伏魔殿の噂と沙藤さんの涙
室生 初音 : 地方の芸大生
沙藤 美麗 : 同じく芸大生
ハザマ様 =室生 透青
室生家の巫覡をしている。
中の人は月島 秀青で、彼は死んだ事になっている
御影 様
律 様 お役目様の内孫三人衆の内二人
それぞれ霊的能力を持つ
室生の本家へアルバイトに行き始めてから、お手伝いさんたちの間で、私に関するある噂が立っていた。
どうやら、「次期お役目の妻の座を狙う、したたかな女の子」と思われているらしい。
惟光さんがこの状況に心を痛め、「彼女はハザマ様との婚約を辞退しております」と説いて回ってくれた。しかし、今度は「御影様に取り入ろうとしている」という新たな噂が立つ始末だ。
私が室生の血を引いているために優遇されていることや、ハザマ様や御影様と気安く話している光景が、古株のお手伝いさんたちには気に食わなかったのだろう。
すれ違いざまに、「ハザマ様のお手付き済みなのですか?」とか「あちらのお相手をするとお給料が良いんでしょうね?」などと嫌味を言われることもあった。
だが、これは予想していたことだ。 本家という場所は、こういう妬みを軽く受け流しつつ、堂々と采配を振るえる者でなければやっていけない。
幼い頃から、大人たちが本家のことを「意地の悪い人間がひしめく伏魔殿」と呼んでいたのをよく覚えている。 どのみち五ヶ月ほどしかいない予定なので、私は適当に聞き流していた。
そんな折、十一月末から大掃除の準備が始まった。 小雨が降り止んだある日、障子張りのお手伝いとして沙藤さんが来てくれることになった。
なぜかハザマ様も参戦し、三人で屋敷中の障子を綺麗に張り替えることになったのだ。
実は、湿度がある日は障子の張り替えに最適なのである。 私が大量の糊を用意し、ハザマ様が障子に水をかけて古い紙を剥がし、桟を綺麗に拭き取る。 その後、三人で桟に糊を塗り、霧吹きで湿らせた新しい障子紙を張り、刷毛でシワを伸ばしていく。
この一連の作業には、紙を水で濡らして膨張させた状態で板に張り、乾かしてピンと張った状態を作るという、芸大生ならではの「水張り」の技巧が大いに役立っていた。
丸一日がかりで全ての作業を終えた後。 沙藤さんに「あとで話がある……」と人気のない場所へ呼ばれ、こう告げられた。
「ハザマ様の障子を張る手つき……まるで、月島さんの動きそのままだったわ。刷毛の動かし方やカッターの入れ方、紙をピンと張る時の姿勢や目つきまで……」
沙藤さんは真剣な眼差しで私を問い詰める。 「何故、あんなにそっくりなのかしら。いくら双子だからって、説明がつかないわ。あの方は一体、誰なの?」
私は、秀青さんがハザマ様なのだとは口が裂けても言えず、「沙藤さんの考えすぎじゃないかな?」と笑って誤魔化した。
「…………美術の知識といい、符号が多すぎるわ」
沙藤さんは、納得のいかない様子でそう呟いた。
「今日は手伝ってくれてありがとな、沙藤」
不意に背後から声がした。
振り返ると、いつの間にかそこにハザマ様が立っていた。彼はいつもの尊大な態度ではなく、どこか懐かしむような、昔馴染みに向けるような柔らかい口調で言葉を続ける。
「やっぱり沙藤は水張りが得意だよな。……二度とできないフリはするなよ」
それは、かつての『月島さん』と同じ話し方であり、二人だけが知る過去の出来事を示す決定的なヒントだった。
自らの正体を明かすようなその言葉に、沙藤さんはハッと息を呑む。
ハザマ様の意図を瞬時に汲み取った彼女の瞳から涙が溢れ落ちた。
「……お褒めいただき、ありがとうございます」 沙藤さんは涙を拭うこともせず、万感の思いを込めて微笑んだ。
「月島さん」




