第百三十七話「彼のために」
アルカナ本社。
ネルの、研究室。
呼び出された俺は、扉を開けるなりげんなりした。
「やっほぉ~。ジュディ。」
「……急に、どうしたんだよ。俺、結構忙しいんだぜ?」
「まぁまぁまぁ。とりあえず、座んなよ。」
ネルが、くるりと椅子を回してこっちを見た。
にこにこと、いつも通り。
だが、その目の奥が。
いつもより少しだけ、笑っていない気がした。
「ジュディさぁ。何か、あったでしょ?」
「……ん?何が?」
「遠隔だったから、確証はないけどねぇ。ジュディの感覚値に、異常が出たんだよぉ。」
「遠隔って……。ネル、なんか仕込んだのか?」
「あっは!うん!右腕のストーンウェアにねぇ。何かあった時、大変でしょ~?」
「……有難いのか何なのか……。一言くらい言えよ。」
「んふふ~。とりあえず検査するから。右腕、出してぇ~。」
「……あ~、ネル。今は、時間が。」
「時間ないなら、さっさとするぅ!」
「……わかったよ。」
観念して、右腕を差し出す。
ネルが、細い管を俺の腕に繋いだ。
ひやり、とした感触が伝う。
「……ジュディ。」
「ん?」
「何があったのかは、いえない?」
「……あぁ。まだ、言えない。」
「……そっかぁ。」
ネルが俯いた。
前髪で表情が隠れる。
なんだ?
何か、嫌な予感が。
「ネル?どうしたんだよ?」
「ジュディは、さ。」
「……ん、ん?」
「多分、勝手に行っちゃうんだよね。」
「……何の、話だ。」
「私はねぇ。自分の望みのためなら、手段を選ばない。」
「……ネル?」
ネルが、顔を上げた。
——笑って、いなかった。
いつもの、へらへらした顔が。
能面みたいに、抜け落ちている。
「おやすみ、ジュディ。」
一切の、ためらいもなく。
ネルの指が、管の弁を押した。
——ぷつ、と。
右腕から、何かが、流れ込んでくる。
熱いのか、冷たいのか。
分からない。
——しまっ……。
視界が、急速に暗くなる。
体が、椅子から、ずり落ちて。
「ネ……る。」
そこで、意識が、途切れた。
—
——さむい。
目が、覚めた。
白い部屋に、ベッドが一つ。
窓は、ない。
体を起こそうとして、気づく。
両手首に、硬い感触。
——手錠。
「……は?」
すぐに、魔術を練ろうとした。
指先にいつもの熱が集まらない。
発動が、殺されている?
「……んだよ、これ。」
『——目が覚めたか?』
天井のスピーカーが唸った。
そこから、聞き慣れた温度のない声。
——ゼノ。
「……ゼノ。てめぇ。これは、どういう——。」
『動くな、と言ったはずだ。』
「……あ?」
『あの日、確かに言った。お前は、動くな、と。』
ゼノの声は、淡々としていた。
『A-3Rへの接触。感覚の共有。ネルの計測に、はっきり出ていたぞ。』
「……。」
『こちらの制止を無視し、独断で敵性存在と接触した。理解しているか。』
「……理解も、何もねーだろ。」
俺は手錠を引いた。
ガチャリと硬い音だけが鳴る。
「あいつは——エミリは敵じゃねぇ。このまま行けば、俺が——」
『それをするのは、お前の役目ではない。』
「それを、お前が勝手に決めんなよ!!さっさと出せ!!」
『お前は、この計画の要だ。そんな駒を、みすみす死地へやると思うか。』
「……駒、ね。気に食わねぇな。」
『言葉など、どうでもいい。事実だ。A-3Rの確保はこちらで進める。お前は、そこで大人しくしていろ。』
その時、通信に別の気配が混じった。
『……ジュディ。』
——ネル。
『……ごめんねぇ?』
「……謝罪が軽いんだよ。謝るくらいなら、さっさと出せよ。な?」
『それはぁ、ダメぇ。ジュディは、勝手に動いちゃうからぁ。』
「……当たり前だろ。俺の、問題だ。」
『そうだよ。だからぁ、だからねぇ?』
ネルの声が、少しだけ揺れた。
『ジュディが、死んじゃったら。全部が、ダメぇ。』
「……。」
『赤の件とか、さ。ジュディはぁバカだから、ここにいるべきだよ。』
——謝ってんのか、詰めてんのか。
どっちだよ。
でも。
ネルの声の奥に。
いつものふざけた調子とは違う、何かが滲んでいた。
でも、今の俺には関係がない。
もう賽は投げられた。
時間が、おしい。
「……なぁ。ゼノ。」
『なんだ。』
「時間が、ねぇんだよ。」
『……。』
「もう、エミリと接触するための算段はつけてる。ダンって人の協力だって——。」
『ならん。』
ゼノの一言。
取り付く島も、なかった。
『お前でなければ、できないことはない。A-3Rは、こちらが確保する。それで、終いだ。』
通信が、切れた。
白い部屋に俺一人。
「……くそ。」
手錠を思い切り引く。
びくとも、しない。
ダンは、どうなっている?
胸の奥が、ざわついて仕方がない。
—
どれくらい、そうしていたか。
このまま、指をくわえて閉じ込められてるわけには、いかない。
——ガレス。
とにかく、まずは情報を共有しなければ。
ダンが無事に情報を得ていたのなら、直近の懸念は払拭される。
俺は、脳内で回線を探った。
——通信は生きている。
魔術は殺されても、こっちまでは塞がれていないらしい。
(ガレス。聞こえるか?俺は今——)
その時だった。
俺が呼びかけるより先に、ガレスの声が響いた。
『——ジュディ!』
いつもの、無駄のない口調じゃない。
どこか焦りが滲んでいた。
(ガレス?どうし——。)
『ダンと、連絡が取れん。』
(……は?)
『予定の時刻は、とうに過ぎている。抜けたという報告もない。何度繋いでも応答がない。』
心臓が、嫌な音を立てた。
(……待てよ。落ち着け。回線の不調とかじゃ——。)
『この状況でか?それは希望的観測がすぎるぞ。』
(……くそ。)
『ジュディ、ヴェーラへ急いでくれ。私は——。』
(……行けねぇ。)
『どういうことだ?』
(俺は今、アルカナに拘束されてる。)
『……なんだと。』
ダンさん。
俺の依頼のせいで。
……くそ。くそ!!くそぉ!!!
(ガレス。頼む。今すぐ俺を、ここから——。)
『分かっている!とりあえず、ジャスへ連絡を送る。カルディア政府経由で圧力を掛けるが、望みは薄いぞ。』
(……わかった。平行して、ダンの所在の調査も頼む。拘束が外れたら、すぐに向かう!)
『既に進めている。別軸で傭兵のアサインも進めるぞ?』
(あぁ、構わない。……ガレス。)
『どうした?』
(……悪ぃ。手間、掛ける。)
『いい。とにかく進展があれば随時連絡を送るぞ。一旦、切る。』
(……あぁ。)
——部屋は、静かだった。
手錠を引いた。
ガチャリ、と。
硬い音だけが白い部屋に響く。
魔術は殺されている。
両手は繋がれている。
——動けない。
こんな時に。
一番、動かなきゃいけねぇ時に俺は。
「ネル!ゼノ!!!状況が変わった!!!」
『……。』
「ここから、出せ!!!頼む!」
『……。』
「出して、くれ!!!」
俺の声が誰もいない部屋に。
虚しく跳ね返った。
「……くそ。」
——ザザッ
突如。
脳内に、通信が割り込んできた。
ざり、ざり、と。
聞き覚えの、ある声が。
ノイズの向こうから滲み出てくる。
『——よぉ運ちゃん?久しぶりだなぁ。』
——この声。
忘れるはずがない。
あのカフェで。
俺を待ち伏せていた男。
(……ガロウ・ヘイズ。)
『ははぁ。正解。』
なんで、こいつが。
どうやって、この回線に。
『ちょっと、いいもん見せてやるよ。』
——嫌な、予感がした。
第百三十七話、お読みいただきありがとうございました。
ネルも、ゼノも。
彼らなりに、ジュディのためを思って、動いています。
やり方は、間違っているかもしれませんが。
そして——彼のために、踏み込んでしまった人が、もう一人。
報せは、届きました。
けれど今、ジュディは動けません。
明日も20:10、続きます。
ちょっとここから重たくなるかもです。
ブクマやコメント、評価が、続きを書く力になります。
よろしくお願いします。




