第十話 帝国について/手記の途絶えた箇所
新帝国暦九八九年 六の月、三日
今日も通りでは冒険者達が、新たな冒険と名声を求めて声を張り上げている。しかし帝国ではもはや、この光景は消えつつある。
皇帝アデレードが築いた〈冒険公社〉は、国内の冒険者たちを取り込み、統一的な装備を供給した。
彼らは軍隊以上に統制が図られ、その力は強力だった。冒険者ギルドは解体され、構成員の多くは帝国から流出した。
しかし皇帝はどこからか手勢を増やし続け、公社は増え続ける魔物や迷宮を攻略し続けた。
現在の帝国には迷宮から発掘された魔法具をもとに作られた、新技術の数々が流通しているそうだ。その動力源は国中に張り巡らされたエーテル網で、今やこれを通じて、多くの情報までもが日々飛び交っているという。新技術の一部はカルドランドを通して各国へ流出したが、エーテルの安定供給が前提のものが多く、なかなか帝国ほどの普及は見せていない。
急進的な改革を続ける皇帝だが、彼女自身も武芸と魔術に達者で、多数の言語を扱い、その知識たるや帝国中の学者が束になっても敵うものではないのだという。
どこの国でも指導者を過度に賛美するものは絶えないから、これらの評判も眉唾と思っていたが、老フェステの言葉が真実なら、彼女こそが〈数多の魂魄の所有者〉なのではないか? そして彼女を通して神が、世界を作り変えようとしているのではないか。
どの神であれ、どうやら世界を繁栄させるのが目的のようだが、その果てに目指すのは何か?
世界の初めに創造神が生み出したのは、ローギルとカイルナーヴァ、混沌と運命の二柱だ。
このどちらも、止まるなかれ、との教えを唱えている。特にローギルは、停滞は死であると強く説いている。少なくともその信者たちは。
エギラもまた、ローギルの血族だ。挑むことこそが人生において、肝要なのだと。そうでなければ死人も同じであると。
皇帝は、自らの国が成熟しきったのならば、次は何を目指す?
他の国々にも、それを広めようとするのではないか。たとえ力ずくにでも。
これはわたしの妄想に過ぎぬかもしれない。あの老人もハルミナとの賭けも、わたしの夢想かもしれないのだ。
しかし我が身に宿る黒き魔剣は、今もまだ確かにここにあり続けているのだ。
仮にフェステの話が真実であり、皇帝が世界にとって危険な人物だとしても、わたし一人が行動したところで何ができるかも分からない。現に、皇帝を狙った暗殺者が何人か送り込まれたが、そのすべてが返り討ちに合ったという噂もある。
それでもわたしは、帝国に向かおうと思い始めていた。かの国の現状が気になったし、計り知れない価値を持つ魔法具を盗み出せば、皇帝ほどではないにしろ、世界に衝撃を与えることはできるだろう。
まずは情報を集めることにした。そして、盗賊のねぐらの解呪が完了したら、報酬を得て西へ向かおうとわたしは計画した。
新帝国暦九八九年 六の月、十六日
どうやらあと数日で、解呪が済むらしい。わたしはあれから旅人や商人、帝国から流れてきた冒険者たちから西側の情勢を聞いていた。
主要な街道や大都市はほぼすべて、エーテル供給塔が建造され、魔術師たちはマナを自ら取り込むことなく術を行使できるそうだ。それだけにとどまらず、習得の難しい魔術や剣術、魔法具や魔物の知識までもが共有されている。
それだけなら冒険者にとって望むところだろうが、疲労を消したり戦闘に異様な高揚と快感を覚えるという麻薬的な――なんともエンバーヴェイル的な効果や、当局にとって都合の悪い感情や記憶を消去するといった、どうにもいかがわしい作用もあるらしい。
帝都から来た冒険者の多くはその据わりの悪い感覚と、〈冒険公社〉の社員たちへ不信感を抱いたがために脱出してきたそうだ。社員たちは仮面によって素顔が知れず、人間味を感じさせない訛りや抑揚のない言葉で話したそうだ。素性が知れない冒険者など星の数ほどいるが、それが国家主導でどこからか集められ、完全に統率されているというのは確かに不穏な感じがした。
そして、決定的なのは帝国の民が皆、この社員たちと皇帝を英雄視し、疑いもなく賛美しているという点だ。
現在の帝国が最も異様なのはここで、アデレード皇帝の即位前はともすれば山師、ならず者といった見方もされてきた冒険者を、手のひらを返すように支持し、もはやそれは熱狂の域にとどまらず盲信といってよい、と帝国人たちは口を揃えた。
まるで帝国そのものに、何らかの魔術がかかっているかのようだ。
彼らの口からはさらに興味深い話が聞けた。
なんと皇帝と〈冒険公社〉は、ついに迷宮を制御し、人工的に生み出す技術を確立しつつあるのだという。
エーテル網で国土を覆いつくしたのちは、次は迷宮によって帝国そのものを包み込み、理想的な環境を人工的に作り出す計画だ。
農地では常に豊作が保障され、居住地や要点は鉄壁の守りに固められ、魔物の発生すら完全に制御し、攻め込んでくる敵には完全に統制された超人的な兵士が立ち向かう。
迷宮から発掘された魔法具によって、近いうちにエーテル供給をも制御し、味方のみが魔力を自在に扱い、敵は魔術を使うことは叶わない。恐るべきことに、彼らはマナを遮断する秘法を見つけ出し、それは解析が大方済んでいるというのだ。
これらの情報がプロパガンダではないのなら、ノヴィレグナはかつての古代帝国もかくやというほどの繁栄を迎えつつある。
冒険者たちとは裏腹に、国外の貧困者たちは帝国へ流入を続けている。かの地こそが理想郷という声を、このレナーデですら聞くことがある。
あと百年後には、冒険のありようは今とはすっかり様変わりしているだろう。
そのころには帝国の手法こそが正道となり、従来のやり方は古臭く非効率的なものと断ぜられているかも知れぬ。
あるいは、その頃には帝国の領土は、他国を飲み込み膨れ上がっているのではないだろうか。
新時代には人造の迷宮でわたしもまた、新しき冒険に身を投じているのかもしれない。
新帝国暦九八九年 六の月、二十五日
盗賊たちの財宝がわたしのものとなった。もちろん、わたしは報酬を得ることができないから、またしてもエルムの礼拝堂に保管されていたそれを、盗み出すという形で獲得した。
いくらか目減りはしたが、それでも相当な額だ。しかしハルミナから名前と影を買い戻すにはまだ足りはしない。
わたしはこれでもって、西を目指し帝国の現状を自分の目で見るつもりだ。
これを読んでいるあなたは、いつの時代の人間だろうか? わたしがこれを書いている今日からひと月後かも知れぬし、百年後かも知れない。
わたしが寿命で死んだ遥かな未来かも知れないし、もしかするとこの手記は誰の目にも触れずに、荒野で我が骸とともに朽ち果てるやも知れぬ。
わたしはまだまだ、この盗人としての冒険を終えるつもりはないが、何事にも終わりは訪れる。そして、大方の終焉は予想外に、唐突にやって来るものだ。
これより首都マグナデューナ行きの隊商に密航し、わたしはレナーデを出る。
いつの日かこれを読む、見知らぬ読者のためにもわたしは、恥じることのない冒険を全うするつもりだ。
今、真夜中の混乱の中でこれを書いている。
乱筆を容赦
見たことのない、巨大な魔物、竜に似ている、それが飛来
真昼の光のような吐息を天に放ち
金属でできた、人工物?
あれがまた戻ってくる
これよりわたしはあれに挑む
信じられない。魔物が口を利いた
あれがわたしを呼んでいる、わたしの真の名を
エギラよ、わたしに力を
ここに書く、取り戻した我が真の名は
■
手記のこれ以降は失われている。
ページは魔物によって焼かれたというわけではなさそうだった。ここから先が、血か薬品か、あるいは何かの魔術を用いたのか、おぞましい赤黒い染みで消されているのだ。
このジェイというエルフの盗人は、魔物を打ち倒し、今もどこかで冒険を続けているのだろうか。
あるいは、運命の前に敗れ去り、コルニスタンの地で朽ちてしまったのか。
このエルフが実際にいたのかどうかは分からない。
レナーデ近郊において、竜のような魔物が隊商を全滅させたという記録はない。少なくとも、九八九年六の月には。
彼もしくは彼女の危惧が当たったのかはまだ判然としない。
ノヴィレグナは今や人造の迷宮――〈聖域〉と国民は呼んでいる――に覆われ、巨大な要塞と化した。
皇帝はもはや高齢で、体を起こすこともほぼないが、彼女の長子が間もなく即位し、遺志を継いでいくだろう。
皇太子の名はデレク。あの最初の勇者と同じ名だ。
災厄はここ二百年もの間、生まれる兆しはない。
一見世界は平和を保っているように見えるが、何かがこれより始まるのではないか。
ここ、カルドランド西端より仰ぎ見るノヴィレグナの〈外殻〉の形は、帝国を守護する天使のようにも、こちらに牙を向ける恐ろしき怪物のようにも見えた。
第七章 完
「いやごめんね急に。かなりびっくりしたと思うけど大丈夫?」
「……初めてならびっくりしただろうが、最近はこういった体験ばかりなので、それほどでもない。あなたのような妙な存在と対話するのはな」
「そうそう妙な存在、そうなんだよね、なにしろ私って異世界人だからさ、たぶんこうしてこっちの人と直に話すのは初めてだし。歴史的瞬間だよ」
「異世界人だと……? あなたの目的は、いったい何なんだ」
「いやあ単純だよ、フェステの爺ちゃんとかハルミナとかみたく、私はもったいぶらないからさあ。あなたにはちょっと世界を救う手伝いをして欲しいってだけ。私の世界と、この世界の両方のね」
第八章へ続く




