#4-5
研究所から帰る道中、天空は石住に、先週研究所であったことを話した。一緒に帰る理由は別に無かったが、彼が自分から事情を聞きたがったのだ。
「ほう。つまりあなたは、特別な廻元者だと」
道の外側を歩く石住が言った。広い路面のど真ん中を、荷馬車が悠々と闊歩していった。
「うーん。廻元者なんですかねぇ、私。他人の力を借りてる感が拭えなくって」
廻元者が力に目覚めたときに生まれる力の欠片、「メモラビリア」。普通の人間がそれに触っても、特殊な力を使うことはほぼできない。しかし天空は、廻元者と同じように能力を発揮できる。ある種、異質な存在だ。
「厳密には違うんでしょうが、ややこしいですし、そう呼んでいいのでは? 現に能力が使えているわけですし」
「そうなんですけど、どうも引っかかるというか」
「廻元者の力の根源は『ログ』――脳に宿っている元素の記憶です。これは僕の推測ですが、東濃さんがウランの力を使えているということは、元々あなたが元素の記憶を持っていたか、メモラビリアに宿る力を最大限に引き出す才能がある、ということではないでしょうか。そうだと仮定した場合、疑問点はいくつか浮かんできますが、廻元者に限りなく近い存在には違いありません」
牛越にも似たようなことを言われた。だが彼は、外界の人間が廻元者になった例はないとも話していたから、自分がログを元々持っていた、すなわち最初から廻元者だったという線は消える。ということは、自分がメモラビリアの力を使えるのは単なる才能ということになるが。
(才能か)
水路に架かる橋の前で、ふと天空は足を止めた。
「どうしました?」
「……私って、今まで自分には何の才能もないと思ってました。けど、元素の力を使えることが才能だとしたら、とんでもなく物騒な才能だなって。よりにもよって、どうしてこんな力なんか」
ポケットに忍ばせたメモラビリアを、天空は取り出して眺める。緑の宝石をあしらった金色の鍵。この美しい小物には、人を殴って傷つける力や、硬い体を持った怪物をも貫き倒す、常軌を逸した力が込められている。研究所に行ってから一週間、結局天空はまだ、この鍵を手放せないでいる。
「なんだ、そんなことを気にしているんですか」
「なんだってなんですか。こっちは真剣に悩んでるんですよ?」
軽く流した石住に、天空はむっとする。
「悩む意味なんてありませんよ。もとより元素とは、人間の人生を翻弄し、命さえも容易く奪うもの。歴史上、ほとんどの元素は、多かれ少なかれ人を殺めてきました。僕たちはただ、その記憶を持っているに過ぎない。どこの家庭にも包丁の一本くらいはあるものです」
石住は何の気もなさげに言った。
「私が持っているのはウランの力です。たった一発で何万人も殺せる――殺した元素ですよ。家の包丁だとか、銃だとかとは訳が違います。そんな記憶が、力がこの鍵には込められてる。そんなものを理由もわからず渡されて、しかも使えてしまっていて……悩まないわけないじゃないですか。 私なんて、ただの無職なのに……なんで私にこんな……こんな力」
天空は一気にまくし立てた。こんなこと、無関係の彼に吐き捨てても無駄なのはわかっていたけれど、こみ上げてくるものを止められなかった。
原子爆弾。
原子の力によって、たった一つで都市を壊滅させるほどの凄まじい威力を発揮する兵器。どのような仕組みなのか、何故それが使われたのか、天空は知らない。だが、それがどれほど大きな惨禍をもたらしたかは、学校教育やメディアを通じて知っていた。
大勢の人々が巻き込まれ、凄惨な死に至ったこと。
生還した者でさえ、長きにわたって苦しんできたこと。
そんなものが大量生産され、世界中で脅しの道具にされていること。
一歩間違えれば、世界を滅ぼしかねないこと。
その爆薬に使われてきた物質こそ、ウラン。自分に託されたのと同じ力だ。
牛越は言っていた。廻元者の力は、その人が元素に対して抱くイメージに基づいていると。
すなわちそれは、自分がその気になれば原子爆弾の力を使えるということだ。
自分がこの町に呼ばれたことには、きっと何か意味があると思っていた。しかしその正体は、もはや自分の想像すら及ばないほどに巨大で、とてつもなく恐ろしいものである気がしてならくなった。自分のことを平凡でつまらない人間だと思っていた天空には、とても手に負えないほどに。
「東濃さん」
天空はすっかり両足がすくんでいた。眼鏡の奥に宿る石住の瞳は淀んでいて、理知的だった。
「あなたは自分の手が、血に塗れているように感じているんじゃないですか」
両手を確かめる。化粧っ気も、しみや傷もまったく無い手の片方には、鍵が握られている。
「ひとつ、社会科の話をしましょう。紛争鉱物という言葉をご存知ですか?」
彼はずれた眼鏡を指で押し上げた。
「……いきなり何ですか」
「まあ聞いてください。武力闘争などによって政情が不安定な地域では、貴重な鉱物資源が武装組織の資金源になっている場合が往々にしてあります。たとえば金や、スズなどがそうです。鉱床のある地域を占領した組織は、現地の住民を武力で脅し、強制労働させて資源を採掘します。年端もいかない子供でさえも危険な作業に駆り出し、ろくな報酬も与えない。そうやって得た鉱物を海外に流し、金に換える。その金でさらに武器を買う。多くの勢力が資源を狙って争いを繰り返し、無辜の人々が弄ばれる。中でもダイヤモンドは、紛争鉱物の代表格です」
彼は続ける。
「ダイヤだけではありません。エネルギー源として重宝される石油も、世界中で争奪戦が繰り広げられてきました。かつて日本が戦争を始めたのは、海外の豊富な石油資源の確保も目的だったといいますし、中東やアフリカなどでも油田を巡って争いが何度も起きています。石炭もそうです。産業革命が起こると、多くの子供が炭鉱や工場で重労働を強いられました。学校にもろくに通えず、危険な環境によって病気を患う子もいました。炭鉱事故も幾度となく起き、大勢が命を落としました」
「だから、それがどうかしたんですか?」
天空は苛立ちを孕んだ声色で言った。
「ダイヤ、石油、石炭。いずれも炭素の鉱物です。これらを求めて、人類は数えきれないほどの犠牲を出してきました。あるときは争いで、あるときは事故で。資源欲しさに危険を冒し、奪い合う。資源を利用して人を搾取し、殺す。その中軸にあった元素が炭素です。炭素を巡って犠牲となった命の数は、原子爆弾の犠牲者と同じか、それ以上になるでしょう」
「……」
「それだけに留まりません。化石燃料の採掘や大量消費は、環境汚染や温暖化といった数々の問題を生み出しました。その被害者は人間だけではない。地球上のあらゆる動植物も同じです。生息域を脅かされ、種の存続が脅かされるほど数を減らしているものもいます。僕が持つ記憶は、そうした何万、何億という生命の血で記されている――文字通り血に塗れているんですよ、炭素の歴史は」
炭素。すべての元素の中でも特に有名で、人間が生きるためにも欠かせない物質。一見すると穏やかで優しい印象を覚えるが、その陰にはおぞましい歴史がある。恐ろしい力を使えるのは自分だけではないのだ。
「ですが、僕は悩んではいません」
「え?」
石住は太陽に翳すように、さりげなく左手を掲げた。その中指には、ダイヤモンドの指輪がはめられていた。
「だってそうでしょう。僕は一度だって人を殺していないんですから。能力を持っているせいでトラブルに巻き込まれたことは何度もありましたが、力があったからこそ身を守れたのも事実です。炭素という物質も数々の災いを引き起こしはしましたが、そのおかげで人類の産業が大きく発展し、生活水準が上がったことに変わりはありません。ウランもまた、原子力発電という形で人の生活を支えています」
「そうかもしれないですけど……」
歯切れが悪い天空。彼の言うことも真実には違いないだろうけど、易々とは呑み下せなかった。
「要するに、ものは使いようだという話です。元素は人を殺す道具にも、助ける道具にもなります。大切なのは、使う側がどう使うか。それを間違えなければいいだけのことなんです。ですから、悩む必要なんてないんですよ。それでも悩むのであれば、あそこにでもメモラビリアを投げ捨ててしまえばいい」
と、彼はすぐそばの水路を指す。そこには存外綺麗な都会の水がさらさら流れていて、一つくらい物を投げ込んだとしても、すぐどこかへ運び去ってくれそうに思える。
天空は両手で鍵を包んで、橋の欄干に近づいた。そうしてしばらく立ち尽くした後、両腕を下ろした。
「捨てないんですか?」
「……わからない……けど、なんか嫌だなって思っちゃって…………あぁーもう!!!」
いよいよ我慢できなくなって、天空は癖毛気味の頭を両手で掻きむしった。
「わかんない! これを持ってるとすごく怖いって思うんです! 自分が何か酷いことをしちゃうんじゃないかとか、とんでもない陰謀に巻き込まれてるんじゃないかとか考えて、逃げたくてたまらなくなる! でも……手放したくないって、どこかで思ってるんです。初めて手に入れた、他の人には無いすごいものを、手放したくないって。あの子の頼み、ちゃんと果たしたいって……でもやっぱり怖いのも確かで。私、いったいどうすればいいの……!」
天空はしゃがみ込み、両膝を抱えた。石住は彼女に寄り添うことはせず、
「少しでも捨てたくないと思ったのなら、それは今の東濃さんに必要なものだということです」
と、橋の向こうへ歩を進めながら言った。
「どんなに恐ろしい力も、正しく使うことはできます。今はその方法がわからなくても、あなたなら道を踏み外しはしない。僕はそう信じます」
彼の言葉がどこまで本心なのか、天空には判断できなかった。彼は人の生き死にに関わることであっても、自分に関係のないことは軽く受け流す人物である。だから、こんな風に慰められるのは意外だった。上辺だけの気遣いかもしれないけれど。
「石住さんって、思ったより優しくはないけど、冷たくもないですよね」
天空は立ち上がり、一人で先を行く彼に小走りで追いついた。
「打算で動いているだけですよ。それに、落ち込んでいる知り合いを励ますくらいの良心は僕にもあります」
変わらず外側を行く石住の横に、天空は並んで歩いた。
天空と石住が北秋沙に差し掛かると、もう日が傾き始めていた。
町に来てすぐの頃は狭い土地だと思っていたが、徒歩であちこち移動するとなかなか時間がかかるものだ。おかげでますます体力がついてきた気がする。
「では、僕はこの辺で」
「あれ、石住さんの家ってそっちじゃないですよね」
石住が梁太とは違う方面へ曲がろうとしたので、天空は訊いてみた。
「黒丸通りによく行くバーがありましてね。今夜はこのまま呑み歩こうかと」
「お酒好きなんですか」
「嗜む程度には」
「まだお酒の時間には早いんじゃないです? お店も開いてますかね」
「少しくらいの融通は利かせてもらえますから。人に恩を売っていると、そういう得もあります」
「さいですか」
住み始めて実感していることだが、この町では外界よりも人と人との繋がりが深い。それは親愛や恨みなど多様だが、少なくともここでは、外界では失われて久しい隣人同士の人付き合いが残り続けている。それは単に、誰かと繋がらなければ生きていけない社会だからだろう。互いに助け合うことで、互いに得をする。そうして世の中を保っているのだ。ここで暮らしていく以上は、彼のようなしたたかさも見習うべきかもしれない。
バララララ!
どこからか大きな羽音が聞こえた。建物の向こうから鳥の群れが姿を現し、上空へ羽ばたいていくところだった。
「おやまあ、大きな群れですね」
右手をかざし、まだ青い上空を眺める石住。ざっと二十羽、いや、それを上回る大群が北へ向かって過ぎ去る。小鳥ではない。もっと大きくずんぐりとしていて――ずんぐり?
「……あれは……西宮の鳥だ……!」
天空ははたと気がついた。
「なんですって?」
「今の鳥、サイズ的に多分ハトです! しかも、体に青い靄がかかっているように見えましたよね。羽の色が青いんじゃなくて、フィルターを掛けてるみたいに不自然な青色なんです! 西宮が操るハトと同じように!」
それが出現したということは、彼がまたどこかで物を盗んだに違いない。それもかなりの数を。
とっさに群れを追おうと踏み出した天空は、「焦らないでください!」と石住に止められる。
「すでに群れは遠くに行っています。今から追うのは無茶です」
彼の言う通り、群れはもうかなり遠くの方まで移動していて、すっかり小さくなっていた。
「でも、ハトの行き先に西宮が居るかもしれませんよ! ハトに変身させた物が運ばれてくるのを待ってるはずです!」
「勘ですが、西宮は自分の近くにある物しか動かせないはずです。どこからでも思うままに物を取り寄せられるのなら、足がつくリスクを冒して商店街に近づき、売り物を盗む必要はありません。最低でも自分から見える範囲か、それよりやや遠くにある物にしか能力を適用できないのではないでしょうか」
石住の推論には確証が無いものの、的外れとも言い切れなかった。西宮の能力に制約が無かったとしても、あれだけのハトが飛んでいたのだ。かなり大胆な真似をしているはず。
「そっか……ってことは、ハトが飛び立った場所の近くに西宮が居る!」
「黒丸通りの方向です。行ってみましょう」




