第十話 過去
深夜、その老人は一人、邸宅の奥まった部屋で酒を飲んでいた。
部下には下がらせ、自分だけの静かな時間。わずかな安らぎの時だった。
しかしこの夜は一人の来訪者があった。
「久しぶりじゃな、デレク」
角の生えた、小柄な魔人。旧友。決して老いることのない随伴者。
彼女が現れたということは、ひとつの事実を意味する。
「シャユ。あなたが再び現れたということは――」
酔いの回った頭でも、それははっきり分かる。
「ああ、災厄の兆しじゃ。新たなひとつが生まれつつある」
「なんということだ」老人は思わず、天井を仰いだ。「他にこのような者がいるかね? 二度も災厄を迎えようとは。ようやく第六時災厄とその残党をすべて駆逐したかと思えば」
「察するよ。我々〈守人〉もこのような事態は予測していなかった。そして予想外なのは、その形態もじゃがな。しかし、悪いニュースばかりではない」魔人の少女は、嘆く老人を落ち着かせるように言う。「既に第七勇者も確認済みじゃ。そして、ことによってはこの災厄は未然に防がれるやもしれぬ」
「どういうことだ。その勇者はどこに?」
「ノヴィレグナの帝都じゃ。ローギルもまた、創意工夫を凝らしておるのじゃろう。この災厄、いかなる結末を迎えるか、我らはまったくもって予想が付かぬ」
「あなたはいつも、物事を遠まわしに言うな。いいや、魔人は皆そうか? それではコルニスタン商人にはなれぬな」
諦念か勇者の存在を聞かされた余裕か、あるいは酒のせいか。老人がひとつ冗談を口走る。シャユも少しばかり微笑む。
「単刀直入に言おう、第七次災厄は人間じゃ。一個人が、その身に力を宿しておる。前回と似ていなくもないが、恐らく一人のみに集中しておるために、その力は馬鹿げたものじゃろう。そしてこの人物は、そなたの身内じゃよ」
老人は悟った。帝都の勇者。自分の身内。それはすなわち――
「もしや、皇帝家か? 先ごろエヴァ皇后が懐妊したとの知らせがあったが――」
災厄の守人の長は頷き、言葉を続ける。
「そうじゃ。第七次災厄を宿すは皇帝の世継ぎ。なんとも因果なものじゃな。のう、我らが獲得者――カルドランド王よ」
■
そこは白い空間だった。
壁も天井もなく、ただ自分だけがそこにいる。
ひたすらに困惑する男の眼前に、一人の少女が姿を現し、微笑みながら告げる。
「おめでとう。あなたは選ばれた」
選ばれた? どういうことだ。自分はなぜこんな場所にいる?
無数の疑問を投げかける男を制し、少女は言う。
「あなたは死んだんだよ」
死んだ? なら、ここは死後の世界だとでも言うのだろうか?
「少し違うね。死んだっていうのもいささか語弊があるかな。正確には死ぬ寸前――〈物語〉が途切れる最後の部分から、あなたを掬い上げたと言えばいいのだろうか」
なんとも要領を得ない答えに、男は首を捻る。まだここはあの世で、少女が冥界神カハルジャの使いと言われたほうが収まりがいい。
「それで私なんだけど、あなたが死んでから二百年ほどあとの時代の人間なんだよね。で、ある目的のために私の力で、過去から人材を集めているっていうわけなんだ」
目的? 自分に何かをして欲しいというのか?
「そう。あなたには私の国を建て直す力になって欲しい。きっと多くの時間がかかるけど、こうして私は過去から偉大な力の持ち主を呼ぶことができるんだ。必ず、私は自分の国をかつてのような超大国に押し上げてみせるよ。確かにちょっと身勝手な申し出かもしれないけれど、見方によっては私はあなたの命の恩人だ。道半ばで倒れたあなたを、再び蘇らせるのだから。もちろん、断ってもかまわない。その場合あなたは、あの洞窟から這い出て竜と戦って死ぬ、その結末のままだけれど。どうする?」
男は考え、少女のために戦うことを選んだ。
「なら新しい名前をあげよう。あなたは〈洞穴を這いずるもの〉――光の刺す方向へ、無様だろうと足掻いた冒険者。前の名前は私が忘れることなく、覚えておくよ」
■
「ジェイク。いつの日か己の運命を知る日が来るだろう」
父は少年にそう言った。
冒険者としての教えを終えた、ある日の日没だった。
「お前は俺たちの子だ。否応なく、厄介ごとに巻き込まれるかもしれない。英雄になれとは言わない。俺たちもかつて指名のために帝都で戦った。俺たちを悪党、盗人と呼んだものもいる。しかし、俺たちは正義のために戦った――自分たちの〈役目〉を果たしたのさ」
少年は、沈む夕日を背に話す父の言葉を黙って聞いている。
両親は帝国の冒険者だった。普段はその身分を隠し、劇団として舞台に上がっていたらしい。
他の団員に会ったことはないが、写真を見たことはある。
奇妙な格好をした一座。烏の仮面の騎士。けばけばしい衣装の道化師。物語から抜け出たような、闇の大魔術師。
そして一番目立たない場所にいる老婆――彼らの座長であったという、元王国の冒険者。
「紛れもなく俺たちには、生まれ持った運命がある。だが、それに従うかあるいは背くか、決めるのはお前だ。どちらにせよ俺たちは自由なのだから。糸のない傀儡のように、自ら選択し、掴み取るのだ」
少年は父親を見る。一瞬彼の姿が二重に見えた。
フードを被った、これから一仕事しに夜の街へ出向く盗賊。そんな風に見えた。まさに演劇の登場人物のような、〈外套と短剣〉のカリカチュアに。
しかしそれは、一瞬で落日の光に溶けて消え去ってしまった。
第六章へ続く




