第百二十話「何度だって、選び直せる」
サヤを、背負っていた。
決闘の後。
意識を失ったサヤを背中に乗せて、宿への道を歩く。
背中が、温かい。
規則正しい寝息が、首筋にかかる。
——軽いな。
こんなに、小さかったのか。
いつも、威勢のいいことばかり言うから忘れていた。
まだ、子どもみたいに小さい。
いや、実際、俺よりずっと若いんだ。
バッツとゼナには、先に宿に戻ってもらった。
ゴードへの報告も、同時に頼んでおいた。
今は、俺とサヤ、二人だけ。
鉄火市の喧騒が遠くに聞こえる。
裏路地は静かだった。
「——よぉ。」
その声で、足が止まった。
路地の暗がり。
そこに男が立っていた。
長身。引き締まった体。
金髪。そして、人を嬲るような、ニヤついた笑み。
——ガロウ・ヘイズ。
忘れるはずもない。
ハピレスの幹部だ。
「ははぁ。久しぶりだなぁ、運ちゃん。なんで、こんなとこにいんだぁ?」
「……お前こそ、なんでこんなとこいんだよ?」
「はっは!買い物だよ。競売でな。」
ガロウが、へらへらと笑う。
「お前と、目的は同じだろ。多分なぁ。」
「……。」
「安心しろ。今はやらねぇ。ここで騒いで、鉄火市が中止になっちゃ、洒落にならねぇからなぁ。」
——こいつも、目当てのものがある。
それが手に入るまでは、騒ぎを起こす気はない。
「でもよ。お前がここにいるってことは。やっぱ、アレがあるってことだよなぁ。」
「いんや?俺も分かってねぇんだな。まぁ、ダメ元ってやつだな。」
「はは!相変わらず、嘘下手だなぁ。お前。」
お互いに、レガシーコードという核心には触れない。
しかし、お互いがここにいる時点でもう分かったようなものだった。
「ま、いいさ。それより、運ちゃん?」
「……あんだよ。」
ガロウが、思い出したように言った。
「あんとき、お前が庇った見張り。ちゃ~~んと、殺したぜ?」
——心臓が、跳ねた。
「だから言ったろ?死んだ猫、庇ってどうすんだってなぁ~。」
ガロウの目が、楽しげに細まる。
俺は、唇を噛んでいた。
名前も知らない、あの男。
助けた命が、もう、ない。
「……お前、マジかよ。本気で悔しがってんのか?赤の他人だぜ?」
ガロウが、心底理解できない、という顔をした。
それから、ふっと、笑みを消す。
「……やっぱ、気に食わねぇな。お前はよ。」
そう言って、背を向けた。
「続きは、また今度な。」
ガロウは、それだけ吐き捨てて、暗がりへと消えた。
………………。
…………。
……。
——守るって、なんだろうな。
レンカにも、突かれた。
ガロウにも、突かれた。
俺が助けた命は、失われた。
さっき、サヤを庇った手は、サヤを傷つけた。
俺のやってることは、ただの独りよがりなのか。
——見捨てたら、お前が、お前じゃなくなる。そういう脅迫観念が、お前にはある。
アルトの言葉が、胸を刺す。
ただ自分が壊れないために、『人を助けないこと』ができないだけ。
「……。」
答えは、出なかった。
背中のサヤを、抱え直す。
その重みだけが、今は確かだった。
俺は、何も答えを出せないまま。
宿への道を、歩いた。
—
宿の一室。
サヤをベッドに寝かせていた。
傷の手当ては済んでいる。
椅子に座って、サヤの寝顔を見る。
腫れた頬。切れた唇。
俺は、ただ見ていることしか、できなかった。
「……ん。」
しばらくして、サヤの瞼が動いた。
そのまま、ゆっくりと目を開けた。
「……ここ、は?」
「……宿だよ。」
サヤの視線が、泳ぐ。
そのまま、俺を見て——その目が、すぐに鋭くなった。
「……ボンクラぁ!」
サヤが上体を勢いよく起こす。
俺の胸倉を掴もうと手を伸ばした。
「……ってぇ。」
「おい!安静にしてろよ!まだ傷塞がってねぇんだから!」
「うるさい!!!」
差し伸べた俺の手を、サヤは払った。
息が、荒い。
殺気を含んだ瞳で、俺を見つめていた。
「……なんで、手ぇ出したんだよ!」
——ぽすっ。
サヤが、俺の胸を殴る。
何度も、弱々しく。
それが、とても痛かった。
「約束、したじゃんか!」
「……。」
「私が、戦うって決めたんだ!」
「……。」
「ジュディを、守るって、決めたんだ!」
——ぽすっ。ぽすっ。ぽすっ。
「……最後まで、意地くらい……張らせろよ……。」
……ぽすっ。
「……サヤ。」
サヤの手首を掴む。
そのまま、俺は頭を下げた。
「……ごめん。」
「……っ。謝んな。」
「でも、止まれなかった。」
「……。」
「お前が、あれ以上殴られてんのを、見てられなかった。」
「……。」
「本当に、ごめ——」
「謝んなって!!!!」
サヤの叫び声が、響いた。
サヤは、唇を噛んで震えている。
「……あんたの気持ちも、分かってる。」
「……。」
「でも、私は最後まで負けを、認めたくなかった。」
「……あぁ。」
「負けたとしても、私が、ちゃんと自分で負けるべき戦いだった。」
「……分かってる。」
「分かってねぇだろ!!!」
サヤが、また叫んだ。
どこかの傷口に響いたのだろう。
胸を抑えて、うずくまった。
「……サヤ!もう……。」
「……分かってんなら、手ぇ出さねぇだろ……。」
その声が、震えていた。
「……私は、あんたの傍にいたい。」
「……。」
「……それは、守ってくれるから、一緒にいたいんじゃねぇんだよぉ……。」
——サヤの目から、涙が、こぼれた。
大粒の涙が、頬を伝う。
「……もう、なんも、わかんない。」
「……サヤ。」
「兄貴のことも。私が、やってきたことも。」
ぽろぽろと。
サヤが、泣いた。
「兄貴が、私のために、人、殺してて……。なのに私、何も知らないで、ただ兄貴を追っかけて……。」
「……。」
「アカデミーだって。そんな深く考えてなくて……。ただ兄貴を、見返したくて。投資された分、倍にして返してやるって、それだけで……。」
「……。」
「でも、兄貴、死んじゃって。なんのために通ってんのか、分かんなくなって……。」
サヤが、しゃくり上げる。
整理のつかない感情が、言葉として溢れ出していた。
……とめどなく。
「兄貴、なんで死んじゃったんだって、分かんなくて。見てた景色、見れば分かるかなって。傭兵、始めて……。でも、それって。」
「……。」
「兄貴の気持ちを……私、踏みにじってただけ、なのかなぁ……。」
——っ。
俺は、サヤをゆっくりと抱き寄せた。
サヤが、俺の胸に頭を預ける。
「……ジュディの、隣にいたいって思ったことも。」
「……。」
「全部、全部……間違ってたのかなぁ……。」
サヤの嗚咽が胸に響いた。
小さな体が、震えていた。
「う、ううぅ……っ。あぁ、ああああぁ……。」
俺は、ただ。
その背中に、手を添えた。
—
しばらく、サヤは泣いていた。
俺は、何も言わずに、待った。
「……ずびっ。」
「……。」
サヤが、俺の胸から顔を離した。
鼻水が、べっとりと胸についていた。
「……ずびっ。」
「……。」
沈黙。
気まずい空気が流れた。
「ごめ。」
「……あ、ああ。」
俺は、棚の上からティッシュを数枚取り出す。
そのまま、サヤに渡した。
「……どうぞ。」
「……どうも。」
——ちーん。
「……。」
「はぁ。ありがと。」
少しだけ。
サヤの呼吸は、落ち着いていた。
俺は、少しだけ間をおいて、口を開いた。
「……サヤ。」
「……ん。」
「間違ってたかどうかって。そんなに、大事かな。」
サヤが、顔を上げた。
涙で濡れた目で俺を見る。
「……どういう、こと。」
「俺さ。サヤは、すげぇと思うんだよ。」
「……はぁ?」
俺は、サヤの目を見て言った。
「その時その時で、ちゃんと悩んで。ちゃんと、決めてきたんだろ。」
「……。」
「クロウを見返すって決めた時も。傭兵やるって決めた時も。」
「……だから、それが、間違ってたかも——」
「それで、いいんじゃねーか?」
俺は、続けた。
「ちゃんと、考えたから、今また悩んでんだろ?」
「……そ、れは。」
「適当に生きてきた奴なんて、間違ったかも、なんて悩まねーよ。」
「……。」
サヤの目が、揺れた。
「……でも。今は……分かんないんだよ。」
「あぁ。」
「どうしたらいいのか、全然……。」
「今のサヤで、もう一回、悩んで、決めればいい。」
俺は、笑った。
俺にも帰る場所があった。
俺を待ってくれる人がいた。
だから、分かったことがある。
「サヤ。俺は、この世界で生まれて、分かったことがある。」
「……何よ。」
「人はさ。選び直せるんだ。」
「……。」
「生きてる限り、何度だって、選び直せる。」
——サヤが、息を呑んだ。
それは、帰る場所があったから気付けたことだった。
俺を待ってくれる人がいたから、俺は、俺を選び直せた。
「間違ってたと思うなら、選び直せばいい。迷ったなら、また選べばいい。」
「……そんな、簡単に。」
「まぁ、簡単じゃねーよ。本当に。」
俺は、言い切った。
「でも、サヤなら、大丈夫だ。」
「……何を、根拠に。」
「ない!サヤだから、大丈夫!」
サヤは、少しだけ笑った。
「やっぱ、ボンクラじゃん。」
—
「……ボンクラ。」
サヤが、ぽつりと言った。
「あんたも、ちゃんと、選び直せよ?」
——その問いが。
胸に、刺さった。
レンカに突かれた、守りすぎる自分。
ガロウに突かれた、無駄になった命。
俺は、自分の根っこを、選び直せているのか。
見捨てられない、この性分を。
——わからない。
でも、ちゃんと俺も悩んで、決めなきゃいけない。
そう思った。
「……クロウだって。」
俺は、言った。
「選び直したんだろ。ギャングを抜けて、妹に顔向けできる生き方を選んだ。」
「……。」
「だから、俺も。今、少なくとも一つだけは、選び直すよ。」
「……一つだけ?」
俺は、サヤの頭に、手を置いた。
「あぁ、一つだけ。サヤを、信じる。」
「……。」
「それを、俺は選ぶ。」
——サヤが、また、少しだけ涙ぐんだ。
でも、さっきとは、違う涙だった。
——俺自身の、根っこのことは。
いつか、ちゃんと、向き合わなきゃいけない。
そう、心の中で思った。
—
「……ジュディ。」
「ん。」
「飴、とってくんない。」
サヤが、鼻をすすりながら言った。
俺は、ハンガーに掛けてあったサヤの上着を取る。
ポケットを探ると、棒付きキャンディが出てきた。
「ほら。」
「……ん。」
サヤが、それを口に放り込んだ。
途端に、顔をしかめる。
「……いってぇ。」
「ん?」
「口、切れてんだよ。染みるわ。」
「……まぁ。あんだけボコスカ殴られればなぁ。」
「うっせぇ。ボンクラ。」
サヤが、小さく笑った。
腫れた顔で。
涙の跡を残したまま。
それでも、笑った。
——あぁ。
いつもの、サヤだ。
「……ジュディ。」
「ん。」
「明日。」
サヤが、キャンディを転がしながら言った。
「もう一回、私がやる。」
「……あぁ。」
「今度は、手ぇ出すなよ。」
「……善処します。」
「善処すんなや。絶対だ。」
俺は、笑った。
「……分かったよ。」
——今度は嘘じゃなかった。
明日サヤは、もう一度、立つ。
その時、俺は。
ただ、信じて、待つ。
それが、俺の選んだ答えの一つだった。
第百二十話、お読みいただきありがとうございました!
サヤの、涙でした。
かなり、珍しいですね。
「何度だって、選び直せる。」
この言葉は、ジュディが言うと重いですね。
でも、ジュディはまた同じようで違う壁にぶち当たってます。
明日も20:10、続きます。
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よろしくお願いします!




