第百二話「望まぬオーバーライド」
気が付けば、白い空間にいた。
ここに来るのも、一年ぶりか。
『よぉ。ボンクラ。』
「……。」
声のする方へ振り向く。
煙草を吸っている、アルトがいた。
相変わらず、人差し指と親指で摘まむ独特の吸い方だった。
「……その呼び方をしていいのは、一人だけだ。」
『なんだよ。連れねぇじゃねーか。』
「久々だよな。元気にしてたか?」
『っは!人の心配かよ。相変わらず甘ぇな。』
アルトは、煙を吐きながらこちらに歩み寄る。
見た目は俺に瓜二つだが、違う。
こいつからは、なんというかカリスマを感じる。
同じ顔なのに、まるで別人だ。
「……俺がここにいるってことは、体はお前か?」
『いんや。お寝んねだ。だらしねぇことにな。』
「……そうか。じゃあ、起きるだけだな。」
俺は、アルトを横切り前へ進もうとする。
アルトに道を遮られた。
『……待て。』
「……なんだよ?」
『ちょっと、やべぇ状況かもしれねぇ。』
「あ?」
『俺の意識が、デカくなってる気がする。前より、ずっと。』
「……。」
『お前の記憶も、感情も、さっきからやけにクリアに見えてる。今までの比じゃねぇ。』
アルトが、自分の手を見つめた。
白い空間の中で、その手が妙にくっきりと見えていた。
『何が起きてるのかは、俺にも分からねぇ。ただ、嫌な予感がする。』
「……。」
具体的に何がどうなっているのかは、アルトにも分かっていないらしい。
ただ、こいつの勘は信じていい。
なんとなく、そう思った。
「なんか、心当たりあんのか?」
『おそらく、トリガーはあの魔法使いとの接触だ。』
「……エルナか?」
『違ぇよ。エルナじゃねぇ。まずはそこを切り離せ。』
アルトの声が、一瞬だけ低くなった。
エルナの名前が出た時、こいつの目がわずかに揺れた。
一瞬だった。
すぐに、いつもの顔に戻る。
「じゃあ、あいつは誰なんだよ?」
『おそらく、腹違いの妹だな。間違いねぇ。ヴェルトは、ああ見えて絶倫のはずだ。』
「適当こくなよ。分からねぇなら、素直に分からねぇって言え。」
『あぁ、分からねぇ。』
「……。」
『ただ、あの魔力はエルナに似てた。それだけは確かだ。』
アルトが、白い空間の天井を見上げた。
天井なんてないのに、そうする仕草が妙に人間くさかった。
『接触した瞬間、俺の中で何かが弾けた。お前の記憶も感情も、一気にこっちに流れ込んできた。』
「……それって。」
『逆もあっただろ?俺の記憶がお前に流れたはずだ。』
「……あぁ。」
さっき頭に流れ込んできた映像。
雨に濡れる街。小さいエルナを見下ろす視線。
あれは、アルトの記憶だった。
「で、それの何が問題なんだよ?」
『問題は、俺の意識に比例して、お前の意識が小さくなってることだ。』
「あ?」
『だから、言っただろ?何かやべぇって。』
「……。」
アルトの意識が大きくなり、比例して俺の意識が……。
その先に待つものは、なんとなく想像がついた。
「……お前は、どうしたいんだ?」
『あ?』
「このまま行けば、お前は生き返れるかもしれねぇぞ?」
アルトが、しばらく黙った。
それから、鼻で笑った。
『馬鹿かお前。俺はもう死んでんだよ。』
「……んなこと、知ってるよ。」
『いいか?俺は、間違った選択も含めて俺として死んだんだ。』
「……。」
『それを、誰にも否定なんざさせねぇ。クソくらえだね。』
「誰も、否定なんてしてねぇだろ?」
『いや?それでテメェが死んだんじゃ否定されたも同然だ。』
「あ?」
『お前は、俺が庇ったエルナが託した命だろ?』
「……。」
『テメェが、生きるんだよ。』
その言葉に、嘘はなかった。
少なくとも、俺にはそう聞こえた。
『……とにかく、起きたらあのネルとかいう研究者に診てもらえ。』
「っは。お前、案外人を頼るタイプなんだな。」
『うるせぇ。頼ってるわけじゃねぇ。利用すんだよ。』
白い空間が、揺らぎ始めた。
目覚めが近いのだろう。
「アルト。」
『あん?』
「……サンキュー。」
『止めろ。男に惚れられても、いいことなんざなかったぜ。』
アルトが背を向けた。
その背中が、少しずつ薄くなっていく。
『——生きろよ。ジュディ。』
声だけが残った。
白い空間が、溶けていった。
—
「ジュディ!」
声が聞こえた。
甲高い、聞き覚えのある声。
俺は目を開けた。
天井が見えた。見慣れた天井。
「……ここは?」
「第七研究室だよぉ~。マジ、焦らせんなよぉ~。」
ネルが俺の顔を覗き込んでいた。
眼鏡の奥の目が、いつもより少しだけ真剣だった。
「……ネルが心配するとはな。」
「研究ぅ~。頓挫したらゼノ社長に殺されるぅ!」
「……ですよね。」
体を起こす。
頭が重い。鈍い痛みが残っている。
だが、動けないほどではなかった。
「何があった?」
「ジュディがぁ~。現場で倒れたんだよぉ。ジャスが担いできた。」
……ジャスに感謝だな。
あとで礼を言おう。
「で、ネル。」
「うん~?」
「天才なら、もう大体状況掴めてるよな?」
「あっは!言うねぇ。」
「じゃあ、頼む。」
「でもぉ、うーん。どこから話そうかなぁ~。」
ネルが端末を操作し、モニターにデータを表示した。
波形のようなグラフが二つ並んでいる。
「これがぁ、前回のスキャンデータ。で、こっちが今回。」
前回のグラフは、大きな波形の中に小さな波形が収まっている。
今回のグラフは、小さい方の波形が明らかに大きくなっていた。
「大きい方がジュディ。小さい方がぁ~、アルト。と仮定する。」
「仮定?」
「今のところ、こっちからアルトの意識に直接アクセスする手段がないからねぇ~。波形の動きから推測してるだけぇ。」
ネルが、ペンでグラフを指した。
「前回から比較すると、アルトの波形が約三十パーセント増大してる。」
「……三十パーセント。」
「でぇ、その分、ジュディの波形がぎゅ〜って押し潰されてる。」
「……。」
アルトが言っていた『意識の増減』。
こうして数値で見ると、笑えなかった。
「……これ、どういう状態なんだよ。」
「ざっくり言うとぉ。ジュディの意識の領域が、アルトに食われてる。」
「食われてる?」
「上書きだよぉ。アルトの意識が、ジュディの意識を塗り替えようとしてる。」
上書き。
その言葉が、胸に刺さった。
俺が、俺でなくなる。
キムラ・ジュディが、アルト・フェルンに塗り替えられる。
「……冗談だろ。」
「あっは!冗談にしとくぅ?」
「……。」
ネルが、ペンを回しながら続けた。
口調が、変わった。
「これは世界の矯正力、とでも言うべきものだと思う。」
「……矯正力?」
「本来この体にいるべきはアルトだった。世界がそれを正しい形に戻そうとしている。」
「……俺を消して、アルトに戻すってことか。」
「んー。ジュディの存在は世界にとって『エラー』だからね。エラーを修正しようとする力が働いてる。そう考えると辻褄が合うかな。」
……くそ。
やっと、自分の居場所を見つけた矢先にこれかよ。
まさか、世界から否定されるなんてな。
凹むどころの話じゃない。
「正直、放っておいたらどうなるかは、分かんない。」
「原因は、わかるか?」
「……倒れる直前にジュディの魔力値が異常に跳ね上がってる。何かと接触した?」
「……あぁ。」
俺は、少しだけ迷った。
エルナに似た少女のことを、どこまで話すべきか。
「現場に、魔法使いがいた。氷の魔術を使う、若い女だ。」
「ほぉ?」
「手首を掴んだ瞬間に、頭の中にアルトの記憶が流れ込んできた。」
ネルの目が、光った。
こういう時のネルは、研究者の顔をしている。
「その魔法使いの見た目はぁ?」
「……。」
「ジュディぃ?」
「……エルナに、似てた。」
ネルが、しばらく黙った。
いつもの笑みが、少しだけ消えていた。
それから、ゆっくりと椅子に座り直した。
「そりゃあ、面白いねぇ。」
「面白い?」
「研究者としては、かなりワクワクだよねぇ~。」
「……。」
「エルナに似た魔法使いとの接触で、アルトの上書きが加速した。」
「……あぁ。」
「二つの事象に相関があるとすれば——」
ネルが、自分の顎を指で弾いた。
「何らかの魔力的な共鳴が起きた可能性がある。エルナと同じ魔力構造を持つ存在との接触が、アルトの意識を刺激した。」
「……つまり、あいつに近づくほど俺は危ないってことか?」
「かもねぇ。逆に言えばぁ~、あの子の正体が分かれば対策も立てられるかもしれないけどぉ~。」
ネルが立ち上がった。
そのまま背筋を延ばして、肩をポキポキと鳴らす。
「とりあえずぅ、今日はもう帰んなよぉ。データは私が解析しとくからぁ。」
「……あぁ。」
「あ、あとぉ。」
「なんだ?」
「ゼノ社長には、私から報告するからぁ。余計なこと言わなくていいよぉ。」
ネルにしては珍しく、気を遣った言い方だった。
……いや、こいつの場合は自分の研究を守りたいだけかもしれないが。
「助かるよ。ネル。」
「んふふ。じゃあくっついてもいぃ~?」
「それは、もうちょっと積んでから。」
「……ちぇ~~。」
—
第七研究室を出て、廊下を歩く。
アルカナ本社の廊下は、いつも静かだ。
窓の外には、カルディアの夕焼けが広がっていた。
……あの子。
俺は、あの子をエルナと呼んだ。
そう呼んでしまった。
あいつが何者かも知らないまま。
エルナは死んだ。三年前に。
それは、変わらない事実だ。
なのに俺は、似た顔を見ただけで名前を叫んだ。
あれは、希望じゃない。
ただの、未練だ。
『まだ、んなこと悩んでんのかよ?』
——っ。
立ち止まった。
声が、頭の中から聞こえた。
(……あ?なんで……。)
『意識がデカくなった影響だな。境目が薄くなってる。』
(マジ、気持ちわりぃ……。)
『こっちのセリフだ。野郎と脳みそのシェアなんざ、全裸でカルディア闊歩しろって言われたほうがマシだぜ。』
(……どっちもどっちじゃねーか?)
『ただ、ずっとこうってわけじゃなさそうだな。今はお前の意識が薄いから、声が届いてるだけだ。』
(……くそ。マジでヤバいんじゃねーか?)
『そう言ってるだろうが。どちらにせよ、まずは原因究明だ。』
廊下の窓際に、背を預ける。
夕陽が、目に沁みた。
(……ネルの研究を待つだけじゃ、足りねぇな。)
『じゃあ、どうすんだ?』
(……あ?)
『あ?じゃねーよ。ネルっていう女の助け待つだけか?今度くっつかせてやれよ。』
(いつも一言多いんだよテメェは。)
『いいから。どうすんだよ。』
(……あの子の正体を調べる。アッシュガードは論外だ。ってなると、バイオストーンに接触するのがいいかもな。)
『何かあるって言い方だな。』
(あぁ。一人心当たりがある。)
『……。』
(ダン・ベルン。元アルカナ社員で、今はバイオストーンに務めてる。)
『……なるほどな。』
(あいつなら、バイオストーンの内部情報に近い位置にいるはずだ。)
『信用できんのか?』
(少なくとも、嘘はつかねぇ男だよ。)
『……へぇ。お前がそこまで言う奴か。』
俺は、窓から離れた。
脳内通信を起動する。
——ダンへ、通信を入れた。
第百二話、お読みいただきありがとうございます。
脳内同居人、始まりました。
プライバシーとは。
明日も20:10にお会いしましょう!
ブクマやコメントをいただけると、アルトが黙ってくれるかもしれません。
多分、黙りません。
よろしくお願いします!




