第百五十二話「スイッチ」
サヤを抱えて、防壁の中へ飛び込んだ。
薄い光の膜が、俺たちを包んでいる。
その内側に、サヤを寝かせた。
「サヤ!!おい、サヤ!!」
「……っ。」
肩から、血が広がっている。
押さえる手が、震えた。
……俺の、せいだ。
俺を庇って、サヤは、サヤが!!
「た、頼む。お、お願いだ。お願いだから、返事を——」
「……るっせぇ。」
「え?」
「うるっせぇって。耳元で、喚くなよ。」
「……っ。」
息が、思わず漏れた。
肩の傷口を確認する。
血は多いが、急所は外れていた。
「カイラ。処置を、頼む。」
「う、うん……っ。」
カイラが、震える手でサヤの処置に取りかかった。
その横で、俺は膝をつき、部隊を確認する。
「……。」
囲まれたままだ。
魔力も、残り少ない。
このままじゃ、二人を守り切れねぇ。
今の俺じゃ、分が悪い。
(……アルト。)
『……あぁ。分かってる。』
言葉は、それだけだった。
こいつに体を預けるのは、いつだって怖い。
自分が、自分でなくなる感覚。
——でも。
今は、そんなこと言ってられねぇ。
後ろに、守るものがある。
「……ふぅー。」
懐から、赤い薬を取り出した。
投与口に押し込む。
——カチリ。
薬が、血管を巡る。
頭の芯が、すっと冷えていく。
視界の色が、変わっていく。
背中の軋みも。
胸の焼けるような痛みも。
——全部、他人事みたいに遠のいた。
—
俺の意識が、奥へ沈む。
代わりに、アルトが前へ出た。
「……あ?」
——魔力が、回復している。
不思議な感覚だった。
さっきまで空だったはずの器に、力が満ちていく。
「……ジュディ?」
カイラが、こちらを見た。
「カイラ。そのまま、サヤを守ってろ。」
「……。」
「いいか?動くなよ?」
「……はい。」
原理は、俺にも分からねぇ。
だが、今は都合がいい。
「……ひー、ふー、みー。」
目の前の部隊を数える。
七人。
いや、遠方のスナイパーを含めれば八人。
まぁ、ジュディにしちゃあ削った方か。
俺は、部隊に向けて電撃を放った。
——ッ。
ジュディのものより、ずっと極小の電撃。
ジャミングのそれに、近い。
それを、奴らの中枢神経へ流し込む。
目の前の七人が、一斉に動きを止めた。
「……っぁ。」
誰も、倒れない。
糸の切れかけた人形みたいに、その場で突っ立っている。
目だけが、俺を追っていた。
動きを止めた一人へ、歩み寄る。
太ももに格納された、ダガーを二本。
——奪う。
「……悪ぃな。貰うぜ?」
ダガーに、電撃を流し込んだ。
そのまま、スナイパーの位置を捉える。
二歩、後ろへ下がった。
——チュン。
さっきまで俺がいた地面に、弾丸が突き刺さる。
「——見つけた。」
ダガーを振りかぶり、投擲。
電撃を纏った刃が、一直線に飛んだ。
——グチュ。
遠くの屋上で、光点が崩れ落ちた。
まず、一人。
「……さて。こっからはイージーだな。」
動きを止めたままの部隊へ、向き直る。
「お掃除だ。」
そこからは、ただの作業だった。
首を、撫でるように。
一人、また一人。
「……ぁ、ぁぁぁ。」
動けない相手に、抵抗はない。
刃を滑らせるだけでよかった。
躊躇は、なかった。
悲鳴も、上がらなかった。
静かに、確実に。
数を減らしていく。
——奪う。
その感覚に、なんの重さもなかった。
まるで、呼吸みたいに。
自然で。
——ぞっとするほど、簡単だった。
—
掃除が、完了した。
俺は、懐から煙草を取り出して火をつけた。
親指と薬指で摘む。
妙に、しっくりくる持ち方だった。
「……カイラ。」
「は、はい。」
「サヤの容態はどうだ?」
「肩を、撃ち抜かれてます。……弾は、貫通しています。」
「止血は。」
「……応急処置は、できました。」
「よし。上出来だ、嬢ちゃん。」
煙を吐く。
「……アルト。」
サヤが、こちらに声をかけてきた。
「おい、喋んなよ。痛てぇだろ?」
「……あんた、また。」
「あー、いいって。後で、ジュディに言ってくれ。」
「……あんた、今、どっちなんだよ。」
「あ?」
「本当に、アルト、なのか。」
「……さぁな。正直、曖昧だな。」
アルトが、体の主導権を俺へ戻した。
——戻った、はずだった。
けれど、アルトの意識は奥へ沈まない。
さっきまで前にいたあいつが、今も俺の思考に重なっている。
「……まぁ、俺は俺だ。」
どこまでが俺で、どこからがアルトなのか。
——もう、よく分からなかった。
それを、恐ろしいとも思わなかった。
—
ジャスに連絡を入れた。
十分も、経たなかった。
政府の車両が、焼け跡の前に横付けされる。
降りてきたジャスが、辺りを見回した。
転がる、黒い装備の死体。
その一つ一つを、確かめるように。
「……これは、惨いな。」
「あ?」
「ジュディ。……お前が、やったのか。」
「……他に誰がいんだよ?」
「……。」
ジャスが、煙草をくわえた。
火は、つけない。
「……らしく、ないな。」
俺は、答えなかった。
らしいも、らしくないも。
——もう、どうでもよかった。
ダンが死んだ時。
こいつも、同じ顔をしていた。
言い訳をしない男の、痛みを堪える顔だ。
だが、今の俺には。
その痛みすら、遠かった。
「カイラとサヤを、頼む。政府でしばらく匿えるか?」
「……あぁ。任せろ。」
政府の人間が、サヤを担架へ移す。
カイラが、その後ろについて車両へ乗り込んだ。
「ジュディ。」
カイラが、振り返った。
何か言いたそうに、口を開いて。
——結局、閉じた。
車の扉が、閉まる。
ついていくべきだと、分かっていた。
それでも、足は動かなかった。
テールランプが、視界の端で遠ざかっていく。
俺は、それを目で追わなかった。
—
入れ替わるように。
一台のバイクが、焼け跡の前で止まった。
ロイドだった。
拠点の後処理を終えて、来たらしい。
黙って、辺りを見回している。
崩れた工房。
転がる、死体。
そして、その真ん中に立つ俺を。
「……。」
「ロイド。拠点の方は?」
「拠点は片付けた。残った連中は、政府へ引き渡した。データも抜いてある。」
「そうか。」
ロイドが、俺の隣に立った。
死体を、一瞥する。
「これを、お前が。」
「文句あんなら、聞くぜ?」
「……いや。」
ロイドは、死体を見ていなかった。
俺の、顔を見ていた。
何かを確かめるみたいに。
一拍、あった。
「ジュディ。」
「……あんだよ。」
「見失うなよ。」
「……。」
俺は、答えなかった。
聞こえなかったわけじゃない。
ただ、その言葉が。
胸の内側で、滑って落ちていくだけだった。
役割がどうの。
見失うなだの。
——今は、耳を貸す気になれなかった。
燃え尽きかけた工房を見上げる。
黒い骨組みだけが、夜空に突き立っている。
「……くそったれ。」
ついこの間まで、あそこで。
たこ焼きを焼いていた。
カイラが、実験を失敗して。
サヤが、それを笑っていた。
エルナの杖も。
たこ焼き器も。
くだらなくて、あたたかい時間も。
——全部、灰になった。
返ってこない。
何も、かも。
胸の奥で、何かが静かに冷えていく。
悲しみも、怒りも。
全部、胸の奥へ押し込んだ。
「……殺す。」
——甘かった。
潰す、程度じゃ。
足りねぇんだ。
殺す。
徹底的に。
ミゼラも、ハピレスも。
根こそぎ、この世界から。
そうしなきゃ。
——釣り合いが、取れねぇだろ。
不思議と、涙は出なかった。
ただ、頭の中が。
——すっと、静かになっていく。
蓋を閉めた音がした。
俺は、煙草を踏み消した。
「……切り替えよう。」
第百五十二話、お読みいただきありがとうございました。
ジュディのスイッチが入りました。
絶対良いスイッチじゃないですね……。
明日も20:10、続きます。
よろしくお願いします。




