第百二十五話「サヤ・ウインドウ」
私の腕の中で。
ジュディは、ずっと眠っていた。
——襲撃は、終わった。
ハピレスは、引いていった。
アジトには、倒れた戦闘員と、血の匂いだけが残っている。
鉄火団の連中が、淡々と後処理をしていた。
死体を集め、床を片付け、何事もなかったように動いている。
こういうのは、慣れているらしい。
「——確かに、受け取った。」
ゴードが小さなケースを掲げた。
中には、あの魔石の結晶。
——レガシーコードがある。
ジュディが、命をかけて。
いや。
自分自身を手放してまで取りに来た、それ。
レンカが、煙管をふかしながら頷いた。
「あぁ。持っていきな。約束は、約束だ。」
これで。
ジュディが、ジュディでいられる道が、少しだけ見えた。
そのはず、なのに。
私の胸は、ちっとも晴れなかった。
—
「サヤ。」
レンカが、私を呼んだ。
「あんだよ?」
「そんな、睨むんじゃないよ。聞きたいことがあるだけさ。」
「……どうぞ。」
「あんた、これからどうすんだい?」
「……。」
——どうする、か。
少し前の私なら、即答できなかった質問だ。
今も即答はできない。
でも、不思議と心は軽かった。
「……わかんないわ。」
「……はぁ?」
「でも、あんたに言われたことも、踏まえてさ。迷うよ。」
「……。」
「迷って、悩んで。それで、決める。その時の私、全部で。」
レンカが、ふっと笑った。
「……そうかい。」
それだけ言って、また煙を吐いた。
何かを、認めるみたいに。
「サヤ。」
「……あー、もう!今度は何だよ!!」
「こいつとは、どうすんだい。」
レンカの視線が、私の腕の中のジュディに、向いた。
「……どういう、意味。」
「一緒に、いたいんだろ?」
「……。」
私は、少しだけ、黙った。
それから、答えた。
「……そうだね。約束も、あるし、さ。」
「約束?」
「一回だけ、こいつを支えるって。約束を、してたんだよ。」
——フィーレで、した約束。
もう、三年も前のこと。
「一回だけぇ?変な約束だね。そんなに、短い付き合いなのかい?」
「……いや、もう三年くらいだけど?」
「……あんた、それ。」
レンカが、呆れたように、私を見た。
「……あんだよ。」
「言い訳も、そろそろ限界だろ。」
「——っ。」
何も、言い返せなかった。
「まぁ、いいさ。それも含めて。あんたが、決めな。」
「……。」
「もう、ここには来るんじゃないよ。」
レンカが、背を向けた。
「……どいつも、こいつも。」
私は、口の中で、飴を噛み砕いた。
なぜだか、顔が、熱かった。
「ほんと、うるさ。」
—
宿に戻った。
バッツとゼナは、ゴードと一緒に、レガシーコードの管理に回った。
私は、ジュディの部屋に残った。
ベッドにジュディを寝かせる。
傷の手当ては、もう済んでいた。
椅子に座って、その寝顔を見た。
すー、すー、と。
規則正しい、寝息。
さっきまでの、あの凪いだ別人の気配はもうない。
いつもの、ジュディだった。
「……ば~か。」
小さく、呟いた。
自分のことを、取りに来たくせに。
自分を手放してまで、私を守った。
そんなの。
そんなの、ずるいだろーが。
—
「……。」
ジュディの寝顔を見ながら。
この、数日のことを、思い出す。
兄貴のことを、知った。
ギャングだったこと。
私のために、手を汚していたこと。
私を、こっち側に来させないために、その手を捨てたこと。
何も、知らなかった。
私は、ただ、兄貴の背中を追いかけてるつもりで。
兄貴が捨てた泥を、踏んでいた。
——でも。
今は、素直に認められる。
兄貴への意地も、反骨も、全部、私の中にある。
それを消すんじゃなくて、全部抱えて。
それでも、私が選ぶ。
——何度だって、選び直せる。
ジュディが、そう言った。
だから、私は、立てた。
——自分の、足で。
それは、間違いなく、私が掴んだものだった。
—
ふと、もっと昔のことを、思い出した。
フィーレ。
兄貴を失って、どうすればいいか、分からなかった頃。
何かを知りたくて、傭兵を始めて。
これが未練なのか、何なのかも、分からなくて。
こんな自分で、いていいのかも、分からなかった。
あの時。
ジュディが、セラムに言ったんだ。
——過去を思うことは、罪じゃない。
——苦しんで、今を生きる。
あの言葉で、私の心は、少しだけ軽くなった。
救われたんだと、思う。
今、苦しくてもいい。
過去に囚われたままでも、今やりたいことを、やっていいんだと。
そのままで、いいんだと。
——そして、私は。
あの夜、無意識に、こいつに言っていた。
「一回だけ、私が支えてあげる。」
何かに、挫けそうになった時。
たった、一回だけ。
そんな、子供みたいな約束を。
今なら、分かる。
あれは、口実だった。
こいつとの、接点を、持っていたかった。
こいつの、傍にいる理由が、欲しかった。
だから、あんな、一方的な約束で。
私は、自分に、言い訳をしたんだ。
—
「……やっぱ、わかんない、な。」
声が、漏れた。
「……ジュディ。教えてくんない?」
返事など、ないことは分かっていた。
ジュディの、寝顔を見る。
胸が、少しだけ、苦しくなった。
——なんでだろう。
なんとなく。
もっと、近くで。
この顔を、見たくなった。
椅子から、立ち上がる。
ベッドに手をつく。
眠っている。
無防備な、寝顔。
胸が、苦しい。
もっと。
もっと、近くに。
——自然と。
ジュディの顔へ近づいていく。
唇に。
唇を重ねようと——。
「……っ。」
——我に、返った。
私は、今。
何を、しようとした。
——ぽと。
口から飴が落ちた。
同時に心の中でも、何かが落ちる、音がした。
「……あぁ。」
迂闊だった。
本当に、迂闊だった。
——名前が、ついてしまった。
「……最悪。」
最悪だ。
本当に、最悪だった。
もともと、この心は、あったのだ。
私の、中に。
ずっと。
気づかないふりを、してきただけ。
いや、見ないふりを、していた。
必死に。
ガキみたいに。
でも、もう、直視してしまった。
体が、こいつに触れたいと思った時点で、私は。
——癪だ。
とても、癪だった。
私は、もう。
とっくの昔に。
こいつに。
ジュディに、落ちていた。
——私は、恋に、落ちていたんだ。
—
「……はぁ~~~。」
ベッドの縁に座り込んだ。
頬が、熱い。
心臓が、うるさい。
「やっちまったなぁ……。」
何がだろうか。
でも、こんなの。
こんなの、知らない。
「……あんたの、せいだからな。」
眠るジュディに、八つ当たりみたいに、呟いた。
返事は、ない。
当たり前だ。
——でも。
私は、今。
自分の気持ちを、知ってしまった。
兄貴のためでも。
こいつのためだけでも、ない。
私が、私の意思で。
ここに立っている。
そして、その私が。
他でもない。
代わりなんていない。
キムラ・ジュディのことを、好きなんだと。
——そう、決めた。
いつか、言うのかは。
分からない。
言わないかも、しれない。
でも、それも。
私が、決めることだ。
何度だって。
その時の、私が。
「……おやすみ。ジュディ。」
私は、ジュディの寝顔をもう一度だけ見て。
落とした飴を、拾った。
「……好きだよ。」
ぽそっと、言葉にしてみる。
心が、少しだけ、軽くなった。
新しい飴を、口に放り込む。
「……ってぇ。」
まだ、傷口に飴の甘さが染みる。
甘くて、ちょっとだけ、痛かった。
——そんな恋を、私はしている。
第百二十五話、お読みいただきありがとうございました!
そして、第二章「レガシーコード編」、完結です!
サヤ・ウインドウ。
兄を追いかけて、自分を見失って。
でも、自分の足で立って。
最後に、自分の気持ちにも、気づきました。
兄のためでも、誰かのためでもなく。
彼女は、彼女の意思で、立っています。
長い章に、お付き合いいただき、ありがとうございました。
レガシーコードは、無事に手に入りました。
でも、物語は、まだ続きます。
明日も20:10、間章が始まります。
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よろしくお願いします!




