再び王宮へ
「そろそろ王都が近いな。外の空気を楽しんでいる所すまないが、そろそろ窓を閉めてくれ」
窓の向こうで、王子が私に声を掛ける。王子が馬に跨っているのを見るのは初めてだけど、さすが将軍というか王子様というか、ものすごく様になっている。
「窓を閉めると少し息苦しい気がするんですよ」
「まあそこは我慢してくれ。一応君の身柄を預かっている以上、無暗に君の姿を晒す訳にもいかんのだ。君の顔を知るものが皆、好意的な訳ではないのでな」
「はあ」
開け放った窓の先には、王都の城壁が霞んで見える。
結局、私は王子の申し入れを受け入れて王都に向かうことにした。
王子はあくまで好意で申し出てくれたのだろうけど、この話にはおそらくデリックも関わっている。となれば何か裏があるはずで、何を企んでいるか位は知っておかないと、私はずっとこの男に振り回されたままだ。
領地にこのまま留まっても受け身である状況は一向に改善しないし、たとえデリックの掌の上で転がされているにしても、動けば何か予想外の変化が起きるかもしれない。
両親とルパートさんの消息。王妃様のこと。ローレリア軍やリチャードのこと。気掛かりなことも沢山あって、少しでも情報を得るのなら王都に行くのが一番良いだろうという打算もあって、私は今馬車に揺られている。
す、と手を伸ばし窓を閉めるデリック。
まあ、息苦しく感じるのはこの男が向かいに座っているのもあるのだけど。
私の横にいるお付きの女性は、普段は私の話相手になってくれるのだけど、今は小さく舟を漕いでいる。
窓に付けられた、小さなガラス越しの景色を眺めていると酔いそうになるので、仕方なく私は正面を向く。
デリックは以前と同じように、本心の見えない笑顔でこちらを見ている。
「……あなたの思惑通りで、満足ですか」
デリックは、おや、といった反応で、
「私とは、口を聞かないおつもりだったのではないですか?」
「そのつもりでしたが、口も心も、閉ざしていては何も動きませんから」
「賢明なご判断だと思います」
言葉ほど感心する様子もなく、デリックは答える。
「これから、私はどうなりますか」
「しばらくは、王宮に滞在して頂くことになります」
「その後は?」
「今の予定では、近々本国から来る王子達に身柄を引き渡すことになるかと思います」
「王子?ルーファス王子の、お兄さんとかいう」
あまりまともそうでない感じの、あれか。
「そこで、私のための舞台を整えているということですか」
「……舞台の準備は、まだ出来ていません。少しばかり演目と配役に変更がありそうですので」
「変更?」
「私にもどう転ぶか分からない所もありましてね。前にも話しましたが、貴女の役目も変わるかもしれません」
どうもこの人の話は抽象的過ぎて分かり難い。
「ただ、良かれ悪しかれ、これから貴女の身の周りは少々騒がしくなるでしょう。充分にご注意を」
一番の要注意人物はあなただと思いますが。
会話はそこで終わり、あとはデリックも私も王宮に入るまで口を閉じたままだった。
……王宮に来るのは、何か月ぶりだろう。二度と戻ることはないと思っていたのだけど。
馬車を降り、王子やデリック、侍女達に付き添われて入った王宮は、最後にここを出た時とあまり変わり映えしなかった。相変わらず中はだだっ広いし、人も多い。ただ、貴族然とした姿はほとんど見られず、歩き回る人の多くは私とあまり変わらないような格好をしているし、そこには見知った顔はない。他にもよく見てみると、以前会った豪華な調度品などは取り払われ、機能性重視の部屋に模様替えされている。
「どうだね。グレイスさん」
「……以前よりは、居心地良さそうです」
「それは良かった」
王子は相好を崩す。
「長旅で疲れたろう。とりあえず体を休めておくと良い。部屋は……、以前使っていた部屋があったのだったか」
「鍵が」
「鍵?」
「以前、ローレリアの王子と騒動があった際に、鍵を壊されまして」
「そうなのか?」
王子が傍にいる使用人らしき男性に聞く。
「鍵もですが、その部屋は今は使えません」
「どうして」
「部屋の中が酷く荒らされておりまして。申し訳ございませんが、他の部屋をお使い下さい」
「荒らされて、いるのですか?」
「どうやら火で焼いたような跡もありまして。今は人手も足りませんし、部屋には事欠きませんので後日修理をしようかと」
「すみませんが、部屋を見せては頂けませんか」
「は。いや、とても今は人が寝泊まりできるような」
「部屋は別で構いません。どう荒らされているか、見たいのです」
そう言って、かつての部屋へ向かう。
「いや、今はご覧になられぬ方が」
歩を進める私を押し留めようと、男が前を塞ぐ。
「やめておけ。殴り飛ばされるぞ」
王子が男を心配して声を掛けるけど、私、そんなむやみやたらに手を出したりしませんよ。
男の横を通り過ぎて部屋に向かう私。
「どれ。私も一緒に行こう」
王子と男が私の後を追ってくる。
「ひどく傷んでいるというのは、エルラント侵攻の折りのことですか?」
歩きながら男に問う。
「いえ。私達が王宮に入った時には既に」
そうか。なら、あの人の仕業か。
短い間だったけど、歩き慣れた廊下を進み、かつての自室の前まで来る。
「申し上げ難いのですが、中は見ない方が宜しいかと」
「いえ。大丈夫です」
そのまま、扉を押し開ける。
……ああ。なるほどね。
部屋の中は、大部分が打ち壊され、焼かれていた。
城の部屋に火を放つなど、常軌を逸している。壁紙やカーテン、絨毯はすっかり焼け落ち、私が使っていたテーブルも椅子もベッドも、ただの炭に変わっていた。よほど大きく火を放ったのか、天井も火が舐めた跡がある。ランプや花瓶のような、火に耐えうるものは全て打ち壊されて、私が持ち出せなかった本が本棚ごと部屋の中心に大きな炭の塊となって蟠っている。おそらくこれをくべたのだろうな。
壁をよく見ると、何かが書かれたような跡が見える。ほとんど読み取れはしないけど、この字の癖には心当たりがある。
「これは、酷いな」
王子が声を掛ける。
「小火か」
「……いえ。おそらく、わざとでしょうね」
「わざと?一体誰がこんなことを」
「城から、私の痕跡を消し去るつもりだったのでしょう」
「……君の婚約者だったローレリアの王子が、これを?」
私はそれに答えず、部屋を見渡す。
部屋のあちこちに、ほとんど判別のつかない殴り書きのような跡がある。
「君は、ローレリアの王子からそんなに憎まれていたのか」
「まあ、悪女なので」
「いやいやいや。にしても度が過ぎているだろう。壁に書いているのは君への恨みの言葉か。何とも業の深いことだ、叩き出しておいてまだ収まりが付かなかったのか」
王子が壁の文字を読もうとする。
「王子」
「ん?なんだねグレイスさん」
「用件は済みましたから、もう出ましょう」
「もう、いいのかね?」
「今更のことですから」
「……そうか。では別の部屋を準備させよう。君も疲れたようだから、今日はこのまま休むと良い。食事は部屋に運ばせる」
「ありがとう、ございます」
そう言って、入口に向かう私と王子。私は扉をくぐる時に、さっきまで王子が見ていた壁の文字を見る。
王子が読み取れなかった壁の文字は、私には読めた。
婚約者だった時、さんざんあの人から聞かされた言葉。
「愛している」
何を、今更。




