#4-9
天空が振り返れば、戸口に一人の男が立っていた。腰ほどもある長髪を頭の後ろで纏めた、若者と中年の間のようなつり目の男だった。
「ほ、堀田? お前なんで……!?」
組長らしき男が言った。
「たまたま通りかかったら騒々しかったんで、確かめに来たんですよ。長森の旦那」
堀田と呼ばれた男は、ブルーグレーのワイシャツと黒いジーンズでほっそりした体を包んでいた。青のネクタイを結び、黒革の手袋をはめ、背の高さがひょろ長い印象を抱かせた。
「あれだけの人数が死屍累々としてたんだ。てっきりどこかの組織か、イカレ野郎でもカチ込んできたのかと思ったんだが……おったまげましたよ、不届き者が廻元者の女だったなんて。しかも、まだ二十歳も行ってなさそうな生娘じゃあないですか」
と、堀田は天空の周囲を周り、全身をくまなく観察してきた。湿っぽい視線で値踏みするようになぞられ、天空は本能的な嫌悪を覚えた。
「あんたも長森組のメンバー?」
睨み返すと、堀田は立ち止まった。
「いいや。俺は奥羽龍王会、直系犬渕組でカシラやってる堀田実廣《みつひろ》ってもんだ。お前、どこの人間だ。誰の差し金でここに来た?」
「誰の指図でもない。そこの西宮って廻元者に文句を言いに来ただけです」
「へぇ、長森組も廻元者を入れたんですか? その割には、女一人にボコされてるみたいですけど」
彼が言うと、長森は跪き、
「たっ、助けてくれ堀田! そいつをぶちのめしてくれぇ!」
と、堀田のジーズンの裾にしがみついた。容姿からして堀田の方が年下だろうに、親分までとことん情けない組だ。
擦り寄る長森を、堀田は冷酷な眼差しで見下していた。
「ふーっ」
堀田は深く息を吐き、
「……いいねぇ……」
その相貌に、狂喜を滲ませた。
「ククッ……長森さぁん! あんたいいよぉ! 哀れな羊が助けを乞うその顔、しかも部下たちの真ん前で!!! 最ッ高に情けねぇぜあんた! ハハハハッ!!!」
「うぶっ!」
革靴で長森の頭を踏みつけ、床にキスさせる堀田。
「いやねぇ、俺はあんたみたいな人間が苦しそうにしてる顔が見たくてヤクザになったんですよ。大声で吠えるだけの身の程知らずとか、ちらちら人の顔色ばっか窺う根暗とか、脳みその足りない馬鹿とか。そういうどうしようもない奴が『上』の人間に痛めつけられて、追い詰められて、泣き喚くザマを。旦那ァ、まったくもってあんたは逸材だ。小物のくせして粋がっちゃいるが、いざ自分が苦しくなれば、こうして俺にピーピー引っついてくる。それが見れただけで十分だよ! お望み通り、あんたを助けてやる」
堀田はクレーンゲームのレバーをいじるみたく、長森の禿げ頭をぐりぐりとねじり回した。力任せに操作され、床に隠れていた長森の顔が露わになった。屈辱と恐怖に歪んだ顔が。
(うわ、なんなのこの人……)
天空は眉間に皺を寄せた。西宮も、他の面々も同様だった。
この男、人を踏みにじって愉しんでいる。それが自分にとって当然の権利だというように。
「けど、ちょっと言葉が足りないよな? 人にものを頼むときはどう言うんだっけ? ん?」
彼は吊り上げた唇を下げ、長森に問う。足先がいっそう深く食い込む。
「お、お願いします……」
「アァーー聞こえないなァ!!! もっとオォきな声で言えよゴラァ!!!」
「お、お願いします! 助けてくださいィッ!」
長森は半狂乱で叫んだ。もはや外から攻め入ってきた天空よりも、同胞であるはずの堀田を恐れているようだ。
「よーくできました……ってことで、」
長森でひとしきり遊び倒した堀田は、天空に向き直った。
「おォい女ァ!!! 龍王会の事務所でよくも好き勝手してくれたなァ! てめェはこの俺がブッ殺してやるよォ!!!」
ビル中にこだまする大声。長森組と違い、天空に怯みもしていない。
「その呼び方はやめて。あと、長森組じゃないなら、この件にあんたは関係ないはずだけど」
「関係あるかどうかなんて関係ねェんだよォ。てめェみたいなのに組をめちゃくちゃにされたんじゃァ、龍王会の沽券に関わるんだ」
すると堀田は、ジーンズのポケットに差し込んでいた物を引き抜く。液晶付きの黒い本体に、アンテナが一本伸びている。携帯電話――いや、そんなものがこの町にあるはずがない。ということは。
「さあ、教育の時間だ」
中空に浮かぶのは「Ta」の二文字と、ネジや骨のようなパーツ。それらが堀田の肩や肘、腰や膝に装着されると、彼の衣服は青黒いガウンに早変わりする。
手術着とも、裾長の拘束衣ともつかぬ励起態。いずれにしても、ネジ型のスタッズが並ぶ衣装はこの上なく禍々しい。
「女とやり合うのは久しぶりだなァ……おい! お前ら手ェ出すんじゃねェぞ! 興が醒めちまうからなァ」
首まで覆うスカーフ越しに堀田は言う。右に握るのは節で分かれた鞭。メタリックなそれを、彼は手首を使って体の横で回し始める。
「俺の『タンタル』の力で、お前を泣かせてやるよ」
始めは遅く、しかし徐々に早まる回転。プロペラみたく振るわれる鞭に、天空は壁に追い込まれていく。なにしろリーチが長く、速い。巻き込まれただけで首が飛びそうなほどに。
「なんであんたと戦わなきゃなんないの……!」
ほどなく天空の踵が壁につく、と。
――ビュオッ
ソニックブーム。
「!」
眼球狙いの軌道に、顎を引く。先端が風を吹かせ、角膜の水気を飛ばす。
的を外した鞭は速度を保ち、使い手の首に巻きつく。今だ、と天空は飛び込みかける。
「――うッ!?」
右頬の激痛。
返しで放たれた二発目は、天空の横っ面を穿った。
見えなかった。あまりに速すぎる。
首が左へ持っていかれる。立て直さねば。
鞭が一回転し、腕が上がる。上から振り下ろす気だ。
――ヒュオォンッ
「うぅッ!」
斜め上から落ちる鞭をガードする。しかし輪が防いだのは、鞭の中間部分。その先端は、天空の左手首にダイレクトヒットしていた。
痛い。でも我慢だ。この状況は逆に好機。
タックルし、胸に右輪を叩き込む。一瞬頬を引きつらせる堀田。手応えあり。
「ぐおっ、ごふぅッ! ゴハアッ!」
右、左、クロス斬り。水平斬りに踏み込み斬り。反攻の隙を与えないよう、徹底的にコンボを繋いでいく。
思った通り、この範囲なら鞭の長さはかえって仇になる。大振り過ぎて手前に対処しづらいからだ。天空が小柄なのも有利に働く。小回りと速さで押し切れば、この勝負は勝てる。
両輪で上腹を削るついでに、切っ先を擦り合わせる。左右に開いてとどめの一閃を――。
「お前さ、」
出しかけて、右輪の刃先を握られる。
「どうして俺がやり返さないと思う?」
「な!?」
抜こうとしても抜けない。熱くなっているはずなのに、堀田は涼しげに刃を掴んでいる。
「やり返さないのはな、とっくに俺の勝ちが決まってるからだよ。いや、そもそも勝負にすらなってないんだ」
虫の羽ばたきのような音。堀田の袖に、青白い光が走ったように見えた――まずい!
「お前が殴ってくれたおかげで、俺の体にたんまり貯まったんだよォ! 『電気』がなァ!!!」
天空が武器から手を放した、刹那。
――バヂジジジジ!
大電流が、駆け抜ける。
「は――」
白昼と化す景色。
指先から全身へ、駆け上る痛覚。
気づけば天空は、床に倒れ込んでいた。
「……! ……!?」
鉄の味が舌にこべりつく。体中が痛い。熱い。
「直に受けるのは避けられたようだが、モロ喰らいには変わりねェだろォ。痛ェよなァ? なのに喋れねェよなァ? そいつは筋肉が固まって動かせねェからだよ。感電したときってのは、漫画みたいな悲鳴は出せないもんだ。だから誰かがうっかり電線に触っちまっても、周りは異常に気づけなかったりする。感電してる奴は声を出したり動いたりできないんで、はたからすりゃ黙って突っ立ってるようにしか見えねぇんだ……何が言いたいかわかるか? 俺はてめェに何もさせずに、てめェをブッ殺すことができるってことだァ!!!」
「――ッ!?」
鞭が打ちつけられる。頭に胸、腹に脚。至るところに何度も、何度も叩き込まれる。
堀田の服は帯電して、チリチリと火花が出ていた。その手から鞭に電気を流しているのだろう、打たれる度に痺れる激痛が襲った。
攻撃が来るとわかっていても、腕を曲げて身を守るどころか、身じろぎさえできない。大の字に手足を投げ出す天空は、床へ磔にされたも同然だ。
何より辛いのは痛みだった。能力のおかげで肉体は頑丈になっていても、鞭の痛みそのものはカットされない。痛みだけなら、腹を斬られたり顔を殴られたりするよりずっと激しかった。
「オラァッ! 叫べるもんなら叫んでみやがれッ!」
「ッ!? ッハァ!?」
声が出ない。苦痛でたまらないのに、喉も腹筋も動かず、掠れた空気だけが漏れる。
堀田の言う通りだった。勝負ではなく、一方的な拷問。彼ははじめから天空の力量を看破していた。殴られたのも、力を溜めるためにわざと受けていただけ。堅気と筋者では、踏んだ場数も鍛え方も違う。天空は所詮素人だ。自分の力ですべてを解決できるなど、浅はかな思い上がりだったのだ。
だがこの痛みは、自分自身が招いたことだ。いわば余計なことに首を突っ込んだツケ。それも承知の上で覚悟したはずだ。
「……やめろ」
集中を保てず変身が解けるが、責め苦は終わらない。励起態でない生身の体で、ますます強い痛みに苛まれる。
「ほらほら泣けよ! 声出して泣いてみせろォ! ヒハハハハ――」
歯を食いしばれ。涙を流すな、天空。
「やめろって言ってるだろ!!!」
「……あァ?」
堀田は腕を止めた。叫んだのは西宮だった。
「やり過ぎだ。これ以上甚振ったって意味ないだろ」
「なんだと?」
「抵抗できない人間をずっと痛めつけるのは下種のやることだ。ましてや女を」
西宮は天空を庇うように、堀田の前に割り込んだ。
「チッ、苛つくなァ……ヤクザのくせにいい子ぶってんじゃねェぞッ!」
「うあぁっ!」
西宮の片腕を、堀田は迷わずはたいた。
「下種で結構。極道は強さがすべての世界だ。強者には『下』の人間を支配する権利がある。お前もわかるはずだよなァ」
「……いいや、わからない。わかりたくもない、そんな世界」
それでも彼は倒れずに、天空を振り返った。
「あんたの言う通り、俺は馬鹿だったよ。こんな外道が住む場所に入門するなんて、間違いだったんだ」
「……にし、みや……」
痺れが多少収まってきた天空は、硬直した腹に最大限の力を込めて彼を呼んだ。危機的状況には変わりないのに、心は少しだけほっとしていた。
「はっ、そうかよ。だったらてめェも、大人しく食い殺されろォ!!!」
西宮の脳天へ、振り上げられる鞭。天空が声を張り上げようとした、瞬間だった。
「そこまでにしろ!」
響き渡った一喝に、静止する堀田。手持ち無沙汰な鞭がだらんと垂れる。
極道たちがざわついたのは、新たな人物が入室してのことだ。左目元、三本の爪で引っかかれたような傷跡が目を引く、オリーブ色のミリタリージャケットを羽織る男。
「い、犬渕……!?」
「おばんです、長森の親分」
取り乱す長森に、男は挨拶した。軽薄な笑みを顔に貼り付けて。
「よう堀田。こんなとこで会うなんて奇遇だな」
「組長……どうしてここへ」
気勢を削がれた堀田は、犬渕と言葉を交わす。彼が犬渕組のリーダーか。
「長森組の連中がうちのシマを荒らしたって、こいつが親切にも教えてくれたんだよ。なあ」
犬渕が言うと、ドアの陰からにゅるりと出てくる人が居た。
「い、いしずみ、さん」
言葉を絞り出す。伝手を頼ると言っていた石住だが、まさか犬渕のことだったのか。
「さっきぶりですね。帰っていたんじゃなかったんですか」
「あ、いや、その、」
訝る石住に、天空は横たわったまましどろもどろになった。
「シマ荒らし? どういうことですか」
「知らないのか。石住によれば今日の夕方、長森組が黒丸通りの店にみかじめせびりに来たんだとよ。しかも能力者を使って、店の酒をパクったと。えらく派手にやらかしたらしいぜ」
「……本当か?」
堀田は西宮を問い詰める。
「ああ。お前の力を見せろって、長森に命令された」
「……ほぉ」
答えを聞いた堀田はくるりと反転し、血の気の引いている長森にずかずか迫った。
「長森ィ、よくもぬけぬけと俺に助けを請えたもんだなァ……このくそったれがァッ!!!」
「ひっ、ひえぇぇぇ!」
ダンゴムシみたく体を丸める長森を、堀田は叩き始めた。今度は愉悦のためではなく純粋な怒りからの行動らしく、蓄えた電気が切れているのにお構いなしだった。
「てめェら如きが犬渕組に盾突くなんざ千年早ェんだよ! 身の程を知れ身の程を!」
「いだぁっ! ぐえぇっ!」
のたうち回る長森を、組員たちは助けようとしなかった。組長がこんな仕打ちを受けるなら、自分たちはもっと情け容赦ない目に遭わされると思っているのだろう。
「日陰で苔食ってるカタツムリみてェにのろまなくせによォ! そのまま腐葉土の中でじめじめ腐ってりゃいいものを、なに勘違いして日向に出てきてんだゴラァ! 下水でドブ漁りするネズミの分際でッ!」
「ひぎゃぁ! うげえぇ!」
「おい堀田」
「『下』なんだよおめェらは! 上から降ってきたクソをありがたくいただいて食い繋ぐ身分なんだよッ! それが理解できねぇなら嶌無ダムの底の底に叩き込んでやらァ!」
「ゆ、ゆるして! 許してくださぁいッ!」
「堀田! そこまでにしろって言ってるだろ」
犬渕は薄笑いを引っ込ませ、堀田を諫めた。
「組長、こいつは今まで何回もしでかしてきた奴ですよ!? ここで俺が躾けないで誰が躾けるっていうんです!?」
「すでに十分楽しんだだろ、お前は。これ以上暴れられたら話が進まねぇ」
「ですが……!」
「いいか、俺がやめろって言ったんだぞ。言うこと聞けるよな?」
重ね重ね窘める犬渕。語気こそ穏やかだが、眼光には気迫があった。
「……わかりました」
衣装が光り、堀田の服が元に戻った。長森はすっかり顔が腫れて、鼻血まで出していた。
「堀田が居るのも不思議だが、もう一つわからねぇことがある。鞄下げてる奴は長森組の能力者だとして、問題はお前が誰かってことよ。純白ワンピースのお嬢さん」
犬渕はこちらに寄ると、天空の顎に触れて上向けさせた。
「普通の人間で堀田のしごきを耐えられる奴は見たことがない。てことはお前、能力者だな。しかしまあ、可愛いこと。痛めつけられたのに涙の痕も無い。芯も強そうだ」
まじまじと見つめられ、天空は犬渕の腕を振り払った。対面してみて、彼の腹の内に底知れないものを感じたのだ。
「長森組を荒らしたのはそいつです。俺が行きがけに様子を確かめに来たら、そいつが長森のあほたれ共を追い詰めてたんですよ。理由は知りませんが」
「なるほどぉ。つまり、長森組は女一人にあそこまでけちょんけちょんにされたってことですかい。長森さん」
犬渕の言葉に、腫れて真っ赤だった長森の面持ちが苦虫を噛み潰したように青くなった。まるで信号機だった。
「こりゃいけないっすねぇ。長森組はたった一人に、しかも女にこてんぱんにやられたなんて噂が流れたら、組の面目は丸潰れだ。最悪、本家の看板にまで泥を塗ることになる。そうしたらあんたはどうなるでしょうねぇ――今回ばかりはかわせねぇぞ、お前」
「た、頼む……許してくれ」
「許す許さないは本家が決めることですよ。でもまあ、とりあえずうちのシマから盗ったもんは全部返してもらおうか。それと、今後一切うちに迷惑をかけないって約束も。返事は?」
「……はい」
脱力する長森。満足したのか、 犬渕は大きく背伸びをして腿をぽんと叩いた。彼は決して長森に暴力を振ることはしなかった。きっとそうする必要がないからだろう。彼は自分と相手の立場をよく理解しているのだ。
「こんな程度で済ませちまって、本当にいいんですか」
「ああ。どっちみちこの組は終わりだよ。ほら」
窓の隙間かどこかからやって来たのか、部屋に銀色の蝶が舞い込んできた。それは小さい翅を必死にはためかせ、西宮の指先あたりでホバリングを始めた。
「サツも来ることだし、俺らは帰るとするか。教えてくれてありがとなぁ石住。今度酒でも持ってくわ」
「お気持ちだけ受け取ります」
社交辞令をぴしゃりとあしらう石住。犬渕は跳ね上げ窓を開けたところで、天空に目配せし、
「またな」
と、三階の窓から外へ飛び降りた。堀田も舌打ちをひとつして、事務室から引き上げていった。
「さて、これでやっと一件落着ですね。まったく長い一日でした」
「石住さんって、ヤクザとも知り合いだったんですか。よく頼めましたね」
石住が差し伸べた手を握り、天空は起き上がる。
「頼んだんじゃありません。善意から忠告したんですよ。自分たちの領分を荒らされたら、どこの組であれ黙っているわけにはいかない。今回は犬渕組を利用させてもらいました」
「腹黒い言い方するなぁ」
まだこの男のことは読めないなと、天空は思った。表向きは人の好い、裏社会に精通した習字教室の講師なんて、それこそ妖怪めいていた。
「それじゃ、私もやりたいことやったし、お先します……」
「こら、待ちなさい」
よろける足でさりげなく帰ろうとすると、石住にワンピースの襟をぐわしと引っ張られた。
「傷の手当てをします。それから二、三ほどお説教も」
「……はい」
そう、彼は一応先生なのである。無謀な行いをした子供を叱るのは、教師の役目だった。




