第百十八話「兄の裏側」
「アタイの、右腕だったのさ。」
レンカの言葉がフロアに落ちた。
「……。」
サヤが固まっていた。
キャンディを転がす音も、止まっている。
ただ、目を見開いてレンカを見ていた。
——クロウが。
サヤの兄が、ギャングだった。
俺も、すぐには言葉が出なかった。
俺はクロウを、知っていた。
短いながらも、同じ時間を過ごした。
右腕のストーンウェアの中には、あいつの刀から作ったダガーがある。
胸ポケットには、あいつと共に吸った煙草がある。
俺は、クロウを知っていたつもりだった。
でも、こんな。
こんな過去は、知らなかった。
「……嘘だ。」
サヤの声が、掠れていた。
「兄貴は、傭兵で……ギャングなんて、そんな……。」
「嘘じゃないさ。」
レンカが煙を吐いた。
「五年前まで、あいつはここにいた。アタイの、一番の腕利きだったよ。」
「……っ。」
——その時、俺は気づいた。
サヤは、こんなに動揺している。
なのに。
バッツとゼナは——動じていなかった。
「……バッツ。ゼナ。」
俺が呼ぶと、二人の肩がわずかに揺れた。
「……お前ら、まさか。」
「……あー。」
バッツが気まずそうに頭をかいた。
ゼナは目を逸らしている。
その反応で、分かってしまった。
「……知ってたのか?」
サヤの声だった。
振り返ったその顔は、血の気が引いていた。
「二人とも、兄貴が……ギャングだったこと。知ってたかって聞いてんだよ。」
「……サヤ。」
「さっさと答えろよ!!!」
ゼナが、息を吐いた。
ゆっくりと、口を開く。
「……知ってたわよ。」
「……。」
「昔、クロウは鉄火団にいた。何度か、やり合ったこともある。」
「敵として、な。」
バッツが、後を継いだ。
「その後、あいつが傭兵に転がって。何度か、一緒に仕事もした。」
「……なんで。」
サヤの声が、震えていた。
「なんで、言わねーんだよ。」
「……。」
「私だけ、知らなかったってことだよな?なんで、黙って……」
「違うのよ、サヤ。」
ゼナが、慌てて言った。
「隠してたわけじゃない。私たちは——あんたが、知ってるもんだと思ってた。」
「……あ?」
「実の妹でしょ?だから、その……当然、聞いてるものだと……。」
「……。」
サヤは、何も言えずにいた。
実の妹なのに。
身近な二人が、知っていたのに。
自分だけが、兄の本当の姿を、知らなかった。
その事実が、サヤを打ちのめしているのが、分かった。
「……ふぅん。」
レンカが、面白くもなさそうに、煙を吐いた。
「本当に、何も聞いてないんだね。クロウから。」
「……。」
「ま、あいつらしいよ。」
—
「あいつは、妹のためにここにいたんだよ。」
「……私?」
「教えてやるよ。」
レンカがソファから立ち上がった。
「お前の知らない、兄貴の話を。」
「……っ。」
「クロウ・ウインドウ。あいつは、鉄火団きっての腕利きだった。」
レンカがゆっくりと歩く。
「冷たくて、無駄がなくて、仕事は綺麗だった。腕っぷしだけじゃない。殺し方を知ってる男だった。」
「……。」
「敵に回したくない男だった。あいつが来るって聞いただけで、震え上がる連中もいたさ。」
バッツが、ぽつりと言った。
「……それは、間違いねぇな。」
「……バッツ。」
「俺らも、あいつとやり合った時は、肝が冷えた。冷静で、容赦がねぇ。……正直、思い出したくねぇな。」
ゼナも、静かに頷いた。
「えぇ。仕事のためなら、容赦なく殺してた。実力差なんて関係ない。自分が、確実に殺せる状況を作って実行してた。」
「……。」
レンカが、肩をすくめた。
「あぁ。アタイの、自慢の右腕だった。」
——サヤが、俯いていた。
知らない兄の姿が、知っていた者たちの口から、次々と語られる。
怖くて、強くて、冷たくて。
サヤの知る、兄の顔とは、きっと違う。
その横顔が、見ていられなかった。
—
「……でもね。」
レンカの声が、変わった。
「アタイが本当に言いたいのは、ここからだよ。」
「……。」
「クロウが、なんで鉄火団にいたのか。」
サヤが、顔を上げた。
「……なんで。」
「金だよ。単純だろ?」
レンカが、即答した。
「あいつは、金のために、ここにいた。」
「……お金。」
「あぁ。なんでも、妹をアカデミーに通わせるんだ、ってね。」
——その瞬間。
サヤの息が止まった。
「……それって、私の——。」
「アルカナ・アカデミー。金のかかる所だろ?」
「……知ってるわよ。んなこと。」
アルカナ・アカデミー。
卒業すれば、ほぼエリートコースが約束される。
その代わり、普通の家が簡単に通わせられるような場所じゃない。
「クロウの家は、裕福なわけじゃない。あいつは、言っていたよ。」
「……。」
「妹は賢い。幸せになれる。そのために、たとえ汚くても金が要るって。」
レンカが、再び煙管をふかす。
そのまま、サヤを真っ直ぐに見つめた。
「だから、あいつはここで稼いだ。妹のために人を殺して、金を稼いだ。」
サヤの手が震えていた。
「でも、ある時。」
レンカが、足を止めた。
「あいつは、仕事で、一人の小娘を手にかけた。」
「……。」
「ちょうど、お前と同じくらいの年頃の、娘だったよ。」
——フロアが、静まり返った。
「それから、あいつは変わった。」
「……。」
「自分の稼いだ金が、妹の未来を汚してる。このままじゃ、妹も、こっち側に堕ちる。そう言ってね。」
レンカが、サヤを見据えた。
「鉄火団を、抜けた。少なくとも、妹に顔向けできる稼ぎ方を選んだ。」
「……っ。」
サヤの口から、声が漏れた。
「……だから、あの時。兄貴は、急に……。」
——ぽつり、と。
サヤの中で、何かが繋がったようだった。
「……急に、前より家にいる時間が増えて……。」
「……。」
「私、何も知らないで……ただ、兄貴が仕事のサボりを覚えたんだって……。」
「あいつはね。あんたをこっち側に来させないために、こっち側にいた。」
「……っ。」
「そして、こっち側に来させないために、アタイらとの縁を切った。」
レンカの声色が、また少しだけ変わった。
少しだけ、その声には優しさが混ざっていた。
「あいつは、ただ、お前のために生きていた。」
「————。」
サヤの声が、途切れた。
兄が変わった、その理由。
サヤは、ずっと知らなかった。
今、初めて、その輪郭を知った。
—
「さて。ここからが、アタイの本題だ。」
レンカの声から、優しさが消えた。
そのまま、サヤの前に歩み寄る。
「クロウは、お前をこっち側に来させないために、鉄火団を抜けた。」
「……。」
「自分の手を汚して、妹だけは、まっとうに生きさせようとした。」
「……。」
「なのに、だ。」
レンカの目が鋭くなった。
殺気がこもっている。
「その妹が、今じゃ傭兵面して、鉄火市に顔を出してる。」
「……っ。」
「笑わせるね。お前は、兄貴が命がけで捨てた泥を、わざわざ踏みに来てるんだよ。」
——サヤが、唇を噛んでいた。
「あんたは、何を選んでここにいる?」
「……。」
「兄貴への反骨か?それとも、その男についてきただけか?」
「……っるせぇ。」
「あいつが、何のために抜けたと思ってる。何のために、手を汚したと思ってる。」
「……うるせぇ。」
「お前がそっち側にいるためだ。なのに、お前は——」
「うるせぇーんだよ!!!!」
サヤの叫び声だった。
止められない感情から溢れ出した。
そんな、声だった。
「あんたに、私の何が、分かるってんだよ。」
「さぁね。兄貴の覚悟を土足で踏みにじる、世間知らずな小娘かね?」
「てめぇ……。上等だババア!」
——空気が、張り詰めた。
まずい。
俺は、思わず前に出た。
サヤを右腕で後ろへと下げる。
「どいてな。今、あんたは外野だよ。」
「……いや?本題はレガシーコードだ。」
「……。」
「買わせてくれよ?話は後日ゆっくりやろうぜ。茶でもしばきながらな。」
レンカは、俺を見ていない。
視線は、俺の背後にいるサヤから離れなかった。
「こいつ、兄貴の代わりかい?」
「……お前、今なんつった?」
「……聞こえただろ?」
「ジュディを、代わりって言ったか?それだけは……。お前、超えたぞ。今……、線を。」
背後からサヤの殺気が伝わる。
これ以上は、ダメだ。
今日のところは一旦引いて——
「いいねぇ。そうやって守ってもらいながら、ぬくぬく生きていけんのかい?」
「殺すぞ!ババア!」
「言葉が軽いよ。その意味を本当に知ってんのかい?」
レンカが、俺に視線を移した。
そのまま、言葉を紡ぐ。
「正直、商売の話だ。いい値を出してくれりゃー、売ってやるつもりだったんだけどね。」
「ちょっと待ってくれよ。とりあえず話を——」
「気が変わった。この小娘が、気に食わない。」
レンカが、煙管の灰を地面に落とした。
「レガシーコードが欲しいなら、その小娘にアタイとやらせな。」
「……は?」
「アタイに、一撃でも入れてみな。」
「待て待て待て!いいから聞けって!!」
「入れられたら、レガシーコードは売ってやる。いや、金もいらないね。タダでくれてやるよ。」
「レンカ!頼むから、商売の話を——」
「——もう、いい。」
その瞬間。
サヤの腕が、俺を遮った。
「……サヤ?」
「ジュディ、いいから。」
サヤが、俺を見た。
その目は、揺れていた。
怒りなのか、悲しみなのか、俺には分からなかった。
「これは、私のするべき戦いだ。」
「……。」
「今は、引っ込んでて。」
——サヤがレンカに向き直る。
「私も、あんたが気に食わない。」
「……はっ。」
「兄貴のことは一万歩譲って、まだいい。」
レンカが、笑った。
今度は、楽しげに。
「いいねぇ。そういう目は、嫌いじゃない。」
「……私を否定するも、まだいい。」
「……。」
「代わりって言ったのだけは、許さない。ジュディが、どんな思いで、帰ってきたと思ってる。」
——代わり。
その言葉が、俺にとってどれだけ重いか。
サヤは、知っている。
「はは。そこなのかい。単純な小娘だ。」
——フロアが、静まり返った。
俺は、口を挟めなかった。
これは、サヤの戦いだ。
さっき、サヤ自身がそう言った。
サヤがしばらく黙っていた。
それから——拳を握った。
「……やってやるよ。ババア。」
「……上等だよ。小娘。」
レンカが、右腕の旧式ストーンウェアを、軋ませた。
「明日。鉄火市の、初日。またここへ来な。」
——こうして。
サヤの戦いが、決まった。
俺には、何もできなかった。
ただサヤを見ていることしか、できなかった。
第百十八話、お読みいただきありがとうございました!
クロウ・ウインドウ。
サヤの知らない、兄の過去でした。
妹のために手を汚して。
妹のために、その手を捨てた人。
しかし、意外にもサヤの沸点はジュディ。
不思議な一戦が始まります。
明日も20:10、続きます。
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よろしくお願いします!




