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スペル・エラー ~娘が生まれるのに異世界へ召喚されたので、何があっても帰ります~  作者: とろたま愚鈍
第二部:第三章|バイオストーン編

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第百三十六話「踏み込んだ先」

バイオストーン本社、四十二階。

役員会議は、つつがなく終わった。


資料をまとめながら、横目で一人の男を追う。


——ポエロ・ギンチャク。


小太りの体を、仕立てのいいスーツに押し込んだ幹部だ。

脂の浮いた額を、しきりにハンカチで拭っている。


——あの男の、懐に入らなければ。


私は書類の束を抱え、さりげなく歩み寄った。


「ポエロさん。今、少しだけよろしいですか。」

「ん?あぁ、ベルン君。君から話なんて珍しいじゃないか。」

「えぇ。仕事の話では、ないのですが。……あなたの『ご趣味』を、耳にしまして。」

「……ほぅ。」


ポエロの脂ぎった目が、わずかに動いた。

私は周りに悟らせないように、そっとポエロに耳打ちをする。


「夜のお付き合いが、お好きだとか。実は私も、こう見えて『イケる口』でしてね。」

「……ふふ。ベルン君が、ねぇ。人は、見かけによらんな。」

「とっておきの店を、ご紹介できればと。……ここでは、少し。場所を移しませんか?」


ポエロが、下卑た笑みを浮かべて、頷いた。


………………。

…………。

……。


空いた、小会議室。

扉を閉めて、私は声を落とした。


「中央区の、奥にある店です。ごく限られた方だけの。……綺麗どころも、揃っておりますよ。」

「ほう……。それは、それは。」


ポエロが、身を乗り出した。

——単純な男で、助かる。


「ただ、こちらは紹介制でして。私の紹介がなければ、門も潜れません。」

「なるほど。で、どうすればいい。」

「その場で、会員登録を。恐れ入りますが……ポエロさんの端末を、お借りしても?」

「あぁ、これかい。」


ポエロが、無造作に、端末を差し出した。

——かかった。


私はそれを受け取り、さも当然のように操作を始めた。


(ガレスさん。今です。)

『——上出来だ。読み込む。少し時間をくれ。』


それらしい登録の手順を、演じ続ける。


「こちらに、お名前を。……えぇ、そうです。」

「会員証は、出るのかね。」

「後日、私から。ご心配なく。」


心臓が、嫌な速さで打っている。

こういうことは、性に合わない。


『——取れた。幹部権限のIDだ。お前の端末に送っておく。もう、離していい。』


私は、端末を、そっと返した。


「では、後日。改めて、ご連絡を。」

「あぁ。楽しみにしているよ、ベルン君。」


ポエロが、上機嫌で去っていく。

その背中を見送って、私は小さく息を吐いた。


(……助かりました、ガレスさん。)

『ダン・ベルン。無理はするな。覗けるだけ覗いて、すぐ抜けろ。』

(分かっています。)


そう答えた。

その時は、本当にそのつもりだった。







自分のオフィス。

ブラインドを下ろして、私は端末に向かった。


ガレスから送られた、幹部権限のID。

それを使って、社内の深い階層へ潜っていく。


目的は、一つ。

ロイド・カーターという、エージェントへの接触経路。


——あった。


役員直下、特殊工作部門。

その連絡経路の一部が、表示された。


これを、ジュディに渡せば。

あの青年は、また一歩進める。


私は、そのデータを保存しようとした。

——手が、止まる。


同じ階層に、別のログがあった。

ポエロ・ギンチャクの、外部通信記録。


何気なく、開いてしまった。

そこに見覚えのある宛先が、並んでいた。


——アッシュガード。


(……なぜ。)


バイオストーンの幹部が。

外部の、それも武装自警団と。

これほどの頻度で、通信を?


指が、勝手に動いていた。

やめておけばよかったと、後で思う。

だが、その時の私は、もう止まれなかった。


そして、一つの識別番号に行き着いた。


——A-3R。


私の、息が止まった。


ジュディが、追っている番号だ。

エルナ・クロイツに似た、複製体。

その、移送に関する記録。


——複製、召喚。


私の指先が、震えた。


異世界の故人を型に、似た存在を呼び出す。

その仮説を、かつてバイオストーンに進言したのは。

他でもない、この私だった。


生き残るために。

家族を、守るために。

確証のない仮説を、情報として売った。


その仮説が、今こうして。

一人の少女を番号で管理し、兵器として弄ぶ研究に化けていた。


「……私は。」


声が、漏れた。


(ガレスさん。)

『どうした。』

(……ジュディは。なぜ、この番号を追っているのですか。)

『……。』

『お前が、知る必要はない。』

(教えてください。お願いします。)


少しの、沈黙。

そして、ガレスは低く言った。


『……確かなことは、言えん。だが。』

(……。)

『あの男は、消えかけている。自分の中の、別人に。』

(消え、かけて。)

『それを止める鍵が、その番号にあるかもしれん。生き残るために必要なんだ。あいつには。』

『——データは受け取った。私の役目は、ここまでだ。お前も早く抜けろ。』

(……えぇ。)

『……ダン?』


——生き残るため。


私は、目を閉じた。

いつも飄々とした、あの青年が。

そんなものを、一人で抱えていたのか。


ふと、思い出す。

三年前。

私の家族は、あの青年に救われた。


——では、それは何故だ?

これまで、疑問に思ったことはなかった。


企業間の水面下での情報戦に巻き込まれた。

企業勤めをしていれば、そんなことは珍しいことでもない。

その程度の認識しか、持っていなかった。


では、なぜジュディは私と、私の家族を助けた?

その時の依頼では、私をリアと共に殺すことを目的としていたはずだ。


(……ガレスさん。)

『なんだ。早く、離れたほうがいいぞ。』

(一つだけ、答えてください。)

『……あぁ。』

(三年前ジュディは、なぜリアを私に届ける依頼を請け負ったのですか?)

『……。』

(答えて、ください。)


沈黙が流れる。

ガレスが、観念したように口を開いた。


『……交換条件だった。』

(何との、ですか?)

『ジュディは、異世界からコピー召喚された存在だ。』

(……。)

『その時の我々の認識では、ただの召喚だと思っていた。元の世界へ帰還する情報を得る代わりに、アイラの依頼を請け負った。』

(……それで、結果は。)

『あぁ。お前が、今生きている。それが結果だ。』

(……。)


そうか。

ただ、助けられたわけでは、なかったのか。


ジュディは——あの時。

自分が元の世界へ帰る、その可能性すら投げ捨てて。

ベルン家を、リアを、守る道を選んだのだ。


——ならば、私は。


私は、ゆっくりと目を開けた。


ただ、一人の青年に助けられたのではない。

帰る場所を諦めてまで、家族を選んでくれた、恩人なのだ。


命を賭してでも返すべき恩が、私にはある。


ただ情報を渡すだけでは、足りない。

あの青年が、生き残るために。

私は、全力を尽くすべきだ。


私の迷いは、消えた。

そして——それが、間違いだった。


この不可解な、通信記録。

ポエロと、アッシュガードと、A-3R。

この奥に、もっと深い何かがある。


ジュディの役に立つ、何かが。

私は、さらに奥の階層へ手を伸ばした。







権限の壁を、いくつも越えていく。

そのたびに、見てはいけないものが増えていく。


名前。日付。金の流れ。

本来、繋がるはずのない線が、繋がっていく。


その全体像が見えかけた、その時。


「……これは。」


私の顔から、血の気が引いた。


——まずい。


これは、一刻も早くジュディに。

いや、然るべき部署に告発すべき情報だ。

このままでは……危ない。


私は、震える指で。

今見たものを、ガレスへ、ジュディへ、送ろうとした。


(ガレスさん。今から、データを送ります。)

『……。』

(ガレスさん?)


——バツンッ。


「——っ。」


通信の、遮断音。

突然の音に、体が思わず震えた。


「……。」


なんだ?

いったい、なにが……。


——ふっ、と。

背後に、人の気配がした。


振り返る。

そこに、男が立っていた。


「……ははぁ?」


長身で、鍛え上げられた体。

金髪。

人懐っこい、笑み。


——ガロウ・ヘイズ。


知っている。

バイオストーンお抱えの、ギャング。

ハピレスの、幹部。


だが、なぜ。

この男が、バイオストーンの本社に。


「よぉ、おっさん。」


ガロウが、にっと笑った。


「いいもん、見つけちまったなぁ?」

「……君は。なぜ、ここに。」

「ははぁ。それは、こっちのセリフだぜ?なぁ?」


私は、後ずさった。

机の縁に、背が当たる。


(ガレスさん。)


頭の中で、呼びかける。


(ガレスさん。応答を。緊急——)


——応答が、ない。


ノイズだけが、頭の奥で鳴っていた。

通信が潰されている。


ガロウが、楽しそうに笑った。


「無駄だぜ。とっくに、塞いでる。」

「……っ。」

「逃げる算段か?頭いいなぁ。さすが、企業勤め。」


その、ガロウの背後から。

もう一人、ぬっと顔が出た。


柔らかく微笑んだ、女。

ピンクの髪を、半分だけ刈り上げている。


「初めまして。ベルンさん。」


穏やかな声だった。

だからこそ、ぞっとした。


「ミゼラ・ノックスです。少し、お話を。」


私は身をひるがえそうとした。

その、瞬間。


——パスッ


肩に、軽い衝撃。

見ると、細い針が刺さっていた。


「——しまっ……。」


視界が、ぐらりと傾いた。

膝から、力が抜ける。


ミゼラの穏やかな笑みが。

ゆっくりと、滲んで、消えていく。


——リア。

——アイラ。


最後に、二人の顔が浮かんで。

私の意識は、そこで途切れた。







「——っし。こんなもんか。」


俺は、荷物を肩に担いだ。


明日には、ヴェーラに入る。

ダンの役員会議は、もう終わってる頃だ。

連絡は、まだない。


——まぁ、上手くいったんだろ。


そう思うことにした。

あの人は、抜け目のない大人だ。

心配するだけ、失礼ってもんだろう。


工房を出ようとした、その時。


——脳内に、通信。


ネルだった。


(……ネル?どうした。)

『ジュディく~ん。ちょっとぉ、本社まで来てくれるぅ?』

(あ?今から、ヴェーラに行くとこ——)

『今すぐぅ。』


ネルの声が。

いつもの、間延びした調子のまま。

でも、どこか有無を言わせない響きで、続いた。


『——逃げないでねぇ?』


第百三十六話、お読みいただきありがとうございました。


今回は、ダンの回でした。


人を助けたいと願う気持ちは、時に、引き返す足を止めてしまいます。

ダンは、踏み込みました。

それが、どこへ続く道だったのか。


そして、ジュディはまだ、何も知りません。


明日も20:10、続きます。

ブクマやコメント、評価をいただけると、ダン助かってくれ頼む。

よろしくお願いします。


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