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スペル・エラー ~娘が生まれるのに異世界へ召喚されたので、何があっても帰ります~  作者: とろたま愚鈍
第二部:第四章|ハピレス編

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第百五十五話「奪う者たち」

——アッシュタウン。


第二次魔術大戦の戦場となったその場所は、今は廃墟と化していた。

あと数年でカルディアと並ぶ大都市になると謳われた街も、今は見る影もない。

それでも当時の建造物は、形を変えながらいくつか残っていた。


街の中央。

かつて高級ホテルとして建てられた高層ビルが、現アッシュガードの主要拠点となっていた。


その最上階の一室に、アーヴィン・ロックウェルは座していた。


アルカナの軍人として、第二次魔術大戦を終結へと導いた三英雄の一人。

終戦後は、アルカナへ戻らずアッシュガードを立ち上げ、アッシュタウンの長まで上り詰めた。


オールバックの白髪。伸びた背筋。

老いてなお、隙のない男だった。


背後には、二人。

一人は、白衣。

一人は、仮面。

どちらも、何も言わずに直立している。


正面のモニターが、光を放った。

柔らかく微笑む女が、映し出された。

ミゼラ・ノックス。その人だった。


「……早急に、迎えをよこしていただけますか。」

「随分と、焦っているようだな。」

「えぇ。拠点の制圧が、予想以上に早い。カルディアに残っているのは、もうここだけです。」

「……それで。」

「ハピレスを、アッシュタウンに迎える。それが、元々の契約では?」

「あぁ。契約では、そうだったな。」


アーヴィンの声は、静かだった。

凄むでも、責めるでもない。

ただ、事実を並べるだけの声。


「……裏切った、という理解でよろしいですか?」

「とんでもない。先に契約を反故にしたのは、そちらだ。」

「契約通りです。A-3Rの情報も、出撃の時間と場所も伝えました。ポエロ・ギンチャクも、処分しましたよ?」

「……ふむ。何一つ、契約の目的は達成できていないがな。」


アーヴィンが、指を組んだ。


「まず、A-3R。テロの現場へカルディア政府が介入し、我々との繋がりを掴まれた。」

「……そんなもの、私の知ったことでは。」

「そうだな。重要なのは、二つ目だ。」

「……。」

「ポエロは、誰にも見つからずに処理しろと言ったはずだ。」

「想定外のことは、常に起こり得るものでしょう?」

「……ネズミに、わざわざ通信を送ることが想定外か?結果として、死体は政府に見つかり、我々との通信履歴まで筒抜けになった。」


ミゼラは、答えなかった。

ただ、微笑んだままだった。


「今一度、言おう。契約を反故にしたのは、そちらだ。」

「……そうですか。では、迎えは来ないのですね。」

「あぁ。金は振り込んである。温情だと思ってくれ。」

「そうですか。」

「……レガシーコードの一つでも持っていれば、話は変わったのだがな。」


一拍、あった。

モニターの中の女が、ゆっくりと首を傾げる。


「……アーヴィン・ロックウェル。」

「なんだ。」

「あなたは、幸せなようですね。おかげで、私は不幸なままです。」

「……何の、話だ?」

「あなたも、不幸にしなければいけませんね。」

「……。」

「幸せに、近づかないと。」


モニターが、消えた。


「……イカれた女だ。」


アーヴィンは、小さく息を吐いた。

それから、背後へ声をかける。


「ショーン。」

「はい。」


白衣の男が、一歩前へ出た。


「A-3Rの状況はどうだ。進行を早められそうか。」

「えぇ。他企業の研究者を拉致していただいたおかげで、今のところは順調です。」

「そうか。」


アーヴィンが、立ち上がった。

窓の外。廃墟の街に、夜が降りている。


「アーヴィン。」


仮面の男が、口を開いた。


「ハピレスを追い詰めているネズミだが。」

「……あぁ。」

「近いうちに、接触があるかもな。」

「……お前が、そんな事を言うのは珍しい。何か、懸念があるのか?」

「いや。ただ、何となく。懐かしくてな。」

「……。」


アーヴィンは、答えなかった。

ただ、夜の街を静かに見下ろしていた。







カルディアの中央。

企業ビルの、一室。


端末の画面が、消えた。

アーヴィンに、取り付く島はなかった。


「ふ、ふふふ。あはははは。」


ミゼラ・ノックスは、窓の外を見た。

ヴェーラとは違う、人工的な灯りが夜を照らしている。


「……まだ、不幸。」


ぽつりと、つぶやいた。

どれだけの幸せを潰せば、幸せになれるのだろう。

まだ、道は見えなかった。





ミゼラ・ノックスは、幸せになるために生きてきた。


物心がついた時には、父と二人で生きていた。

父は、あるギャングの構成員だった。


生まれてからずっと、男に搾取される人生だった。

夜は、金のために知らない男へ差し出され。

昼は、父に殴られ、犯された。


自分が幸か不幸か。

その時は、知る術もなかった。

ただ嫌悪だけが、ミゼラの中にはあった。


ある日、父に連れられて拠点へ行った。

そこで与えられたのは、犯される以外の役割だった。

人を殺す、役割だ。


父のいるギャングは、人を攫う。

ストーンウェアと臓器を摘出して、売る。

それで、生計を立てていた。


作業は、簡単だった。

檻から人を出して、首を切る。

それだけ。


そこから先は、それだけが続いた。


犯され。殺し。奪われる。

犯され。殺し。奪われる。

犯され。殺し。奪われる。


誰に、教えられたわけでもない。

ある日、ふと。

ミゼラの中に、ある感情が生まれた。


——幸せに、なりたい。


けれど、どうすればいいのかは分からなかった。

ただ、そう願ったということは。


——今、自分は不幸なのだ。


それだけは、分かった。


ある夜。

限界が、来た。


いつものように、父に組み敷かれている最中。

ミゼラは、その首をナイフで刎ねた。


必死の抵抗だった。

嫌悪と、解放への願望と、父の醜い欲望。


その濁流のような地獄を、刃物で切り裂いた。



——父は、動かなくなった。



「……はは。」


笑みが、溢れた。


「ははは。あ、ははは。」


もう、殴られない。

もう、奪われない。


「はははははははははは!!!!!!」


そう思った時。

ミゼラは、少しだけ幸せに近づいたと確信した。


もう奪われない。犯されない。

それは、確かにミゼラが感じた幸福だった。


——あぁ。そういうことか。


誰かの幸せを、奪えば。

誰かを、不幸にすれば。

そこから溢れた幸せが、自分を巡る。


きっと、そういう仕組みなのだ。


その答えを確かめるように、ミゼラは父のいたギャングに残った。

行く場所がなかっただけではない。

そこでは初めて、奪われる側ではなく、奪う側に立てた。


父を殺したことを、咎める者はいなかった。

弱い者が消え、強い者が残る。

それだけの場所だった。


人を不幸にするたび。

ほんの少しずつ、楽になっていった。

結果として、ギャングの頭まで上り詰めた。


幸せに、なりたい。

そのためだけに、ミゼラは生きてきた。




——キムラ・ジュディ。


彼を見た時、ミゼラは高揚した。

死が迫る不幸を抱えながら、今ある幸せを抱きしめる矛盾。

そのあり方が、ミゼラ自身を否定する。


だから彼も、不幸にしないと。

誰かを幸せにするために生きている人間は、不幸でなくてはおかしい。

釣り合いが、取れない。


もはやハピレスなど、どうでもよかった。

キムラ・ジュディを絶望させる。


——そのために、私は今、生きている。







俺は、ロイドの拠点にいた。


机の上には、本拠点ビルの見取り図。

三十階のフロア構造を、二人でなぞっていた。

最終確認だ。


その時、脳内通信が入った。

ジャスからだった。


(なんだよ。もう、他企業の退去は済んだのか?)

『いや、まだ時間がかかる。この通信は、別の用だ。』

(……なんだよ。手短に頼むぜ?)

『カイラと、サヤの件だ。』

(……。)

『二人は、お前に会いたがっている。話がしたいと。』

(……今は、無理だ。)

『なぜ、傍にいてやらない。』


ジャスの声は、静かだった。

だからこそ、逃げ場がなかった。


(お前なら、分かってんだろ。今、二人の傍にいるのは、守ることにならねぇ。)

『……本気で、そう言っているのか。』

(大マジだよ。ミゼラを殺す。今は、それが最優先だ。)

『……ジュディ。』

(なんだよ。)

『もう一度言う。二人は、お前に会いたいと言っている。』

(……だから、なんだよ。)

『お前が今するべきことは、本当にハピレスを潰すことか。』

(……。)


答えは、持っていた。

工房を。サヤを。カイラを。守るためだ。

なのに、その言葉はまた出てこなかった。


『それに、俺もこのままでは限界だ。あの二人を、言葉で止め続けるのは骨が折れる。』

(……二人は、どうするって?)

『お前の元へ行くと言っている。』

(……。)

『……。』


少しだけ、沈黙が落ちた。

俺は、意を決してジャスへと伝えた。


(……拘束しろ。)

『なんだと?』

(聞こえただろ。二人を、拘束しろ。言葉で聞かねぇなら、物理的に抑えるしかねぇだろ。)

『……それは、違うだろう。二人の意志だけは、お前はいつだって——』

(二人の意志なんて、今は無視でいい。)


空気が、変わった。

ジャスの怒りが、伝わってきた。


『ジュディ!!!』

(でけぇ声出すなよ。聞こえてる。)


昔の俺なら。

きっと、こんなことは言わなかった。


二人の意志を、尊重していたと思う。

その上で、少なくとも話はしていたはずだ。


それでも。


——今は、二人に生きててほしい。


これで、二人に見限られてもいい。

憎まれたって、いい。


大切なんだ。絶対に、失いたくない。


(……ジャス。)

『……なんだ。』

(頼む。お前にしか、頼めねぇ。)

『……。』

(これ以上、失ったら俺は……。お願いだ。)


また、沈黙。

通信越しに、ジャスのため息が聞こえた。


『……分かった。二人の安全は、守る。』

(……ありがとう。)

『勘違いするなよ。お前の判断を、肯定したわけじゃない。』

(分かってるよ。)

『卑怯だ、お前は。これは、貸しだ。かなり大きいぞ?』

(……あぁ。お前には、寄りかかってばっかりだな。俺は。)

『……断れない自分が、腹立たしいよ。』

(ジャスは、悪くねぇよ。……もう、切るぜ。)

『……。』

(じゃあな。)


通信を切った。


しばらく、誰も口を開かなかった。

ロイドは、見取り図に目を落としたままだった。


「……誰からの通信だ?」

「ジャスからだ。まだ、他企業の退去には時間がかかるらしい。」

「……それだけか?」

「……言わないと、ダメか?」

「いや。いい。」


ロイドは、それ以上は言わなかった。

見取り図の三十階を、指で押さえた。


「これで、外堀は埋まった。運送も、クラブも潰した。金も、物資も止めた。」

「あぁ。」

「残るは、本拠点だけだ。」


——終わらせる。


ミゼラも、ハピレスも。

全部、殺してやる。


「……ロイド。」

「なんだ。」

「これで、終わりだ。」


ロイドが、顔を上げた。

静かな目で、俺を見る。


「いや。」

「あ?」

「終わりではない。始まりだろう。」


——始まり、か。


その言葉の意味を、この時の俺は深く考えなかった。

ただ、次の標的だけを見ていた。


第百五十五話、お読みいただきありがとうございました。


奪うにも、色々な形がありますね。

それぞれ何らかの理由で、誰かから、奪おうとしています。


明日も20:10、続きます。

よろしくお願いします。


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