第百五十六話「堕ちる」
ハピレスの拠点を見下ろせる、向かいのビルの屋上。
俺とロイド、ジャスの三人で拠点を見下ろしていた。
端末越しには、ガレスも繋がっている。
今夜、ハピレスは終わる。
いや、確実に終わらせる。
「周辺区画の避難は、ほぼ済んだ。交通の閉鎖も、政府の方で回してある。」
ジャスが、下の通りへ目をやった。
カルディア政府が、周辺の民間人を退避させ、道路を封鎖している。
巻き添えを出さないための、地ならしだ。
「ビル内の他企業の退去も、完了してる。設備点検で通した。」
「ハピレスに勘付かれてる可能性は?」
「今のところ、ないな。全く動きがない。」
「……っち。きな臭ぇな。」
ロイドが、ビルの見取り図を広げた。
三十階、ハピレスの本拠点。
他企業を退去させる間に、ガレスの監修の下、設備点検を装ってビルへ爆破術式を潜り込ませてある。
建物ごとハピレスを葬る作戦だった。
「ガレス。中にハピレスの人員は全員いるのか?」
『あぁ。監視カメラで見た限りでは全員だ。構成員が、十七。』
端末越しの声が、少しだけ低くなった。
『しかし、一点問題がある。』
「何だよ?問題って。」
『三十階のフロアに、民間人五名が拘束されている。』
「……は?」
『避難前に連れ去られたと見ていい。各企業から、五人の行方不明者が出ている。』
「……作戦が、筒抜けだったってことか?」
『いや、具体的な作戦内容までは漏れてない。しかし……』
「次にあの拠点が標的にされていることは、ハピレスもわかってる。」
『あぁ。先に、自衛の手を打たれた。』
「……っち。」
直後、ガレスから名簿が端末に送られてきた。
——全部で、五人。
俺は、その名簿を開かなかった。
名前も顔も、今は、見る気になれない。
ガレスが、そのまま言葉を続けた。
『……ジュディ。どうする?』
「……くそっ。」
爆破術式を起動する端末を、握りしめた。
ハピレス、いやミゼラは俺たちのことをよく分かっている。
人質なんていう単純な手でも、効果は絶大だった。
ロイドが、一歩前に出た。
「……爆破は、なしだな。」
「……今更なしにして、どうすんだよ?」
「頭数はこちらが揃っている。カルディア政府の部隊と共に突入・制圧に切り替えるべきだ。」
ロイドの言葉に、ジャスが頷いた。
「妥当な落とし所だな。」
「……。」
「全員を殲滅するのは難しくなるが、少なくとも、民間人を救える可能性は増える。」
「それで、ミゼラを逃したらどうすんだよ?」
「優先度の問題だ。このような状況になった以上、民間人が優先のはずだ。」
「……。」
「……ジュディ?」
俺は、端末の起動時刻を設定した。
そのまま、二人を見て言葉を紡ぐ。
「……いや。爆破は、決行する。」
ジャスが、目を見開いた。
「……なんだと?」
「聞こえてただろ?もちろん、理由はある。」
「……言ってみろ。」
「まず、部隊を突入させた時点で、人質の安全は保証されない。」
「それは、爆破をする理由にはならないだろう!」
「二つ目。フロアへ突入すれば、現場は必ず混戦になる。これは勘だ。だが、ミゼラは必ず逃げる。そう確信してる。」
ジャスが、俺へと詰め寄った。
肩に力が入っていくのが分かる。
「しかし、ジュディ!!!」
「ここで、ミゼラに逃げられてみろ!また、同じように罪のない奴が人質に取られるだけだろ!!!」
「……っ!!」
「確実に、今、殺す。それが、今後の安全を確保することに繋がるはずだ。」
沈黙が、落ちた。
静かに、ジャスが口を開いた。
「……今いる民間人は、どうなる?」
「割り切るしか、ねぇな。」
「……割り切る、だと?」
「必要な、犠牲だ。」
その言葉が、口から出た瞬間。
誰の言葉だったか、分かっていた。
……今は、思い出したくもねぇ。
ロイドは、何も言わなかった。
ただ、黙って、俺を見つめていた。
—
「……ジュディ!!」
ジャスが、俺の胸倉を掴んだ。
その目には、確かな失望と、怒りが見えた。
「……お前、正気なのか?」
「あぁ。正気だよ。離してくれないか?」
「お前の気持ちも、理解しているつもりだ。」
「……。」
「ハピレスは確かに、お前から多くを奪った。」
「あぁ。だからこそ、ここで何としてもケリをつけなきゃならねぇ。」
俺は、ジャスの手を静かに掴んだ。
「この判断は、あいつらと——ハピレスと、何が違う?」
「……。」
「答えろ!!!キムラ・ジュディ!!」
もう、埒があかない。
ここで、問答をしている時間も惜しい。
「……あいつらは、狂ってる。」
「……何を。」
「あっちが狂ってんなら、こっちも狂うしかねぇだろ。」
「違う。それは違うんだ、ジュディ。今のお前を二人はどう見ると思うんだ。」
「……どう見られたって、いい。これで、カイラとサヤを守れんなら。」
「……。」
俺は、端末のスイッチを押した。
制限時間は、十分。
「——俺は、いくらでも堕ちていい。」
ビルの下層で、術式が静かに目を覚ます。
止めるには、ビル各所に仕込んだ術式を、一つずつ破壊するしかない。
十分では、到底間に合わない。
もう、止まらない。
あと十分で、あのビルは崩れ始める。
「ジャス。」
「……なんだ。」
「二人を、任せたよ。」
ジャスの手から、力が抜けた。
掴んでいた指が、ゆっくりと離れていく。
「……卑怯だぞ。お前は。」
「……あぁ。知ってるよ。」
卑怯で、けっこうだ。
綺麗事で、あの二人を失うくらいなら。
どれだけ汚れても、守れる方がずっといい。
—
「賽が投げられた以上は、仕方あるまい。」
ロイドが、装備を確認し始めた。
「私は、ジュディの判断に筋がないとも思わん。」
「……なんだと?」
その言葉に、周囲の空気が固まった。
ジャスが、ロイドを睨みつける。
「……民間人を犠牲にすることが正しいと?」
「このままミゼラを逃せば、より多くの犠牲が出る。それは事実だ。」
「しかし!!」
「落ち着け。私は五人を見捨てるとは言っていない。」
ロイドが、装備を整え立ち上がった。
「……私が、先に潜入する。」
「……なに?」
「十分でどこまで救えるかは分からん。しかし、爆破までに人質を逃がせれば問題ないだろう?」
「そ、れは。」
俺が切り捨てたものを、こいつが救いに行く。
それも、俺の判断を否定しきらないまま。
……ちぐはぐな話だった。
ロイドが、向かいのビルへワイヤーガンを放った。
一直線に、ハピレスのフロアまでワイヤーが伸びる。
ジャスは、屋上の縁から下を見た。
そのまま、口を開いた。
「……なら、俺は下へ回ろう。」
「何のためにだ?」
「政府側で非常用エレベーターを確保する。ロイドが三十階から人質を乗せれば、地上で拾える。」
ジャスはそう言い残し、屋上の扉へ駆けていった。
二人が、それぞれの持ち場へ動き出す。
現状で行える範囲で、それぞれのやり方で五人を助けようとしていた。
「どいつも、こいつも。勝手だな。」
「……お前に感化されたのかもな?」
ロイドが、屋上の縁へ足をかけた。
「ジュディ。」
「……なんだよ。」
「私は、私の役割を果たす。」
「……。」
「お前も、自分が何を成すべきか、見失うな。」
そう言い残して、ロイドは飛び降りた。
向かいのビルへ、真っ直ぐに。
その背中に、迷いはなかった。
あいつは、五人を助けに行く。
俺が、見限ると決めた、五人を。
—
一人、屋上に残された。
風が、屋上を吹き抜けていく。
やけに、静かだった。
下界の喧騒も、ここまでは届かない。
崩落まで、あと数分。
遠くで、ロイドがビルへ入っていくのが見えた。
——これでいい。
ミゼラは、逃げられない。
ハピレスは、終わる。
サヤもカイラも、これで安全だ。
全部、俺の望んだ通りになる。
そのはずなのに。
胸の奥が、ざわついて仕方なかった。
『……ジュディ。』
端末から、ガレスの声が聞こえた。
「……お説教か?」
『まさか。私は、どちらの言い分も理解できる。』
「なら、なんだよ。」
『私は最近、自分の指針に疑問を持っている。』
「……指針だぁ?」
なんだ急に。
ガレスが、一体何を言いたいのか分からなかった。
『判断が正しいものは、長生きをする。』
「……また、それかよ。それが、何だよ?」
『では。その正しい判断とは、誰が決めるのだろうな。』
「……俺が、知るかよ。」
『あぁ。誰にも知る術などない。』
「……。」
『決めるのは、恐らく自分の心だ。』
——自分の、心。
『ジュディ。お前の心は、正しいと感じるか?』
「……嫌な、大人だな。ガレス。」
『お前は、生意気なガキだろう?』
目をつぶった。
俺の、俺自身の心は、何を正しいと感じるのか。
——生きて。
不意に、声が聞こえた気がした。
頭の中に、昔の記憶が勝手に甦る。
——生きて。あなたのままで。
エルナが、いつか俺に言った言葉だった。
自分が消える。
今際の際に、残した言葉。
——今の俺は、あの頃の俺のままか。
自分に、問いかける。
答えは、返ってこなかった。
いや——返ってこないことが、答えだった。
ハピレスのビルへ潜っていくロイドの背中を、俺は見ていた。
人質五人を集め、脱出させる。
ハピレスの構成員は十七人。
あいつ一人じゃ、到底間に合わない。
「……くそ。」
加速して動ける俺が入れば。
ロイドの案が、確実になる。
——そうだ。
俺は、ミゼラを殺す。
そして、人質だって、助け出す。
「……ガレス。」
『なんだ。』
「通信で、フォロー。頼めるか?」
『そういう契約だろう?』
体が、勝手に動いていた。
「あぁ!!くそ大人どもがよぉ……!!」
『っは!行け、クソガキ!』
俺は、屋上の縁を蹴った。
ロイドの残した、ワイヤーを伝う。
自分で、破壊すると決めたビルへ。
自分で、閉じ込めた場所へ。
——俺も、行く。
何のために飛び込むのか。
ミゼラを殺すためか、間に合わせるためか。
自分でも、分からなかった。
第百五十六話、お読みいただきありがとうございました!
堕ちそうで、堕ちない。
中途半端クソガキおじさんが誕生しましたね。
行け。ジュディ。
明日も20:10、続きます。
よろしくお願いします。




