第百十九話「軽すぎる一撃」
鉄火団と交渉した、その夜。
宿の一室にゴードが来ていた。
互いの状況を共有するためだ。
「——というわけで。明日、サヤがレンカと一戦交えることになった。」
「……どういうことだ?」
ゴードが眉をひそめた。
「商談だと言わなかったか。なぜ、決闘になっている。」
「いや、本当だよ。なんでこうなったんだ……。」
「……お前は、交渉が上手いと聞いていたが。」
「へいへい。悪かったって。そういうそっちは、どうなんだよ?」
ゴードが椅子に腰を下ろした。
「イグニスと接見してきた。」
「……んで?」
「空振りだ。レガシーコードに、イグニスは関与していない。あちらから入手する手立ては、ない。」
「……お互い、全然ダメだな。」
「否定できんな。鉄火団が入手する物品には、大抵イグニスの息がかかっている。」
「じゃあ、レガシーコードもいけるはずだろ?」
「いや。イグニスの様子を見るに、レガシーコードは完全に別ルートで仕入れたものだろう。」
——なるほどな。
表からすんなりとはいかないか。
「明日、もう一度動くぞ。イグニスから鉄火団へ働きかけて、レガシーコードを回収させられないか交渉を進める。」
「あんまり、期待はできなさそうだな。」
「あぁ。だが、やらない理由はないだろう。」
ゴードが、淡々と言った。
こういうところは、抜かりがない。
「ところでよ、ゴード。」
「なんだ。」
「あんたが、候補から外したヴィンだけどな。」
「……あぁ。あのハッカーか。」
「あいつのおかげで、レンカに会えたぜ?」
「……。」
「裏のことは、やっぱ裏の人間に聞くもんだなぁ?」
俺が、にやりと笑うと。
ゴードは、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「……裏には、裏の流儀があるということか。覚えておこう。」
「素直でよろしい。謝罪もセットでつけてくれないか?」
「っは。調子に乗るなよ?小僧。」
——こいつ、案外、嫌いじゃないな。
「とにかく。明日は、見届ける。」
「死ぬなよ。お前も、その娘も。」
「……あぁ。」
ゴードは、それだけ言って、部屋を出ていった。
沈黙が、部屋に落ちた。
しばらくして。
俺は、一人になった。
——サヤ。
廊下を挟んだ、向かいの部屋。
サヤはそこにこもったまま、出てこなかった。
「サヤ。飯、食ったか?」
「……大丈夫。」
「ちょっとだけ、顔見たいんだけど。」
「……ごめん。もう寝るわ。」
それきり、返事はなかった。
らしくないと思った。
いつものサヤなら、悪態の一つでも返してくる。
でも、今日は違った。
思えば。
カリドに着いた頃から、サヤの様子は、おかしかった。
車の中で、ずっと黙っていた。
鉄火団の話を聞いても、何も言わなかった。
キャンディを転がしているだけだった。
サヤは、勘がいい。
もしかしたら。
クロウのことを、どこかで察していたのかもしれない。
この土地に、何かがあると。
踏み込めば、戻れなくなる何かが。
「……。」
俺は、向かいの部屋の扉を、見つめた。
また声を、かけようとして。
やめた。
かける言葉が、これ以上見つけられなかった。
—
翌日。
鉄火市の初日。
街全体が、異様な熱気に包まれていた。
あちこちで、怒号と歓声が飛び交っている。
売られているのは、武器、薬、得体の知れない品々。
——だが。
俺たちが向かったのは、その喧騒の裏手だった。
表の賑わいから外れた鉄火団の拠点。
昨日、レンカと会ったあの場所。
一般の客は、誰もいない。
ボスの決闘を、表沙汰にする気はないらしい。
鉄火団の身内だけで、あくまでも秘密裏に行う腹づもりか。
「……。」
その一角に、ひらけた場所があった。
すり鉢状の石造りの空間。
ぐるりと、鉄火団の連中が囲んでいる。
ボスの決闘とあって、連中は浮き立っていた。
中央にレンカが立っていた。
煙管はない。
右腕の旧式ストーンウェアだけを、軋ませている。
その向かいに、サヤ。
「ジュディ。」
「……ん。」
サヤが、こちらを見ずに言った。
「絶対に、手を出すなよ。」
「……それは——」
「あんたが手を出したら、その時点で私の負けなんだ。」
サヤの声は、低かった。
振り返らないまま、続ける。
「約束して。何があっても、動くな。」
「……。」
「返事は?」
「……あぁ。分かった。」
——嘘だった。
そう答えながら、俺は自分が嘘をついているのを、分かっていた。
もし、サヤに何かあったら。
俺は、止まらない。
そう確信していた。
レンカは、何も言わなかった。
ただ、俺たちのやり取りを、黙って聞いていた。
—
「ルールは、簡単だ。」
レンカが、口を開いた。
「アタイの、顔か胴。どっちでもいい。一発でも当てな。」
「……昨日も、それ言ってたけどさ。……舐めてんの?」
「あぁ。あんたじゃ、アタイにはサシで勝てない。事実だよ。」
「……ババアが。」
「当てられたら、お前の勝ち。レガシーコードは、くれてやる。」
レンカが、右腕を構えた。
「当てられなきゃ——出直してきな。」
「こっちも、一つ条件を出す。」
「……はぁ?」
「レガシーコードだけじゃない。ジュディに謝罪しろ。」
「何を謝れってんだい?」
「いいから、答えろよ。」
「……いいだろう。」
サヤが、両足のストーンウェアを起動した。
靴底から、ブレードが展開する。
「いくぞ。ババア。」
——出し惜しみは、なし。
最初から、全開だった。
「んなこと喋る暇があるなら、さっさと来な。」
「——上等だ!!!」
—
サヤが地面を蹴った。
——速い。
地面を滑るように、加速する。
あの速度は、俺でもギリギリついていけるかどうか。
レンカの懐に一瞬で潜り込む。
ダガーが、閃いた。
——ガキンッ。
レンカの右腕が、それを弾いた。
動いたのは、右腕だけ。
レンカは、足すら動かしていない。
「……っ。くそ!」
「……へぇ。」
サヤが跳ね回る。
右から、左から、上から。
ブレードとダガーが、嵐のように降り注ぐ。
——ガキ、ガキンッ。
全部、弾かれた。
レンカの右腕一本に。
「……っ。」
「どうした。それで終わりかい。」
——なんだ、これは。
サヤの動きは、間違いなく速い。
技術もある。
なのに、当たらない。
いや。
当たっても——軽い。
何かが、足りない。
踏み込みが、心なしか浅い気がした。
「あんたの一撃は——」
レンカが、サヤの突きを弾きながら、言った。
「軽すぎるね。何を背負ってるのか、自分でも分かっちゃいない。」
「……うるっせぇ!」
サヤが、右足を大きく振りかぶる。
隙だらけの、大振りの一撃。
——まずい!
「やっぱり、単純だねぇ!!」
「——っ!」
レンカの右腕が、動いた。
蹴りに、合わせて。
——ガッ。
カウンター。
レンカの拳が、サヤの顔面を捉えた。
「——っ、あ。」
サヤの体が宙に浮いた。
そのまま、地面に叩きつけられる。
「サヤ!」
思わず、身を前に乗り出す。
すんでのところで、止まった。
まだだ。
まだ、耐えろ。
—
サヤが、ゆっくりと立ち上がった。
……右頬が、腫れている。
「……っ。はぁー。はぁー。」
体術が、効かない。
そう悟ったんだろう。
サヤが手を前に出した。
魔力が収束する。
——風の魔術。
サヤの十八番だ。
圧縮された風の刃が、レンカへ放たれる。
「——っ。」
その時。
レンカが、左腕を、無造作に上げた。
指先から、炎が噴き出す。
圧縮された、バーナーのような炎。
——ゴウッ。
サヤの風が、かき消された。
炎に、焼き払われて。
「……うそ、だろ。」
「へぇ。魔術も飛ばせるのかい。クロウよりもセンスはあるね。」
「……。」
「でも、他が雑すぎる。センスだけで生きてきたツケが出てるね。」
レンカが、つまらなそうに言った。
「アタイを誰だと思ってんだ?鉄火団を、ここまでデカくした女だよ。」
「……っ。」
「魔術は悪くないけどねぇ。——練度、年季が違うよ。」
——格が、違う。
誰の目にも、明らかだった。
体術も、魔術も。
レンカには、届かない。
「この!クソババア!!!」
サヤが、再び地面を蹴った。
—
それでも、サヤは止まらなかった。
何度も、突っ込んだ。
何度も、弾かれ殴られた。
何度も、地面に這いつくばった。
「やめろ……。」
俺の口から、声が漏れた。
「もう、限界だ……。」
——もう、十分だろ。
これ以上は、ただの嬲り殺しだ。
俺は、サヤに向かって踏み出し——
「……っ。」
その時だった。
——ズキン!
頭の奥が、痛んだ。
視界が滲む。
足元が、ぐらつく。
——クソ!
また、これか。
よりにもよって、このタイミングで!
『落ち着け。ジュディ。』
頭の中に、声が響いた。
アルトだった。
『今、テメェが出てみろ。全部、パーだぜ?』
(……うるせぇ!)
『いいから聞け!サヤって奴のことを言ってんじゃねー。お前の体が、今は限界だって言ってんだよ!』
——上書きが。
こんな時に。
精神の、高ぶりのせいか。
意識が薄くなる。
アルトの声が近くなる。
クソ!
くそくそくそ!
クソが!!!
—
「——ぐっ。」
サヤが、また弾かれ、レンカに殴られる。
今度は、立ち上がるのが、遅い。
膝が、笑っている。
顔は、腫れ上がっていた。
それでも、ダガーを握り直す。
「……ふぅ。もういいだろ?アタイも気が済んだよ。」
「まだ……やる。」
「……ほぉ。」
「まだ……殴れて、ねぇ……。」
サヤが、最後の力で、地を蹴った。
足技。
渾身の、回し蹴り。
ブレードが、レンカの顔面を狙う。
——ガキン!
「……っ!」
弾かれた衝撃で、サヤの体が開いた。
そのまま、レンカはサヤの顔面に拳を叩き込む。
サヤが、吹っ飛ばされた。
「……っ!サヤ!」
——立つな!
立つな。
もう、いい。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
それでも。
サヤは——立った。
よろめきながら。
血を、吐きながら。
立ち上がった。
「……まだ。」
「……いい根性だねぇ。」
レンカが、近づいた。
「でも、それじゃ勝てない。」
「……。」
「根性、意地、気持ち。んなもの、戦いの最中じゃクソの役にも立ちゃぁしない。」
レンカの右腕が、振り上げられた。
「……もう、寝てな。しばらく、起きなくていいよ。」
——次が、最後だ。
直感した。
これまでとは、明らかに違う出力。
あれを食らえば、サヤは——。
—
『動くなよ。ジュディ。』
アルトの声が、響いた。
『これは、あいつが選んだ戦いだ。』
(……っ。)
『お前が動けば、サヤの気持ちを踏みにじることになる。』
(……うるせぇよ。)
『うるせぇで済ますなよ。お前のエゴだ。マジで、止めておけ。』
「——分かってんだよ!んなことは!!!」
俺は、懐に手を入れていた。
青い、アンプル。
意識を、繋ぎ止めるための薬。
迷いは、なかった。
それを、右腕のストーンウェアの投与口に装填した。
——ドクン。
薄れかけていた意識が、無理矢理引き戻される。
頭が割れるように痛い。
胃の奥から、何かがせり上がる。
——構わねぇ。今は、サヤ以外どうだっていい!
俺は電撃魔術を体に纏い、地面を蹴った。
レンカの拳が、サヤに振り下ろされる。
「……っ。」
レンカの拳が空を切った。
俺は、サヤを抱えて、レンカの背後に移動していた。
——チリッ
「……っぐ。ごっふっ。」
口の中に、鉄の味が広がった。
せり上がったそれを、呑み込む。
俺は、そっとサヤを地面に下ろした。
「……ジュ、ディ……?……な、んで。」
サヤが、俺を、見ていた。
その顔は、絶望の色に染まっていた。
—
「……あーあ。」
レンカが拳を引いた。
つまらなそうに、俺を見る。
「やっちまったねぇ。」
「……。」
「手ぇ、出すなって言われてただろ?その小娘に。」
——返す言葉が、なかった。
「なぁ、あんた。」
レンカが俺を見据えた。
「その子を、守ったつもりかい?」
「……っ。」
「その子が立った意味を、今あんたが潰したんだ。」
「……。」
「守るだけが、その子のためになるのかい。大切だから、楽な道しか歩かせない。そういうつもりかい?」
——その言葉が。
胸の奥に、深く刺さった。
でも、無理だった。
感情が抑えられない。
「……うるせぇよ。今はその話じゃねぇ。」
「……あ?」
「お前は、俺の大事なものを、傷つけた。」
「……分かってないねぇ。小僧。」
「今、ここで。俺と殺ろうか?」
レンカが、目を見開いた。
そのまま、豪快に笑った。
「あははははは!!こいつはいい!」
「……何、笑ってんだよ。」
「傷つけたのは、どっちだろうね?」
「……。」
「お前に免じて、今日はもういいよ。明日、また相手をしてやる。」
「……上等だ。首洗って待ってろよ。」
背後で、サヤが。
何も言わずに、俺の背中を見ていた。
その視線が。
痛かった。
第百十九話、お読みいただきありがとうございました!
サヤ、敗北。
そして、ジュディは——手を出してしまいました。
「守る」って、なんでしょうね。
ジュディは、それがちょっと、下手な男です。
青の薬も、初使用です。
代償は、軽くありません。
明日も20:10、続きます。
ブクマやコメント、評価をいただけると、サヤがもう一度立ち上がります。
よろしくお願いします!




