第百一話「氷の少女」
少女が、そこに立っていた。
銀に近い灰色の髪。
俺が忘れられるはずのない顔。
——エルナ。
頭が真っ白だった。
何が起きているのか、分からない。
死んだはずだ。三年前に。
俺の目の前で、あいつは死んだ。
……死んだ、んだよな?
「エルナ……なのか?」
「……エ、ルナ?」
少女が、そう言って首を傾げる。
表情が、動かない。
ほんの一言なのに、声まで似ていた。
——ズクン。
胸が、痛んだ。
この顔を、忘れるはずがなかった。
「お前……生きて——」
——カァァァン。
空気が、凍りついた。
目の前に、氷の刃が展開される。
「——っ!」
咄嗟に横へ飛んだ。
氷の刃が、俺のいた場所を貫いた。
地面が凍る。空気が白く曇る。
氷の魔術。
エルナと、同じ。
少女が、杖を構えていた。
その構え方すら、エルナに似ていた。
「待ってくれ!俺は——」
——カァァァン。
二発目。
今度は横薙ぎ。
俺は銃を構えたまま、後退する。
撃てなかった。
引き金に指をかけているのに、引けない。
頭では分かっている。
こいつがエルナであるはずがない。
——でも、顔が。声が。あいつの……。
「ジュディ!何をしている!」
ジャスの声が、背後から飛んできた。
俺は振り向かず、少女を見据える。
「応戦しろ!敵だ!」
「……違う!こいつは——」
「落ち着け!」
ジャスが俺の前に出た。
レーザー球体が、少女を牽制するように展開される。
「……見た目に惑わされるな!エルナは死んでいる!」
「じゃあ、目の前のあいつは誰なんだよ!」
「俺が知るか!だが今は集中しろ!」
「……。」
「しっかりしろ!キムラ・ジュディ!」
——分かっている。
分かっている。
エルナは、死んだ。
デスに、殺された。
俺の目の前で、首を落とされた。
あの日のことを、忘れたことは一度もない。
「……くそったれ。」
俺は息を吐き、銃を構え直した。
手は、まだ震えていた。
「正体は分からない。だが、捕獲してしまえば真相に近づける。」
「……あぁ。そうだな。」
「俺が前から牽制する。お前は回り込め。」
ジャスが、即座に指示を出す。
こういう時、こいつの判断には迷いがない。
「ふぅ~~~。了解。」
ジャスのレーザーが走った。
——ピュン、ピュン。
少女は杖を振り、氷の壁を展開。
レーザーが氷壁に当たり、弾ける。
——その隙に、俺は動いた。
両足に電撃を纏い、崩れかけた建物の裏へ回り込む。
少女の視線は、ジャスに向いている。
ジャスが球体を三つ同時に動かし、左右から挟む形でレーザーを放つ。
少女が氷の刃で応戦する。
——カァァァン。
氷とレーザーが交差する。
白い粉塵が舞った。
——今だ。
俺は瓦礫の陰から飛び出し、少女の背後に回った。
銃は構えない。捕獲だ。
少女が振り返る。
遅い。俺の方が、一歩早い。
俺は少女の手首を掴んだ。
——瞬間。
「——っぐ、あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「——っ!?」
頭が、割れた。
——雨に濡れる街。
——俺を見上げる小さいエルナ。
——知らない場所。知らない匂い。知らない声。
——『お前が、エルナ・クロイツか?』
誰かが、エルナの名前を呼んでいた。
俺じゃない。
俺の声じゃない。
でも、俺の口から出ていた。
——『俺の理屈だよ。従えバカ。』
知らない記憶が、頭の中を駆け巡る。
止まらない。止められない。
——笑っているエルナ。
——泣いているエルナ。
——怒っているエルナ。
全部、知らない。
全部、俺のものじゃない。
——アルト。
お前の、記憶か。
「がっ——」
膝が、折れた。
手首を掴んでいた手が、離れる。
地面に、崩れ落ちた。
視界がぐにゃりと歪む。
吐き気。頭痛。何もかもが遠くなる。
「ジュディ!」
ジャスの声が聞こえた。
遠い。近いはずなのに、遠い。
——少女も、同じだった。
掴まれた手首を押さえ、よろめいている。
その顔に、初めて表情が浮かんでいた。
「……っぐ。」
苦しそうだった。
胸を押さえていた。
——けれど、少女の方が先に動いた。
後退する少女を、ジャスが追おうとした。
——カァァァァァァァン。
空気が震えた。
俺とジャス、少女の間に巨大な氷壁が出現した。
地面から高くせり上がり、視界を完全に塞ぐ壁。
先ほどの攻撃とは、規模が違う。
この一撃だけで、少女が普通の魔術師でないことが分かる。
「くそっ——!」
ジャスのレーザーが氷壁に当たる。
表面がわずかに削れる。
だが、壁は崩れない。
俺は、壁の向こうを見ようとした。
氷壁は半透明で、わずかに向こうが見える。
少女が、よろめいている。
その体を、緑色の腕章をつけた兵士が支えていた。
少女は、アッシュガードの所属なのか?
少女が、兵士に肩を貸されながら離れていく。
「待て……!」
声を絞り出す。
体が動かない。
頭の中で、まだアルトの記憶が暴れている。
「待ってくれ……!」
立ち上がろうとした。
膝が笑っていた。
それでも、壁に手をついて立ち上がる。
少女の姿が、小さくなっていく。
「——エルナ!!!」
叫んだ。
声が、裏返っていた。
少女が振り返ったかどうかは——分からなかった。
視界が、暗転した。
——意識が、途絶えた。
第百一話、お読みいただきありがとうございます。
氷の少女。
エルナと同じ魔術。エルナと同じ顔。
でも、エルナは三年前に死んでいる。
……どういうことなの?
次回は、いつも通り明日の20:10に更新予定!
ブクマやコメントをいただけると、氷壁くらいなら溶かせます。多分。
よろしくお願いします!




