第百三十六話「踏み込んだ先」
バイオストーン本社、四十二階。
役員会議は、つつがなく終わった。
資料をまとめながら、横目で一人の男を追う。
——ポエロ・ギンチャク。
小太りの体を、仕立てのいいスーツに押し込んだ幹部だ。
脂の浮いた額を、しきりにハンカチで拭っている。
——あの男の、懐に入らなければ。
私は書類の束を抱え、さりげなく歩み寄った。
「ポエロさん。今、少しだけよろしいですか。」
「ん?あぁ、ベルン君。君から話なんて珍しいじゃないか。」
「えぇ。仕事の話では、ないのですが。……あなたの『ご趣味』を、耳にしまして。」
「……ほぅ。」
ポエロの脂ぎった目が、わずかに動いた。
私は周りに悟らせないように、そっとポエロに耳打ちをする。
「夜のお付き合いが、お好きだとか。実は私も、こう見えて『イケる口』でしてね。」
「……ふふ。ベルン君が、ねぇ。人は、見かけによらんな。」
「とっておきの店を、ご紹介できればと。……ここでは、少し。場所を移しませんか?」
ポエロが、下卑た笑みを浮かべて、頷いた。
………………。
…………。
……。
空いた、小会議室。
扉を閉めて、私は声を落とした。
「中央区の、奥にある店です。ごく限られた方だけの。……綺麗どころも、揃っておりますよ。」
「ほう……。それは、それは。」
ポエロが、身を乗り出した。
——単純な男で、助かる。
「ただ、こちらは紹介制でして。私の紹介がなければ、門も潜れません。」
「なるほど。で、どうすればいい。」
「その場で、会員登録を。恐れ入りますが……ポエロさんの端末を、お借りしても?」
「あぁ、これかい。」
ポエロが、無造作に、端末を差し出した。
——かかった。
私はそれを受け取り、さも当然のように操作を始めた。
(ガレスさん。今です。)
『——上出来だ。読み込む。少し時間をくれ。』
それらしい登録の手順を、演じ続ける。
「こちらに、お名前を。……えぇ、そうです。」
「会員証は、出るのかね。」
「後日、私から。ご心配なく。」
心臓が、嫌な速さで打っている。
こういうことは、性に合わない。
『——取れた。幹部権限のIDだ。お前の端末に送っておく。もう、離していい。』
私は、端末を、そっと返した。
「では、後日。改めて、ご連絡を。」
「あぁ。楽しみにしているよ、ベルン君。」
ポエロが、上機嫌で去っていく。
その背中を見送って、私は小さく息を吐いた。
(……助かりました、ガレスさん。)
『ダン・ベルン。無理はするな。覗けるだけ覗いて、すぐ抜けろ。』
(分かっています。)
そう答えた。
その時は、本当にそのつもりだった。
—
自分のオフィス。
ブラインドを下ろして、私は端末に向かった。
ガレスから送られた、幹部権限のID。
それを使って、社内の深い階層へ潜っていく。
目的は、一つ。
ロイド・カーターという、エージェントへの接触経路。
——あった。
役員直下、特殊工作部門。
その連絡経路の一部が、表示された。
これを、ジュディに渡せば。
あの青年は、また一歩進める。
私は、そのデータを保存しようとした。
——手が、止まる。
同じ階層に、別のログがあった。
ポエロ・ギンチャクの、外部通信記録。
何気なく、開いてしまった。
そこに見覚えのある宛先が、並んでいた。
——アッシュガード。
(……なぜ。)
バイオストーンの幹部が。
外部の、それも武装自警団と。
これほどの頻度で、通信を?
指が、勝手に動いていた。
やめておけばよかったと、後で思う。
だが、その時の私は、もう止まれなかった。
そして、一つの識別番号に行き着いた。
——A-3R。
私の、息が止まった。
ジュディが、追っている番号だ。
エルナ・クロイツに似た、複製体。
その、移送に関する記録。
——複製、召喚。
私の指先が、震えた。
異世界の故人を型に、似た存在を呼び出す。
その仮説を、かつてバイオストーンに進言したのは。
他でもない、この私だった。
生き残るために。
家族を、守るために。
確証のない仮説を、情報として売った。
その仮説が、今こうして。
一人の少女を番号で管理し、兵器として弄ぶ研究に化けていた。
「……私は。」
声が、漏れた。
(ガレスさん。)
『どうした。』
(……ジュディは。なぜ、この番号を追っているのですか。)
『……。』
『お前が、知る必要はない。』
(教えてください。お願いします。)
少しの、沈黙。
そして、ガレスは低く言った。
『……確かなことは、言えん。だが。』
(……。)
『あの男は、消えかけている。自分の中の、別人に。』
(消え、かけて。)
『それを止める鍵が、その番号にあるかもしれん。生き残るために必要なんだ。あいつには。』
『——データは受け取った。私の役目は、ここまでだ。お前も早く抜けろ。』
(……えぇ。)
『……ダン?』
——生き残るため。
私は、目を閉じた。
いつも飄々とした、あの青年が。
そんなものを、一人で抱えていたのか。
ふと、思い出す。
三年前。
私の家族は、あの青年に救われた。
——では、それは何故だ?
これまで、疑問に思ったことはなかった。
企業間の水面下での情報戦に巻き込まれた。
企業勤めをしていれば、そんなことは珍しいことでもない。
その程度の認識しか、持っていなかった。
では、なぜジュディは私と、私の家族を助けた?
その時の依頼では、私をリアと共に殺すことを目的としていたはずだ。
(……ガレスさん。)
『なんだ。早く、離れたほうがいいぞ。』
(一つだけ、答えてください。)
『……あぁ。』
(三年前ジュディは、なぜリアを私に届ける依頼を請け負ったのですか?)
『……。』
(答えて、ください。)
沈黙が流れる。
ガレスが、観念したように口を開いた。
『……交換条件だった。』
(何との、ですか?)
『ジュディは、異世界からコピー召喚された存在だ。』
(……。)
『その時の我々の認識では、ただの召喚だと思っていた。元の世界へ帰還する情報を得る代わりに、アイラの依頼を請け負った。』
(……それで、結果は。)
『あぁ。お前が、今生きている。それが結果だ。』
(……。)
そうか。
ただ、助けられたわけでは、なかったのか。
ジュディは——あの時。
自分が元の世界へ帰る、その可能性すら投げ捨てて。
ベルン家を、リアを、守る道を選んだのだ。
——ならば、私は。
私は、ゆっくりと目を開けた。
ただ、一人の青年に助けられたのではない。
帰る場所を諦めてまで、家族を選んでくれた、恩人なのだ。
命を賭してでも返すべき恩が、私にはある。
ただ情報を渡すだけでは、足りない。
あの青年が、生き残るために。
私は、全力を尽くすべきだ。
私の迷いは、消えた。
そして——それが、間違いだった。
この不可解な、通信記録。
ポエロと、アッシュガードと、A-3R。
この奥に、もっと深い何かがある。
ジュディの役に立つ、何かが。
私は、さらに奥の階層へ手を伸ばした。
—
権限の壁を、いくつも越えていく。
そのたびに、見てはいけないものが増えていく。
名前。日付。金の流れ。
本来、繋がるはずのない線が、繋がっていく。
その全体像が見えかけた、その時。
「……これは。」
私の顔から、血の気が引いた。
——まずい。
これは、一刻も早くジュディに。
いや、然るべき部署に告発すべき情報だ。
このままでは……危ない。
私は、震える指で。
今見たものを、ガレスへ、ジュディへ、送ろうとした。
(ガレスさん。今から、データを送ります。)
『……。』
(ガレスさん?)
——バツンッ。
「——っ。」
通信の、遮断音。
突然の音に、体が思わず震えた。
「……。」
なんだ?
いったい、なにが……。
——ふっ、と。
背後に、人の気配がした。
振り返る。
そこに、男が立っていた。
「……ははぁ?」
長身で、鍛え上げられた体。
金髪。
人懐っこい、笑み。
——ガロウ・ヘイズ。
知っている。
バイオストーンお抱えの、ギャング。
ハピレスの、幹部。
だが、なぜ。
この男が、バイオストーンの本社に。
「よぉ、おっさん。」
ガロウが、にっと笑った。
「いいもん、見つけちまったなぁ?」
「……君は。なぜ、ここに。」
「ははぁ。それは、こっちのセリフだぜ?なぁ?」
私は、後ずさった。
机の縁に、背が当たる。
(ガレスさん。)
頭の中で、呼びかける。
(ガレスさん。応答を。緊急——)
——応答が、ない。
ノイズだけが、頭の奥で鳴っていた。
通信が潰されている。
ガロウが、楽しそうに笑った。
「無駄だぜ。とっくに、塞いでる。」
「……っ。」
「逃げる算段か?頭いいなぁ。さすが、企業勤め。」
その、ガロウの背後から。
もう一人、ぬっと顔が出た。
柔らかく微笑んだ、女。
ピンクの髪を、半分だけ刈り上げている。
「初めまして。ベルンさん。」
穏やかな声だった。
だからこそ、ぞっとした。
「ミゼラ・ノックスです。少し、お話を。」
私は身をひるがえそうとした。
その、瞬間。
——パスッ
肩に、軽い衝撃。
見ると、細い針が刺さっていた。
「——しまっ……。」
視界が、ぐらりと傾いた。
膝から、力が抜ける。
ミゼラの穏やかな笑みが。
ゆっくりと、滲んで、消えていく。
——リア。
——アイラ。
最後に、二人の顔が浮かんで。
私の意識は、そこで途切れた。
—
「——っし。こんなもんか。」
俺は、荷物を肩に担いだ。
明日には、ヴェーラに入る。
ダンの役員会議は、もう終わってる頃だ。
連絡は、まだない。
——まぁ、上手くいったんだろ。
そう思うことにした。
あの人は、抜け目のない大人だ。
心配するだけ、失礼ってもんだろう。
工房を出ようとした、その時。
——脳内に、通信。
ネルだった。
(……ネル?どうした。)
『ジュディく~ん。ちょっとぉ、本社まで来てくれるぅ?』
(あ?今から、ヴェーラに行くとこ——)
『今すぐぅ。』
ネルの声が。
いつもの、間延びした調子のまま。
でも、どこか有無を言わせない響きで、続いた。
『——逃げないでねぇ?』
第百三十六話、お読みいただきありがとうございました。
今回は、ダンの回でした。
人を助けたいと願う気持ちは、時に、引き返す足を止めてしまいます。
ダンは、踏み込みました。
それが、どこへ続く道だったのか。
そして、ジュディはまだ、何も知りません。
明日も20:10、続きます。
ブクマやコメント、評価をいただけると、ダン助かってくれ頼む。
よろしくお願いします。




