第九話 洞穴を這いずるもの
サーコートには松明を手にしたミノタウロスの紋章が描かれている。
どこぞのクランの人間だろうか。この紋章は見たことはない。といってもイザベルも帝国のクランには疎く、新興のものも多い。
迷宮公社の封鎖予告を受けて、他の冒険者たちのようにここへ入り込んだのだろう。
相手の顔は兜のために窺い知れない。性別も種族も不明だ。
「こんにちは。あなたがたは今から帰還するところだろうか?」
低い男の声だった。訛りはなく、極めて標準的なアクセントの共通語だ。
「ええ、転移で王国からここに放り込まれて脱出するところよ」
「転移? ああ、〈薄明〉が遭遇したという囚人か。それは災難だった。わたしは迷宮公社の者だ」
「封鎖はまだ先のはずじゃないんですか」
ジェイがそう言うと男は首肯し、
「そうだが、わたしはいわば下見で来ているのだ。この場所は色々と特殊で、厄介な迷宮だからな」
「あなたは帝国人なのかしら? 迷宮公社はどこからあなたを引き抜いたのか、気になるわねぇ」
イザベルが単刀直入に聞いた。冒険者間で相手のことを根掘り葉掘り聞くのはマナー違反だ。しかし男は嫌がる様子もなく対応する。
「それについては答えることはできないな。契約による守秘義務があるからだ。言えるのは名前だけ、わたしは〈洞穴を這いずるもの〉と呼ばれている」
男はコード・ネーム以外について明かすつもりはなさそうだった。
ジェイは彼をじっと見る。化け物の姿には見えなかったが、ただの人間でもない気がした。
クロウラーが兜の内側の目でジェイを見返す。
その瞬間、彼の体が散らばった――多数のページ。ジェイの目にはそんな映像が映った。
あふれ出る本のページは洪水のようにすべてを覆い隠す。
その奥底に、ある光景が浮かび上がった。
竜の群れ。それも、空を埋め尽くすほどの――
気がつくとジェイは、イザベルに肩を掴まれていた。すでにクロウラーはいない。
「どうしたのよジェイ、大丈夫? ぼーっとして」
「ああ……あの男は?」
「行っちゃったわよ、何だったのかしら。胡散臭い感じだったわねぇ」
ダリルはクロウラーが去ったであろう方角をしばらく見てから、
「ジェイ、あいつを観たんだろう。何が見えた?」
「怪物には見えませんでした。だけど、彼の体から無数のページがあふれ出て、それから、ものすごい数の竜が空を多い尽くす映像が見えました」
「なんだそりゃ。竜が空を覆うといえば――」
第五次災厄。二百年ほど前、フィルベルグで起こった竜の大量発生。
ドヴェルの勇者、石のアルヴィスが竜の王を倒すまで、北の地は数多の竜で蹂躙された。
あの映像が何を意味しているのかは分からなかったが、どうやら迷宮公社には巷で囁かれている以上に秘密がありそうだ。
■
その人物は一見細身に見えたが、近くで見ればよく引き締まった体と、獲物を狙う肉食獣のような目で、危険な男だということがすぐに分かる。
エルフの冒険者、閑古鳥のアノーリン。数多くの迷宮で、彼は最も重要な品を掠め取っていく。
その後には大した財宝はなく、冒険者は去っていってしまうがために揶揄半分で付いた二つ名だ。
今回も見つけ出したいくつかの魔具を、大容量収納の魔術のかかった背嚢へ仕舞い込み、そろそろ脱出の頃合か、といったところでそいつは現れた。
黒いサーコートの男だ。前触れもなく眼前に出現したが、迷宮による転移ではない。その場合、空間に穴が開くからだ。
「誰だいあんた。見たことがない紋章だな」
「わたしは〈洞穴を這いずるもの〉、迷宮公社の先遣隊だ。今回は下見に来ただけで、封鎖はまだだから安心したまえ」
これまで会った冒険者たちにしたのと同じ自己紹介だ。しかし最下層部にいたこのエルフは、クロウラーに対し敵意のこもった目を向ける。
「あんたがそうか。いきなり迷宮からオレたちを締め出そうって輩は」
「なにとぞ協力をしていただきたい。帝国は未曾有の危機に瀕しているのだ。これから先、さらに国内で怪異が頻発する恐れがある。それに抗するためには国の管理の下、迷宮から新たな力を掘り当てる必要があるのだ。君にも理解できるだろう」
「できやしねえな」
アノーリンが威圧的に言うが、クロウラーは臆するでもなく淡々と続ける。
「例えそうだとしても、封鎖されれば以後侵入は違法となる。今のうちに探索に励みたまえ」
立ち去ろうとするクロウラーに対し、エルフの探索者は手を向けた。
凝縮されたマナが放たれ、即座に相手を拘束する。
当の被害者はしかし、相変わらず淡々とした口ぶりで言う。
「これは犯罪行為だぞ? ここでの探索は未だ許可されているが、さすがに他の探索者をわけもなく拘束するなど」
「そのツラを拝ませてもらうだけだ」アノーリンは男に近づく。「得体の知れないお前らが何者か、白日の下に晒してやるのさ」
クロウラーは興味深そうに呟く。
「なるほど。まあ、頭首が予想していた通りだな。しかしここまで露骨に仕掛けてくるとは思わなかったよ。やはり冒険者、とかく迷宮潜りとは、かくも社会常識から乖離しているものだとは」
アノーリンの手が兜に触れた瞬間、彼はモトリーウォールにはいなかった。
どこかの洞窟、その出口付近にいるようだった。
「実は君を公社に加えようという話は出ていたんだ。だけどさすがに現役ではまずいということになってね。わたしのように、それなりの時間が経過している者でなくては」
どこからか、クロウラーの声だけが響く。
アノーリンは困惑しつつも、足早に出口に向かった。
何の前触れもないが、転移の魔術で反撃されたのだろうか。
「いいや、違う。君はわたしの〈物語〉の中に取り込まれたのだ。君だけではない。今後我々の――頭首とアデレード殿下の、帝国復興の妨げとなるものは皆」
洞窟の外は、乾いた砂と燃え殻の臭いがした。
アノーリンは空を仰ぎ、絶叫する。
無数の竜が、空を多い尽くすほどに飛んでいた。




