第百十二話「守ったもの、守られるもの」
黒塗りの車に乗せられて、どれくらい走っただろう。
窓は塗り潰されていて、外は何も見えない。
たどり着いたのは、地下の、仕切られた小部屋だった。
相変わらず、ここがどこなのか、俺には分からない。
葉巻の煙の向こうで、ガレスが座っていた。
「来たな。」
「あぁ。毎度、迎えがご大層だな。」
「情報屋だ。用心は、仕事のうちだ。」
「……あんたらしい。」
俺は、向かいに腰を下ろす。
テーブルには、すでに酒が二つ、置かれていた。
—
手に提げていた紙袋を、テーブルに置いた。
「あ、そうだ。ガレス、これ。」
「……これは?」
「カステラ。」
「ほう。なぜ私に?」
「菓子折りだよ。約束したろ?」
「冗談だとも、言ったはずだが。」
「まぁいいじゃねーか。俺が、渡したかったんだよ。」
ガレスが、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
「……物好きな奴だ。」
「まぁ、ガレスを好きな奴は少ないかも?」
「はは!言うではないか。」
ガレスが、グラスを軽く掲げた。
「とりあえず。生きてることに。」
「……らしくねぇ乾杯だな。」
「お前向けだ。」
——カチン。
グラスが、ぶつかった。
—
一口飲んだところで、ガレスが本題に入った。
「ジュディ。ブラックリストの件だが。」
「……あぁ。」
「裏のネットワークに出回った依頼を、七割ほど潰した。」
「……七割もか。仕事が早いな。」
「残りの三割は、わざと泳がせてある。」
「……潰さねぇメリットがあるのか?」
「全部潰しても、また湧く。三割を生かして、囮に使う。お前を狙う人間が、どこから動くか見えるからな。」
「……。」
——こえぇ。
この男だけは、敵に回したくねぇ。
「それに。」
ガレスが、葉巻を一口。
「そもそも、お前がターゲットの時点で、受ける傭兵はそう多くない。」
「え、そうなの?」
「お前は、ギルド内ではSランクの傭兵だ。」
「……へ?何その唐突な情報。」
「……まさか。お前、知らなかったのか?」
「知らねーよ。そもそも、依頼はあんたからしかもらってねぇし。ランクって何?」
「……無頓着な奴だ。デス・トゥルエレを屠ったのだ。当然だろう?」
「……あんまり、気は良くならねぇな。」
ガレスが、呆れたように煙を吐いた。
「今度、ギルドに顔を出してみろ。歴代でも、数えるほどしかいないぞ。Sランクは。」
「……マジかよ。」
「マジだ。お前は、私のお抱えの傭兵だよ。」
「……正直、あんた以外から受ける気もないしな。」
知らないところで、勝手に出世していたらしい。
「ヴェーラの後始末も、こちらでやっておく。ダンから受けた依頼も、お前に辿られんよう処理した。」
「……至れり尽くせりだな。いくら払えばいい?」
「いらん。」
「おいおい。それは、ダメだ。」
俺は、グラスを置いた。
そのまま言葉を続ける。
「あんたらしくもねぇ。お互い仕事してんだろ。俺は、あんたに責任を被せたんだ。」
「……。」
「金は、払う。それがケジメだろ?」
「お前が死ぬことは、こちらにとっては大きな損失だ。お抱えだからな。」
「……。」
「これは、当然の投資だよ。ジュディ。」
そんな言い方をされたら、こちらとしては何も言えなくなる。
俺は、グラスを掴んで一口飲んだ。
「ガレス。」
「……なんだ。」
「ありがとう。」
「っふ。それは、受け取っておこう。」
—
ガレスが、グラスを置いた。
「ダン・ベルンが、カルディアに来ている。」
「……ダンさんが?」
「バイオストーンから、休暇の許可が下りたらしい。家族と過ごすためにな。」
「へぇ。」
「アイラとリアも、無事だ。」
——よかった。
心の底から、そう思った。
「明日、顔を出せ。」
「……あー。行きたいは、行きたいんだけどな。」
「なんだ。煮え切らないな。」
「いや、こっちも色々あんだよ。上書きだの、なんだの。」
「リアが、お前に会いたがってるらしいぞ。」
「……。」
「ダン経由で、伝言だ。『お兄ちゃんは、いつ来るの』だとよ。」
……ずるいだろ。それは。
「……しょうがねぇな~。」
「顔がニヤけているぞ。」
「……。」
—
それから、しばらくは他愛のない話をした。
ガレスは、案外よく喋った。
画面越しの、最小限の言葉とは違って。
グラスが、半分ほど空いた頃。
俺は、なんとなく言った。
「また、ちゃんと飲もうぜ。落ち着いたらさ。」
「……『落ち着いたら』か。」
ガレスが、葉巻の灰を落とした。
「その言葉ほど、信用ならんものはないな。」
「……ひどくない?」
「また、顔を出せ。」
「……。」
「飲もうじゃないか。何度でも。」
——軽口の、はずだった。
でも今の俺には、妙に刺さった。
ガレスは、こちらを見ていなかった。
ただ、葉巻の煙を眺めている。
その横顔が、何も言っていないのに、何かを言っていた。
「……善処するよ。」
「あぁ。善処しろ。」
煙が、ゆっくりと天井に消えた。
—
翌日の昼。
ベルン家の前に立った。
カルディアの、住宅街の一角。
小さな、けれど温かそうな家だった。
扉を叩くと、すぐに開いた。
アイラが、笑顔で出迎えてくれた。
「ジュディ。最近は、よく会ってくれるわね。」
「え、えぇ。お邪魔でしたか?」
「とんでもないわ!住んでほしいくらい!」
「はは!それは、流石に悪いですよ。」
胸が温かくなる。
今のこの家には、あの頃の冷たい空気なんて見る影もなかった。
「ふふ。どうぞ、上が——」
「お兄ちゃん!!!」
奥から、小さな影が飛び出してきた。
リアだった。
全力で、俺の腰に抱きついてくる。
「うおっ!リア!!」
「お兄ちゃん!相変わらず、目つき悪いね!」
「……それ、いつも言うの?」
「でもでも。リアはかっこいいって思うよ!」
……あぁ。可愛い。
部屋の奥から、殺気を感じた。
ダンだった。
「やぁ。ジュディ。」
「ダンさん、この間は——」
「覚悟はいいかい?」
「……何のです?」
「私は、できているよ?」
「……だから、何のですか……。」
相変わらずだった。
娘のこととなると、この人は物騒になる。
—
居間に通された。
アイラが、お茶を出してくれる。
リアは、俺の隣にぴったりくっついて離れない。
俺は、湯呑みを置いて、ダンに向き直った。
「ダンさん。」
「なんだい?」
「今回の件、本当にありがとうございます。助かりました。」
「はは。前にも言っただろう?恩返しさ。」
「それでも、感謝は言わせてほしいです。俺の都合で、巻き込んでしまった。」
「……巻き込んでしまった、なんて。」
ダンが、少しだけ眉を寄せた。
「そんな寂しいことは、言わないでくれ。」
「……。」
「私たちは、友人だろう?」
「……俺は、そう思ってますが。」
「なら、いいじゃないか。」
ダンが、湯呑みを手に取った。
「ジュディ。君は、人を助けるのが、本当に上手い。」
「……。」
「でも——助けられるのは、下手だね。」
心臓が、跳ねた。
俺の周りの人たちは、想像以上に俺を見てくれている。
「サヤにも、似たようなことを言われましたよ。」
「はは。なら、間違いないな。」
ダンが、目を細めた。
その目は、優しかった。
仕事の話をする時の、企業の人間の目じゃない。
ただの、父親の目だった。
「君は、まだ若い。」
「……いや。まぁ、そうでしょうか。」
「もっと、大人に甘えていいんだよ。」
「……。」
「助けられるのも、覚えなさい。それも、生きるってことだ。」
……ずるいな。
大人に、そういう顔で言われると刺さる。
「……善処します。」
「ふふ。それでいい。」
——あぁ。
ガレスにも、同じことを言った気がする。
俺は、どうやら。
そういうのが、下手らしい。
—
その後は、リアと遊んだ。
新しく買ってもらったという絵本を読み、
スクールであった話を聞かせてもらい、
くまかっちゃんのグッズを、紹介してもらった。
一緒にいるだけで、楽しい。
楽しいな。
「ねぇ、お兄ちゃん。」
「ん?」
「ちょっと、疲れてる?」
「……そんなことないよ?」
この子は、鋭いな。
思えば、初めて会った時もそうだった気がする。
確かに、ここ数日まともに眠れていない。
色々あったしな。
カプチーノとか、アルトとか……。
リアが、ソファをぽんぽんと叩いた。
「じゃあ、ここで寝ていいよ。」
「いや。せっかくリアといるんだし……。」
「いいの。リアが、隣にいてあげるから。」
……敵わないな。
こういうのには。
俺は、ソファに背を預けた。
リアが、当然みたいに、隣にもたれてくる。
小さくて、あたたかかった。
「……すー。」
「……。」
ものの数秒で、リアから寝息が聞こえてきた。
いや、寝るんかい。可愛い。
……まぁ、いいか。
俺の意識は、するりと沈んでいった。
リアの体温が、心地よかった。
—
ダン・ベルンは、夕食の支度を終えて、居間へ向かった。
「ジュディ。そろそろ、夜ご飯——」
「シーッ。」
アイラが、人差し指を口に当てた。
「……あ、あぁ。」
ダンは、口をつぐんだ。
妻の視線の先を、追う。
ソファの上で、二人が眠っていた。
ジュディと、リア。
ジュディは、リアを抱きしめるようにして、目を閉じている。
リアは、その腕の中で、安心しきった顔をしていた。
それだけで、分かった。
この青年が、どれだけ娘を大切にしているか。
ダンとアイラは、二人を起こさないよう、そっと毛布をかけた。
「……こうやって見ると、兄妹みたいね。」
アイラが、小さく笑った。
「あぁ。ジュディは、若い。」
「普段の態度からは、私たちより年上なんじゃないかって思うけれど……。」
「この寝顔は、ただの青年だよ。」
ダンが、静かに言った。
眠っているジュディの顔は、いつもの鋭さがなかった。
ただの、疲れた若者の顔だった。
「……本来なら。」
アイラが、ぽつりと言った。
「まだ、大人に守られてもいい年なのにね。」
ダンは、何も言わなかった。
ただ、眠る二人を見つめていた。
しばらくして、アイラが言った。
「守りましょう。二人を。」
「……そうだね。」
「どの口がとは、思うけれど。」
「はは。情けない大人達だよな。」
アイラとダンは、ジュディに助けられた。
この一人の青年に、どれだけ救われたか。
だからこそ。
二人は、強く誓った。
「守り抜こう。何があっても。」
「……えぇ。」
「それが、我々大人の、本来の役割だ。」
居間には、二人分の、静かな寝息だけが響いていた。
第百十二話、お読みいただきありがとうございました!
ガレスのアジトは、相変わらずどこにあるのか分かりません。
カステラ、口に合えばいいのですが。
ベルン家、平和でしたね。
リアもすっかり元気で、お兄ちゃんっ子になりました。
ジュディは、人に甘えるのが本当に下手な男です。
周りが揃ってそれを言うあたり、筋金入りですね。
明日も20:10に更新予定です!
ブクマやコメント、評価をいただけると、リアが一緒にお昼寝してくれます。
よろしくお願いします!




