第一話 転移
気がつくとそこは一面の草原だった――どういうこった! 男はひたすらに困惑した。見慣れた自分の街とはあまりにかけ離れている。建物で埋め尽くされ、エーテルの青白い蒸気で霞んだ空とは違い、ここの蒼穹はどこまでも澄み渡っている。
直前の記憶を思い返してみる。帝都での冒険者稼業に疲れ、気分を変えようと離れた場所へ旅立とうとしていた。そのための旅費を稼ぐため迷宮――地下鉄工事の際に発見されたものだ――に潜っていた際、発見した剣に手を伸ばして……
それは足元に落ちていた。わずかに青白く光り、煙を上げて下草を少しばかり焦がしている。
この魔法剣のせいでこの場所へ飛ばされたに違いない。転送の魔法は制御できれば便利だが、できない場合悲惨な事故を引き起こす。こうして心地よい平原に来れて自分は極めて幸運だった、と冒険者の男は息を吐く。
改めて周囲の様子を確認してみると、間違いなく帝都ではなさそうだった。
草原の所々には、朽ちかけた石造りの遺跡が点在している。背後を振り返れば、遠方に都市の影が見えた。
魔導機関が絶え間なく吐き出す蒸気もないし、供給塔の唸るような音もない。もしかするとここはカルドランドかもしれない。そうなると、いよいよ剣の力が異常なものと思えてくる――これほど遠くまでの転移なんて。足元のそれを見つめていると、近づいてくるエンジン音が聞こえた。
近くに未舗装のあぜ道があり、そこを街に向けて走る、一台の大きな自動車が目に入った。帝国ではもうほとんど使われていない、蓄エーテル式で燃費の悪い旧式だ。
男は駆け寄ると手を振る。果たして車は止まり、中からエルフの女が顔を見せた。切れ長の目でじろりと、男をいぶかしげに見て、
「何か用か、耳無し。疲れたから乗せてって欲しいなどという戯言をほざくつもりではなかろうな?」
「いやね姉さん、ちょいとお尋ねしたいことがあるってだけさ。ここが何処か、教えてくれねえかい」
エルフは帝国訛りを聞いて、ますます目つきを険しくした。「なんだ、帝国人か? こんな所で何をしているんだ? ここが何処かだと? フェルネストに決まっているだろう。当てのない旅でもしているというわけか?」
フェルネスト、確か王国の北東部、内陸の都市だったはずだ。カルドランド大陸をほぼ横断したことになる。
「そうするつもりだったんですがね、ちょいと予定が早まりまして。横断鉄道に乗る前に、帝都の迷宮で妙な剣を拾ったら、ここに転移してたってわけです」
「ジャンプか、よくあることだ。不幸な事故だがお前にとっては幸運だったわけだ。見たところジャンプ病もないようだし、蜘蛛のケツにも齧りつけそうな具合だな? それで、その剣というのも仲良くジャンプしたということか、帝国人?」
「ああ、そっちに落ちてるさ」
エルフの女は車を降りて、それを検分する。何らかの魔法を無詠唱で使い、頷いて、
「ひとまず問題はなさそうだ。お前の転移は誤動作だな、たいていこの手の魔導具は最初に魔力でキーを登録するもんだが、お前はその際、そうとうに魔力制御が稚拙なのか、大量に送り込んだな? アウレアからここまでジャンプしたからと言って、お前が〈溺れ谷のフィオナ〉級の傑物だなどとは思わないことだ、この剣を鍛えた古代帝国の技師が、灼熱の技量を持っていたということなのだ」
もう触れても大丈夫か、と尋ねると相手は、土砂降りに魔力を送り込まなければ心配はない、人生に疲れたら試せ、と言った。
鞘を腰のベルトに装着しながら、街まで乗せてってくれませんかね、と男は頼み込んだ。
「いいだろう、私は親切だからな。お前を街まで送ってやる。不審者がウロチョロしてるから確保してくれ、なんて依頼されては二度手間だしな。後のことは着いてから決めろ。向こうの続きを――冒険者を――するのもいいかもな。迷宮に潜っていたというなら、あちらではそうだったのだろう? 私はオルテンシア、中つ庭のオルテンシアだ。お前は? 帝国人」
「ジェームズ・ジョンソンです」
そう名乗るとオルテンシアは顔をしかめて、「お前、偽名を使うにしろもう少し工夫したらどうだ? そんな何万人いるかも分からんありきたりな名前を……」
「何言ってんだい、本名ですよ、親が付けてくれた……」
「本当か? まあいいジェームズ、乗れ、ボロ車だが文句を言うなよ」