第百五十五話「奪う者たち」
——アッシュタウン。
第二次魔術大戦の戦場となったその場所は、今は廃墟と化していた。
あと数年でカルディアと並ぶ大都市になると謳われた街も、今は見る影もない。
それでも当時の建造物は、形を変えながらいくつか残っていた。
街の中央。
かつて高級ホテルとして建てられた高層ビルが、現アッシュガードの主要拠点となっていた。
その最上階の一室に、アーヴィン・ロックウェルは座していた。
アルカナの軍人として、第二次魔術大戦を終結へと導いた三英雄の一人。
終戦後は、アルカナへ戻らずアッシュガードを立ち上げ、アッシュタウンの長まで上り詰めた。
オールバックの白髪。伸びた背筋。
老いてなお、隙のない男だった。
背後には、二人。
一人は、白衣。
一人は、仮面。
どちらも、何も言わずに直立している。
正面のモニターが、光を放った。
柔らかく微笑む女が、映し出された。
ミゼラ・ノックス。その人だった。
「……早急に、迎えをよこしていただけますか。」
「随分と、焦っているようだな。」
「えぇ。拠点の制圧が、予想以上に早い。カルディアに残っているのは、もうここだけです。」
「……それで。」
「ハピレスを、アッシュタウンに迎える。それが、元々の契約では?」
「あぁ。契約では、そうだったな。」
アーヴィンの声は、静かだった。
凄むでも、責めるでもない。
ただ、事実を並べるだけの声。
「……裏切った、という理解でよろしいですか?」
「とんでもない。先に契約を反故にしたのは、そちらだ。」
「契約通りです。A-3Rの情報も、出撃の時間と場所も伝えました。ポエロ・ギンチャクも、処分しましたよ?」
「……ふむ。何一つ、契約の目的は達成できていないがな。」
アーヴィンが、指を組んだ。
「まず、A-3R。テロの現場へカルディア政府が介入し、我々との繋がりを掴まれた。」
「……そんなもの、私の知ったことでは。」
「そうだな。重要なのは、二つ目だ。」
「……。」
「ポエロは、誰にも見つからずに処理しろと言ったはずだ。」
「想定外のことは、常に起こり得るものでしょう?」
「……ネズミに、わざわざ通信を送ることが想定外か?結果として、死体は政府に見つかり、我々との通信履歴まで筒抜けになった。」
ミゼラは、答えなかった。
ただ、微笑んだままだった。
「今一度、言おう。契約を反故にしたのは、そちらだ。」
「……そうですか。では、迎えは来ないのですね。」
「あぁ。金は振り込んである。温情だと思ってくれ。」
「そうですか。」
「……レガシーコードの一つでも持っていれば、話は変わったのだがな。」
一拍、あった。
モニターの中の女が、ゆっくりと首を傾げる。
「……アーヴィン・ロックウェル。」
「なんだ。」
「あなたは、幸せなようですね。おかげで、私は不幸なままです。」
「……何の、話だ?」
「あなたも、不幸にしなければいけませんね。」
「……。」
「幸せに、近づかないと。」
モニターが、消えた。
「……イカれた女だ。」
アーヴィンは、小さく息を吐いた。
それから、背後へ声をかける。
「ショーン。」
「はい。」
白衣の男が、一歩前へ出た。
「A-3Rの状況はどうだ。進行を早められそうか。」
「えぇ。他企業の研究者を拉致していただいたおかげで、今のところは順調です。」
「そうか。」
アーヴィンが、立ち上がった。
窓の外。廃墟の街に、夜が降りている。
「アーヴィン。」
仮面の男が、口を開いた。
「ハピレスを追い詰めているネズミだが。」
「……あぁ。」
「近いうちに、接触があるかもな。」
「……お前が、そんな事を言うのは珍しい。何か、懸念があるのか?」
「いや。ただ、何となく。懐かしくてな。」
「……。」
アーヴィンは、答えなかった。
ただ、夜の街を静かに見下ろしていた。
—
カルディアの中央。
企業ビルの、一室。
端末の画面が、消えた。
アーヴィンに、取り付く島はなかった。
「ふ、ふふふ。あはははは。」
ミゼラ・ノックスは、窓の外を見た。
ヴェーラとは違う、人工的な灯りが夜を照らしている。
「……まだ、不幸。」
ぽつりと、つぶやいた。
どれだけの幸せを潰せば、幸せになれるのだろう。
まだ、道は見えなかった。
ミゼラ・ノックスは、幸せになるために生きてきた。
物心がついた時には、父と二人で生きていた。
父は、あるギャングの構成員だった。
生まれてからずっと、男に搾取される人生だった。
夜は、金のために知らない男へ差し出され。
昼は、父に殴られ、犯された。
自分が幸か不幸か。
その時は、知る術もなかった。
ただ嫌悪だけが、ミゼラの中にはあった。
ある日、父に連れられて拠点へ行った。
そこで与えられたのは、犯される以外の役割だった。
人を殺す、役割だ。
父のいるギャングは、人を攫う。
ストーンウェアと臓器を摘出して、売る。
それで、生計を立てていた。
作業は、簡単だった。
檻から人を出して、首を切る。
それだけ。
そこから先は、それだけが続いた。
犯され。殺し。奪われる。
犯され。殺し。奪われる。
犯され。殺し。奪われる。
誰に、教えられたわけでもない。
ある日、ふと。
ミゼラの中に、ある感情が生まれた。
——幸せに、なりたい。
けれど、どうすればいいのかは分からなかった。
ただ、そう願ったということは。
——今、自分は不幸なのだ。
それだけは、分かった。
ある夜。
限界が、来た。
いつものように、父に組み敷かれている最中。
ミゼラは、その首をナイフで刎ねた。
必死の抵抗だった。
嫌悪と、解放への願望と、父の醜い欲望。
その濁流のような地獄を、刃物で切り裂いた。
——父は、動かなくなった。
「……はは。」
笑みが、溢れた。
「ははは。あ、ははは。」
もう、殴られない。
もう、奪われない。
「はははははははははは!!!!!!」
そう思った時。
ミゼラは、少しだけ幸せに近づいたと確信した。
もう奪われない。犯されない。
それは、確かにミゼラが感じた幸福だった。
——あぁ。そういうことか。
誰かの幸せを、奪えば。
誰かを、不幸にすれば。
そこから溢れた幸せが、自分を巡る。
きっと、そういう仕組みなのだ。
その答えを確かめるように、ミゼラは父のいたギャングに残った。
行く場所がなかっただけではない。
そこでは初めて、奪われる側ではなく、奪う側に立てた。
父を殺したことを、咎める者はいなかった。
弱い者が消え、強い者が残る。
それだけの場所だった。
人を不幸にするたび。
ほんの少しずつ、楽になっていった。
結果として、ギャングの頭まで上り詰めた。
幸せに、なりたい。
そのためだけに、ミゼラは生きてきた。
——キムラ・ジュディ。
彼を見た時、ミゼラは高揚した。
死が迫る不幸を抱えながら、今ある幸せを抱きしめる矛盾。
そのあり方が、ミゼラ自身を否定する。
だから彼も、不幸にしないと。
誰かを幸せにするために生きている人間は、不幸でなくてはおかしい。
釣り合いが、取れない。
もはやハピレスなど、どうでもよかった。
キムラ・ジュディを絶望させる。
——そのために、私は今、生きている。
—
俺は、ロイドの拠点にいた。
机の上には、本拠点ビルの見取り図。
三十階のフロア構造を、二人でなぞっていた。
最終確認だ。
その時、脳内通信が入った。
ジャスからだった。
(なんだよ。もう、他企業の退去は済んだのか?)
『いや、まだ時間がかかる。この通信は、別の用だ。』
(……なんだよ。手短に頼むぜ?)
『カイラと、サヤの件だ。』
(……。)
『二人は、お前に会いたがっている。話がしたいと。』
(……今は、無理だ。)
『なぜ、傍にいてやらない。』
ジャスの声は、静かだった。
だからこそ、逃げ場がなかった。
(お前なら、分かってんだろ。今、二人の傍にいるのは、守ることにならねぇ。)
『……本気で、そう言っているのか。』
(大マジだよ。ミゼラを殺す。今は、それが最優先だ。)
『……ジュディ。』
(なんだよ。)
『もう一度言う。二人は、お前に会いたいと言っている。』
(……だから、なんだよ。)
『お前が今するべきことは、本当にハピレスを潰すことか。』
(……。)
答えは、持っていた。
工房を。サヤを。カイラを。守るためだ。
なのに、その言葉はまた出てこなかった。
『それに、俺もこのままでは限界だ。あの二人を、言葉で止め続けるのは骨が折れる。』
(……二人は、どうするって?)
『お前の元へ行くと言っている。』
(……。)
『……。』
少しだけ、沈黙が落ちた。
俺は、意を決してジャスへと伝えた。
(……拘束しろ。)
『なんだと?』
(聞こえただろ。二人を、拘束しろ。言葉で聞かねぇなら、物理的に抑えるしかねぇだろ。)
『……それは、違うだろう。二人の意志だけは、お前はいつだって——』
(二人の意志なんて、今は無視でいい。)
空気が、変わった。
ジャスの怒りが、伝わってきた。
『ジュディ!!!』
(でけぇ声出すなよ。聞こえてる。)
昔の俺なら。
きっと、こんなことは言わなかった。
二人の意志を、尊重していたと思う。
その上で、少なくとも話はしていたはずだ。
それでも。
——今は、二人に生きててほしい。
これで、二人に見限られてもいい。
憎まれたって、いい。
大切なんだ。絶対に、失いたくない。
(……ジャス。)
『……なんだ。』
(頼む。お前にしか、頼めねぇ。)
『……。』
(これ以上、失ったら俺は……。お願いだ。)
また、沈黙。
通信越しに、ジャスのため息が聞こえた。
『……分かった。二人の安全は、守る。』
(……ありがとう。)
『勘違いするなよ。お前の判断を、肯定したわけじゃない。』
(分かってるよ。)
『卑怯だ、お前は。これは、貸しだ。かなり大きいぞ?』
(……あぁ。お前には、寄りかかってばっかりだな。俺は。)
『……断れない自分が、腹立たしいよ。』
(ジャスは、悪くねぇよ。……もう、切るぜ。)
『……。』
(じゃあな。)
通信を切った。
しばらく、誰も口を開かなかった。
ロイドは、見取り図に目を落としたままだった。
「……誰からの通信だ?」
「ジャスからだ。まだ、他企業の退去には時間がかかるらしい。」
「……それだけか?」
「……言わないと、ダメか?」
「いや。いい。」
ロイドは、それ以上は言わなかった。
見取り図の三十階を、指で押さえた。
「これで、外堀は埋まった。運送も、クラブも潰した。金も、物資も止めた。」
「あぁ。」
「残るは、本拠点だけだ。」
——終わらせる。
ミゼラも、ハピレスも。
全部、殺してやる。
「……ロイド。」
「なんだ。」
「これで、終わりだ。」
ロイドが、顔を上げた。
静かな目で、俺を見る。
「いや。」
「あ?」
「終わりではない。始まりだろう。」
——始まり、か。
その言葉の意味を、この時の俺は深く考えなかった。
ただ、次の標的だけを見ていた。
第百五十五話、お読みいただきありがとうございました。
奪うにも、色々な形がありますね。
それぞれ何らかの理由で、誰かから、奪おうとしています。
明日も20:10、続きます。
よろしくお願いします。




