第百二十六話「使えてしまった赤」
カリドから帰って、三日が経った。
その三日で、ジュディの体はずいぶん回復した。
——ジュディの、体。
最近、自分の体を他人事みたいに呼んでいることがある。
赤薬を、使って以来の癖だ。
たぶん、良くない癖だった。
傷も塞がっている。
発作もあれ以来出ていない。
——表向きは、何も問題ない。
そんな顔をして、俺は今日も、あの部屋にいた。
役員会議室。
長い楕円形のテーブル。
週に一度の憂鬱の時間だ。
社長のゼノ・アルカナ。
軍事開発部門のゴード・ラムス。
技術研究部門のネル・クライス。
都市開発部門のエルド・ヴィオ。
入口付近に、ジャス・サイン。
今日はいつもの面子だった。
カイラとサヤはいない。
こっちの報告は俺一人で十分だ。
「では、本日の議題に入ります。」
エルドが、いつも通り口火を切った。
「一点目。カリドの件について。報告を。」
「あぁ。」
俺が答えるより先に、ゴードが端末を開いた。
傷だらけの手で淡々と。
「私から報告しよう。レガシーコードは、確保した。」
テーブル中央のモニターに、あの結晶が映る。
魔石を削り出した、USBメモリーのような塊。
「鉄火団との交渉は、難航したようだが……。」
「……なぜ、難航したんだ?」
エルドが、片眉を上げた。
「経緯は、込み入っている。結果として、無償で譲り受けたのだ。問題ないだろう。」
「……おい。端折んじゃねーよ。」
つい、口を挟んでしまった。
サヤが死にものぐるいで掴んだものを、「込み入っている」で流されるのは、なんか癪だった。
「ジュディ。」
「……なんだよ。」
「今は、そういう話をしている場ではない。」
「……っち。」
ゴードが、こちらを見もせずに言った。
正論だった。何も、言い返せない。
「続ける。問題は、その後だ。」
ゴードが、端末を操作する。
モニターの映像が切り替わった。
鉄火団のアジト。
襲撃の、痕跡。
「受け渡しの直前、ハピレスの襲撃を受けた。指揮していたのは、幹部のガロウ・ヘイズ。」
「目的は、レガシーコードか?」
「あぁ。ガロウ曰く、ハピレス上層部が『交渉材料』として欲しがっている、とのことだった。」
——交渉材料。
あの時、アルトもそう聞き出していた。
何のための交渉なのか。
誰との交渉なのか。
そこは、いまだに分からない。
「撃退は、できたのだな?」
「あぁ。だから、こうしてレガシーコードが手元にある。だが——」
ゴードが、そこで、初めて言葉を切った。
「ジュディの状態に、変化があった。」
その一言で、空気が変わった。
ゼノの視線が、初めてこちらを向いた。
温度のない目。
俺を、品定めするような。
「戦闘の最中だ。ジュディは発作を起こし、動けなくなった。」
「……。」
「そこで、ネルの薬を使用した。赤の方だ。」
ネルが、足をぶらつかせるのを、止めた。
「使用後、ジュディの人格がアルトへと変化した。」
「……そこまで、分かりやすく変わったのか?」
「あぁ。一目瞭然だ。」
ゴードが淡々と続ける。
でも、その淡々さが、逆に重かった。
「口調。仕草。戦い方。煙草の吸い方まで、別人だった。」
「……。」
「私は、その場にいた。断言する。あれは、気の所為で済むものではない。」
——アルト。
赤い薬で、表に出た、あいつのこと。
ゴードは、それを見ていた。
俺が、眠っている間に。
「ハピレス部隊を、一方的に制圧した。戦闘というより——あれは、蹂躙。いや処理に近いな。」
エルドが、静かにたしなめた。
「……ゴード。言葉は選ぶべきだよ。」
「事実を、述べているだけだ。」
ゴードが、ようやく俺を見た。
「しかし、問題は、その強さではないな。」
「……。」
「あの場に、ガロウ・ヘイズがいた。それが問題だ。」
ゴードが、テーブルを見回した。
「ジュディの中に、別の人格が存在すること。それが、戦闘で表に出ること。これを、ハピレスに見られた。」
「……。」
「敵に手の内が割れた。それだけではない。アルカナとジュディの関係も予測されているだろう。」
部屋が静かになった。
「以前、ネルからの報告にあったA-3R。存在が酷似していることは、敵の目にも明らかだ。」
「……それは、わかんねぇじゃねーか?」
「希望的観測だな。お前は、ハピレスからしてみれば、コピー召喚と、死者復活の生き証人だ。」
——死んだ人間が、生きている人間の体で動く。
そんなものに、どれだけの値がつくのか。
どこの誰が、何のために欲しがるのか。
俺には見当もつかない。
ただ、ゴードの言いたいことは、分かった。
「ジュディそのものが、狙われる理由には十分だろう。」
「……っへ。上等じゃねーか?」
「なぜ、お前はそこまで自分を軽んじる?これまでは、ハピレスのブラックリスト。命を狙われるだけだった。だが、今は違う。」
「……。」
「お前は、奪う価値のある『モノ』になった。これまでより、状況は悪化しているぞ。」
ゴードが、報告を、締めた。
余計なことは、何も言わなかった。
ただ、事実だけを、積んだ。
—
「ゼノ社長。ご意見は。」
エルドが、ゼノに振った。
ゼノは、しばらく、目を閉じていた。
それから、静かに口を開いた。
「レガシーコード起動装置の作製を、最優先で実行しろ。」
「……承知いたしました。」
それだけ言うと、ゼノがネルを見た。
刺すような、視線で。
「ネル。」
「はぁい?」
「……わかっているな?」
「わかってますってぇ〜。」
「情など、不要だ。人類のために切り捨てろ。」
「……あっは!んなものぉ〜。ないない!」
二人だけで通じる会話。
何のことだかは、わからなかった。
——でも。
ゼノは、俺を心配しているわけじゃない。
俺という『資産』を、できるだけ長く手元に置きたいだけだ。
それだけは、理解できた。
「ジュディ。」
「……あんだよ。」
「お前は、自分の価値を理解していないな。」
「……はぁ?」
「死者を観測できる、唯一の器だ。丁重に扱え。自分自身を。」
——丁重に、扱え。
言葉だけ聞けば優しい。
でもゼノの口から出ると、まるで機材の取り扱い説明だった。
「へいへい。大事にするよ。あんたの『資産』をな。」
「結構だ。」
——だが、ゼノは、目を閉じなかった。
「……装置が、完成したら。」
「……?」
「レガシーコードを起動し、その事象を、観測する。」
独り言のような、声だった。
こちらに、語りかけているようで。
そうでないようでも、あった。
「お前の上書きを止めるのは、第一段階のついでに過ぎん。」
——第一段階。
上書きを止める。
それで終わりじゃないのか。
その先に、まだ何かがある。
「……ゼノ。」
「なんだ。」
「『第一段階』って、なんだよ。その先は。」
「……アルカナの、目的だ。」
「意味が、わからねーぞ。」
「分からなくて、いい。」
ゼノが、ようやく目を閉じた。
「お前は、そのまま。死ななければ、それでいい。」
——背筋が、ひやりとした。
こいつは、俺の上書きを止めることを。
その先の、何かのための踏み台みたいに見ている。
そんな気がした。
………………。
…………。
……。
「——では。本日の議題は、以上です。」
エルドが、会議を締めた。
それぞれが、無言のまま座席を立つ。
「ひぃ〜。ヤニいくかぁ〜。」
俺は、そんなことを呟きながら、会議室を出た。
肩の凝りを、ほぐすように回した。
「ジュディ。」
ゴードに、呼び止められた。
「……なんだよ。会議でさんざん話しただろ?」
「いや。一つ、言い忘れた。」
「……お説教か?」
「サヤ・ウインドウは、よくやった。」
「……え。」
「あの娘がいなければ、お前は死んでいた。伝えておけ。」
それだけ言って、ゴードは、行ってしまった。
——なんだよ、あいつ。
込み入っている、とか言っといて。
ちゃんと見てたんじゃねぇか。
少しだけ、肩の力が抜けた。
—
ネルの第七研究室。
会議室を出てから、まだ肩に力が入っていた。
でも、この部屋に入ると、その緊張が少しずつ抜けていく。
最近は、この雑然とした空気が、少しだけ居心地よくなっていた。
薬品くさくて、物が散らかっていて、ネルがいる。
それだけで、息がしやすい。
——のだが。
部屋に入ると、ネルとカイラはすでに何か話し込んでいた。
「お。ジュディ、おかえりぃ。」
「おー。」
「診察すんだけどぉ、ちょっと待っててぇ。カイラと装置の話、詰めちゃうからぁ。」
「……了解。」
カイラが、ネルの隣で端末を広げていた。
レガシーコードの、解析データらしい。
「ネル。これ。」
「レガシーコードの記述構造がぁ、既存の魔術式と噛み合わない可能性かぁ。確かにねぇ。」
「そうなの。でね?」
「あー。記述のレイヤーがぁ、たぶん古いんだよねぇ〜。」
カイラは、「これ」とか「でね」しか言っていない。
これで会話になってんのか?
「うん。だから……」
「変換層を挟もうとしてるわけかぁ〜。でも、それやると精度が落ちるんだよねぇ。」
「そうなの。そこで詰まってて。」
「あー、なるほどねぇ。じゃあさぁ——」
二人の会話が、加速していく。
専門用語が、飛び交う。
俺は、完全に、置いてけぼりだった。
—
しばらく、ぽかんと眺めていた。
カイラは、いつもふわふわしている。
でも、ここにいるカイラは、なんというか。
……かっこいいな。
しかし、この光景は不思議だ。
カイラの短い言葉でも、ちゃんと伝わっている。
ネルが、それを拾って勝手に喋る。
それが、効率的に議論を進めている不思議。
——なるほどな。
ネルは、相手の考えてることが、ある程度読めるらしい。
表情とか、皮膚の感じとかで。
前に、本人がそう言っていた。
——ふと、思った。
この会話、俺ともできるんじゃね?
ちょっと試してみたくなった。
「ネル。」
「なに?」
「……じー。」
「な、なんだよ。そんなに見るなよぉ。」
俺は、ネルの顔をじっと見た。
念じる。
俺の考えてることを読んでみろ、と。
(今日は、カレーがいいな。)
(今日は、カレーがいいな。)
(今日は、カレーがいいな。)
ネルが目を細めた。
「……はっはーん。」
——お。
気づいたか?
よし。
そのまま、念じ続ける。
(カレー。カレー。今日は、カレー。)
「……ふむ。」
「おぉ!」
ネルが、何かを掴んだような顔をした。
いいぞ。
通じた。
ネルが、にやりと笑ってカイラを呼んだ。
「カイラァ。」
「なに?」
「ジュディがね?」
「うん?」
「カイラのこと、大嫌いだってぇ。思ってるよぉ。」
「……。」
「……。」
——は?
沈黙が、落ちた。
カイラが俺に、ゆっくりと振り向いた。
「……うぇ。」
その顔が。
じわじわと、泣きそうに歪んでいく。
「ち、違う違う違う!思ってない!思ってないよ、カイラ!!!」
「……うぅ。」
「マジで違うから!! 念じてたの、カレーだから!!!カレーの話だから!!!」
「……私、何かした……?」
「ネル!!!」
ネルが、腹を抱えて笑っていた。
「あっは!人を、試すようなことするからだよぉ~~★」
「お、お前……っ!」
——カレーが、とんでもないことになった。
カイラの誤解を解くのに、たっぷり五分かかった。
ネルは、その間ずっと笑っていた。
最悪だった。
—
「……ジュディ、嫌いじゃない?」
「嫌いじゃないよ!本当にごめん。ちょっと、ふざけすぎた。」
「ふざけてたんだね?……この件も、罪状に追加だからね。」
「……罪状?」
「いいから。覚えときなさい。」
「いや、なんの話だよ。」
「むぅ。もう、知らない!ボンクラ!」
「……あぁ。」
カイラが、頬を膨らましたまま端末をまとめた。
「ネル。今日は……。」
「ん。だねぇ~。お疲れぇ。」
「ジュディ、先に帰っててよ。私、もうちょっとデータ整理してから帰るから。」
「あぁ。……まだ、怒ってる?」
「ちょっとだけ、怒ってる!」
「……はい。」
「夜ごはん、サヤが待ってるから。早く帰りなよ?」
——あ。
ちゃんと、心配してくれてる。
やっぱり、カイラは優しい。
「……分かった。先に帰ってる。」
「うん。」
「晩ごはん、サヤなんだって言ってた?」
「ハヤシライスだって。」
「……おしい。」
「何が?」
「何でもない。」
カイラは端末を抱え直すと、研究室の奥にある解析区画へ向かった。
扉が、静かに閉まる。
——ネルと、二人になった。
—
ネルが、イスを回転させてこちらに向いた。
「お待たせぇ。じゃあ~、診察しよっかぁ。」
「……お手柔らかに。さっきの、根に持ってねぇだろうな?」
「あっは!どうだろうねぇ?腕ぇ、出してぇ。」
言われるまま、右腕を差し出す。
ストーンウェアの投与口。
赤薬を撃ち込んだ場所。
ネルが、そこに端末をかざした。
データが流れていく。
「……これ、何してるんだ?」
「ん~?ジュディ、薬の使用は初めてだったでしょぉ?」
「あぁ。」
「まずは、副作用のチェック。記憶の混濁、知覚の異常、あとは——アルトの『残り』ね。」
「残り……。」
「体を明け渡したあとぉ、アルトの気配がどんくらい残ってるか。」
ネルが、俺の目を覗き込んだ。
至近距離で。
「……何だよ。」
「あっは!照れてるぅ?」
「照れてないよ。いきなりビックリするだろ?」
「ん~。そういうもん?じゃあ~、目ぇ、見せてぇ。」
「……へい。」
しばらく、見られた。
それから、ネルは身を引いた。
「うん。今んとこ、おかしなとこはないねぇ。」
「……そっか。」
「ちゃんと、ジュディに戻ってる。」
——ジュディに、戻ってる。
その言葉に、少しだけほっとした。
自分が、自分のままでいる。
それだけのことが、最近当たり前じゃなくなってきている。
「……ねぇ、ジュディ。」
「ん?」
「赤、使った時。どうだった?」
「どうって?」
「痛みとか、意識とか……怖さとか。」
——どうって。
聞かれて、少しだけ考えた。
それから、正直に答えた。
「……正直、楽だったな。」
「……。」
「痛みが引いてさ。体のこと、考えなくてよくなって。」
「……。」
「気持ちいいって言うと、変だけど。……楽、だったよ。」
——言ってから、しまった、と思った。
ネルの、顔を見て。
「……ジュディ。」
「……なんだよ。」
「それさ。」
「……。」
「二度と、言うなよ?」
ネルの声が低かった。
笑っていなかった。
「あと。あんまり使うな。」
「……んえ?」
「赤を使うたびに、この『戻り』は悪くなってくと思う。」
「……。」
「今日は、平気。でも、何回も使えば話は変わってくるよ。」
「……。」
「保証は、できないから。」
ネルが、短く言った。
いつも、本気の話をする時の口調で。
それだけで、この内容は重かった。
—
診察を、終えて。
俺は、腰を上げようとした。
「……ジュディ。」
ネルの声がした。
さっきまでとは、違う声だった。
「ん。どうした?」
ネルは、端末の画面を見ていた。
俺の検査データだ。
さっき診た、赤薬使用後の記録。
「ねぇ。」
「……ん。」
「ジュディは、ジュディじゃなくなったの?」
——その質問の意味を、掴みかねた。
「……あぁ。」
赤薬を使った、あの時。
俺は、眠っていた。
アルトが、出ていた。
だから、「あぁ」としか言えなかった。
「……っ。」
ネルの指が画面の上で止まった。
「……ちょっとは、迷ったんだよね?」
「迷わないわけ、ないだろ。」
「……でも、使ったんだね。」
「あぁ。」
迷いはあった。
でも、迷っている時間がなかった。
「俺はともかく。サヤを、失うわけにはいかなかった。」
——それが、本音だった。
偽りのない、本音。
だから、言った。
何も、間違っていないと、思っていた。
「……は?」
ネルの声が、低くなった。
「……なんだよ?」
「…………私は。」
ネルが、ようやく顔を上げた。
こっちを、見ていた。
見たこともない表情で。
「ジュディが、他人を助けるために渡したんじゃない。」
「……わかってるよ。それに他人じゃない。」
「わかってない!!!」
——研究室に、声が響いた。
ネルが、こんな声を出すのを。
俺は、初めて聞いた気がした。
「……。」
「……。」
沈黙が、落ちた。
ネルは、肩で息をしていた。
「……ネル。」
「何?」
「ごめん。」
それしか、言えなかった。
「……っ。」
ネルが、唇を噛んだ。
それから、絞り出すように言った。
「お前は、私の被験者なんだろ?」
「……。」
「ジュディが、そう言ったんじゃないか。」
「……あぁ。」
「その自覚を、持って、生きて。」
——私の被験者。
いつもの、ネルの口癖。
「私のなんだから」と、同じ言葉。
でも、今のは。
お前の命は、お前一人のもんじゃない。
そう、聞こえた。
「お願い。」
「……。」
「返事は?」
「……へい。」
それ以上は、何も言えなかった。
ネルはもう、こっちを見なかった。
ただ画面の中の、俺の数値を。
ずっと睨んでいた。
—
研究室を出た。
夕暮れのカルディア。
工房への帰り道。
ポケットの中で、赤と青のアンプルがかすかに揺れた。
——選べないのが、一番最悪。
いつか、ネルが言った言葉だ。
選択肢を持たせるために、渡された薬。
でも。
俺はそれを自分のためじゃなく使った。
ネルは、それに怒った。
——難しいな。
誰かを、大事にすること。
自分を、大事にすること。
その二つが、こんなにも噛み合わない。
俺は、煙草に火をつけて。
それから、足を速めた。
サヤが、ハヤシライスを作って待っている。
今は、それが大切だ。
それを、手放さないように生きよう。
第百二十六話、お読みいただきありがとうございました!
カリドから、帰ってきました。
そして、間章のはじまりです。
ゴードの報告、淡々としていて怖いですね。
でも、最後にちゃんとサヤを褒めていく。良い人なのか、そうでないのか。
そして、ネル。
今日は、ちょっと、怒っていました。
ジュディは、人のためなら頑張れるのに、自分のことになると、とたんに下手くそになる男です。
明日も20:10、続きます。
ブクマやコメント、評価をいただけると、ネルの機嫌が少しだけ直ります。
よろしくお願いします!




