第百三十三話「ジュディの車窓から」
——朝。
俺は、まだ夢の中にいた。
『おはようございます。』
(ん……。)
『起きてください。』
(ん~……。)
『起きろって。』
(……あ?)
『あ。起きましたね。おはようございます。』
(……すぴ……。)
なんだよ、エルナか。
エルナの方が朝早いなんて、珍しいこともあるもんだな。
そのまま、二度寝に入ろうとした、その瞬間。
『おはようございますッ!!!!』
「うわぁ!!な、なんだ!!」
『おはようございますッ!!!!オハヨーーゴザイマス!!!オハヨー……』
「ス、ストップ!!!ストップ!!起きた!!起きました!!!」
頭の奥で、声がドカンと弾けた。
思わず、跳ね起きて降参する。
心臓が、朝から嫌な動きをしていた。
『……よく、眠れましたか?間抜け。』
(朝っぱらから、何すんだよ。……え、今間抜けって言った?)
『……退屈だったので。あなたの寝顔、観察してました。』
(趣味、悪ぃぞ?)
ベッドの隣に、エミリが座っていた。
昨日と同じ、エルナの顔で。
足を、ぶらぶらさせている。
『ところで、ジュディ。』
(……なんだよ。)
『猥談を、してみませんか?』
(……ぶっ。)
危うく、唾を吹くところだった。
(朝っぱらから、何言ってんの?)
『見張りが、よく話していたので。男の人は好きなのかと。懐に取り入る作戦です。』
(思惑言っちゃってるじゃん。てか仕事中に何の話してんだよ。その見張りは。)
『……私は、きょにゃうですか?』
(……は?)
『なんですか?』
(お願いだから、止めてくれ……。)
エルナの顔で、真顔できょにゃうとか言うな。
朝から頭が痛い。いや、というか胸が痛い。
(つーか、お前。繋ぐとは聞いたけど、朝一からかよ……。)
『時間は指定してませんでしたよね?早速ですが、外を見せていただけませんか?』
(……あのなぁ。)
ベッドから、足を下ろす。
(こっちに、何のメリットがあんだよ。)
『それは、そうなのですが……。』
(助けるかどうかは、検討中だ。だけど今は、やることが山ほどあんだよ。)
『……つまり?』
(今は、無理だ。)
『……ほぉ。なら、実力行使といきますか。』
エミリが、指をぽきぽきと鳴らした。
やけに、堂に入った仕草で。
(……つっても、お前。何もできねぇだろ。)
『ははん。あんまり、舐めないでいただきたい。』
その時だった。
——コンコン。
「ジュディ?大きな声聞こえたけど、大丈夫?」
——カイラ。
さっきの叫び声を、聞かれたらしい。
「……あ、あぁ。大丈夫だ。」
「入るよ?」
「ど、どうぞ。」
扉が開いて、カイラが顔を出した。
「ジュディ。本当に大丈夫?」
「あぁ。大丈夫大丈夫。おはようカイラ。」
「う、うん。おはよう。」
エミリが、すっとカイラを見た。
不躾に、じろじろと。
『……胸、でっか。』
(……やめろや。)
『これが、きょ……。』
(やめろって、言ったぜ?)
『……。』
つい、出かかった声を慌てて飲み込む。
『……ふむ。』
エミリが、カイラの背後に回り込んだ。
そのまま、カイラの頭の後ろから指を二本にゅっと突き出した。
『……鬼。』
(……く、くだらねぇ。)
噴き出しそうになるのを、必死で堪える。
「ジュ、ジュディ?本当に大丈夫なの?」
「……っく。だ、大丈夫。大丈夫だから。」
「……変な顔してるよ?」
「気のせいだす。」
「……語尾。」
カイラは、まだ少し心配そうな顔をしていた。
色々と誤魔化して、部屋を出て行ってもらう。
——パタン。
扉が閉まる。
俺は、思わず息を吐いた。
(……お前なぁ。)
『見せてくれなければ。このように、ジュディの私生活を荒らしますので。』
(脅迫かよ。)
『一日だけでいいのです。後生です。』
ぺこり、と頭を下げる。
さっきまで鬼のツノを生やしてた奴とは思えない。
(……はぁ。分かったよ。)
『っ!』
(その代わり、こっちも条件を出すぞ?)
『……はい。』
しゅんとすんなよ。おかしいだろ。
(……外をある程度見せたら、俺の質問に可能な限り答えろ。)
『それなら、まぁ……。片腹痛いですね。』
(意味ちげぇからな?たぶん。)
こうして俺は、頭の中の居候を連れて街へ出ることになった。
—
昼前。
向かったのは、中央区の外れにある行きつけのラーメン屋だった。
——エルナが、好きだった店。
なんでここを選んだのか、自分でもよく分からなかった。
ただ足が勝手にここへ向いていた。
『へぇ。ここが、飲食店ってやつですか。』
(ま、まぁ。そうだな。)
『すんすん。いい匂いがします!ジュディ!いい匂いが!!』
(……あ、あぁ。飯を食いに来たからな。共感覚?なら味も分かるんだろ?)
『はい!』
エミリの目が、きらきらしていた。
……こういう顔は、ちょっとエルナに似てる。
座席に腰掛け、酢ラーメンを注文する。
エルナが、いつも頼んでた一杯だ。
すぐに、湯気の立つ丼が出てきた。
酸っぱい匂いが、鼻をつく。
『……ん?なんです?このツンとした匂い。』
(……おし、いくぞ。)
『なんで、気合を入れるんです?』
麺を、すする。
——ずぞぞ。
「……ごっふぁ。」
『……!?あが!!!』
案の定、むせた。
この店の酢ラーメンは、一口目でだいたい死ぬ。
でも、食ってるうちに慣れてくる。
「ふー。ふー。」
『ジュ、ジュディ!!ストップ!!!ストップです!!!』
(……あ?どうしたんだよ?)
『こ、これ、酸味です。さ、酸味が、強い。強いんです。』
(そりゃ~酢ラーメンだからな。)
『……怖い。』
(怖いって、なんだよ。)
『すっぱいのが、怖いんです。』
(じゃあ、もう一口。)
『ひぃ!』
——ずぞぞぞ。
『ジュディ!これはダメです!あきまへん!あきまへんで!』
(っはは!)
……くだらない。
くだらないのに、ちょっと笑った。
——怖い、か。
エルナは、この一杯をたまらなそうにすすってた。
ひと口ごとに「さいっこう」って、顔をとろけさせて。
なのに、こいつは。
同じ顔で、同じ味を感じて、「怖い」って言う。
似てるけど、こいつは違った。
—
『むっすー。』
(……。)
店を出た時、エミリはすっかり機嫌を損ねていた。
怒った顔は、エルナに近い。
なんだか懐かしかった。
『ジュディは、意地が悪いですね。』
(お互い様じゃねーか?)
『むー!謝罪!謝罪を要求します!!』
こいつは、エルナじゃない。
分かってる。分かってるはずだ。
でも、なんだか、出会ったことのない、昔のエルナといるような。
そんな、心地良い感覚があった。
……くそ。
(……悪かったな。甘いもんで、口直しでもするか?)
『……ほほぅ。あまい、もの?』
(そうだなぁ~。プリン、食ったことあるか?)
『……ぷりん。とな?』
近くの売店でプリンを買った。
適当なベンチに腰掛け、スプーンを差し込む。
『……これが、ぷりん。』
(あぁ。美味いぞ?)
『溶解した人間を、固めたみたいな見た目ですね。』
(……怖ぇこと言うなよ。)
『早く。ジュディ、早く。プリーズください。』
(わ、分かったって。急かすなよ。)
言語おかしいことになってるぞ……。
スプーンで掬ったプリンを、口へと運んだ。
——ぱく。
『……ふぁ。』
(どうだ。)
『……。』
(お、おい。大丈夫か?)
『……「幸せとは何か」と、今聞かれたら……。』
(……いや、聞いてねぇよ?)
『私の、口の中だと。答えます。』
(……よかったな。)
プリンひとつで、幸せの在処を決めた。
それだけ、味というものさえ、知らなかったのだろうか。
外を、見たい。
味を、知りたい。
プリンを、もう一口、食べたい。
そんな、些細で小さな欲。
それがエミリの中で、ひとつずつ灯っていくのが分かった。
—
それから、街を歩いた。
特に、目的もなく。
空を、見上げる。
『……青い。火の手がないと、こんなにも綺麗なんですね。』
人混みを、抜ける。
『うるさい。でも、嫌じゃないです!』
川沿いに、出る。
『……チカチカしてます。光ってますね!!』
エミリは、いちいち立ち止まった。
俺の見るもの、全部に。
初めて外を見る、子供みたいに。
——車窓から、景色を見せてやってるみたいだな。
ふと、そう思った。
………………。
…………。
……。
日が傾き始めた頃。
俺は、川沿いのベンチに腰を下ろした。
(さて、エミリ。)
『なんでしょうか?』
(……そろそろ、こっちの約束も守ってもらうぞ。)
『……約束って?』
(俺の質問に、可能な限り答えるって話だよ。)
『……あぁ。ありましたね。そんな話。』
……こ、こいつ。
マジで忘れたな。
(はぁ~。まず手始めに一つ。お前を作った人に心当たりは?)
『分かりません。気づいたら生きてて、番号でした。』
(……。)
出どころは空振りか。
まぁいい。ここからだ。
(お前の元々の所属は、バイオストーンだよな?)
『えぇ。そうですが。』
(なんで今、アッシュガードにいるんだ?)
『……あまり、答えたくありません。』
——ガクッ
思わず肩が落ちた。
は、話にならねぇかもしれねぇ。
(あのなぁ!話してくれねーと、助けられるもんも助けらんねーぞ!)
『……保留なんですよね?』
(その判断をするために、話を聞いてんだろーが!)
『むぅ。』
むぅ。じゃねーよ。
もういい。とにかく、サクサク進めよう。
俺は、矢継ぎ早に質問を重ねていく。
(アッシュガードの中は、どうなってる。)
『今は、白い部屋に幽閉されています。場所は、多分アッシュタウンですね。あと分かるのは、見張りの顔くらいでしょうか。』
(そこまではこっちも掴んでる。他にねーか?)
『……すみません。』
しょんぼりと、肩を落とす。
これじゃあ、ほぼ情報なんて引き出せねーじゃねーか。
他に何か情報はないかと思い、エミリを見た。
エミリは、川面の光をずっと見つめていた。
おそらく、俺の目を通して。
その横顔が、楽しそうに揺れていた。
(……エミリ。)
『はい。』
(どうかしたのか?)
『……へへ。えへへ。』
(なんで、笑ってんだよ。)
『だって。外、すごいので。』
——えへへ。
エルナとは、違う笑い方だった。
エルナは「ふふふ」って、少し上品に笑う奴だった。
……あぁ。
やっぱり、こいつは。
エルナじゃ、ないんだよな。
ただ、そう思った。
『ジュディ。』
(……ん?)
『私のことを知りたいのであれば、適任がいます。』
(……適任?)
『私を助けたいと思ってくれたなら、その方にまずは接触してみるのがいいでしょう。』
(助けるとは、まだ言ってねぇけど。)
『まぁ、聞いてください。その人は、私に名前をくれた人物です。』
(……誰だ。)
エミリが、ゆっくりと、口を開いた。
『ロイド・カーター。バイオストーンのエージェントです。』
(……ロイド、カーター。)
『私の、管理監督者でした。』
第百三十三話、お読みいただきありがとうございました!
エミリ、外デビューの回でした。
※いや外には出ていたみたいですが。
酢ラーメンは怖くて、プリンは幸せ。
味を知らなかった子が、ひとつずつ、好きを覚えていきます。
ジュディの目を通して見る、初めての外。
車窓の景色みたいに、流れていきます。
そして最後に、ひとつの名前。
ロイド・カーター。彼が、何者なのか。
明日も20:10、続きます。
ブクマやコメント、評価をいただけると、エミリがプリンをもう一口食べられます。
よろしくお願いします!




