ある提案
ぱん!
ぱん!
「意外だった」
「何がですか!」
ぱん!
ぱん!
「兄上から、習ったのか?」
「そうですよ!」
ぱあん!
ぱあん!
「いや、見かけにはよらないものだな、と」
「一度痛い目に、あってて、気付いてなかったんですか!」
ぱああん!!
「ちょ、ちょっと待て。これでは話もままならん。少しばかり休憩しよう」
そう言って手を下す王子様。
「話す事って、説得には応じませんよ?」
「デリックのことは悪かった。だからあまり君には近づけんようにしてるだろう」
「まあ、それは有り難いですけど、あの場の同席も何とかして欲しい所ですね」
「あれでもエルラントの今後を憂いてやっている部分もあるんだ。許してくれとは言わんが少しは機嫌を直してくれ」
やたらと低姿勢な王子様だ。最初の時とは大違い。
「やですよ。なんやかんやで結局私のこと何かに利用するつもりなんでしょう?私、協力なんかしませんよ」
「だから。説得するにも私もそれについては詳しくは知らんのだ」
「軍の一番上なのに、知らないんですか」
「何度も言ったろう。私は所詮お飾りだよ。そりゃ実際に軍を動かしてはいるし、いざ戦いになれば真っ先に出て行く立場だが、それ以外にはまるで役に立たん」
「こう、いつも思うんですがね」
「うん?どうした」
「ちょうどいい感じの人って、エルラントにはいないんですか。腹黒過ぎず、考えなさ過ぎずの、普通の人」
「褒められてないのは分かったが、難しい注文だろうなあ」
「どうしてです?」
「普通ではエルラントは支えられん。どこか歪で尖っているからこそ務まるのだろうな」
「私は普通で良かったです」
「いやあ、それはどうかなあ」
「何か異論ありげな言い様ですね」
「ま、まあその前に汗を拭きなさい。風邪をひくぞ」
王子が私にタオルを渡す。
「ありがとうございます」
「普段からその位殊勝な態度なら、こちらとしてもやり易いんだが」
「エルラントの皆さんが怒らせなければ、私は殊勝でいたいんです」
「にしても、君は怒りすぎだろう」
「ちゃんと理由はあるんですがね」
「分かった分かった。そんな怖い目でこっちを見ないでくれ。だからこうして練習にも付き合ってるんだろう。取りあえず着替えてきなさい。君のその姿は、ちょっと刺激が強すぎる」
掻いた汗で肌に服がぴったり張り付いて、体の線が出ているのに気付いた。
しまった。
私は元々ゆったりとした服が苦手で、身に付けるのはきつめのものが多い。汗を掻くと背中や胸元、袖は張り付きやすいから、できるだけ汗を掻かないような生活をしていた。それでも全く汗を掻かないという訳にもいかず、誰にも見られないということも難しくて、そういう時に男性が私をどう見ているかなんて、よく知っていたつもりだったけど、ルパートさんとの練習以降、そういうこともすっかり忘れていた。
また、色気振り撒いてるように見えるんだろうなあ。そう思って王子を見ると、目のやり場に困っているようではあったけど、私が他の男から感じていたような下卑な目線はない。それでも体をタオルで巻いて、
「そうですね。ちょっと着替えてきます」
「着替えたら下の部屋に。茶の支度をしておこう」
「ありがとうございます」
そう言ってそそくさとその場を後にした。やっぱり、似ていてやり難い。
途中の廊下ででデリックさんとすれ違ったけど、私は目も合わせなかった。相変わらず何を考えているか分からないけど、少なくともこの人は今は味方じゃない。ていうか何でまだここにいるんだ。私はあなたとは交渉しないというのに。
自室に戻ると鍵を掛け、服を脱ぐ。水を張った桶にタオルを浸し、固く絞って汗を拭くと体の熱が治まっていく。冷たさが体に沁み渡ると、少しだけ頭も冷えた。
あれからまた少し経ったが、私の環境に変わりはない。
デリックの宣言した「館から出るな」も今は全く守ってはいないし、以前のように練習も再開した。少し違うのは相手がルパートさんではなくあの王子様という所だ。
あの時は八つ当たりで申し訳なかったが、つい勢いで的になって貰った。意外だったのは私の打ち込みに声を上げたことで、見た目以上に痛くて思わず声が出たらしい。実際は赤くもなってなかったが。
その時に私がルパートさんから手解きを受けていたことを聞き、王子様はルパートさんの弟でもあるけれど、技に関しては私の兄弟子でもある訳で、そのせいかたまに私につき合ってくれている。ただ、あまりこちらに付き合わせても悪いし、何だかんだでエルラントの王子でもあるので、そこらへんは程々にというか一定の距離は置くようにしている。それでも毎日顔を合わせるのだけど、本当に、あの人はいつになったら王都に帰るんだろう?
そう考えながら体を拭き上げると、汗もすっかり引いたので、新しい服に袖を通して階下に降りる。
王子の言う「下の部屋」はいつもの部屋のことで、扉を開けると、父の位置に王子が座り、母の位置にデリックが座っている。ここ最近はずっとそうで、私と王子が交わす世間話をデリックは黙って聞いている。実を言うと、何回かかまをかけて王子に最近の王都の様子や軍の状況なんかを聞いてみたけれど、デリックは王子の話す内容には何も口を差し挟まない。
というか、あれから私とデリックは一言も話してないし、王子と話す時もいないものとして扱っている。
あの人にしてみれば、私が話し掛けるまでそうしているつもりなのだろうけど、私に今の所その気はない。
今日も今日とて、私の話相手は王子様だけだ。
私も、自分の定位置に座る。
「しっかり体は拭いて来たかね?相当に汗を掻いていたようだが」
「ええ。先程はお見苦しいものをお見せしました」
「いや、そんなことはないが……」
「そこは褒められても喜べないので、そういうことにしておいて下さい」
「あ、そ、それは悪かった。どうもそういう所には気が回らんでな」
「だから、謝るのもなしですよ」
「あ、そう、だな」
「ところで王子」
「んむ?何だねグレイスさん」
焼き菓子を口に運びながら答える王子。
「王都には、いつ戻られるんですか?」
ぽろ。
ああお菓子落ちましたよ王子。お行儀悪いなあ。
「い、今、何と」
「ですから、王都にはいつお戻りになるのかと」
「戻る?私が」
「いやだって以前から王都に戻るよう言われてたんじゃありませんか?随分こちらに逗留されてますが、そろそろお戻りにならないと拙いのではないかと思いまして」
「あ、いや、それは、そうなんだが……」
声が先細りになる王子。こういう時に口添えするデリックは、ここ最近と同様に何も言わない。
「君も、私が帰った方が良いと思うかね」
「私はエルラントの人間ではないので、困る訳ではありませんが」
「では、ここにいても迷惑ではないと?」
ぱあっと顔が明るくなる王子様。なんだか以前より表情豊かというか、段々この人の地が分かってきた。ただ、こんな田舎ではいろいろ不便だろうし、楽しいことなんか何もないだろうに。何か、王都に戻りたくない理由でもあるんだろうか。
「迷惑ではありませんが、王都の人達は大変なんじゃないかと」
「そ、そうだ、ろうか」
「そうだと思いますよ」
うーんと考え込む王子。いやいや、だから何でそこで悩む。
「グレイスさん」
王子が姿勢を正してこちらに向かう。
「はい。何ですか」
「一緒に、王都に来る気はないか?」
「は?」
「いや。こう言っては何だが、ここにいつまでいても埒は明くまい。既にこの領の差配はエルラントの者が執っているし、領主たる君の両親も不在でいつ帰ってくるか分からぬ以上、君が今更この領に関わるのも難しいと思うぞ。ついでに言えば、この領が事実上エルラントの支配下にある以上、スタンレー領でなくなるのは時間の問題だ」
まあ予想はしていたけど、そうはっきり言われるのも中々に辛いものがある。誰の所有かを今更主張したりはしないけど、生まれ育った地をそう簡単には捨てられない。
「あと、ご両親の消息も気になるだろう。兄と同道しているなら尚のこと、以前君が言ったように兄が私に接触してくる可能性は今後もある。その時に、私の近くにいた方が何かと都合が良いと思うのだが」
「ここでは駄目なのですか?」
「入ってくる情報の量は、ここと王都では比べるべくもない。後はこちらの都合でもあるが、この屋敷に君を置き続けるのは少しばかり危険が伴う」
「屋敷が、危険ですか?」
「中はまだしも、一歩外に出れば狙い処の多い場所ではあるからな。その中にしても、屋敷に火でも掛けられたら色々困るだろう」
「私を狙う人なんているんですか?」
「最低でも一人は知っている筈だ」
ここでもデルマンドかあ。早く捕まえろ。
私はデリックを睨むが、デリックは動じない。
「そういう意味では、より守り易い場所に身柄を移しておきたい」
「それは、強制ですか?」
「違う。誘いというか、頼みだな。私個人の」
「断ったら?」
「特に君の処遇を変えることはない。ということは、今後もデリックが君の交渉相手であることは変わらないということでもあって、今のこの状況は君にもやり難かろう。私が相手なら、いくらかは与し易しとは思わないかね?」
「それは、王子が私との交渉の余地をお持ちと、そう受け取って良いのですか」
「そうだ。正直に言って、こいつのやり方は私も好まん」
そう言ってデリックを指す王子。いいのそれ?仲間割れでは。
「君をここに押し留めておく理由も現在はないようだし、事が落ちついたら戻ってくるというのでは駄目かね?」
「……一度、ゆっくり考えさせてください」
そう言って、私は席を立った。
「……あれで、良かったのか?」
「はい。今私が話しても彼女の耳には届かないでしょうから」
「一応、聞いておくが、彼女の身に危険は及ばないのだろうな?」
「そこは王子にお任せします」
「おい」
「他人任せにはしたくないのでしょう?」
「勝手なことを」
「ただ、彼女にとって悪い選択にはならないと思います。勿論、王子にとっても」
「……私にはお前の考えがさっぱり読めん。ただ、その言葉に偽りがあれば私はお前を許さんぞ」
「その時は、御随意に」
「分かった。任せよう」
そう言って立ち去るルーファス。
「さすがに、少しばかり私には荷が重くなってきましたよ。どうしましょうかね」
他に誰もいない部屋で、デリックは中空に向けて、そう呟いた。




