第八話 竜の呪い
その夜、ジェイは奇妙な夢を見た。
広大な寒々しい荒野にいて、灰色の空の彼方から、低い声が聞こえる。何を言っているのかは分からないが、それは明らかに嫌悪と怒りを含んでいた。
声は徐々に大きくなっていく。伴って、燃え殻の臭いと灼熱が、夢の中とは思えない現実性を持ってジェイに迫った。
やがて、地平線の彼方から巨大な影が姿を現した。角と翼を持つそれは、ジェイを見下ろし、眼前にまでやって来る。
そこで、今までその影が発し続けていた言葉が聞き取れるようになった。
「臆病者め。自らの使命を棄て、虫けらのように逃げ出すとは」
憤怒のこもった罵倒だった。光る両目は、縦長の瞳孔を持つ緋色――竜のそれだ。
やがて影も荒野も灰色の空も、突如吹き上がった炎に包み込まれた。
燃え盛る火の赤はすぐに消え、今度は白色が周囲に広がる。
そこは白一色の、何もない空間だった。眼前には巨大な影ではなく、ジェイと同じくらいの背丈の誰かが立っている。
しかしその顔は判然としない。全体像も、ぶれて見えなくなったり、水中の油のようにばらけて広がり、また一つになったりを繰り返している。少女の声で、その人物は語りかける。
「君に新しい命を与えよう。帝国のためにまた冒険に出るんだ。無残な死を乗り越えて帝国の復活だ。門を開いて外へ出るために。混沌の声を聞くために。融合。連鎖。彼が教えてくれた。帝国のためにまた冒険に出る。冒険者を殺すんだ。秩序。混沌。迷宮の中を。門を開いて外へ出るために。討伐。冒険。命を与えよう。帝国のために。迷宮の中を。無残な死を乗り越えて栄光は君に、冒険、混沌、門、達成、のために、新しい命、迷宮、融合、冒険に出るんだ。帝国のために、無残な、門を、混沌、帝国の、迷宮……」
目の前の人物は発狂したかのように同じ言葉を繰り返し始めた。次第にその声はかすれ、歪み、人のものとは思えない雑音と化していく。
最後には、その姿が溶けるように消滅し、声も掻き消えていった。
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ジェイは真夜中に目を覚ました。リリアーナが隣のベッドで寝息を立てている。傍らで二人のために設置された〈覆い剥がし〉が赤く光っていた。
どうやら今の夢は過去を示唆しているらしい。ジェイは忘れないうちに、紙にその内容を書き留めた。
思い出したことがある。自分は竜の討伐隊に参加し、その挙句焼き殺されたのだ。そして何者かに――きっと冒険公社を作り上げたアデレード皇帝によって復活させられた。反乱軍のエイリーク部隊長に聞いた通り――皇帝は過去に死んだ冒険者を白い空間に呼び出し、新しい名を与えて蘇らせるのだ。
しかし、ある時期から彼女は明らかに正気を失っていった――現実世界で皇帝が崩御した辺りから。皇帝の死後も冒険公社の隊員は増え続けていたが、時を同じくして明確な弱体化が始まったのだそうだ。彼女は確かに、人知を超えた力を持っていて、冒険者たちと同じく自分の魂をも留めることに成功したのだろう。しかし、その復活の力も衰えつつある――
アデレード皇帝の能力よりも、問題は荒野で自分を罵った影だ。あれは――脳裏にある言葉が浮かんだ――あれは過去の光景、自分の祖先が犯した罪への罰。そして自分は、その罪を購うために竜に挑み、死んだのだ。
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翌朝、一行はアーマリーを出発し、旧クロムウェルを引き続き目指した。
途中で公社員の一団と出くわしたが、ナイルがにこやかな笑みを浮かべて、我々は巡礼の旅人なのです、とそれらしく語っただけで解放された。やはり、現在の公社の目は節穴らしい。
問題は魔物だったが、これもナイルが加わったおかげでたやすく対処できた。崩れた廃墟が点在する平地ではゴブリンの群れ、そこを抜けた墓地ではアンデッドの魔術師を、一同は難なく片付けた。
ステファノは魔術で武器を敵に見えなくし、ときには自らの姿をも消して遊撃に当たった。リリアーナは周囲を満たす豊富なエーテルをうまく扱い、強力な魔法を連発した。ジェイも一度復活した折に能力を強化されていたようで、記憶とともに取り戻しつつあるその力で、雑魚相手なら傷一つ負わずに片付けることができた。
ナイルは剣を抜くまでもなく、体術だけでゴブリンの肉体を容易に破壊し、アンデッドはダガスの祝福でまとめて浄化したり、一同の疲労を癒してくれたりした。彼自身はまったく消耗する様子もなく、汗ひとつかいていなかった。ただ、相手が吸血鬼ではないので退屈そうではあった。
クロムウェルはかつて王国の西端に位置していた祝祭の都ではあるが、現在では拡大し続ける迷宮に飲まれてしまっていた。王国側は国土を飲まれてはまずいと、迷宮を掌握するために反乱軍を積極的に支援し、食料や物資の援助も行っている。最近では迷宮の外部への拡大は収まりつつある。公社が壊滅すれば、今以上に各国の冒険者がノヴィレグナに入り、まだ見ぬ財宝を求めて冒険に励むことだろう。
迷宮は、いくつもの〈大部屋〉が細い通路で接続されているという構造だった。大部屋は概ね広さが数キロもあり、壁も天井も存在するのだが、上空からは光が降り注ぎ、擬似的な空を仰ぎ見ていると迷宮内とは思えなかった。しかし自然の原野とは違い、同じ風景が延々と続いていたりする。例えばアンデッドの出る墓地を越えると、かつての帝都にあった下町のような、石畳の床が延々と続く場所だった。ところどころに街路樹の林や、打ち捨てられて錆びた車、商店の廃墟などが点在している。
石畳の平原を超えると、小規模な宿場町があった。ここがラスティが部下と待ち合わせた場所なのだろう。しかし、錆びた杭を携えたエルフの女と仲間を見たという住民はいなかった。その気になればアンブライアの暗殺者のように、誰にも気づかれずに彼女は使命を果たせるというわけだ。
「悪い知らせだ。この近くにやっかいなやつがいる。ラスティが倒したのとは別の執行官だ」
ステファノは宿で、そう一同に話した。彼は出発してからずっと、反乱軍の仲間と連絡を取り合っている。地形の変化や公社の動きなどの情報を、エーテル網を通じて得ている。アデレード皇帝がかつて築いたシステムの一部を拝借している形だ。
「ここから近いのかい、そいつは」ナイルの問いに対しステファノは首を振って、
「十五キロほど離れた場所だ、すぐにこっちに向かってくるとは限らねぇが、こいつぁ強敵だよ。〈太陽を齧るもの〉っつう、長年俺たちにとっちゃ目の上のこぶだった奴さ。早めに脱出したほうがいいだろうな」
それほど危険な相手なのか、と質問したジェイに、ステファノが答える。
こいつは、竜の力を持っている人間だ、と。
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帝国の北方の島国、トランサルムにはある伝説があった。日食に関するものだ。
かつて一匹の竜がいた。地方によって詳細は異なるが、その竜は太陽に――ダガスに挑もうとした。自らの力を試すため。空に輝く太陽を落とし、自らが君臨するため。あまりに大食で、最も食べ応えのあるものへ食指を伸ばしたため。とにかく竜は天空へ舞い上がり、太陽に噛り付いた。
もちろん太陽神はそれを許さずに、竜に罰を与えた。この無礼者を地へ落とし、翼も鱗も牙も奪い、人間へとその姿を変えてしまった。
日食とは、竜が太陽へ噛り付く冒涜の光景であり、その日生まれた赤子の中には竜の生まれ変わりが混じっている。トランサルムにはそう伝わっている。
これだけなら、天体現象を解釈した民話に過ぎないが、実際に北方では、日食の日に親の容姿に関わらず、緋色の髪を持つ赤子が生まれてくることがある。
そして、あるとき生まれた子は、竜と同じ縦長の瞳孔と鱗の生えた腕を持っていた。
あるいは、気味の悪い物の怪として捨てられてもおかしくはなかったが、幸い彼の家系は竜神ヴィロックスの信奉者だった。
竜の生まれ変わりとして育てられた彼は、やがて冒険者となり、ついにはフィルベルグで同族――竜を狩るまでに至った。
そのとき、彼の手にはヴィロックスの〈許し〉である魔剣が握られていた。
彼がどんな最期を迎えたのかは誰も知らない。人知れず未開地で、冒険の果てに倒れたのだろう。
しかし、彼の戦いは死後も続いた――皇帝によって復活し、公社の執行官として。
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同じ形の時計台がいくつも立ち並んでいる。どれも時刻はばらばらで、時折きりのいい時間に達したものがけたたましく鐘を鳴らしている。そのうちいくつかは老朽化して停止しており、またいくつかは、焼け落ちていた――今しがたここで終わった戦いの余波で。
巨大な獣が横たわっていた。獅子と山羊の顔を持ち、尾は蛇だ。そのすべてが黒く焼け焦げている。
無数の時計台の周囲に同じような、何匹もの焼けた怪物が倒れ、いくつかはまだ燻っている。
一人の男がいた。他の公社員とは違い、仮面の右半分が割れている。そこから除く右目は竜のような縦長の瞳孔で、髪も目も燃えるような緋色だった。手にした剣は白く輝いている。
時計台のひとつが、六時を知らせる鐘を鳴らす。鳴り終えたころには、男――〈太陽を齧るもの〉は姿を消していた。




