第九話 許し
いつの時代も、竜を狩るということは特別な意味を持つ。それは極めて困難な冒険だ。
硬い鱗。鋭い牙と爪。力強い巨体。なにより恐ろしいのはその燃える息だ。これまでいったい、どれほどの冒険者が無謀にも挑み、その炎に焼かれてきたのだろう。
竜を打ち倒せるのは、一握りの実力者だけだ。自分がその域に達しているかどうかは、判断が難しいところだ。最も確実なのは実際に竜に挑むことだが、失敗すれば無残な焼死体となってその生涯を終えることとなる。
いつだって大勢の中には少数の選ばれものがいる。竜を倒す定めと、その証である武器を持った英雄が――第五勇者、石のアルヴィス。帝国軍の将軍オフィーリア・カー。魔人、〈肉屋〉コスタード。〈黄金の血〉の長、吸血鬼ラドゥ。王国の冒険者、〈逆鱗砕き〉のマーサ。
竜の神ヴィロックスは支配者たる竜が傲慢になり過ぎぬように、彼らが常に勝利者ではないという事実を知らしめる。
竜の天敵たる竜狩りに与えた〈許し〉。数々の英雄譚に登場するこれらの武器はしかし、手にしたからといって必ずや勝利が約束されるわけではない。竜との戦いを前にして臆し、遁走した者には、ヴィロックスは別な贈り物をする。
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その男は英雄だった。
カルドランドから、竜を倒すことを夢見てフィルベルグへ渡り、そしてついにそれを成し遂げた。彼の手には〈ヴィロックスの許し〉たる、輝く剣があった。
彼には、豊かなマナが溜まり、荒野の中で肥沃に茂る森が領地として与えられた。
同時に彼が得た紋章は、森に多く住まう懸巣の意匠が施されたものだった。
しかし、今日この森はもはや存在しない。五番目の災厄の折、無数の竜によって焼き尽くされてしまったからだ。
領地を守護するはずだった男は――英雄たる竜狩りは、真っ先に遁走していた。
いかに竜狩りといえど、空を埋め尽くすほどの竜の群れが相手では、勝ち目などあろうはずもない。だが、彼に竜を狩る〈許し〉を与えた神は、この逃走を許しはしなかった。
故郷であるカルドランドへ舞い戻った男は、何かに苦しみ、やつれ、気を病み、最後は焼けた死体となって発見された。
葬儀を終えた彼の子供は、親が見たものを受け継ぐこととなる。すなわち呪いだ。
彼の子孫は、巨大な竜の影に逃走したことを糾弾され、火の吐息で焼き殺されるという悪夢を見ることとなる。それは現実と変わらない生々しさで、これを代々受け継いできたために一族は総じて短命だった。自ら命を――大半は焼身自殺で――絶つからだ。
この呪いを解くためには、竜を倒すしかない。男の子孫はそう考えたが、数世紀に渡ってそれは成されなかった。呪いだけではなく、男が抱いた竜への恐怖もまた、代々受け継がれていたからだ。
あるとき、一族の住まいの近くに竜が現れる。
長子はまだ若い少女だったが、彼女は自らこの討伐隊に参加した。
祖先の過ちを正し、自らの呪いを解くために。
しかし、彼女が迎えた結末は――
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深夜、目を覚ましたジェイはその忌まわしさに呻き、顔じゅうの汗を拭うのも忘れて荒く息を吐いた。再びヴィロックスの糾弾と、自分、あるいは祖先の男が体験した最期、彼の犯した罪の記憶が襲い掛かってきた。
そして、自らにかかった呪いが恐らくは永久に解けることはないのでは、という死に際に感じた絶望を思い返し、どこまでも地の底へ沈み込むような感覚を覚えた。
竜と対峙した瞬間に、これは勝てないという確信を得た。それでも、自分だけ逃げるわけにはいかず、剣を震える手で握り締め、虚勢を張るために叫び、仲間とともに竜へ突撃した。
最期の記憶は熱さと眩さ、そして深い諦念だった。
ジェイはリリアーナを起こさないよう宿の外へ出て、夜風に当たり頭を冷やそうとしたが、先ほど夢に見た過去の記憶は強烈で、到底消し去ることはできそうになかった。
再び、前の人生と同じ解呪のための冒険に出なければならないだろう。すなわち、竜を倒し呪いを解くための。
自分は〈許し〉を持たない凡人だ。公社員として徴兵されたために、前よりは強くなっているはずだが。
武器が必要だ。強い武器が。そして強い仲間が。しかし、仲間と武器に頼り切った戦いではヴィロックスは納得しないだろう。
ジェイは思案を続け、やがて宿へ戻ろうと振り返ると、そこには何もなかった。
周囲は広大な荒野だった。乾いた土だけがどこまでも続いている。照らすのは、大きな満月だ。
まさか、迷宮が形を変え、自分だけをどこかへ引き離してしまったのだろうか?
これほど急激に変化が起きるものだろうか?
その問いに答えるように声がした。
「これは試練だ、〈燃え立つ懸巣〉。迷宮が、世界がお前に課した試練だ。深き器はオレをその一部として取り込んだ」
背の高い男だった。公社の軍服を着ているが、他の社員たちとは違い、仮面の一部が欠けて顔の右半分があらわになっている。その右目は竜のものと同じ縦に走る瞳孔と、燃えるような緋色をしている。
「あなたは……話に聞いていた〈太陽を齧るもの〉――」
「キールだ、同胞よ。お前と同じく、竜に挑み倒れたものさ」彼は剣を抜く――太陽のように白く輝く光は、ジェイの祖先がかつて託され、そして失った〈ヴィロックスの許し〉だ。「神はお前に再起の機会を与えた。オレと戦え」
ジェイは困惑し、その場に立ち尽くすのみだ。
「神が――ヴィロックスがあたしに機会を与えるなんて、そんなことが本当に?」
「竜神ではない、別の神だ。この姿では状況がわかり辛いか? ならば――」
キールの体がめきめきと音を立てて膨れ上がった。身の丈は三メートル半かもっと、横幅は元の倍以上。半分に砕けた仮面はまだへばりついているが、その下の顔は既に人間のものではなくなっていた。緋色の鱗、牙、背中からは翼。それはジェイも見たことがない、直立した竜――竜人だった。
キールとジェイは五メートルほど離れていたが、竜人は一瞬でその差を詰め、〈許し〉を振るう。
ジェイは持っていた剣で受け止め、弾き返すことができた。反撃として突きを見舞い、キールの肩を掠める。竜人が剣を振り下ろす。ジェイは横に跳びこれをかわすと、片翼を切り裂いた。
「なるほど、人間の範疇は逸脱しているな。しかし肝心なことを、お前は思い出しちゃいない。自分が死んだときのことを思い出せ」
キールの仮面が音を立てて崩れ、緋色の双眸がジェイを凝視した。
彼の言ったとおり、死の瞬間が蘇る。全身に熱さが宿り、歯をかみ締めた。
「オレは竜だ。オレを倒し、お前は再び竜狩りとして歩め。さもなくば再び燃え尽きろ」
竜人が大きく息を吸い込むのを見て、ジェイは渾身の力で跳躍し、阻止すべく刃を振るう。二度目の死を防ぐための一撃よりも、キールが炎の吐息を吐き出すのが早かった。
〈燃え立つ懸巣〉は名前の通り、猛火に包まれた。




