第一話 〈硝子の月〉亭
〈硝子の月〉亭は帝都アウレアの中心部から少し離れた繁華街のはずれ、路地の奥にあった。
冒険者ギルド支部に隣接しているので、そこに所属している者たちが主な客だ。ギルドもこの酒場も薄暗く、エーテル灯はぼんやりとくすんだ明かりを投げかけている。
最近支部に出入りしているのは〈モトリーウォール〉の探索者だ。帝国では未だに冒険者が英雄視されることはまれで、迷宮潜りとなると殊更奇人扱いされる。
この日の仕事を終えた者たちが食事をしている。呪縛者ベネディクト。シティエルフの探索者レナーデ。薄明のミルドレッド。屍術士イアン。料理人ヌヴォラ。いつもなら加えて〈閑古鳥のアノーリン〉もいるはずだが、今日はまだ来ていない。
「あんたらもあの〈洞穴を這いずるもの〉だかに会ったのかい? なんとも胡散臭い野郎じゃないかい」レナーデがワインを飲りながら言った。風生まれのヌヴォラも同意する。
「妙だった、まるで素性分からない。巧みに隠蔽してるって感じ」
「小生の〈屍術の深淵〉にもまるで反応しやがらないときている! このジーク師のサイン入りの希少本を……」
そういって本を取り出しかけたイアンを疎ましそうに横目で見ながらベネディクトは言う、「旦那、それはたいして皆興味ないんじゃねえかな。あとあんまり見せびらかさないほうがいいと思うよ」
「なぜだねベネディクト。これはかのお方が三百年かけて築き上げた秘儀の――」
イアンが声を荒げかけたところで、入り口から新しい客が入ってくる。
顔色の悪い痩せた男だった。黒い髪と髭は伸ばし放題だが、身なりはしっかりとしていて、糊の利いたシャツを纏っている。
彼の剣は奇妙なものだった。無数の鈴がその柄にぶらさがっているが、揺れても音を立てないのだ。ミルドレッドは魔剣だな、と一目で見抜いた。
「あー……失礼、あなたがた」男はささやくように、冒険者たちに問いかける。「わたしの同類を見かけなかっただろうか? この近くの迷宮に転移したという冒険者だ」
彼が髪をかき分けると、赤い両目があらわになった。
「あんたは吸血鬼か。探しているご同類とは、〈黄金の血〉のイザベル嬢か?」
ミルドレッドの問いに、男は頷く。
「そうです。わたしは彼女と同じクランに属するホルヘといいます……彼女を迎えに来たのだ。あのお嬢さんは問題ばかり起こしている……困ったものです」
「彼女とはモトリーウォールの中で会ったよ。出たら出頭するとは言ってたけどまだ来てないみたいだ」
ベネディクトが言うと、ホルヘはううむと唸る。
「何をもたついているのでしょうか。わたしはもはや眠くて仕方がない。帝都の闇はとてもいい。エーテルと人の吐息の入り混じった、シルクのような夜だ……今日はもう寝るとしよう、イザベルに会ったらわたしは〈順風屋〉という宿に泊まっていると伝えてくれ……」
「待ちたまえ、吸血鬼と会うのは久々なのだ」イアンが立ち上がり、退出しかけたホルヘを引き止める。「もしよければ研究用に血液を分けてはくれないだろうか? むろん金は払う」
振り返ったホルヘは眠たげな声で、
「金は要りません……ただわたしの提供するぶんと同量の血をいただきたい……我がクランは、血捨は大歓迎だ。とはいえわたしは眠っている相手の血しか飲まぬ。あなたに先に寝てもらうことになるが」
「よし、共に寝よう」
二人が出て行って、残りの面子はしばらく無言で飲んでいた。
「吸血鬼に屍術士か」ベネディクトがやがてつぶやいた。「職務質問に合ったら、たぶん一発で豚箱行きだろうな。そこでイザベルに会えるかもしんないから逆にいいのか?」




