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スペル・エラー ~娘が生まれるのに異世界へ召喚されたので、何があっても帰ります~  作者: とろたま愚鈍
第二部:第二章|レガシーコード編

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第百二十四話「赤い薬」

——間に合わない。


ハピレスの刃が。

サヤに振り下ろされる。


体は、動かない。

頭は、割れそうに痛い。

声すら、まともに出ない。


——嫌だ。


それだけは。

サヤだけは、ダメだ。


——もう何も、失いたくない!!


「——っ、あああぁぁぁぁぁぁ!!!」


俺は無理やり右腕を持ち上げた。


指先から電撃魔術を放つ。

狙いなんて、ほとんど定まっていない。

ただ、サヤの背中に落ちる刃へ向けて、ありったけを叩きつけた。


——バチィッ!!


刃が、わずかに逸れる。

火花が散り、戦闘員の腕が、弾かれた。


「……っ!ジュディ!?」


サヤが、背後の戦闘員を無理やり蹴り飛ばす。

そのまま、俺の方へと振り返った。


「……っつぁ!!あ、あぁぁ。」


——今ので、限界だった。


視界が、さらに歪む。

膝が、床に落ちる。

肺が、呼吸を忘れたみたいに、動かない。


敵は、まだいる。

次の一撃が来たら。

今度こそ、俺は、動けない。


『——ジュディ。』


その時。

頭の中の声が、変わった。


さっきまで、焦って叫んでいたアルトが。

ふいに、静かになった。


『俺に、預けろ。』

(……アルト。)

『赤を、使うしかねぇ。』


——赤。


意識を鎮め、体をアルトに明け渡す薬。

自分を手放す薬。


『今のお前じゃ、誰も守れねぇ。サヤも。自分ですら。』

(……黙ってろ。)

『——必ず、守る。約束する。』


アルトの声が、揺れた。


いつも、突き放すように喋るあいつが。

俺のいちばん痛いところを、平気で抉るあいつが。


『俺も、これ以上失いたくなんてねぇ。』

(……。)

『俺を、利用するつもりでいい。頼む。』


——頼む。


あいつが、そんな言葉を、そんな声色で言うなんて。

俺は、初めて、聞いた。


「……っ。……くそっ。」


これ以上、考えている暇なんてなかった。


俺は、震える指で。

懐の赤いアンプルを掴む。


(——アルト。)

『……あぁ。』


投与口に、装填する。


(……俺のことは、二の次でいい。サヤを、頼む。)

『……っち。この際、それでもいい。』


震える指で、引き金を引いた。


——ドクン。


体の奥が、すっと、冷たくなる。

痛みが嘘みたいに引いていく。

それが、心地よくすら感じた。


意識が、沈む。

深く、深く、水の底へ。


——あぁ。

これが、自分を手放すって、ことか。


最後に。

サヤの、背中が見えた。


——頼んだぞ。アルト。

助けて、くれ。


そこで。

俺の意識は、途切れた。







「……ボン、クラ?」


サヤには何が起きたのか分からなかった。


倒れかけていたジュディの体が。

ぴたりと、止まった。


うずくまっていた背が、ゆっくりと伸びる。

震えていた指が止まる。

青ざめていた顔から、表情が消える。


そして。

閉じていた瞼が、開いた。


「……。」


その瞳は——ジュディの、ものではなかった。


凪いだ、湖のような。

何の感情も、映さない。

ただ、静かな、目。


サヤに刃を振り下ろそうとしていた戦闘員が、思わず、足を止めた。


「……あ?」


その、一瞬。


——ヒュッ。


ジュディの体が、消えた。

いや。

消えたように見えるほど速く動いた。


「……ぐ、ぁ。」


戦闘員の首から。

血が噴き出した。


「——え。」


何が起きたか、分からない。

そんな顔のまま、戦闘員が、崩れ落ちる。


ジュディの——

いや、アルトの手には、いつの間にか、ダガーが握られていた。


「……っ。ジュディ!?」


サヤが、振り返る。


そこに立っていたのは。

姿は、ジュディ。

だが、纏う空気が、まるで、別人だった。


「……あんた、誰だ。」

「……。」

「誰だって!聞いてんだよ!!!」


サヤの声に。

その男は、答えなかった。


ただ、静かに。

ハピレスの戦闘員たちへ、視線を向けた。







それは戦闘ですらなかった。

蹂躙そのものだった。


アルトが、歩く。

すれ違いざまに、戦闘員の動きが、止まる。


何をされたのか、分からない。

ただ、アルトの間合いに入った瞬間。

誰もが、金縛りにあったように、動けなくなる。


そして。


——スッ。


ダガーが首を撫でる。

それだけで、一人、また一人と。

崩れていく。


声も、上げさせない。

抵抗も、させない。

作業のように。

淡々と。


「……っ。なんだ、こいつ……っ。」


ハピレスの連中が、後ずさる。

さっきまでの、勢いはない。

獲物だったはずが。

今は、ただの、餌だった。


「なんなんだよぉ!!!こいつはぁ……っ!!」


鉄火団の連中ですら。

その光景に、言葉を失っていた。


——これが。

ジュディの中に、いるもの。


「……ジュディ。」


名前を、呼ぶことしかできない。

サヤは、ただ、立ち尽くしていた。







「——おいおい。おいおいおいおい!」


後ろで見ていたガロウが、へらへらと笑った。


「なんだぁ、それ。聞いてねぇぞ?」


アルトが振り返り、ガロウを見た。


「……お前が、この襲撃の頭か?」


ジュディの声で。

だが、ジュディとは、違う喋り方で。

アルトが、言った。


「ははぁ。なんだぁ?お前、別人みてぇじゃねーか?」

「俺のこたぁ、今どうでもいいんだよ。」


アルトは、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

人差し指と親指で摘む、独特の吸い方。


「……お前の目的は、なんだ?」

「あー?レガシーコードに、決まってんだろ。」

「違ぇよ。なんでレガシーコードを狙ってんだ。」


ガロウが、肩をすくめた。


「ははぁ!大した理由なんてねぇよ。ただの命令だ。」

「……っち。下っ端かよ。」

「いんや?一応、幹部だぁ。」

「……なら、サクッと答えろよ。」

「……上が、欲しがっててなぁ。交渉の、材料にすんだとよ。俺ぁ、お使いだぁ。」


——交渉の、材料。

アルトは、それ以上、聞かなかった。


「そうか。もういい。」

「……あ?」

「話の続きは、後でじっくり聞かせてもらう。」


アルトが、煙草を足でもみ消す。

そのまま、ダガーを構え直した。


「掃除の続きを、しねーとな。」


アルトは、ガロウの前から姿を消した。

遠くで、ハピレス部隊が崩れていく音が響く。


「……。」


ガロウの、顔から。

笑みが、引いた。


「……ちっ。なんか、ヤバいの出てきたなぁ。」


ガロウが、後ろへ、下がる。


「情報にねぇ化け物相手にぃ、予定外の損害出すのはぁ、まずいなぁ。」

「……。」

「おーい!撤退だ撤退ぃ~!今日のところは、やめだぁ。やめぇ。」

「……。」

「レガシーコードはぁ、とりあえず預けておくぅ。」


ハピレスの連中がガロウとともに引いていく。

アルトは、追わなかった。


追えば、殺せる。

だが、その間に、サヤとレガシーコードから離れることになる。


今、守るべきものは、そちらだった。


「……っち。」


ただ、静かに。

その背を、見送った。


——アジトに、静けさが戻る。


倒れた、戦闘員たち。

立ち尽くす、鉄火団。

そして、ジュディの姿をした、別の何か。


アジトには、ただ、それだけが残った。







「……おい。」


サヤが、おそるおそる近づいた。


「お前、ジュディの中にいる奴……か?」


アルトが、振り返る。

サヤを、見た。


「……よぉ。嬢ちゃん。こうやって見ると、べっぴんだな。」

「……っ。」

「傷だらけなのもいい。芯があって、好みのタイプだ。」


その声に。

サヤは、身を固くした。


「お前……誰だよ!!」

「アルト。アルト・フェルンだ。」

「……あんたが、アルト……。」


サヤの目が、見開かれる。


ジュディの中に、別の誰かがいる。


それは、知っていた。

少し前に、ジュディの口から聞かされていた。


でも。

こうして、目の前にすると。

言葉が出なかった。


「……なんで。お前が、そこにいんのよ。」


サヤの声が震えていた。


「ジュディは。ジュディは、どこ行ったんだよ。」

「……寝てるよ。頭ん中でな。」


アルトが、自分の頭を指で叩いた。


「心配すんなよ。すぐ、戻るさ。……多分な。」

「……多分だって?人の体奪っといて……。」

「違ぇよ。お前を守るために、ジュディは俺に体を預けた。」

「……。」

「あのまんまじゃ、ジュディも、サヤも、やばかったからな。」


ジュディの体で、ジュディとは違う人物から名前を呼ばれる。

それが、たまらなくサヤは不快だった。

しかし、何も言えなかった。


「……くそっ。」


ジュディが、サヤを守るために。

自分自身を、手放した。

別の誰かに、明け渡してまで。


その重さが。

じわじわと胸に広がっていく。


「……アルト。」

「なんだ?」

「ジュディを、返して。」


サヤが言った。

震える声で。

でも、まっすぐに。


「あいつを、ちゃんと、返せ。」


アルトが、少しだけ、目を細めた。

それから——ふっと、笑った気がした。


ジュディの顔で。

でも、ジュディとは違う、笑い方で。


「……あぁ。最初から、そのつもりだよ。」

「……。」

「本当は、もう一服くらいとも思ったが。」


アルトが、空を仰いだ。


「サヤ。」

「……あんだよ。」

「自分の感情を、遠ざけんのは止めろ。」

「……はぁ?」

「余計なお世話かもだけどな。認めて生きた方がいい。」


何のことを言っているのか、サヤはわからなかった。

ただ、核心を掴まれたような不快感が、残る。


「失って気づいてからじゃ、遅ぇこともある。」

「……ジジイくせぇよ。何様だ。」

「はは!そうかもなぁ。精神年齢は、ジュディと変わらねぇはずだが。」


アルトは、サヤを見つめて言葉を続けた。


「ジュディを、頼んだぜ。」

「……言われるまでも、ねぇよ。」

「いい仲間、持ってんじゃねーか。」


その言葉を、最後に。


アルトの瞳から。

すぅっと力が抜けた。


「——っ、と。」


ジュディの体がぐらりと傾く。

サヤが慌てて抱き止めた。


「ジュディ!?」


腕の中で。

ジュディは、目を閉じていた。

さっきまでの、凪いだ気配は、消えている。


ただ、静かな寝息。

いつものジュディの。


「……くそ。ボンクラ。」


サヤはその体を。

ぎゅっと抱きしめた。


瞳から、何故か涙が溢れる。

失う恐怖か、今ここにある安心か。


たぶん、両方だった。


第百二十四話、お読みいただきありがとうございました!


赤い薬、初使用。

そして、アルト・フェルン、前線デビューです。


ジュディが、自分を手放してまで、サヤを守りました。

ジュディとアルトの関係も、少しずつですが、変わってきていますね。


そして、アルトとサヤの、初対面。

アルトは余計な事を言ってましたね。

藪蛇クソジジイです。


明日も20:10、続きます。

ブクマやコメント、評価をいただけると、ジュディが目を覚まします。

よろしくお願いします!


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