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Adventurer J/隣国への転移  作者: 澁谷晴
第七章 泥棒エルフの手記
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第九話 魔人との会話

   新帝国暦九八九年 六の月、二日


 またしても奇妙な人物との邂逅を果たした。わたしはどうやらあのハルミナとの賭けをきっかけに、妙な運命に巻き込まれてしまったのかもしれない。ただ盗みを細々とこなしていればいいと思っていたが、どうやらそうもいかないようだ。


 レナーデの歴史は古く、名前が改められる前から数えれば千年を超える。かつてはエルムの大神殿とそれを囲む街だったらしいが、災厄で大部分が崩壊した。それでも路地裏などには幾分かその時代から続く区画が残されており、わたしがその人物と出くわしたのも歓楽街の外れ、古い場所だった。


 古都には街そのものの幽霊が何代にも渡って存在している。少し気を抜けば地図にもない場所に迷い込み、二度とは帰れない――そんな伝承は世界各地に存在しているらしい。


 わたしはそのとき道を間違えてしまったことに気づき、引き返そうとしていた。すると道の脇の影から声がしたのだった。


「これはこれは、久々だよ、君のようなエルフを見るのは」


 老人の声だった。奇妙な反響を伴ったそれは、あの夜のハルミナのものを連想させた。


「痩躯に見えるが手足の筋肉が尋常のものではない。肺臓や心の臓、血管や神経、さらに脳と魔力器に至るまで手を加えられているね。何世代にも渡って魔力的なものを含む改造や投薬を受け続けたのだろう。そして母体の中にいるときから成人するまで、継続して改良が続いた。ここまでする国は現代では限られているが、それに見合う相手はなかなかいないだろう?」


 老人がわたしの呪いを見破ったために、エルムの高僧なのだろうとわたしは直感した。そして我が故郷の〈随神〉と総称される改造術に詳しく、それを見抜いた。只者ではないし、彼の目的が気になった。


 近づくと、影のなかにぼんやりとその姿が浮かび上がった。彼は魔人だった。

 魔人は歳を取らず、年齢は変化しない。彼らの中には、自分たちはある特定の〈役〉として生まれそれを演じ続けるのだ、と言う者もいる。

 彼の役はわたしの〈助言者〉なのだろうか。


 老人は次に意外なことを口にした、「君は、自分にはまだ一かけらが残されていると思っているね。しかし、それは真実なのだろうか。あの女神がすべてを奪い、その後で新しく与えたものかもしれないじゃないか?」


 一瞬何のことかと思ったが、すぐに分かった。名前だ。元の名を覚えていないのだから、それが一部だと言われれば確かめようがないではないか。わたしはその疑惑と、老人がそれを知っていたことにいささか動揺した。


 わたしは彼に名を尋ねた。フェステ、というのがこの謎めいた魔人の名前だった。

 どこぞで聞いた覚えがある気もしたが、思い出せない。


 老人はわたしの内心を見透かしたように言った。自分は君の敵ではない、では味方かと言えばそうでもないがあるいは有益かも知れぬと。

 ただ意味ありげな何事かを囁き、思考と行動を促すのが役割だ。そういう人物はどこにでもいるが、自分ほど長くやっているのはあまりいないだろう、と老人は確かに意味深に語った。


 雲の切れ目から太陽が顔を出し、路地裏にわずかに陽光が注いだ。それで垣間見えた老人の顔には見覚えがあった。

 知っている人物というわけではなかったが、眼光や顔の皺はただ歳を経て、時間を重ねてそうなっただけのものではなかった。エンバーヴェイルの長老や熟練の冒険者、国父ルシウスの晩年の肖像にも見られるそれは、研鑽、激しい戦い、そして生まれながらに持った才覚と強い意志の証だった。


 神とはなにか、と老人は呟いた。天上のどこかにある神の国、そこに神像のような姿の神々がいて我々を見下ろしている、そんなことが本当にあると思うかね?

 それは敬虔な信徒にとってはあるいは冒涜的かも知れぬ問いだった。わたしは、それは人間の心が生んだ解釈に過ぎないのだろうと答えた。


 老フェステはそうだ、と首肯する――神々とは世界そのもの、この世を動かす(ことわり)だ。君のように神を見たという人間はいくらかいるが、酩酊していたり薬物を服用していたり、あるいは睡眠不足だったりしない限り、それは我らの脳が、あるいは魂魄が理を解釈した結果浮かび上がるものだ。無論、厳密に区別するのは難しいがね、フュプナの信徒が断眠したり、コースの司祭が大酒を呷ったり、君には馴染み深いだろうが、エギラの信奉者が戦いに身を投じ死線を彷徨う、そのさなかに見るものが神か単なる幻影かなど分かるはずもない。


 とはいえ、それが時として世界に影響力を発揮するのは間違いがない――神託、奇跡という形でね。しかし一人の心が見る神は、せいぜいがさざ波に過ぎぬのだ。


 ときにジェイ、君はその肉体の他にも、多くの知識をも先人から得たことだろう。それは言うなれば他者の人生の一部を譲り受けたということだが、これがもし本当に別人の心の一部、経験の一部をその身に宿したら、何が起こるだろうか?


 奇妙な問いだった。わたしは、知識を伝授されるよりも正確に、そして強力に他者の技を受け継ぐことができるということか、と答えた。

 フェステはそれを肯定し、もし数百、数千人の経験を得たなら、その者は最も強い力を得ることができるだろう、と付け加え、続ける――しかし、それは極めて危険なことでもある。一人の人間にはさざ波程度でも、それほどまでに力を増したのなら、鮮明に世界の理を――神を見てしまうはずだから。神は恐るべき大波となって、世界へ押し寄せるはずだ。そうした〈数多の魂魄の所有者〉は時として、劇毒になり得る。君が目撃したあのバジリスクや吸血鬼など目ではないほどに。


 不可解なことにフェステはわたしの素性や行動を把握しているようだったが、それよりも、わたしは思いついて言った――もしやあなたは、実際にそれが起こっているといいたいのか? 神が自ら、それを引き起こして世界に手を加えているとでも?


 フェステはそうだと答えた。過去に何度も起こっているし、今も起こっていると。


 わたしは、あなたたち魔人も、あるいはそうではないのかと大胆にも問うた――神が世界を加工する、その手段ではないのかと。


 老人は肯定も否定もせずに一言、我々は世界の――物語の一部なのだ、とだけ告げた。


 ふいに路地に強い風が吹き抜けた。再び太陽が雲に隠れ、辺りが暗闇に包まれる。


 エルムが横槍を入れおる、ここいらで助言は仕舞いとしよう。ジェイよ、西の帝国を注視するのだ。世界はそこから塗り替えられよう――そう言い残しフェステは去った。わたしはしばし、彼の言葉を反芻した。

 最後の台詞は周知の事実だ。新皇帝が即位して二十年余り、世界の変革がノヴィレグナからもたらされ続けているのだから。

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