第六話 記憶
そしてクラリッサはジェイにあるものを手渡した。
彼女の背嚢は魔術がかかっており、取り戻した記憶によって隠された小道具がいくつか使用可能となった。そのひとつが青い薬瓶だ。
記憶を操る魔術師から支給されたもので、討伐後に記憶が混乱していたら飲むように言われていたそうだ。
「そのこと自体を忘れてたらどうすんだって話だけどな。んで、これは失った記憶を取り戻す魔法薬らしい。弱めのものだそうだがあんたならちょうどいいんじゃねえのかい、思い出しかけてるんだろ? まあ怖いならやめといてもいいけどさ、毒かも知れねえし。俺は隊長に連絡すっからよ」
クラリッサは薬とともに取り出した通信用の魔法具に向かって喋っている。
ジェイは薬瓶をしばし見つめ、意を決して一息に飲みほした。
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シニスターの根城は小規模な迷宮だった。もちろん冒険者ギルドには知られていないもので、恐らく発見者であるシニスターが秘匿し続けてきたのだろう。
ドヴェルの戦士アルヴィスが勇み足で突入し、野盗たちを一気に三人切り伏せる。自分も雷の魔術で一人の心臓を撃ちぬいた。
王国人の冒険者エドガーは利き腕を負傷したが、即座に左手に銃を持ち替えて果敢に戦っている。風生まれの癒し手ミスティが、すぐに傷を治療した。
ミスティは魔法薬を突入前に渡してくれた。懐にしまったそれを使うには至っていないが、即死しない限りはほぼ十全な状態に戻してくれる代物だ。
一同は頭目の部屋へとなだれ込む。
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部下を片付け、シニスター本人との戦いが始まった。
この砦を秘匿し続けた彼の魔術が今や、彼自身の姿を隠し位置を把握することはできなかった。
どうにか自分は動くものを探知する魔術でその場所を明らかにし、全員がそこに攻撃を放った。
血潮が飛び散り、手ごたえを感じたが、現れたのは先ほど倒した彼の副官だった。
死んだはずの部下を動かし、おとりにしていたのだ――やつは死霊術も使えるのか、そう思っていると、シニスターが部下に戦わせている間に準備していた必殺の魔術が炸裂した。
マナが弾け、無数の弾丸と化し冒険者たちを射抜いた。
回復役であるミスティは特に入念に蜂の巣にされ、他の仲間も頭部を損傷し倒れた。
自分は生きているものの、胴体に穴が開きまともに呼吸できない。手足はほとんど千切れかかっている。
「お前はわざと生かした。ここからとんずらするにはお前の『協力』が要るからな……」
シニスターが姿を現した。手にした杖が青く光っている。
「こいつは大規模な跳躍を可能にする魔法具だ。オレだけじゃ魔力は足りんだろうが、お前から力を奪えば帝国までいけるだろうさ」
意識は薄れつつあるが、それを見てあることを思いついた――あれを使えば。
あの転移の力をこちらが利用すれば、どうにかここから逃げることができるかも知れない。
「終わりにするか。お前の名前は何だったかな? さっき呼ばれていたよな、ああそうだ――」
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「おい大丈夫かジェイ? どうだ、思い出したのかい?」
クラリッサが目の前にいた。ジェイは頭を抑えながら、荒く息を吐く。
「……思い出した。私は……私の本当の名前は、イリーネ。私はファロの冒険者、イリーネ・クライン」
ジェイは自分が野盗シニスターと戦い、相手の魔法具を逆に利用してここまで転移し、持っていた魔法薬で生きながらえたことを説明した。
しかし転移のショックか記憶を失っており、その折にクラリッサと出会ったのだと。
「あなたが助けてくれなければ危なかった。ありがとう、クラリッサ」
礼を言うジェイを見ながら、しばらく沈黙するクラリッサ。
やがて少しばかり微笑んで、口を開く。
「ああ、どういたしまして、ジェイ。記憶をとりもどせてお互いに良かったな、まずはおめでとう、と言っておこう。そして――見事脱出に成功したのもな。手際良かったじゃねえか、あんた。
だけど生憎、俺をごまかすことはできねえよ――それとも、まだ記憶が混乱してんのかい。イリーネ・クラインの記憶を自分のもんだと誤解してんのかな? もしくは分かった上での嘘か?
自慢じゃねえが俺は、人間と、人間の形をしたもんなら飽きるほど見て、触れ、殺してきたのさ。ときには紛れ込んでるのを探し出して始末しなきゃならなかった」
ジェイはじっとクラリッサを見たまま答えない。
「あんた、シニスターだろ? いいや、それも違うか、彼の姿も本物から奪い取ったんだろ、イリーネにしたのと同じく」
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「イリーネ、もしかしてこう考えていないか? 『あの転移の杖を利用してこっちが逃げてやる』だなんて」シニスターは皮肉な笑みを浮かべながら言う。「残念だが、こいつはオレしか使えねえよ。オレ本人のマナじゃなきゃ発動しないようになっているからな。さて、希望もついえた所でお別れの時間だ。お前からすべてをいただこう」
彼の顔が、水でインクを流すように溶け落ち、目も鼻もないまっさらな白い人型となった。
シェイプシフター。他者の姿と記憶、技能を奪う魔物。
本当のシニスターはすでに死んでいた。この男はその姿と役割を引き継ぎ、今日まで演じていたのだ。
そして次はイリーネの姿を奪おうとしている。
剣がイリーネの胸を突いた。装備と骨を砕く手ごたえ。
シェイプシフターの体が縮み、イリーネのそれとなる。同時に、記憶が流れ込んでくる。
直近の記憶の中に、見過ごせないものがあった。
ミスティが渡した回復薬を、こうなることを見越してか偶然か、イリーネは胸部にしまいこんでいた。
すると先ほど装備とともに砕いたのはその瓶か。
薬のせいでわずかに彼女の生命力が回復した。もちろん風前の灯には変わりないが――杖の持ち主はすでに、イリーネと寸分たがわぬ姿だ。そしてマナの波長も彼女のものと同一。
シェイプシフターは自らが姿を変えても、継続的に魔法具を使えるようにある処置をしていた。
身につけたまま変化を行えば、それに反応して自動的に魔法具が登録者を上書きする。
手間がかかる処理だったが、無防備な変化の隙をなくすため前代の知恵を用いて施した。しかしこれが災いしてしまった――
イリーネが大量のマナを放ったのは、シェイプシフターが飛びのく一瞬前のことだった。
生命維持を考慮せずに杖に流し込まれた体内すべてのマナが、転移の門を開く。
だからといって、死に際のあがきに変わりはない。もとよりイリーネの魔力を奪って遁走するつもりだったのだから。しかし強烈なマナのせいで完全に転移を制御できていない。このままでは地中やどこかの壁の中に生き埋めになりかねない。
どうにか杖をコントロールしようとしたところで、彼女――イリーネ・クラインの映し身は意識を失った。




