第百二十四話「赤い薬」
——間に合わない。
ハピレスの刃が。
サヤに振り下ろされる。
体は、動かない。
頭は、割れそうに痛い。
声すら、まともに出ない。
——嫌だ。
それだけは。
サヤだけは、ダメだ。
——もう何も、失いたくない!!
「——っ、あああぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺は無理やり右腕を持ち上げた。
指先から電撃魔術を放つ。
狙いなんて、ほとんど定まっていない。
ただ、サヤの背中に落ちる刃へ向けて、ありったけを叩きつけた。
——バチィッ!!
刃が、わずかに逸れる。
火花が散り、戦闘員の腕が、弾かれた。
「……っ!ジュディ!?」
サヤが、背後の戦闘員を無理やり蹴り飛ばす。
そのまま、俺の方へと振り返った。
「……っつぁ!!あ、あぁぁ。」
——今ので、限界だった。
視界が、さらに歪む。
膝が、床に落ちる。
肺が、呼吸を忘れたみたいに、動かない。
敵は、まだいる。
次の一撃が来たら。
今度こそ、俺は、動けない。
『——ジュディ。』
その時。
頭の中の声が、変わった。
さっきまで、焦って叫んでいたアルトが。
ふいに、静かになった。
『俺に、預けろ。』
(……アルト。)
『赤を、使うしかねぇ。』
——赤。
意識を鎮め、体をアルトに明け渡す薬。
自分を手放す薬。
『今のお前じゃ、誰も守れねぇ。サヤも。自分ですら。』
(……黙ってろ。)
『——必ず、守る。約束する。』
アルトの声が、揺れた。
いつも、突き放すように喋るあいつが。
俺のいちばん痛いところを、平気で抉るあいつが。
『俺も、これ以上失いたくなんてねぇ。』
(……。)
『俺を、利用するつもりでいい。頼む。』
——頼む。
あいつが、そんな言葉を、そんな声色で言うなんて。
俺は、初めて、聞いた。
「……っ。……くそっ。」
これ以上、考えている暇なんてなかった。
俺は、震える指で。
懐の赤いアンプルを掴む。
(——アルト。)
『……あぁ。』
投与口に、装填する。
(……俺のことは、二の次でいい。サヤを、頼む。)
『……っち。この際、それでもいい。』
震える指で、引き金を引いた。
——ドクン。
体の奥が、すっと、冷たくなる。
痛みが嘘みたいに引いていく。
それが、心地よくすら感じた。
意識が、沈む。
深く、深く、水の底へ。
——あぁ。
これが、自分を手放すって、ことか。
最後に。
サヤの、背中が見えた。
——頼んだぞ。アルト。
助けて、くれ。
そこで。
俺の意識は、途切れた。
—
「……ボン、クラ?」
サヤには何が起きたのか分からなかった。
倒れかけていたジュディの体が。
ぴたりと、止まった。
うずくまっていた背が、ゆっくりと伸びる。
震えていた指が止まる。
青ざめていた顔から、表情が消える。
そして。
閉じていた瞼が、開いた。
「……。」
その瞳は——ジュディの、ものではなかった。
凪いだ、湖のような。
何の感情も、映さない。
ただ、静かな、目。
サヤに刃を振り下ろそうとしていた戦闘員が、思わず、足を止めた。
「……あ?」
その、一瞬。
——ヒュッ。
ジュディの体が、消えた。
いや。
消えたように見えるほど速く動いた。
「……ぐ、ぁ。」
戦闘員の首から。
血が噴き出した。
「——え。」
何が起きたか、分からない。
そんな顔のまま、戦闘員が、崩れ落ちる。
ジュディの——
いや、アルトの手には、いつの間にか、ダガーが握られていた。
「……っ。ジュディ!?」
サヤが、振り返る。
そこに立っていたのは。
姿は、ジュディ。
だが、纏う空気が、まるで、別人だった。
「……あんた、誰だ。」
「……。」
「誰だって!聞いてんだよ!!!」
サヤの声に。
その男は、答えなかった。
ただ、静かに。
ハピレスの戦闘員たちへ、視線を向けた。
—
それは戦闘ですらなかった。
蹂躙そのものだった。
アルトが、歩く。
すれ違いざまに、戦闘員の動きが、止まる。
何をされたのか、分からない。
ただ、アルトの間合いに入った瞬間。
誰もが、金縛りにあったように、動けなくなる。
そして。
——スッ。
ダガーが首を撫でる。
それだけで、一人、また一人と。
崩れていく。
声も、上げさせない。
抵抗も、させない。
作業のように。
淡々と。
「……っ。なんだ、こいつ……っ。」
ハピレスの連中が、後ずさる。
さっきまでの、勢いはない。
獲物だったはずが。
今は、ただの、餌だった。
「なんなんだよぉ!!!こいつはぁ……っ!!」
鉄火団の連中ですら。
その光景に、言葉を失っていた。
——これが。
ジュディの中に、いるもの。
「……ジュディ。」
名前を、呼ぶことしかできない。
サヤは、ただ、立ち尽くしていた。
—
「——おいおい。おいおいおいおい!」
後ろで見ていたガロウが、へらへらと笑った。
「なんだぁ、それ。聞いてねぇぞ?」
アルトが振り返り、ガロウを見た。
「……お前が、この襲撃の頭か?」
ジュディの声で。
だが、ジュディとは、違う喋り方で。
アルトが、言った。
「ははぁ。なんだぁ?お前、別人みてぇじゃねーか?」
「俺のこたぁ、今どうでもいいんだよ。」
アルトは、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
人差し指と親指で摘む、独特の吸い方。
「……お前の目的は、なんだ?」
「あー?レガシーコードに、決まってんだろ。」
「違ぇよ。なんでレガシーコードを狙ってんだ。」
ガロウが、肩をすくめた。
「ははぁ!大した理由なんてねぇよ。ただの命令だ。」
「……っち。下っ端かよ。」
「いんや?一応、幹部だぁ。」
「……なら、サクッと答えろよ。」
「……上が、欲しがっててなぁ。交渉の、材料にすんだとよ。俺ぁ、お使いだぁ。」
——交渉の、材料。
アルトは、それ以上、聞かなかった。
「そうか。もういい。」
「……あ?」
「話の続きは、後でじっくり聞かせてもらう。」
アルトが、煙草を足でもみ消す。
そのまま、ダガーを構え直した。
「掃除の続きを、しねーとな。」
アルトは、ガロウの前から姿を消した。
遠くで、ハピレス部隊が崩れていく音が響く。
「……。」
ガロウの、顔から。
笑みが、引いた。
「……ちっ。なんか、ヤバいの出てきたなぁ。」
ガロウが、後ろへ、下がる。
「情報にねぇ化け物相手にぃ、予定外の損害出すのはぁ、まずいなぁ。」
「……。」
「おーい!撤退だ撤退ぃ~!今日のところは、やめだぁ。やめぇ。」
「……。」
「レガシーコードはぁ、とりあえず預けておくぅ。」
ハピレスの連中がガロウとともに引いていく。
アルトは、追わなかった。
追えば、殺せる。
だが、その間に、サヤとレガシーコードから離れることになる。
今、守るべきものは、そちらだった。
「……っち。」
ただ、静かに。
その背を、見送った。
——アジトに、静けさが戻る。
倒れた、戦闘員たち。
立ち尽くす、鉄火団。
そして、ジュディの姿をした、別の何か。
アジトには、ただ、それだけが残った。
—
「……おい。」
サヤが、おそるおそる近づいた。
「お前、ジュディの中にいる奴……か?」
アルトが、振り返る。
サヤを、見た。
「……よぉ。嬢ちゃん。こうやって見ると、べっぴんだな。」
「……っ。」
「傷だらけなのもいい。芯があって、好みのタイプだ。」
その声に。
サヤは、身を固くした。
「お前……誰だよ!!」
「アルト。アルト・フェルンだ。」
「……あんたが、アルト……。」
サヤの目が、見開かれる。
ジュディの中に、別の誰かがいる。
それは、知っていた。
少し前に、ジュディの口から聞かされていた。
でも。
こうして、目の前にすると。
言葉が出なかった。
「……なんで。お前が、そこにいんのよ。」
サヤの声が震えていた。
「ジュディは。ジュディは、どこ行ったんだよ。」
「……寝てるよ。頭ん中でな。」
アルトが、自分の頭を指で叩いた。
「心配すんなよ。すぐ、戻るさ。……多分な。」
「……多分だって?人の体奪っといて……。」
「違ぇよ。お前を守るために、ジュディは俺に体を預けた。」
「……。」
「あのまんまじゃ、ジュディも、サヤも、やばかったからな。」
ジュディの体で、ジュディとは違う人物から名前を呼ばれる。
それが、たまらなくサヤは不快だった。
しかし、何も言えなかった。
「……くそっ。」
ジュディが、サヤを守るために。
自分自身を、手放した。
別の誰かに、明け渡してまで。
その重さが。
じわじわと胸に広がっていく。
「……アルト。」
「なんだ?」
「ジュディを、返して。」
サヤが言った。
震える声で。
でも、まっすぐに。
「あいつを、ちゃんと、返せ。」
アルトが、少しだけ、目を細めた。
それから——ふっと、笑った気がした。
ジュディの顔で。
でも、ジュディとは違う、笑い方で。
「……あぁ。最初から、そのつもりだよ。」
「……。」
「本当は、もう一服くらいとも思ったが。」
アルトが、空を仰いだ。
「サヤ。」
「……あんだよ。」
「自分の感情を、遠ざけんのは止めろ。」
「……はぁ?」
「余計なお世話かもだけどな。認めて生きた方がいい。」
何のことを言っているのか、サヤはわからなかった。
ただ、核心を掴まれたような不快感が、残る。
「失って気づいてからじゃ、遅ぇこともある。」
「……ジジイくせぇよ。何様だ。」
「はは!そうかもなぁ。精神年齢は、ジュディと変わらねぇはずだが。」
アルトは、サヤを見つめて言葉を続けた。
「ジュディを、頼んだぜ。」
「……言われるまでも、ねぇよ。」
「いい仲間、持ってんじゃねーか。」
その言葉を、最後に。
アルトの瞳から。
すぅっと力が抜けた。
「——っ、と。」
ジュディの体がぐらりと傾く。
サヤが慌てて抱き止めた。
「ジュディ!?」
腕の中で。
ジュディは、目を閉じていた。
さっきまでの、凪いだ気配は、消えている。
ただ、静かな寝息。
いつものジュディの。
「……くそ。ボンクラ。」
サヤはその体を。
ぎゅっと抱きしめた。
瞳から、何故か涙が溢れる。
失う恐怖か、今ここにある安心か。
たぶん、両方だった。
第百二十四話、お読みいただきありがとうございました!
赤い薬、初使用。
そして、アルト・フェルン、前線デビューです。
ジュディが、自分を手放してまで、サヤを守りました。
ジュディとアルトの関係も、少しずつですが、変わってきていますね。
そして、アルトとサヤの、初対面。
アルトは余計な事を言ってましたね。
藪蛇クソジジイです。
明日も20:10、続きます。
ブクマやコメント、評価をいただけると、ジュディが目を覚まします。
よろしくお願いします!




