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スペル・エラー ~娘が生まれるのに異世界へ召喚されたので、何があっても帰ります~  作者: とろたま愚鈍
第二部:第四章|ハピレス編

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第百五十七話「ミゼラの幸福論」

ロイドが残したワイヤーを掴み、屋上の縁を蹴った。


向かいにあるハピレスの拠点。

三十階の窓が、一枚だけ割れている。


「……っ!」


ワイヤーを手放し、割れた窓へ足から突っ込む。

窓枠に残ったガラスを蹴り飛ばし、そのままフロアの床を転がった。


——ガシャン!!


すぐに立ち上がり、銃を抜く。

正面の通路に、人影はなかった。


「……ジュディ。」

「……ん?」

「ここだ。」


通路の角から、ロイドが姿を現した。

銃を構えたまま、周囲を警戒している。


「何故、来た?」

「……分からねぇ。でも、このままじゃダメだと思った。」

「……っふ。」


ロイドは小さく息を吐いた。

なんだか、癪に触る。


「んで?人質はいたのか?」

「いや。まだだ。」

「俺が先行する。退路の確保を頼めるか?」

「……一人で、構成員を相手にするつもりか。」

「十七人だろ。今更、ビビる数じゃねぇよ。」


端末を見る。

爆破まで、残り四分半。


時間がない。

問答をしている暇もなかった。


「ガレス。人の位置は分かるか?」

『三十階の監視カメラは、全て切断されている。こちらから内部は見えん。』

「……んだよ。焚きつけた割には使えねぇじゃん?」

『今動かすのは口ではないだろう?』

「……へい。」


通路の奥へ進む。

結局、ロイドも後ろからついてきた。


「……俺の話、聞いてた?」

「承諾した覚えはない。人質の場所が分からない以上、分かれる方が非効率だろう。」

「……みんな、ちょっとは話聞いてくんないか。」

「知るか。」


足音が、通路に響く。

俺とロイド。二人分だけだった。


警報は鳴っていない。

銃声も、怒鳴り声も聞こえない。


ハピレスの構成員が十七人もいるとは思えないほど、フロアは静かだった。


「……おかしいな。」

「あぁ。何か、妙だ。」


角を曲がる。

机や椅子は並んだまま。

放棄された様子もなく、端末の電源まで入っている。


——それなのに、誰もいない。


「逃げたのか?」

「それなら、ガレスの監視に引っかかるはずだ。」

「……だよな。」


さらに奥へ進んだ時、鼻を刺す臭いがした。

鉄のような、生臭い臭い。


床を見る。

赤い筋が、通路の奥から流れていた。


「……ジュディ。」

「あぁ。」


ロイドが、銃口を奥へ向ける。


通路の最奥。

ハピレスの事務所。


扉は半分だけ開いていた。

隙間から、赤い液体が流れ出している。


『ジュディ。爆破まで、残り三分だ。』

「……分かってるって。」


扉の横に背をつけ、ロイドを見る。

無言で頷いた。


——ガン!!


俺が扉を蹴り開ける。

無言で、部屋の奥に銃口を向けた。


「……。」


だが、誰も反応しなかった。


「……はぁ?」


広い事務所。

壁も、机も、床も。


何もかもが、赤く染まっていた。


「……んだよ。これ。」


人が、倒れている。

一人や二人じゃない。


入口近くに、ハピレスの構成員。

奥には、何人もの死体が折り重なっている。


全員、首を切られていた。

ロイドが、死体の瞳と口元を確認した。


「争った形跡がない。先に、薬で動きを奪われたらしい。」

「……なんで、そんなこと。」

「私に、分かるわけがないだろう。」

「……そりゃ。そうだな。」


その中に、スーツ姿の男女が混ざっている。


武器は持っていない。

体に戦闘用のストーンウェアも見当たらなかった。


——人質。


俺たちが助けに来た、五人だった。


ロイドが、近くに倒れていた男の首元へ指を当てた。

次の一人へ移り、同じように確認する。


「死んでいるな。」

「……くそっ。全員か?」

「あぁ。間に合わなかった。」


俺は、何も言えなかった。


自分が殺すと決めた、五人だった。

名前も、顔も見ないまま、必要な犠牲だと切り捨てた。


それでも、助けるためにここへ来た。


——なのに。

俺が殺すより先に、全員死んでいた。


足元に、血で汚れた社員証が落ちている。

男の顔写真と、名前が書かれていた。


ロイドが端末に送られてきた名簿を開き、社員証と見比べる。


「五人のうちの一人だ。」

「……。」


社員証には、男の名前が書かれていた。


——アレン・モール。


見るつもりなんてなかった。

それでも、読めてしまった。


俺が必要な犠牲だと切り捨てたのは、五人じゃない。

それぞれ、自分の名前を持つ一人だった。


「……くそったれ。」


さっきまで、知れば手が鈍ると思っていた。

今はもう、知ったところで何もできない。


「ふ、ふふふ。ははは。」


部屋の奥から、笑い声が聞こえた。


死体の山。その中央。

女が一人、椅子に腰かけていた。


スーツも、手も、顔も。

返り血で赤く染まっている。


それでも、いつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべていた。


「あぁ。キムラ・ジュディ。会えることを、待ち望んでいました。」


——ミゼラ・ノックス。


「……そりゃ、こっちのセリフだよ。」


銃口を、ミゼラへ向けた。


「……お前が、やったんだな?」

「はて。何をでしょう?」

「とぼけんなよ。」


自分でも分かるほど、声が低くなった。


「こいつらを殺したのは、お前かって聞いてんだ。」

「えぇ。もちろん。」


あまりにも、あっさりと。

何でもないことのように答えた。

ロイドが、静かに尋ねる。


「自分の、部下までもか。」

「……部下?あぁ。この人たちですか。」


ミゼラは、周囲の死体を見渡した。


「この人たちは、もう幸せにはなれませんから。」

「……何を、言ってんだ。」

「アッシュガードには見捨てられました。拠点は全て潰され、逃げる場所もない。ここに残っても、待っているのは死だけです。」


ミゼラは、足元に倒れた構成員の頭を撫でた。


「怖かったでしょうね。明日も、生きたかったでしょう。家族や恋人がいた方もいるかもしれません。」

「……。」

「まだ、食べたい物も。行きたい場所も。たくさん、あったはずです。」


死体を悼むような、優しい声だった。

その言葉を発している本人が、全員を殺したとは思えない。


「だから、いただきました。」

「……何を。」

「この人たちが、幸せなうちに。この人たちの持つ、幸せを。」


ミゼラの笑みが、少しだけ深くなった。


「これだけの人を不幸にしたのです。私は今までより、随分と幸せに近づいたと思いませんか?」

「……イカれた女だ。付き合ってられねぇよ。」

「そうでしょうか?」


ミゼラの目が、俺へ向けられた。


「あなたも、この五人を見捨てたのではありませんか?」

「……あ?」

「事前に、人質がいることは分かっていたでしょう?」

「……。」

「本来であれば、政府の部隊を突入させるか、人質の解放を求めて交渉を始めるのが筋です。」

「……お前が、素直に交渉に応じる女かよ。」

「ふふ。でも、ここに来たのはお二人だけ。しかも、先ほどから何度も端末を気にしている。」


ミゼラが、天井を見上げた。


「この建物に、何か仕掛けているのでしょう?」


——気づいている。


爆破術式の存在までは、知らないはずだ。

それでも、俺たちの動きだけで察していた。


「部隊を入れず、建物ごと潰す。そういうおつもりだったのでは?」

「だったら、なんだってんだよ。」

「いいえ。ただ、私は、嬉しい。」

「……。」


ミゼラは、立ち上がった。

血の中へ、ヒールの先が沈む。


「あなたは、私を殺すために。この五人を、必要な犠牲だと判断した。」

「……。」

「私と、何が違うのでしょうね?」

「……黙れよ。」

「誰かを不幸にして、自分の望みを叶える。あなたも、同じではありませんか?」

「黙れっつってんだよ!!!」


引き金へ、指をかける。


ミゼラは、怯えなかった。

むしろ、楽しそうに俺を見ている。


『爆破まで、残り二分だ。』


ガレスの声が聞こえた。


「……ミゼラ。お前は一体、何がしてぇんだ。」

「幸せに、なりたいだけです。」

「……仲間を殺して、幸せになれんのか?」

「えぇ。世界は、そうやって出来ています。」

「……関係ねぇ人まで殺して。」

「えぇ。」

「俺の知人にまで、手をかけた。」

「……当然でしょう?」


ミゼラに、一切の迷いはなかった。


「あなたが幸せでいると、困るんです。」

「……あ?」

「ジュディ。あなたのことは、調べました。あなたは、自分が消えると知りながら、誰かを幸せにしようとしている。」

「……。」

「あまつさえ今、あなたは幸せを感じている。」


ミゼラの笑顔が、初めて僅かに歪んだ。


「そんなあなたが、私は心の底から気に食わない。」

「……なんなんだよ。」

「おかしいじゃないですか。人を幸せにして、自分も幸せなんて。」

「……知らねぇよ。」

「ですから、証明したいのです。」


ミゼラが、両手を広げる。


周囲には、死体の山。

その中央で、舞台に立つ役者のように笑っていた。


「誰かを幸せにしようとした人間ほど、最後には不幸になる。」

「……。」

「あなたも全てを失う。守ろうとした分だけ奪われて、最後には一人になる。」


頭の中に、工房が浮かんだ。

瓦礫の下に埋まった、俺たちの家。


サヤの血。

カイラの泣いた顔。


「そうでないと。釣り合いが取れないでしょう?」

「……ふざけんな!!!てめぇ!!!」


右腕へ、電撃を集める。

青白い光が、血に濡れた室内を照らした。


『残り、一分。ジュディ、撤退しろ!!』


「こいつを殺してからだ。」

「ダメだ、ジュディ!!間に合わん!!」


ロイドが、横から言う。

俺は、構わず右腕を振るった。


——バチン!!!


電撃が、一直線にミゼラへ走る。

ミゼラは笑ったまま身を翻した。


電撃が椅子を吹き飛ばし、背後の壁を砕く。


「……っちぃ!」


——パンパンパン!!


そのまま、構えていた銃の引き金を引く。


銃弾が、ミゼラの前にある見えない壁へ弾かれた。

——魔術防壁か!!


「……上等だぁ!!!」


もう一度、電撃を放とうと腕を上げる。

その肩を、ロイドに掴まれた。


「ジュディ!!!もう止せ!撤退だ!!!」

「離せ!こいつを、ここで——!」

『残り、四十秒!ジュディ、戻れ!』

「……っ!!くそっ……!」


ミゼラは、微動だにしない。

壊れた椅子の横で、笑いながら俺たちを見ている。


「早く離脱しなければ、お二人とも死にますよ?」

「それは、お前もだろうが!」

「……いいえ?」


ミゼラは、自分の胸へ手を当てた。


「私は、死にません。」

「……は?」

「これだけの幸せを、いただいたのですから。」


ミゼラに、何か策があるとは思えない。

逃げ道も、ビルの爆発を凌ぐための備えも見当たらない。

何の根拠もなかった。


「ビルの爆破程度で、今の私が死ぬはずがないでしょう?」


それでも、ミゼラは本気で信じていた。

自分は、死なないと。


「……マジで、イカれてんな。お前。」

「あなたも、同じでは?」

「一緒にすんなよ。反吐が出る。」


ロイドが、俺の腕を引いた。


「行くぞ!」


走り出す。

来た時と同じ通路を、窓へ向かって戻る。


「ジュディ。」


背後から、ミゼラの声が追ってきた。


「素晴らしい舞台を、用意しました。」


足を止めず、振り返る。


「何を、言って——」

「あなたが、もっと不幸になれる場所です。」


『残り、二十秒!』


通路の先に、割れた窓が見えた。

向かいのビルまで、ロイドのワイヤーが伸びたままになっている。


「また、お会いしましょうね?」


ロイドが先にワイヤーを掴んだ。

俺も続けて、窓枠へ足をかける。


「跳べ!」


二人で、窓枠を蹴って外へ飛び出した。


残っていたガラスが砕け、夜空へ散っていく。

体が宙へ投げ出される。


ワイヤーを握り、向かいのビルへ滑る。


『五。』


背後に、ハピレスの拠点。

割れた窓の奥に、ミゼラが立っている。


『四。』


死体の山の中央で。

あいつはまだ、笑っていた。


『三。』


「急げ!」


ワイヤーを握る手へ、力を込める。


『二。』


向かいのビルが迫る。

両足で外壁を蹴り、屋上へ体を投げ出した。


『一。』


直後。

背後で、ビルが爆炎に飲まれた。


第百五十七話、お読みいただきありがとうございました!


人の幸せを奪えば、自分が幸せになれる。

彼女は、本気でそう信じています。


そして今は、キムラ・ジュディを、不幸にしたい。

厄介なアンチに絡まれてます。


明日も20:10、続きます。

よろしくお願いします。


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