第百三十八話「誰かの地獄」
『これぇ、なぁんだ?』
ガロウがそう言うと、視界にざらついた映像が割り込んできた。
薄暗い、部屋。
椅子に、縛りつけられた、人影。
——見覚えの、ある顔。
(……ダン、さん?)
『ははぁ!!!せ~かいだぁ~~~!!!!』
心臓が、凍りついた。
なんで。
なんで、ダンが。
ガロウの、手に。
映像の中で、ガロウがナイフを取り出した。
ライターの火で、刃を炙り始める。
金属が、熱を持っていく。
『ダン~~?』
『……うっ。』
『ジュディにぃ?言いたいこと、言っておけよぉ?』
ダンが、腫れた顔を上げた。
片目は塞がっている。
それでも、その口が動いた。
『……るな。』
『ははぁ?』
『ジュディ!!!ここへは、来るな!ハピレスは……すでに……』
——ガッ。
ガロウの拳が、ダンさんの頬にめり込んだ。
『……っが。』
『っち。つまんねぇ~のぉ。』
『……。』
『命乞いとかよぉ?もっとやることあんだろぉ?』
ダンの口を、布で塞ぐ。
そのまま、ガロウがこっちを向いた。
『ジュディ。これはなぁ、交渉じゃな~い。』
——交渉じゃ、ない。
なら、なんだ。
分かってるくせに、俺の口は勝手に動いていた。
(……ダンさんを放せ。俺が、そっちへ行く。)
手錠を握りしめる。
爪が、手のひらに食い込んだ。
『ははぁ!!交渉じゃないって、言ったぜ~?』
(頼む。俺が代わる。お前らの目的は、分かってる。)
みっともない、とは思った。
それでも、止められなかった。
『ははぁ?』
(俺を、好きにしろ。上への交渉でも、なんでもいい!だから……。)
——だから、その人を、放してくれ。
ガロウが、ゆっくりと、首を傾げた。
『……なるほどなぁ。』
——通じた。
そう、思ってしまった。
(……よし。なら、交渉は成立——)
『ははぁ!!!ダメだぁ!!!』
ガロウが。
炙ったナイフを、ダンの耳に当てた。
——やめろ。
『んんーーーーッ!!!!』
『は、はははははぁ!!!!』
『んーーーーー!!!!』
削ぎ落とされた。
それが、何なのか。
理解した瞬間、俺の喉から悲鳴が飛び出していた。
「あ、ああぁぁぁ。止めろ!!!!」
『は、はははぁ。ははははは!!!』
(ガロウ!!!話を!!話を聞いてくれ!!!)
『あははははははははぁぁぁ!!!』
(……おい!!ガロウ!!!ガロウ・ヘイズ!!!!)
——ぶつっ。
映像が、途切れた。
「……は?」
代わりに、視界に。
見慣れたアイコンが表示される。
——ネルの、通話アイコン。
ネルが、この通信を遮断した?
「……っ。」
俺はすかさず、天井のスピーカーに向かって叫んだ。
「……ネル!!!」
返事は、ない。
アイコンの向こうで。
ネルが、じっと、こっちを見ている気がした。
「頼む!!!通信を、戻せ!!!ここから、出してくれ!!今すぐ!!!」
『……ダメだよ。』
「ネル!!!」
『ジュディが、壊れちゃう。』
——壊れる?
知ったことか。
今、壊れかけてるのは、俺じゃねぇ!!!
「頼む、ネル!!!お願いだ!!!な、なんでもする!なんでもするから!!!」
こんな声、出したことなかった。
なりふり構っていられなかった。
『ジュディは、私のなんだ。』
「……はぁ!?」
『私の、被験者なんだ。』
一瞬。
何を、言われたのか。
分からなかった。
「……分かった。そうだよ!お前のだ!!認める!!!認めるよ!だから……」
『ジュディ。じっとしてて。』
「ネル!!!」
『お願い。……お願い、だよ。』
その声は。
どっちが閉じ込められているのか、分からなくなるくらい。
切実だった。
ネルの声は。
いつもの、間延びした調子じゃなかった。
どこか、泣いているみたいで。
でも。
そんなこと、今はどうでもいい!!!
それっきり、スピーカーから声は。
「ネル!!!おい!!ネル・クライス!!!」
聞こえなかった。
「あ、あああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
—
「……くそ。」
俺は、立ち上がった。
両手は、手錠のまま。
魔術も、殺されたまま。
——それでも。
扉に、肩から突っ込んだ。
「あ、あぁぁぁぁ!!!」
——ガンッ。
鈍い音。
扉は、びくともしない。
何度も。何度も。何度でも。
——ゴリッ。
肩の奥で、嫌な音がした。
骨が、いった。
それでも、止まらない。
——ガンッ。
ダンさんが。
今も、あそこで。
「あぁぁぁッ!!!」
何度も、何度も。
扉に、体を叩きつけた。
『——やめろ!!!ジュディ!!!』
「あぁぁぁぁ!!!」
『止めろって言ってんだろ!!!』
肩の感覚が、もうない。
それでも、足は止まらなかった。
(……アルト。今、お前に構ってる暇はねぇ!!)
『いいから、落ち着け!!』
(うるせぇ!!!)
『無駄だって言ってんだ!!魔術も使えねぇ。武器もねぇ。その体で、扉が破れるわけねーだろ!!』
(……っ。)
分かってる。
そんなことは、分かっていた。
「ふぅー。ふぅー。」
息を、整える。
建設的に、今を打開する方法。
考えろ。考えろ。考えろ!!!
(……アルト、相談だ。)
『……あ?』
俺は、扉に額を押しつけた。
冷たい、金属の感触。
(お前の上書きを。お前の意思で、進めることはできるか?)
『……何を、言ってやがる?』
(今ここで、強制的に上書きを進めちまえば。それを皮切りに、ゼノとネルに交渉できる——)
『……お前、マジで言ってんのか?』
(大マジだ。拘束されてる現状じゃ、他に選択肢がねぇ。)
言いながら、自分でも正気じゃないとは思う。
でも言葉通り、選択肢がない。
俺の上書きの進行自体は、ゼノとしても止めたいはずだ。
『……テメェ。いい加減に、しろよ。』
(……あ?)
『筋金入りどころじゃ、ねぇぞ。狂ってる。』
(俺の話はいいんだよ。ダンさんを、なんとかしねぇと。)
『……ジュディ!!!』
アルトが、怒鳴った。
頭の奥が、びりびりと震えるくらいに。
(うるせぇ!!!喚くんじゃねぇよ居候!!できんのか、できねぇのか。さっさと言え!!)
少しの、沈黙。
そして。
『……できる、できないに、関わらずな。』
(……。)
『死んでも、ごめんだ。』
(——っ。)
「……くそ。」
—
「……。」
どれくらい、そうしていたか。
——ガチャ
扉の、開く音がした。
「……ジュディ。無事かい?」
——エルド。
エルド・ヴィオが、そこに立っていた。
「……エルド、さん?」
「あぁ。」
「……どうして。」
「君には、借りがあるからね。」
エルドが、俺の手錠に触れた。
あっけなく、外れる。
指先に、いつもの熱が戻ってきた。
「……どうやって、ここに。ゼノは——。」
「簡単だよ。ネルと、交渉した。」
「……は?」
「事実だよ。」
「……いったい、どんな——。」
「一言だけ、伝えたのさ。」
「……。」
「このままでは、君に嫌われる、とね。」
エルドが、足元に鞄を置いた。
——俺の装備一式。
「時間がない。話は、後だ。」
「……エルドさん。あんた、これ。ゼノに背いて——。」
「今は行け、ジュディ。」
エルドの目は。
父親のものと、よく似ていた。
でも、そこに宿るものは正反対だった。
「——君は、目の前の一人を、諦めない男だろう?」
—
アルカナを、飛び出した。
バイクに跨る。
砕けた肩が、悲鳴を上げる。
構うものか。痛みなど、今はどうでもいい。
エンジンが、唸った。
(ガレス!聞こえるか!)
夜風が頬を切る。
アクセルを、限界まで捻った。
『……ジュディ!出られたのか!?』
(あぁ!!ダンさんの場所は?)
『特定済みだ。ヴェーラ郊外の、廃工場。』
——廃工場。
あの映像の、薄暗い部屋。
そこに、二人がいる。
『カルディア政府の部隊が、アルカナの要請で向かっている。』
(……政府?間に合うのか。)
『……正直、微妙だ。部隊は、まだ遠い。』
ゼノが、要請したのか。
救助は政府に、丸投げして。
自分は指一本、動かさずに。
(……くそ。)
『光学迷彩のEVAirを手配した。法定速度を無視できるように改造済みだ。』
(間に合うのか?)
『少なくとも、それに乗れば先回りできる。』
さすが、ガレスだ。
こういう時に、頼りになる。
(手配した傭兵は?ダンさんの近くに、いねぇのか。)
『既に派遣済みだ。だが——。』
(……だが?)
『……ガロウの部隊に、返り討ちにあってる。』
——最悪だ。
(EVAirは、どこだ。)
『次の角。ビルの屋上に着けてある。飛ばせ。』
バイクを乗り捨て、屋上へ駆け上がった。
待っていたEVAirに、転がり込む。
扉が閉まり、夜の空へ機体が跳ね上がる。
廃工場の、方角。
その空の下に。
ダンさんが、いる。
削がれた、耳。
腫れた、顔。
それでも、俺に「来るな」と言った、あの声。
——頼む。
俺の、依頼のせいだ。
俺が、巻き込んだ。
だから。
だから、頼む。
——間に合って、くれ!!!
……。
でも。
どこかで、もう手遅れだと。
俺は分かっていた。
吐き出した祈りとは裏腹に。
俺の心は、どこか冷めていた。
第百三十八話、お読みいただきありがとうございました。
タイトルは「誰かの地獄」でしたね。
ダンにとっての、地獄。
それを見ていることしかできない、ジュディの地獄。
そして、大切なものを閉じ込めてしまう、ネルの地獄。
それぞれの地獄が、今、重なっています。
ジュディは、飛び立ちました。
けれど、時間はもう残されていません。
明日も20:10、続きます。
重い話が続きますが、見届けていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




