第七話 武器庫
迷宮の中には街がいくつも存在している。元になったのがひとつの国であるのだから当然だ。ジェイたちが立ち寄ったのは、岸壁沿いに寄り集まった歓楽街だった。
壁のように聳える建物の各フロアにいくつもの酒場が入っており、近くには酒蔵と、材料になる麦やジャガイモの畑が広がっている。遠くに巨大な瀑布を望むこの街は〈武器庫〉と呼ばれていた――冒険に挑む者たちにとって、活力を与えてくれる酒が何よりの武器という古くからの考えが由来だ。酒場で得られる冒険者の武器はエールだけではない。仲間と情報という、剣と魔法よりもときに重要な二つもだ。
まずジェイたちは宿を確保し、食事がてら〈月の断片〉亭に入った。この店はかつて帝都にあった酒場〈硝子の月〉亭からのれん分けされたらしく、かつてそちらで飾られていた硝子製の月が、文字通り四分の一ほどになって受け継がれている。
〈硝子の月〉亭もだが、そこに集った冒険者たちが結成したクラン〈硝子の月の不正規連隊〉もまた高名だ。彼らは帝国が迷宮で覆われる前に拠点を王国へ移し、若き長のもとで冒険に励み、王都に邸宅を持つまでになった。その初代クランマスターもまた、ジェイという名前で呼ばれていたのだという。一説にはデレク大王の仲間であったエルフの盗賊レナーデと同じく〈ハルミナの慧眼〉を持っていたらしい。
ジェイの名前を耳にした店主がそのエピソードを語った後、今度はステファノが話を引き継いだ。
「ハルミナ様は移り気で狡猾だけど、人間を他の神々よりも深く愛している。これは数々の神話からも明らかだ。薄汚ねぇ盗っ人どもにまで加護を与えてくださるのがその証さ。リリアーナ、あんたならよく知っているはずだろう? ハルミナの僧侶の血はどいつも温かみのある味わいだったはずだぜ」
彼女が首を傾げるがステファノはおかまいなしに、自らが信じる神を賛美し続けた。それを横目に店主がリリアーナに言う、
「そっちの姉さんはあの〈吸血鬼狩り〉の旦那に狩られねぇように気をつけねぇとな」
「〈黄金の血〉の一員だという人かしら?」リリアーナはブラッドオレンジのカクテル――吸血鬼が頼んだ場合、気の利いた冒険者の酒場ならどこでも、実際に血が混じっている――をちびちびと飲みながら尋ねた。
「そうさ、あのナイル・レンフィールドはイカれた野郎だよ。なんでも元はダガスの聖騎士だったらしいが、人間だったころから倒した吸血鬼の血を飲んでたって話だぜ。どっちが罰当たりか分かったもんじゃねぇさ。今まで一度も吸血鬼に傷つけられたことはねぇって豪語してたな」
吸血鬼が同属の血を飲むのは、食人行為に等しい。リリアーナはわずかに眉を顰めた。
「そいつは吸血鬼が憎いのかい? だのになんで、自分から敵と同じ体になっちまったんだい」ステファノが興味深そうにそう聞く。
「いいや、憎くてやってるわけじゃなく、単純に楽しいんだろうさ。吸血鬼を切り裂くのとその血を飲むのがな。どうやら、自分の力と若さを保って長くその楽しみを続けるために、吸血鬼になったらしいぜ」
「変わった人もいるものですね」ジェイは酒が飲めないので、ジンジャーエールをがぶ飲みしている。「それにしても、迷宮の中でも意外と普通に生活しているんですね、みなさん」
ジェイが店内を見回すと、昼間から飲んでいる酔客の中には農場の労働者や、禁止されているはずの冒険者らしい姿も見られた。
「ああ、外から来た人は驚くが、どうってことねえさ。罠や危険な魔物が出没する危険区域に近寄らなきゃな。カルドランドだってそうだろ?」
「公社員が取り締まりに来たりはしないんですか?」
「ここいらにゃたまにしか来ねぇし、来てもあいつらはろくに判断がつかねえんだ、最近は特にだが、まるで酔っ払いさ。冒険者が藁束を担いでて、わたしは単なる農民です、なんて言ったらもう無罪放免さ」
やはり、帝国は外部の人間が思うより平和な場所らしい。いずれ反乱軍が公社を鎮圧し、迷宮を掌握できればノヴィレグナ再興も夢ではないはずだ。迷宮が国土を覆う直前に、ウェストワース皇帝家の血を引く公爵一族が、カルドランドへ亡命している。奪還の暁には、反乱軍とも協力関係にある彼らが新皇帝家として復権するだろう。
■
その夜、ナイル・レンフィールドがアーマリーに帰還した。彼は恐るべき吸血鬼狩りとは思えないほど穏やかそうな美男子だったが、外套にはべったりと血が付着し、口の周りも赤く染まっていた。リリアーナはナイルを見るなり恐怖の表情を浮かべた。彼が数多の同族を屠ってきたという証たる血の臭いが、その肉体から滲み出ている。彼はジェイたちをしばし待たせ、入浴を済ませてさっぱりとした姿で再度現れたが、それでもリリアーナは彼の中にある、彼の獲物となった同族の臭いを感じるのか、もともと悪い顔色を更に青白くさせていた。
「君が僕たちのクランに加わりたいという方かい? なるほど、確かに血の指向性が一方に寄っているね」深紅の目でリリアーナを一瞥して、ナイルは言った。「これは何だろう……マナが変異している、神聖術の使用者のものに似ているね、もしかして、僧侶の血だけを吸ってきたのかな? しかも一柱だけじゃなく、色んな神の信徒から血を得てきたんだね? それにこの異質な隔たり――ああ、もしかして一度死んで蘇ったとか? 例えば、冒険公社の一員だったとか? しかもその支配から解き放たれて、まだ日が浅いんじゃないかい」
リリアーナは冷や汗を流しながら、自分の素性を言い当てたナイルを見つめた。ジェイとステファノも驚愕の表情だ。
「いったい、どうやってんだいあんた。魔法は使っちゃいねえよな?」
「大したことじゃないよ、吸血鬼相手ならこのくらいは簡単さ、これまでの経験があるからね。直接血を飲めばもっとよく分かるけど、今はやめておこう。さてリリアーナ、君が僕らのクランに加入したいというならまずはダガーピークにある我らが本拠地に赴き、名高い竜狩りラドゥ団長に会ってもらう。しかる後ちょいとした試験を受けてもらい、合格すればめでたく加入って運びになる。
でもまあ、たぶん合格すると思うよ。君は黄昏か宵闇級ってところだろうけど、吸血鬼としての格はあまり関係ない。肝要なのは、自分がどういう存在か知っているかどうかさ、そして己が〈黄金の血〉を尊重し、そのために適切な行動を取れるどうか。欲望と自律、大切なのはそれさ。戦闘能力も問題なさそうだし」
ナイルは酒場のテーブルにいながら注文はせずに、瓶を取り出して中身をグラスに注いだ。血液そのものだ。先ほど〈採取〉したものだろう。瓶には魔術がかけられ、常に新鮮に保たれているようだ。一息に飲み干し、彼はリリアーナにひとつ質問した。
「なぜ君は聖職者の血を? 我々食通が特定の血しか飲まない理由は各自異なるけれど、大別はできる――憎悪か憧れか。僕の場合は恐らく両方だろうね。うちの団長は憧れだろう。君の場合、推測だけど憧れ、それに敬意が入り混じっているように思える」
立ち入った質問だ。リリアーナはしばし黙考し、答える。
「わたしはまだ、自分の記憶を完全には思い出せていないけれど、あなたの言うとおりだと思うわ。感謝があるからこそ、彼らに近づきたいという思い。少しでも神聖さを取り入れたいのかもしれないわ。確かなのは、わたしは破門された身で、その理由が吸血鬼となったからだということね」
「なるほどね、だけどまあ、自分で質問しといてなんだけど、嗜好の理由なんてのは後付けさ。単純に飲みたいから飲む、極論、それでいいと僕らは考えている。でも実際に手当たりしだい噛み付いてたら、〈血啜り〉とおんなじだからね。多少は考えてから飲んで欲しいという、先輩からのアドバイスさ。まして君が嗜好する血の持ち主は、どちらかというと善の側だ。むろん例外も多いけどね、例えば君の母国とか……
多少説教臭くなったかな? 静聴してくれたお礼に、僕のことも教えてあげよう。僕は元、ダガスの聖騎士だ。そんな気にはならないだろうけど、君が望むなら僕の血を多少分けてあげてもいい。僕はまだ、太陽神からの加護を受け続けているんだからね」
ダガスの一側面に、呪われしものの浄化がある。吸血鬼はまさにかの神に浄化される仇敵だ。だから、吸血鬼や人狼となれば、元がいかに敬虔な僧侶であっても大抵の場合、神の加護は消えうせる。ナイルの話が真実ならば、かなり特異的だ。彼が吸血鬼となったのは使命を末永く果たすためで、実際にそれを続けている。それゆえに太陽神は、彼が呪われているという事実を寛大に許しているのかもしれない。
ジェイは、ナイルがどことなく、ラスティに似ているように感じた。種族も性別も違うが、二人とも神から与えられた任務を遂行し続けている――主に血なまぐさい手段で。




