別景③:受諾
サーフラウ自身、納得できている訳ではない。
5年の間何もせず、ただほんのりと温め続けていただけの感情を、今更表にした所でルパートが困惑するのは当然であるだろうし、はっきり拒絶を口にされた訳ではないが、ルパートの態度でおおよその見当はつく。
さらに言えば自身の感情が恋心であるかもよく分からない。
それでも、ルパートの目が他人に向いていることがどうにも悔しく、切ない。
それでもルパートの必死な様子を見れば、自身の些細な感情などは横に置いてくべきことであろうし、これ以上自分がこの話に食い下がれば、おそらくルパートは言葉にしなければいけなくなる。
たぶんそうであっても、それを聞きたくはない。
「お話を、聞きましょうか」
諦めるにしたって、理由がいる。
サーフラウは、一度棚上げすることで感情を整理する方向を選んだ。
サーフラウの感情を知ってか知らずか、ルパートは彼女に問う。
「グレイス=スタンレー。ローレリアの子爵家の娘ですが、私は彼女をエルラントから助け出したいのです」
グレイス=スタンレー、それがその女性の名か。
サーフラウはその名を強く胸に刻み込む。
「なぜ、その女性は虜の身となっているのですか?」
「明確な目的は分かりませんが、かつて彼女がローレリア王子の婚約者であったこと、その立場を利用しようとしているのではと思います」
「立場?」
「ローレリア国内では、彼女は王子を誑かして国を揺るがせた悪女と見做されています。それゆえに婚約を解消されたと」
「そのような方なのですか?」
「いえ。王子の妬心と王の打算から出た噂に過ぎませんが、かなり話が膨らんでいて、今では今回の派兵すら彼女が裏にいることになっています。王子の寵を失って宮を追われたのも、王との関係が明るみに出るのを避けるためとか」
父と子の両方を?それは、また、なんという。
「ルパートは、そのような女性を救い出そうと言うのですか」
「事実ではありません。私も当初は疑いましたが、彼女の人となりを知るにつれ、そのような大それたことができるような女性でないと確信しています」
「……ルパートは、その人に騙されているのではありませんか」
つい、穿ったものの見方をしてしまう。
「誓って、そのようなことはありません」
「では、もしその方が噂通りの方であったら何とします」
「……私なりの、けじめはつけるつもりです」
ルパートの覚悟が伝われば伝わるほどに、サーフラウの苛立ちは増す。
「では、私もその方を見定めたいと思います」
「姫」
「そうでなければそれでよし。もしそうなら、カルディアの公女を動かしただけの償いはしていただきましょう」
大いに私情の入った言い回しはあるが、彼女は「是」と答えた。
ルパートはその意を掴み損ね、慌てて頭を下げる。
「御助力、感謝致します。しかし、良いのですか姫」
「何がですか」
「私は、詳しいことはまだ何も話しておりませんし、姫のご恩に返すべき礼すら」
「その女性のことはあまり聞きたくありません」
「は?」
「ルパートの話を聞くより、私が直接会った方が正しい判断を下せます」
「はあ」
「ですから、私が行くのが一番手っ取り早いですよね?」
「は!?」
「なんでそう驚くんですか。ルパート」
「あ、い、いえ。私は密かに彼女を救い出すための手立てをと」
「そういう人間を使う手もありますが、それではあなたが私を頼った意味がないではないですか。そんなこっそり取り返そうなどとせずに、堂々と正面から引き取りに行けばいいのです」
彼女の言葉にあっけに取られるルパート。
「兵を貸すこともできますが、そうすれば血生臭い話になりますでしょう?ルパートも変な覚悟を持っているようですし、私が手を貸して死人が出るなんて嫌です」
そのつもりだったルパートには返す言葉がない。
「だったら私が行けば良いんですよ。理由は何とでも付けられます。父の名代でローレリアの情勢を確認しに来たでも、エルラントの意図を探りに来たでも、賠償交渉の使者でも。兵を連れて行く大義名分も立ちますし」
「いやいや、まだローレリアとカルディアの軍が対峙して」
「時間の問題でしょう?基点を失った軍が長期の戦争に耐えられる訳がありません。実際、ローレリア軍は崩壊しかかっているそうですし、取って返してローレリア奪還に動くにしても、もってせいぜい半月でしょう。それにカルディアが呼応して後背から突けばローレリア軍は全滅です。少なくとも向こうの司令官がまともならそのことにはとうに気付いているでしょうし、彼らがいつ白旗を掲げるかの問題で、これからは戦後処理を考えるべき時期です」
「……そこまで読んでおられるのですか」
「私に軍才などありませんよ。父から聞いただけです」
詳しい情勢については知らなかったルパートだが、今の話を聞く限りローレリア軍はすでに詰んでいる。エルラントがそう仕向けただろうことではあるが、こうなる以前から、すでにローレリアはエルラントの手中にあったのではないか。そう思わされる。
「ルパート。あなたは随分と余裕を失くしているようですね」
「……そう、でしょうか」
「もしその方の身に何かが起こっていたら、もう手を打っても間に合いませんよ」
びしり、と現実を突きつけるサーフラウ。
「逆に言えば、今無事ならしばらくは無事な筈です。ローレリアが軍を退き、ローレリア国内の基盤を固めるためにエルラントが動き出すその時に、その方が必要なのでは?でしたら今その方を害する理由はありません。害する理由があっても、最大限有効な形でそうする筈です」
「なぜ、そう確信できますか」
「カルディアならそうするからです。褒められた話ではありませんが、カルディアとて多くの血と屍を積み重ねて今の姿があるのです。そこに無為に積まれた命はありません」
末子とはいえ、カルディア王家の一端を担う姫ならではの言に気圧されるルパート。だが、
「もし、姫の仰る通りであるなら、彼女を取り戻す機会があると?」
「なければ作れば良いのです。カルディアにはそれが可能ですから」
正直、あてにはしていたが、ここまで乗ってくれるとは思わなかった。できるのはせいぜい機会を見計らって彼女を力ずくで奪い返すくらいのもので、エルラント兵で固められたスタンレー領では、こちらに手数があってもかなり厳しいと考えていた。
ところがサーフラウは正面から彼女を貰い受けると言う。勿論それも一筋縄では行かないだろうが、カルディアの申し入れをエルラントをそうそう無視できまい。
可能性が、見えてきた。
「しかし、お父上は聞き届けて下さるでしょうか」
ルパートの懸念はそれだ。たとえサーフラウが承諾しても王には立場がある。たかが一平民の願いをそうそう聞き入れてはくれまい。
「あなたは、自分がしたことを軽く見過ぎです」
「私が、したこと?」
「5年前、あなたが私を助けてくれなければ、私は遠い異国の地に連れ去られ、そこで身を穢されるところでした。偶然や成り行きとはいえあなたが私を救ってくれたこと、その恩を私も父も忘れたことはありません」
彼女の言う通り、あれはただの成り行きであって結果的にそうなったに過ぎない。
「あの時、あなたは私が王女であると知らなかったのでしょう?」
まあ、そうだが。
「普通はそこらの娘を助けるのに命を賭けたりはしませんよ。背中に大きな傷まで負って」
「少しは痛い思いもしましたが、死ぬような傷ではありませんでしたし、自分の身より先に守るものがありましたから」
「それは、私のことですか」
「……あの時のお嬢さんに今度は助けて頂くとは、奇縁というものでしょうかね」
ルパートは答えなかったが、サーフラウはそれでも嬉しい。
今この人の中には自分がいる。それがただ、嬉しい。
「とりあえず、時機を待ちましょう。他には?」
「彼女の両親を匿っています。カルディアで保護して頂きたい」
「分かりました。人を差し向けましょう。ルパート」
「はい」
「しばらくは、ここに留まって頂けますね?」
「……仰せの、ままに」
ルパートとサーフラウ。
この二人の関係は、エルラントを通じて、後にグレイスの耳にも入る。




