第百五十四話「線引き」
ハピレスの、三つ目の拠点。
クラブの看板から、明かりは消えていた。
カルディア政府に根回しをして、衛生検査という名目で、中へと踏み入った。
ジャスが一般客の出入りを止めてくれたおかげで、今中にいるのはハピレスの構成員だけだ。
すでに、制圧は終わっていた。
床には、動かない体がいくつも転がっている。
血と、酒の匂いが混じっていた。
端末と帳簿は、すでに押さえた。
資金の流れも、次に潰す関連先も割れている。
他に知りたいことは、アッシュガードへの連絡手段だけだ。
……正直、望み薄だけどな。
奥のソファに、この拠点を仕切る幹部を拘束していた。
「……政府と繋がってるなんて。聞いてねぇぞ。」
俺は、銃を突きつけて口を開いた。
「んなこと、どうでもいいだろ。それよりも、アッシュガードと連絡取れるか?」
「……知るかよ。ミゼラに、聞け。」
やっぱり、ここも壁は同じか。
上とは、ミゼラの端末を通さなきゃ繋がらない。
「あー。そう。」
——パンッ
一発だった。
幹部の体が、ソファに沈む。
欲しかった情報は、持っていなかった。
なら、もう要らない。
ロイドが、背後から声をかけてきた。
「……ジュディ。」
「あぁ、もう行こう。後は政府に任せておけばいい。」
—
帰ろうとして、足が止まった。
カウンターの下。
そこに、動く人影があった。
「……おい。」
「ひ、ひぃ。」
物陰から、男が顔を覗かせる。
ハピレスの、生き残りだ。
いや——この様子だと、戦いが始まった時からずっと隠れていたんだろう。
丸腰だった。
武器は、とっくに手放している。
「お前、ハピレスだよな。」
「た、頼む……!い、命だけは……!」
「……。」
「命だけは!!助けてくれ!!!」
「……それは、筋が通らねぇな?」
肩を撃ち抜いた。
「が、あ!!あぁぁぁ!!」
「うるせぇよ。喚くな。」
男の胸ぐらを掴んで、引き寄せる。
右腕のストーンウェアの出力を上げた。
その拳で、顔面を抉るように殴る。
——ガシャン。
カウンターに、男が突っ伏した。
「お前らさ。人から奪うのを、生業にしてんだよな。」
「ひゃ、ひゃのむ。た、たすけて……っ。」
「なのに、自分の命は惜しいってか。……筋が、通らねぇだろ。」
男の髪を掴んで、カウンターへ打ち付ける。
——ガン。
「何、怯えてんだよ。」
——ガン。
「お前らが奪った奴らも、同じ気持ちだったはずだぜ。」
——ガン。ガン。ガン。
「人の痛みが想像できねぇから。」
「……ぶ!!っぐ!!」
「奪うなんて線引きを、簡単に越えられんだ。」
——ガン。ガン。
何度も。
何度も。
何度も、打ち付けた。
「いらねぇよ。お前らなんか。」
「が、あ、あぁ……。」
「死んだ方が、いいよ。」
—
肩を、掴まれた。
「やめろ。」
ロイドだった。
振り払おうとしたが、ロイドの手はびくともしなかった。
「もう、そいつに戦闘能力はない。」
「……んなもん。関係ねぇよ。」
「この人間は、今は組織の役割を担っていない。殺す理由が、ない。」
——また、役割ってか。
ネッドの時と、逆のことを言っていた。
あの時こいつは、「まだ役割を失っていない」から殺した。
「……甘ぇよ。」
「なんだと?」
「今は役割を失ってても、また与えられんだろ。」
「……。」
「一度使われた奴は、また使われる。ここで殺しときゃ、後腐れがねぇ。」
「……ジュディ。」
俺は、ロイドの思想をそのまま伸ばしただけだ。
現在、役割を担う者を殺す。
なら、いつか担うかもしれねぇ奴も同じだろ。
ロイドの目が、少しだけ細くなった。
「殺すのなら、責任を持って殺すべきだ。」
「……責任って、なんだよ。」
「敬意と、自分の成すべきことを忘れるな。」
「……。」
「それを忘れれば、私たちはこいつらと同じになる。」
「……お前さ。俺たちと、こいつらが。違うものだって思ってんのか。」
「あぁ。明確に違う。その線を越えれば、我々はただの殺人鬼へ成り下がる。」
「……同じだろうが。殺した時点で、同じ人殺しだ。」
肩を押さえる手は、そのままだった。
その手を振り払う代わりに、空いた手で銃を抜いた。
「……っ!!ジュディ!」
——パン。
男の頭を撃ち抜いた。
甚振るのをやめただけだ。
どのみち、殺す。
「……分かったよ。」
「……。」
「時間の、無駄だ。」
ロイドは、何も言わなかった。
………………。
…………。
……。
制圧を終えて、拠点を出た。
てっきり、次の段取りを話すと思っていた。
だが、ロイドが言ったのは別のことだった。
「ジュディ。」
「……ん?」
「少し、付き合え。」
「……。」
—
連れて行かれたのは、ロイドの拠点。
潰れたバーのカウンターに腰を下ろした。
ロイドが、二つのグラスに酒を注いだ。
琥珀色の液体が、薄明かりに揺れている。
「……説教なら、受ける気はねぇぞ。」
「そんなんじゃないさ。」
「じゃあ、なんだよ。」
「……お互いに、理解を深めようと思ってな。」
「んなもん。今、必要か?」
「必要だろう。少なくとも今は、互いに背中を預ける関係だ。」
俺は、グラスに口をつけた。
強い酒だった。喉が、焼ける。
ロイドが、静かに口を開いた。
「……お前の気持ちは、分かる。」
「知ったような口を、聞くなよ。癪に触る。」
「分かるさ。私の役割は、お前も知っているだろう?」
「……エージェント、だろ。」
「あぁ。奪うだけじゃない。奪われることも、あるさ。」
ロイドが、グラスを回す。
「それこそ、お前にも奪われた。」
「……あ?俺がいつ、何をあんたから奪ったってんだよ。」
「三年前だ。」
「……三年前?」
「お前は、バイオストーンの工作員を手にかけたはずだ。ダン・ベルン絡みの依頼でな。」
「……。」
——エルナとの、初めての依頼。
リアをダンに届けたあの日。
倉庫街で襲ってきた、黒い装備の部隊。
その一人と、俺は密室で相対した。
妻と、息子が二人。
そう言いながら、床の銃を拾おうとした男。
——俺の、初めての殺し。
今でも、覚えている。
吐いて、震えて。手が、止まらなかった夜のことを。
「……なんで、俺だって分かった。」
「現場で銃弾を受けて死んだのは、あいつ一人だ。他の工作員は、エルナ・クロイツの氷に封じられていた。」
「……。」
「ダン・ベルン。エルナ・クロイツ。そして、当時のお前。調べれば、おのずと答えは出てくるさ。」
「……。」
「あいつは、私が訓練した工作員の一人でな。……家族を、大切にする奴だった。」
ロイドが、静かに言った。
責めるでも、恨むでもない声だった。
「……なら、あんたは。俺を、恨むべきだな。」
「恨むものか。」
「……なんでだよ。」
「私たちのような人間を、正しく裁けるものはいない。だからこそ、自分で線を引く。」
「……線?」
ロイドは、懐から煙草を取り出して火をつけた。
薄い煙が、天井へと昇っていく。
「誰を、何のために殺したのか。相手にも、守るものがあったこと。それだけは、忘れない。」
「……。」
「望むものが違った。互いに守るべきもののために、殺し合った。そこには、確かに人の営みがあり、役割がある。」
「……綺麗事にしか聞こえねぇよ。取り繕って、臭ぇもんを正しいと言い張ってるだけだ。」
「そうだな。ある種、偽善のようなものだ。」
「……なら——」
「それでも、それは善だ。偽物でも、価値がないわけじゃない。」
——偽善でも、善。
こいつは本気で、そう信じている。
いや、信じなければいけないと、思っている。
「……ロイド。」
「なんだ。」
「あんたはさ。なんで役割ってやつに、そこまで固執するんだ。」
ロイドは、しばらくグラスを見つめていた。
それから、ぽつりと言った。
「固執するしか、生きる術を知らないんだ。」
「……。」
「私は、人を殺しすぎた。そして、失いすぎた。」
グラスの中身を、一息に呷る。
「人は、何かを成すべくして生まれてくる。私は、そう思っている。その役割こそが、人を幸福にすると信じている。」
「……信じなきゃ、立てねぇだけだろ。」
「……。」
「人を殺したこと。失ったこと。それを役割って言葉に押し付けて、あんたは逃げてるだけだ。」
「違う。背負っているんだ。」
「耳障りのいい言葉で、誤魔化すなよ。ただ、戻れねぇだけだろ。」
「……そうだな。戻るつもりも、ない。」
ロイドは、否定しなかった。
「A-3Rに役割を求めるのも、同じだ。」
「……役割が、エミリを守ってるってか?」
「あぁ。私は、あいつの守り方を、それしか知らない。役割を与えて、そこに居場所を作る。……それ以外の方法を、私は持っていない。」
だから、名前を呼べない。
——いや、呼ばないのか。
情を、役割の言葉でしか扱えない男。
その根っこが今、目の前にあった。
「……。」
事情は、分かった。
こいつが、どんな道を歩いてここに立っているのか。
それは、理解できた。
——だけど。
「……それで。その思想で。」
「……。」
「あのハピレスの団員を、生かしておけって?」
ロイドが何を失ったかなんて、俺には関係ない。
それを聞いたところで、工房は戻らない。
サヤの傷も、消えない。
あいつを生かしておく理由には、ならねぇ。
昔の俺なら。
きっと、一度は受け止めていたんだろう。
「お前の事情は分かった。」とでも、言っていたはずだ。
今は、その言葉が、出てこなかった。
いや、そもそも出す必要もないと思った。
「……無理な話だ。ロイド。」
「……。」
「お前の話に、今は共感なんてしねぇ。」
ロイドは、俺の顔をじっと見ていた。
何も、言わなかった。
俺は、残った酒を飲み干して席を立った。
「ごっそさん。次は、本拠点で終いだな。」
背中で、ロイドの声を聞いた。
「……ジュディ。」
「あぁ?」
「お前は、何を守るために殺している。」
「……。」
俺は、答えなかった。
分かってる。
工房を。サヤを。カイラを。守るためだ。
そのはずなのに。
その答えが、口から出てこなかった。
第百五十四話、お読みいただきありがとうございました。
ロイドの過去が、少しだけ見えました。
役割に、固執する男。
その理由は、強さではなく、そうしないと立てないからでした。
ジュディは、それを理解しました。
でも、共感は、しませんでした。
——昔の彼なら、どうだったでしょうね。
明日も20:10、続きます。
よろしくお願いします。




