第百三十九話「地獄の出口も、また地獄」
廃工場まで、あと五分。
EVAirの窓の下を、夜の景色が流れていく。
心臓は、うるさいくらいに鳴っている。
なのに頭のどこかは、氷みたいに冷えていた。
(……ガレス。政府の部隊は。)
『まだ遠い。お前の方が先に着く。』
(……了解。)
その時、別の通信が割り込んだ。
『——ジュディ。』
ジャスだった。
(……どうした?)
『よく聞け。下手に動くなよ?単独で突入せず、俺たちが着くまで待機しろ。』
(……無理だな、ジャス。)
『……なぜだ?』
(俺は、行く。止めたきゃ追いつけ。)
『……っ。おい、ジュディ!冷静に——』
通信を、切った。
ジャスの声が、途中でぶつりと消える。
——悪いな。
ジャスの言ってることは、正しい。
いつも通り、正しいんだ。
でも。
待てる時間なんて、今の俺にはなかった。
「……。」
懐から、青いアンプルを取り出す。
投与口に装填した。
発作は、来ていない。
それでも。
これから先、一秒でも体を止めるわけにはいかない。
——ドクン。
「……っぐ。」
青が体に回る。
せり上がる鉄の味を、無理やり飲み込んだ。
『……ジュディ。』
(……あ?お前なんで……。)
『いいから、聞け。』
今しがた、青を使ったはずだ。
しかし、アルトの声が静かに響く。
『ダンを、助けるんだよな?』
(……たりめーだろ。)
『人を、救いに行くような顔じゃねーぞ。』
(……。)
答えなかった。
答える言葉もないし、必要だとも思わなかった。
—
EVAirのハッチを開ける。
夜風が、殴りつけてきた。
眼下に廃工場。
その前をうろつく武装した影。
——ガロウの、部隊だろう。
ガレスの派遣した傭兵と、戦闘を行っていた。
「ふぅー。」
魔術防壁を展開する。
そのまま、俺は夜へと身を投げた。
——落ちる。
地面が近づく。
着地の、寸前。
両足に、電撃魔術を纏った。
ストーンウェアのオーバークロック。
一時的に、両足の出力を限界まで引き上げる。
——バチッ。
着地の衝撃を殺す。
そのまま、影の群れの中心へと薙いだ。
「——なん、だ!!!」
「……。」
両手に、銃を構える。
——パパパパンッ。
一人。二人。
振り向く暇も、与えない。
足に纏った電撃で、地を蹴る。
瞬間移動のような速さで、次の一人の懐へ。
——ビッ。
生体電流を、阻害する。
崩れたところに、一発。
誰かが、叫んだ。
俺に、銃を向けてくる奴もいた。
——遅ぇな。
全てが、止まって見えた。
魔術のせいなのか。
それとも、俺の中の、この冷たさのせいなのか。
分かろうとも、思わなかった。
「……がぁ!!!」
淡々と。
機械みたいに。
俺は、影を潰していった。
怒りも、悲しみも。
今は、要らない。
ただ、邪魔なものを削っていく。
——それだけ、だった。
「……。」
十秒も、かからなかった。
気づけば、ガロウの部隊で立っている者は、もういなかった。
「……おい、あんた。」
「……。」
傭兵らしき男が、声をかけてきた。
ガレスが、寄越した奴だろう。
「あ、おい!!!あんた、ジュディだろ?」
「……。」
俺は、足を止めなかった。
そいつを無視して。
廃工場の中へと、踏み込んだ。
—
——鼻を、つく臭い。
入ってすぐの、床。
そこには、椅子に縛りつけられたままの死体が転がっていた。
小太りの、体。
首は深く切られている。
——ポエロ・ギンチャク。
用済み、ってわけか。
「……なるほど。」
ダンが、たどり着いた場所。
そこにいた、この男。
もしかしたら。
最初から消される予定だったのは、こいつの方で。
ダンは、その掃除に巻き込まれただけ、なのかもしれない。
——俺の、せいで。
いや。
それも、後で考えればいい。
俺は、奥へと進んだ。
——コツッ。コツッ。コツッ。
自分の足音だけが、廊下に響く。
一歩、進むごとに。
胸の奥の穴が、少しずつ広がっていく気がした。
本当は、分かっていた。
EVAirの中から、ずっと。
間に合わない、と。
臭いが、濃くなる。
——焼け焦げた、臭い。
肉が、焦げる臭い。
一度嗅いだら、忘れられない臭いだ。
奥の、部屋。
その、隅に。
「……。」
——肉の、塊があった。
人の、形をしていなかった。
黒く、焼け崩れた、何か。
その塊から。
はみ出した、腕の、先に。
——何か、光るものが、見えた。
近づく。
膝を、つく。
「——っ。」
それは、時計だった。
安っぽい。
チープな。
くまの、時計。
リアが、選んだ。
ダンの、宝物。
——これが、何か、分かるかい?
いつだったか。
あの、食卓で。
ダンはこの時計を、得意げに俺へ見せてきた。
「リアからの、プレゼントだよ。」
「はぁ。」
「誕生日にね。お小遣いを貯めて、買ってくれたんだ。」
父親には、勝てない。と。
そう思ったのを、覚えていた。
—
「——。」
やっぱり。
だめ、だったか。
不思議と、涙は出なかった。
叫びも、出なかった。
ただ、胸の真ん中に。
ぽっかりと、穴が空いたみたいに。
何も、感じなかった。
——おかしいな。
こんな時。
俺は、何を、すればいいんだ。
泣けば、いいのか。
喚けば、いいのか。
その、やり方すら。
思い出せなかった。
「……。」
俺は、その時計を。
そっと、握った。
まだ、少し、温かい。
——いや。
それは、気のせいかもしれない。
後悔も。
懺悔も。
後で、いい。
今は。
——今は、あいつを、殺す。
復讐じゃ、ない。
あいつが、生きてるだけで。
これから、もっと沢山の命が奪われる。
だから、殺す。
それだけだ。
「……はは。」
乾いた笑いが、漏れた。
自分でも、なんで笑ったのか分からなかった。
『ジュディ。』
(……黙れ。)
『この先、相手の話を聞くなよ?』
(……黙れって、言ったよな?)
『殺すことに集中しろ。それ以外、考えるな。』
(……っち。聞きやしねー。)
『……いいな?』
アルトの声は。
いつになく、真剣だった。
まるで。
この先に、何が待っているか。
知っているみたいに。
—
——コツン。
奥の扉の向こうから。
物音がした。
俺は、立ち上がる。
時計を、ポケットにしまって。
扉に、手をかけた。
——ギィ。
軋む音を立てて、扉が開く。
「……。」
そこに。
男が、いた。
「はぁ~~~。ははぁ。」
血と、焦げた臭いの、こもる部屋。
その真ん中で。
床に、座り込んで。
恍惚とした顔で、宙を見ている。
右手に、刃物。
左手に、バーナー。
どちらも、赤黒く汚れていた。
——ガロウ・ヘイズ。
俺に気づくと。
ゆっくりとこちらを向いて、にたり、と笑った。
「よぉ。来たか、運ちゃん。」
「……ガロウ。」
「見たか?さっきの。最高だったろ?」
「……。」
「ただのナイフだとぉ、失血死するんだよぉなぁ。でもよぉ。ナイフを炙って焼き切ればぁ、止血しながら削ぎ落とせるぅ。」
「——黙れ。」
「本当はよぉ。ほどほどで、止めるつもりだったんだぜぇ?でも、口も割らねーしよぉ。」
ガロウが、うっとりと目を細めた。
「楽しく、なっちまってなぁ。」
「……どいつも、こいつも。人の話をいい加減聞けよ。」
「ははぁ!」
ガロウが、へらへらと、何か言葉を続けていた。
俺は、聞いていなかった。
ポケットの中の時計を、ただ握りしめていた。
——殺すことに、集中しろ。
アルトの声が、頭の隅で繰り返す。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「……もう、お前。しゃべんなくて、いいよ?」
「……あぁ?」
「聞こえなかったか?しゃべるな、っつったんだ。」
ガロウの笑みが、一瞬だけ固まった。
「……冷静じゃ、ねーか。」
「……。」
「知り合い、だったんだろ?その、肉の塊。」
「……あぁ。」
「なのに、なんで。」
ガロウが、立ち上がった。
その目から、さっきまでの恍惚は消えている。
その代わりに、苛立ちと、何か粘つくような感情が滲んでいた。
「お前やっぱり、こっち側だよなぁ?」
「……。」
「普通はよぉ。体のどこかが反応しちまうもんだぜ?まともならな。」
ガロウが、一歩踏み出した。
刃物を、握ったまま。
「なぁ、答えろよ。何か、言えよ。」
「……。」
「ジュディ!!!」
ガロウの叫びが。
廃工場に、反響した。
第百三十九話、お読みいただきありがとうございました。
なんとか、檻を出て、駆けつけて。
けれど、ジュディが見たものは、もっと深い地獄でした。
涙も、叫びも出ない。
ただ、時計を握るジュディ。
どうした。お前。
明日も20:10、続きます。
重い話が続きますが、見届けていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




