒!』
通路の先に、割れた窓が見えた。
向かいのビルまで、ロイドのワイヤーが伸びたままになっている。
「また、お会いしましょうね?」
ロイドが先にワイヤーを掴んだ。
俺も続けて、窓枠へ足をかける。
「跳べ!」
二人で、窓枠を蹴って外へ飛び出した。
残っていたガラスが砕け、夜空へ散っていく。
体が宙へ投げ出される。
ワイヤーを握り、向かいのビルへ滑る。
『五。』
背後に、ハピレスの拠点。
割れた窓の奥に、ミゼラが立っている。
『四。』
死体の山の中央で。
あいつはまだ、笑っていた。
『三。』
「急げ!」
ワイヤーを握る手へ、力を込める。
『二。』
向かいのビルが迫る。
両足で外壁を蹴り、屋上へ体を投げ出した。
『一。』
直後。
背後で、ビルが爆炎に飲まれた。
第百五十七話、お読みいただきありがとうございました!
人の幸せを奪えば、自分が幸せになれる。
彼女は、本気でそう信じています。
そして今は、キムラ・ジュディを、不幸にしたい。
厄介なアンチに絡まれてます。
明日も20:10、続きます。
よろしくお願いします。




