第百二十九話「ベルン家の食卓」
あくる日。
工房で本を読んでいると、突如、脳内にダンから通信が入った。
『ジュディ。緊急事態だ。』
(……どうしたんです?)
ダンの声は、切迫していた。
こんなに焦ったダンは、珍しい。
まさか——。
『兵糧攻めに、あっている。』
(……は?)
『兵糧攻めだ。』
(……えっと。すみません。わけが、わからないんですが。)
兵糧攻め。
ヴェーラで、戦争でも始まったのか?
『落ち着いて、聞いてくれ。』
(……はい。)
『我が家の食卓が、危機に瀕している。』
——食卓?
……なるほど。どうやら家庭の事情のようだ。
(……ダンさん。)
『なんだい。』
(緊急事態って、どのくらいのレベルですか?)
『最高レベルだよ。リアの健康に関わる。』
おそらく、本人は本気なのだろう。
ダンは、リアのこととなると人が変わる。
でも、紛らわしい。
勘弁してほしかった。
—
事情を、聞いた。
アイラは——料理が、下手らしい。
確かに、思い当たる節がないこともない。
『妻の名誉のために言うが。本人に、悪気はない。』
(……はぁ。)
『ただ、出来上がるものが。なぜか、毒物に近い。』
(……毒物。言い過ぎでは?)
『比喩だよ。……たぶん、ね。』
……たぶん、なんだ。
だから、ダンはこれまで。
カルディアに帰るたびに、作り置きをしていたらしい。
一週間分、二週間分。
冷凍庫に、ぎっしり詰めて。
それでも足りない時は、デリバリーを頼む。
『君の負担を、少しでも減らしたい』。
そういう言い訳付きで。
——なるほど。
つまり、ダンは。
アイラさんが料理下手なことを、本人に悟らせないように。
ずっと、庇い続けてきたわけだ。
何年も。
こっそりと。
……この人、本当に。
そういうとこ、徹底してるな。
(……で。何が緊急事態なんです?)
『そのデリバリーが、ギャングの抗争で潰れた。店ごとだ。』
(……ギャングに。)
余計なことしかしねーな。
いや、だからギャングなのか?
『代わりの店も、注文が殺到しているみたいでね。再開は、一週間後。』
(……一週間。長いですね。)
『あぁ。その間、私はヴェーラを離れられない。重要な仕事が残っていてね。』
ダンが、ぐっと、声を落とした。
『つまり、この一週間。我が家の食卓は——』
(……アイラさんの手に、委ねられる?)
『そういうことだ。絶望だよ。』
いや、言い過ぎでは?
—
『そこでだ。ジュディ。傭兵として、君に依頼したい。』
(……一応、内容を聞いても?)
『一週間分の作り置きを、ベルン家で作ってほしい。』
(……。)
『リアの胃袋の、護衛だ。肝に命じてほしい。』
胃袋の護衛。
言い方次第だと思ったが、まぁ要するに料理を作ればいいんだろ?
『ただし、条件がある。』
(……条件?苦手なものとかですか?)
『いや。リアに好き嫌いはない。可愛いだろ?あくまで、「料理の共有会」という体でいってくれ。』
(……なんか今、変な親バカはいりましたよね?)
『「みんなで一緒に作りましょう」とね。間違っても、「作りに来ました」と言うな。』
ねぇ。話聞いてた?
まぁそれだけ、ダンは必死なんだろう。
(……アイラさんに、悟らせないため、ですか。)
『あぁ。アイラを悲しませるわけにはいかない。』
——徹底してるな、本当に。
まぁ、いい。
リアの飯がかかってるなら、断る理由もない。
(分かりました。引き受けましょう。)
『助かるよ。報酬は、弾むよ。』
(いや、報酬は——)
『弾む。これは、譲れない。』
……この辺も、相変わらずだった。
ちゃんとした大人だな。
いや、どうだろうか。
—
そんなわけで。
俺は、サヤとカイラを連れて、ベルン家に向かった。
「ダンさんって、どんな人?」
「いい人だよ。ちょっと、娘命なとこあるけど。」
「ふぅん。」
サヤは、棒付きキャンディを咥えている。
カイラは、なんか、やる気だ。
腕を、まくっている。
ベルン家は、カルディアの住宅街にある。
小さいけど、温かそうな家だ。
扉を、叩いた。
「はーい。」
すぐに、扉が開く。
アイラさんだった。
「ジュディ。いらっしゃい。」
「お久しぶりです、アイラさん。今日は、お邪魔します。」
「ふふ。歓迎するわ。さ、入って?」
「お兄ちゃん!!!」
奥から、小さな影が飛び出してきた。
リアだ。
全力で、俺の腰に抱きついてくる。
「うおっ。リア!元気そうだな!」
「お兄ちゃん、相変わらず目つき悪い!」
「……それ、会うたびに言うんだね?」
「リアは、そこがかっこいいと思うのです!」
——あぁ。可愛いな。
あと、ちょっと敬語も使えるようになったか?
リアの手首に、何か、光るものがあった。
よく見ると、腕時計だ。
文字盤に、熊のイラストが描いてある。
「リア、それ。」
「えへへ。いいでしょ~?」
「あぁ、可愛いな。どうしたんだ、それ?」
「ん~~?ないしょ!」
ないしょ、らしい。
「お姉ちゃんたちは、どなたです?」
「サヤだ。よろしくな、チビ助。」
「カイラだよ!よろしくね!」
「きれいなお姉ちゃんが、二人もいる……。」
リアが、目を細めた。
サヤが、ちょっと、照れている。
珍しいな。
「お姉ちゃんたち、ジュディのこと、好きでしょ?」
「「……。」」
「リア、負けないよ?」
——あ。
ちょっとリア、勘弁してね。
—
居間に、通された。
テーブルの上に、端末が置かれている。
画面の向こうに、ダンがいた。
ヴェーラの、オフィスからだろう。
「やぁ、みんな。今日は、よろしく頼むよ。」
「ダンさん。こんにちは。」
「リモートで悪いね。仕事が、抜けられなくて。」
「いえ。お気になさらず。」
ダンが、画面越しに、にこやかに笑う。
でも、その目は。
時々、ちらっと、俺を見ている。
——リアに、近づきすぎるなよ。
そういう、殺気の籠った目だった。
相変わらず、過保護だ。
「じゃ、さっそく。料理の共有会、始めましょうか。」
「えぇ!なんだか、楽しそうね!」
アイラが、嬉しそうに、エプロンをつけた。
——よし。
まずは、お手並み拝見だ。
「アイラさん。何か、得意な料理ってあります?」
「そうねぇ。煮込み料理かしら。リアにも、よく作るの。」
「いいですね!早速、見せていただいても?」
「ふふふ。もちろんよ。あ、そうだ。」
アイラが、ふと、思い出したように言った。
「リアには、ちゃんと栄養を摂ってほしくて。色々、工夫してるのよ?」
「工夫?」
「えぇ。母親としてできる限りの工夫よ!」
——いい母親だな。
そう、思った。
この時は。まだ、そう思っていた。
—
調理が、始まった。
アイラの手つきは、別におかしくなかった。
野菜を切る。
肉を炒める。
だしを入れて、煮込む。
——普通だ。
むしろ、丁寧なくらいだ。
「カイラ、どう思う?」
「……うん。手順は、完璧だね。」
カイラも、首を捻っている。
そうだよな。
どう見ても、おかしなところなんてない。
サヤは、リアと、横で野菜を切っていた。
「チビ助!ここは、猫の手だ!」
「にゃー。」
「そうそう!上手い上手い!」
「えへへ!」
——なんか、サヤ。
妙に、子供の扱いが上手いな。
そんなことを、思っていたら。
煮込みが、出来上がった。
「おぉ。美味しそうですね!」
「ふふ。お世辞が上手ね!」
「早速、一口いただいても?」
「もちろんよ!」
アイラさんが、小皿に、よそってくれた。
湯気が、立っている。
匂いも、いい。
「いただきます。」
一口、食べた。
「……おぅふ。」
——苦い。
なんだ、これ。
見た目も、匂いも、完璧なのに。
口に入れた瞬間、強烈な苦味が、襲ってくる。
サヤが、怪訝な顔でこちらを見ていた。
「……ジュディ?」
「サヤも、食ってみるか?」
「……何?その顔、ちょっと失礼だよ?」
サヤも、一口。
「……おふぅ。」
「顔。失礼なんじゃねーのか?」
「……。」
カイラも、食べた。
そして、固まった。
「……これは。なんで、こんな味に!」
「……。」
「ジュディ。これは、事件だよ。」
「カイラ。ちょっとね。失礼だからね?」
—
おかしい。
手順は、完璧だった。
材料も、普通だった。
なのに、なぜか、苦い。
毒物に近い、とダンが言っていた意味が、分かった。
——手順じゃない。
だとしたら、最後に、何かある。
「あれ?美味しく……ない?」
アイラが、少しだけ空気を察したようだ。
俺は、すかさずアイラに声を掛けた。
「アイラさん。ちょっと、いいですか。」
「え、えぇ。どうしたの?」
「もう一回。よそってもらえます?」
「いいわよ。」
アイラが、もう一度、鍋から、皿によそう。
——何かあるとしたら、ここだ。
俺は、その手元を、じっと見ていた。
野菜を、すくう。
汁を、注ぐ。
そして——。
——さっ。
アイラさんの右手が。
何かの粉を、皿に、振りかけた。
「アイラさん。ストップ。」
「えっ。」
「今の。今の、何ですか。」
アイラさんが、きょとんとした顔で、手の中のものを見せた。
小さな、容器。
中に、緑がかった粉が入っている。
「サプリメントを、粉末にしたものよ。」
「サプリ。」
「えぇ。栄養が、ばっちりでしょう?リアの健康のために、私の料理にはかけるようにしてるの。」
——それだ。
真実は、いつもひとつだった。
「……アイラさん。」
「なに?」
「それ。すごく、苦いんじゃないですか?」
「あら。そう?確かに、ちょっと味は変わるけど。」
多分、慣れてしまっているのかもしれない。
慣れちゃ、ダメなやつだ。
カイラが、ぽん、と手を打った。
「事件解決だね!」
「いや、別に事件では……。」
「でも、アイラさん。凄いです。その発想はありませんでした!」
「そ、そうかしら?」
アイラが照れたように頭をさすっている。
あ、待って流れがまずい。
「カイラ。ちょ、ちょっと……。」
「栄養を、ダイレクトに摂取するなんて!なんて効率的な!!」
「ふふ。でしょう?」
カイラは、多分マジで褒めている。
いや、褒めてるのか?
「……サプリメントを粉末に。」
画面の向こうで、ダンが、頭を抱えていた。
「アイラの発想には、時々度肝を抜かれるよ……。」
「ダンさんも、気づいてなかったんですか。」
「あぁ。アイラの調理を間近で見たのは、久しぶりなんだ。」
——なるほど。
ダンの作り置き作戦は、完璧すぎて。
逆に、原因を見えなくしていたわけだ。
「アイラさん。これは、料理に混ぜるやつじゃないです。」
「あら。料理に混ぜた方が、楽だと思ったのだけど。」
「発想は、分かります。でも、味が死にます。」
「……そうなの?」
「え、えぇ。そ、そうです。」
アイラさんが、しゅんと、肩を落とした。
そういう顔は、ずるいな。
「……気持ちは、最高です。」
「……。」
「リアのことを、思ってやっていたんですよね?」
「それは、もちろんよ?」
「じゃあ。やり方だけ、ちょっと変えてみましょう?」
—
先ほどの、煮込み料理。
粉末をかけずに、盛り付けてもらった。
今度は、ちゃんと美味かった。
「「「……美味しい。」」」
俺とカイラ、サヤの声が揃った。
アイラが、目を、丸くした。
「美味しい?さっきと、何も変えてないわよ?」
「当たり前ですよ。粉末かけないだけで、料理そのものは完璧なんですから。」
「……そう。よかったわ。」
アイラさんの目が、ちょっと、潤んでいた。
なんだか、俺も複雑な気持ちだった。
「ママ、すごい!おいしい!」
リアが、ぱくぱくと、食べている。
口の周りを、汁だらけにして。
「リア。美味しいか?」
「うん!お兄ちゃんが来ると、ごはん美味しくなる!」
「……はは。アイラさんは、元々料理上手だったんだよ。」
「えへへ。お兄ちゃん、大好き!」
——うっ。
可愛いな、こいつ。
リアが、俺に、抱きついてくる。
頭を、撫でてやった。
その時だった。
「——ジュディ。」
画面の向こうから。
低い声が、した。
ダンだった。
「ジュディ。」
「……はい。」
「これが、何か、分かるかい?」
ダンが画面に、左腕を突き出してきた。
そこに、腕時計がはまっている。
文字盤に、熊のイラスト。
お世辞にも、高そうとは言えない代物だ。
「……時計、ですか。」
「リアからの、プレゼントだよ。」
「はぁ。」
「誕生日にね。お小遣いを貯めて、買ってくれたんだ。」
——あぁ。
さっきの、リアの腕時計。
あれの、片割れか。
「ジュディ。」
「……はい。」
「私の方が。愛されている。」
ダンが、ふっと、勝ち誇った顔をした。
「……は?」
「リアの一番は。私だよ。」
「……。」
「リアは渡さない。いいかい?もう一度言うよ?」
「……はい。」
「リアは渡さない。」
この人は、本当に。
リアのことになると、キャラが壊れるな。
それだけ、大事なんだよな。
「……リア。パパのことは好きかい?」
「パパも、大好きです!」
「……っ。そうか。そうか。」
画面の向こうで、ダンが。
分かりやすく、デレていた。
——勝てねぇな、これは。
父親には、勝てない。
当たり前の、敗北だった。
でも、その悔しさが。
なんだか、温かかった。
—
それから、みんなで、飯を食った。
リアが、はしゃいで。
アイラさんが、不器用に笑って。
サヤとカイラが、賑やかにして。
画面の向こうで、ダンが、時計を見せびらかしている。
——いい、食卓だな。
一週間分の作り置きも、無事に終わった。
作り置きする理由も、今となってはそんなにないけど。
まぁ、一応そういう依頼だしな。
帰り際。
リアが、玄関まで、見送りに出てきた。
「お兄ちゃん、また来てね!」
「あぁ。また来るよ。」
「ぜったいだよ!」
「ぜったいだ。」
小指を、絡める。
指切りだ。
アイラが、その横で頭を下げる。
画面の向こうで、ダンが手を振っていた。
—
工房への、帰り道。
俺は、ふと、空を見上げた。
カルディアの空は、いつも通り、灰色だ。
でも、なんとなく。
今日は、悪くない色に見えた。
——あの日。
三年前。
俺が、この世界で初めて守ろうとした家族。
壊れかけて、離れて、それでも。
ちゃんと、続いていた。
笑って。
飯を食って。
くだらないことで、張り合って。
あの日、選んだ道の先に。
ちゃんと、食卓があった。
それを見て、俺は。
少しだけ、安心した。
「……帰るか。」
二人に、声をかける。
「腹、いっぱいだな。」
「だね~。アイラさんの煮込み、美味しかった。」
「チビ助。元気すぎだったわね。」
三人で、並んで歩いた。
第百二十九話、お読みいただきありがとうございました!
ベルン家、久しぶりの登場でした。
アイラの料理問題、原因はサプリでした。
ちなみに、サプリを料理に混ぜる発想は、ちょっと実話です。
ダンは、相変わらずダンでしたね。
もうすぐリアも思春期なので、抑えた方がいいと思うよ。
リアも元気いっぱい。
ジュディが、この世界で守ろうとしたものは。
ちゃんと、続いています。
明日も20:10、続きます。
ブクマやコメント、評価をいただけると、ダンがもう一回時計を自慢します。
よろしくお願いします!




