第百八話「逆鱗」
アルカナ本社。第七研究室。
ネルが、モニターの前に立っていた。
俺とカイラとサヤは、ネルに向き合う形で並んでいる。
サヤが、気まずそうに飴を転がした。
「……。」
「……サヤ。どうかしたか?」
「いや。どうもこうも。ここ、普通に居心地悪いし。」
「……そうだよな。」
俺は毎週来てるんだけど……。
口には出せなかった。
そんなサヤを見て、ネルが口を開いた。
「あっは!久しぶりだねぇ?サヤちゃん?」
「うっせー。話しかけんなよ。」
「気持ちは、決まったぁ?」
「……お前。余計なこと言ったら、またぶん殴るから。」
「こっわぁ〜〜!!」
ネルは、ケタケタと笑っている。
しばらく間をおいて、話を始めた。
「さてぇ。冗談はこのへんにしておいてぇ~。」
「……冗談だったのか?」
「んふふ~。アイスブレイクってやつぅ?」
「……笑えねぇ。」
ネルの表情が、少しだけ締まった。
その瞬間、研究室の空気が冷えるのを感じた。
「さて、始めようか。」
ネルの口調が、変わった。
「今日は、かなり嫌な話になる。」
「……。」
「二人は、覚悟して聞いてね。」
ネルがモニターを操作した。
波形のグラフが表示される。
「今、ジュディの体の中には、アルト・フェルンという別の意識がある。」
「……。」
「で、そのアルトの意識が大きくなってる。代わりに、ジュディの意識が圧縮されてる。」
カイラの顔が、強張った。
サヤは、黙って聞いている。
「これを便宜上、今は上書きと呼んでる。このまま進行すると——」
ネルが、少しだけ間を置いた。
「ジュディは消えて、アルトになる。」
「……。」
「もっと分かりやすく言おうか。このままだと、ジュディはね……」
「——確実に、死ぬ。」
沈黙。
カイラの目が、揺れた。
唇を噛んでいた。
「……嘘でしょ?」
「今、ここで、私が嘘を言うメリットがあると思う?」
「嘘だよ……。だって、ジュディは——」
「カイラ。」
俺は、カイラの名前を呼んだ。
カイラの目に、涙が溜まっていた。
「……本当、なの?」
「……あぁ。大筋はもう、分かってた。」
「なんで……なんで言ってくれなかったの……!」
「……ごめん。」
——ペチッ。
頬に、衝撃が走った。
触れる程度の、衝撃。
でも、なんだかとても痛かった。
サヤが、こちらを見ていた。
「……サヤ?」
「ごめん、じゃねーだろ。」
サヤの声は、怒っていた。
でも、いつもの怒鳴り声じゃなかった。
震えていた。
「約束したよな?分かったら話すって。」
「……あぁ。」
「あの時にはもう、知ってたんじゃねーのか?」
「……二人に、そういう顔を、させたくなかった。」
「一緒に、背負わせてはくんないの?」
「……。」
「私たちは、あんたの、何だ。」
その言葉で、何も返せなくなった。
「……ごめん。」
「だから、ごめんじゃねーっつってんだろ……!」
「ストップ。」
ネルが、静かに割って入った。
「気持ちは分かる。でも、そういうのは後にして。」
「……。」
「……あー、やっぱり言っておこうかな。」
ネルは、頭を掻きながら二人を見た。
その瞳には、確かに何かの感情があった。
「お前たちさ。ジュディ自身が、動揺してないわけないだろ?」
「……。」
「なんで、本人に突っかかんの?甘えすぎじゃない?」
「……ネル!」
思わず、ネルの名前を呼んでしまった。
気持ちは嬉しい。
でも、これは俺が受けるべき叱責だ。
「なに?」
「……黙ってた、俺が悪い。」
「……ジュディ。私は今、すごく機嫌が悪い。」
「……。」
「お前を大切にしない人達を、お前が大切にする理由がある?」
ネルの瞳に宿る感情が、やっと見えた。
それは、怒りだった。
たぶん俺のために、怒ってくれていた。
「……違う。」
「何が?」
「二人は、俺を大切にしてないわけじゃない。大切だから、怒ってるんだよ。」
「……。」
「気持ちは嬉しい。でも、これは俺達の問題だから。」
ネルが、目を見開いた。
そのまま深呼吸を数回し、二人に声を掛けた。
「……言い方は悪かった。でも、撤回はしない。」
「……。」
「怒るなとは言わない。隠してたジュディも悪い。」
「……。」
「でも、今ここで一番壊れかけてるのは本人だよ。」
二人は、ずっと黙っていた。
俯いたまま、動かない。
ネルが俺に向き直る。
「さて、ジュディ。生き残るための、お話をしよう。」
「……あぁ。」
「ブラックリストの件。勝手に行動したからには、収穫はあったんだよね?」
俺は、ガレスから受け取ったデータを端末に移した。
その端末を、ネルへと渡す。
「ハピレスの研究施設から、抜いたデータだ。」
「へぇ。バイオストーンに伝手があったとはね。」
「『プロジェクト・ミラー』。コピー召喚の研究記録だ。エルナを型にして、異世界から召喚した記録がある。……俺と、同じように。」
ネルの目が、光った。
「現場で接触した氷の魔法使い。あの子の識別番号はA-3R。エルナの複製召喚体だ。」
「……マジで?」
「マジだよ。」
ネルが、データを開き始めた。
目が、凄い速度で動いている。
「……まさか、ここまで進んでるとはね。二つの世界が写し鏡であること。世界の矯正力に関する記述もある。」
「あぁ。俺の上書きと、あの子の存在は繋がっていると思う。」
「そんなことは、ジュディから話聞いた時点で分かってたよ。」
「……え。」
「問題はどう繋がっていたか。それも、これでほぼ見えたかな。」
こいつ、やっぱ天才だわ。
そんなことを考えていると、奥の扉が開いた。
ゼノが、研究室へと入ってきた。
「話は聞いている。」
「盗み聞きかよ。趣味悪いぞ?」
「この会社は私の所有物だ。盗み聞きになどなるものか。」
「……え、なると思うけど。」
「……。」
……なんか言えよ。
ゼノが、俺の前に立った。
「ジュディ。アルカナは、この件に関してお前に全面的に協力する。」
「……なんでだよ?」
「利益があるからだ。」
「それは分かる。どんな利益なのか聞いてんだ。」
「言う必要はない。お前には、他に選択肢もないはずだ。」
「……。」
確かに。
一人でどうにかなる問題じゃない。
「乗るしか、ねーか。」
ゼノは静かに頷いた。
そのまま、ネルへと視線を移す。
「ネル。」
「はぁい。」
「得た情報をもとに、ジュディの解析を進めろ。」
「元々、そのつもりでしたぁ。」
「報告を怠るな。次はない。」
「……はぁい。」
ゼノは、それだけ言って部屋を出た。
相変わらず、最低限しか喋らない男だ。
——パンッ
ネルが、両手を叩いた。
「じゃ、今日のお話は終わりぃ。進展があったら連絡するねぇ。」
口調が、いつの間にか戻っている。
「よし。二人とも、今日はとりあえず帰ろう。」
「ジュディ。」
カイラが、静かに俺を呼んだ。
「……どうしたの?」
「……ごめんね。」
「俺も、ごめんな。帰ったら改めて、仲直りしたいな。」
「……うん。うん。」
カイラが、何度も頷いていた。
俺は、サヤに視線を移す。
「サヤも、黙ってて悪かった。」
「……うん。叩いて、ごめんな。」
「カプチーノ、買って帰るか?」
「……今日は、私が奢る。」
カイラとサヤが踵を返した。
二人が出口に向かう。
俺も、後に続こうとした。
「ジュディ〜。ちょい残ってぇ〜。」
ネルが、俺を引き留めた。
「カイラとサヤは帰っていいよぉ。一応、検査だけするからぁ〜。」
カイラとサヤが、顔を見合わせた。
「……検査って、何するんだよ。」
「血、抜いたり。あとは魔力測ったり。地味な作業だよぉ。」
サヤが、少しだけ眉をひそめた。
「……早く、帰ってこいよ。」
「……あぁ。」
「カプチーノ、買っておくから。」
俺は、頷いた。
カイラにも、声を掛ける。
「先に帰っててくれ。すぐ追いつく。」
「……分かった。」
「……ジュディ。」
「うん?」
「夜ご飯は、お肉にしよう。」
「はは。うん。楽しみにしてる。」
二人とも、まだ言いたいことはありそうだった。
でも、今は飲み込んでくれた。
二人は、静かに研究室を後にした。
しばらくの沈黙。
ネルが、椅子を引いて座った。
「さぁて、検査しよっかぁ。」
「……なんで、今なんだよ?」
「発作、起きたんじゃなぁい?」
「……。」
「血、吐いたでしょ。」
「……お見通しかぁ。」
「顔色見りゃ分かるよぉ。私を誰だと思ってんの?」
ネルが注射器を準備しながら言った。
「腕ぇ、出してぇ。」
「……へい。」
「血ぃ吐いたとこ悪いけど、献血多めに取るからぁ。」
「……死なない程度に頼む。」
「あっは!どうしよっかな★」
ネルがケタケタと笑う。
いつもの調子に戻っていた。
「ジュディ。」
「うん?」
「勝手に、死ぬなよぉ?」
「……あぁ。あんがとな。」
腕に針が刺さった。
不思議と、優しい痛みだった。
—
検査を終えて、アルカナを出た。
夕暮れのカルディア。
工房への帰り道。
一人で歩いていた。
早く、カイラとサヤに会いたい。
『よぉ。』
アルトの声がした。
(……出たな。)
『出たな、じゃねーよ。人を幽霊扱いか?』
(……似たようなもんじゃねーか。)
『はっ!違いねえな。』
アルトの声から、感情は読めない。
今は、一人になりたいんだけどな……。
しばらく、無言で歩いた。
(……アルト。)
『あ?』
(ハピレスって、知ってるか?)
『知らねぇな。』
(なんでだよ。バイオストーンお抱えらしいぜ?聞いたことぐらいあんだろ。)
『いんや。俺のいた頃は、少なくとも別の名前だった。構成員も知った顔はいねぇな。』
(……使えねぇ。)
『あぁ。似たもの同士じゃねーか?』
夕陽が、建物の隙間から差し込んでいた。
またしばらくして、アルトの声が脳内に響いた。
『ジュディ。』
(……あんだよ?)
『お前、ハピレスに潜入した時、見張りを助けたな。』
(……あぁ。それが何だよ。)
『何故、助けた?』
(はぁ?)
『……答えろ。大切なことだ。』
何が聞きたいんだ、こいつは。
でも、俺の中でそれらしい答えを持ってるわけじゃなかった。
(……人が死ぬとこなんざ、見たくねーだろ?)
『敵でもか?』
(そこ、関係あんのかよ。)
『……関係あんだろ。大ありだよ。』
(……。)
——ズクリ。
なぜか、胸が傷んだ。
アルトは構わず言葉を続ける。
『お前、生きるために行動してんだよな。』
(……お前もそれは分かってんだろ。)
『なら、あの行動は矛盾だらけだぜ。』
(さっきから何なんだよ。言いてぇことがあるなら、はっきり言えよ。)
『さっきから言ってんだろ。何故助けたんだ。』
(……なぜって。見たくねーからだって答えただろ。)
なんだんだ。
この問答に意味があるようには思えない。
ただ、アルトの声色は真剣だった。
『違うな。それは、お前の意思から出た言葉じゃねーよ。』
(……あ?)
『俺は、お前が甘いやつだとは思ってた。だが、今回は違う。甘いどころじゃねぇ。』
(……。)
『「そうしなければならない」。まるで、脅迫観念に囚われての行動に見えた。』
(んなことねーよ。あの時、そこまで考える余裕なんてなかっただろ。)
『そこだよ。ジュディ。』
(……。)
『お前は、深く考えず自分に不利益な行動を咄嗟に取った。そんな反射、人間じゃ普通はあり得ねぇんだよ。』
——なんだ。これ。
逆鱗の輪郭を、なぞられているような不快感。
こいつの言いたいことが、さっぱり分からない。
(……全然わかんねぇよ。ポエムが言いてぇんなら黙ってろ。)
『理解を拒絶しているうちは、話にならねぇな。』
(……あんまりイラつかせんなよ?こっちも余裕がない。)
『こっちのセリフだ。お前がそんな調子なら、俺はお前を——』
突如、声は聞こえなくなった。
……言い逃げかよ。
アルトの言っている意味が分からなかった。
でも、胸の中に残った不快感だけは、消えなかった。
工房の明かりが、見えた。
カイラとサヤが、待っている。
——考えるのは、あとにしよう。
今は、二人に会いたい。
俺は、扉を開けた。
「ただいま。」
第百八話、お読みいただきありがとうございます。
第一章、完結です。
テロ、氷の少女、上書き、ハピレス。
とにかく問題が山積みになる章でしたね。
次回から間章に入ります。
少しだけ、まったりしましょう。
明日も20:10にお会いしましょう!
ブクマやコメントをいただけると、アルトが続きを話してくれるかもね。
よろしくお願いします!




