第四話 故郷について
新帝国暦九八九年 五の月、十七日
無事にレナーデに到着し、宿に入ることができた。
この都市は周囲を立派な城壁に囲まれ、壁の上にはライフルを手にした見張り番の他に、恐ろしげなガーゴイル像が等間隔で配置されていた。可動の魔術はかかっていないようだったが、その視線はすべて入門者へ向けられており、新入りの盗っ人に対し睨みをきかせているぞ、との都市当局からのメッセージに思えた。
市内に入るとまず目に付くのは、真正面に建つ都市の名の由来となった女盗賊レナーデの像だ。
わたしが打ち倒した〈巨像〉よりも大きく、短剣を天に掲げるその姿は英雄そのものだった。彼女もまたわたしと同じく、ハルミナより贈り物を授かった一人であり、恐らくは知られている中で最大の成功者だろう。あるいは、わたしのように隠密に適した呪いを得、誰にも知られずに巨万の富を築いた者がいるのかも知れないが、ぼろを纏った女の不満げな口ぶりからは、レナーデ以後長らく彼女ほどの成功者が生まれていないことが読み取れた。少なくともハルミナを満足させることはわたしの先達たちの大部分にはできなかったようだし、わたしにもその自信は未だになかった。ひとまずは力を試すところからだ。
レナーデの周囲の広場は市場となっていた。わたしは手始めに、裕福そうな紳士の鞄に手を突っ込んで財布から当面の生活費を拝借した。周囲の誰も、もちろんわたしには目もくれず、盗みの容易さを裏付けた。
しかし、わたしは噴水の前で腕組みをしていた、狡猾そうなドヴェルの男が、一瞬こちらを見たのに気づいた。
結局彼はすぐにわたしへの関心を失ったようだったが、どうやら熟達した人間の目には何か違和感を与えるらしい。まだ呪いの力が馴染んでいないのか、それともハルミナが、何の工夫も凝らさぬ盗みには否定的なのか、いずれにしても最低限の取り繕いくらいはしなければ危うい、と感じたわたしは、次に路地裏に入り込み、スリらしく目撃者のいないタイミングで何度か、通行人から小銭を掠め取った。
わたしはふと、いくら他に金銭を得る手段がなく、露見する心配がまずないとはいえ、初めて犯罪に手を染めるにしては罪悪感も緊張もないことに疑問を持った。これもハルミナの魔力のひとつなのだろうか? このままブレーキを失い、際限なく悪行に手を染める自分を思い浮かべた。
どの物語でも、分不相応な力を手にして増長した悪党の行く先は破滅と相場が決まっている。先ほどのドヴェルの一瞥も考えると、慎重になりすぎるくらいが丁度よいだろうと考え、わたしはこの日の「仕事」を早々に切り上げた。
宿を求めて路地を抜け、大通りを歩いていると、人だかりができていた。
冒険者の募集をギルド前で行っているらしい。コルニスタンでは他国で見られるような、酒場に併設された支部内の掲示板に貼り紙が並ぶ、といった手法は一般的ではない。大部分は野外で、台に乗った徴募官が競りでも行うかのように「何々の討伐、報酬はいくら、腕自慢を何人!」といったような形でなされる。
このときは、殺人を犯し逃亡した吸血鬼討伐の遠征参加者が募られていた。賞金首たる彼には既に探知の術がかけられている。
我が故郷でも、ソルフォールを追われた〈血啜り〉討伐の仕事は何度か参加したが、大抵は専門家のダンピールが一肌脱いで終わりだった。結局のところ、〈エルフの耳の長さはエルフが一番よく知っている〉ということだ。とはいえエンバーヴェイル以外のどこにでも、吸血鬼狩りの達人がいるわけでもない。
腕自慢の剣士が、自分の実績を舞台俳優のように大仰に語っている。相手がソルフォールの〈竜の仔〉だろうといちころだ、などと謳っているが、これがオラシュルドラクルの街路だったらと思うと冷や汗ものだ。あの国の気高い吸血鬼たちの前で、公王から直々に玉血を注がれた精鋭騎士を侮辱したなら、翌朝には――かの国には朝などないが――あの大口叩きの剣士はミイラと化し打ち捨てられるか、血を吸う価値すらない、とコウモリの餌にされてしまうだろう。
わたしは安宿に入り、一階の酒場で食事を摂った。注文したのはじゃがいもと牛肉のパイで、地酒も注文したが、これは粥のようにどろりとしていて、癖がないがかなり強いものだった。ふと、故郷の苦いビールが欲しくなった。
食後に周囲をふらりとさまよっているうちに日が落ちてきたので、宿に戻りこれを書いている。
今回は我が故郷、エンバーヴェイルについて少しばかり解説を重ねておこう。王国やフィルベルグといった北方地域では抽象的なイメージしかありはしないだろうし、帝国ではもっとだろうから。
前述したように我が国は、長きに渡り戦乱の続いた南方が生み出した傭兵の国だ。
災厄以前から続いた、南のエルフを初めとし、すべての方角を敵に包囲され資源も乏しいという状況が、恐ろしいまでの戦士を作り上げた。
サライドが魔女たちを、グランクローシェが権謀術数と〈光の秘儀〉を、ソルフォールが吸血の魔術を生んだように、我らの先祖はあらゆる相手に対する対抗策を生み出した。第一次災厄の折に生み出された禁術を初めとし、人体改造や呪術にも手を伸ばし、貪欲に力を蓄えていった。
その力を手にした傭兵たちは、半島全土、ときにはラエル、王国、アシュワンドにまで雇い主を求めて旅立ち、我々はしばしば同郷の戦士とも剣を交えた。戦いを経るごとに新たな力の開発に余念がなかったエンバーヴェイル人が、南方の戦乱をいたずらに長引かせたとの指摘もしばしばだ。これについてはわたしも同意するところだ。
しかし、戦乱と破壊がなければ、この世界は停滞を余儀なくされていたであろう。ローギルの教えの柱となる、世界をかき乱し跳躍させる〈混沌〉を体現するのが我が故郷であるということも、疑いようのない事実である。
例えば先に挙げたダンピールは、ソルフォールの吸血鬼に対抗するために生み出された人造種族であり、優れた魔術的改造を施された研鑽の産物だ。
詳しい原理は秘匿されているが、赤子に吸血鬼化の術を用い、最後のところで浄化する、といった手法を何度も繰り返すらしい。そうすることで、人と吸血鬼の狭間の、半吸血鬼とも呼ぶべき存在を生み出すのだ。これはソルフォールの貴族たちからすれば神をも恐れぬ行為らしいが、その力は圧倒的で、もっとも名高い〈緋色のカリンティ〉は一人で数百の吸血鬼を屠り、彼らからは悪鬼、怪物と恐れられた。
ダンピールはどうやら、高位の吸血鬼の弱点である銀や太陽光、流水といったものと同種の魔力を宿しているらしい。後年この技術を膨大な資金で購入したグランクローシェでは半ば偶像のように崇められているらしいが、狩人は戦場で刃を握っているのがもっとも相応しい姿であり、まったくの持ち腐れだ。
これを書いている今、窓の外でどうやら吸血鬼の討伐隊が夜明けを待って出征するために集っているようだ。しかし冒険者たちは銀の刃ではなく酒に満ちた杯を掲げているではないか。彼らが自ら謳った文句のように、精強であることを願うばかりだ。




