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17 未探索区域

四階層での惨敗から数日。レインたちは方針を変更した。無理に四階層へ挑戦しない。まずは三階層を徹底的に調べる。探索する。稼ぐ。経験を積む。その方針に決めた。幸い三階層には素材収集系の依頼も多い。毒蜘蛛の毒袋。特定の鉱石。発光苔。ゴブリンの魔石。討伐だけではなく採集も兼ねられるため、収入も安定していた。


「今日は西側ですね」


リリアが地図を見ながら言う。地図といっても簡単なものだ。冒険者がよく使う通路しか載っていない。未探索区域は空白のままだった。レインは頷く。


「正規ルートから外れてみましょう」


そうして探索を始める。最初はいつも通りだった。見慣れた通路。見慣れた魔物。ゴブリン。ラット。毒蜘蛛。問題なく倒せる。フェンも順調に成長している。連携も以前より滑らかになっていた。だから最初は気付かなかった。本当に気付かなかったのだ。三階層の奥。普段なら四階層へ向かう階段がある方向とは逆。ほとんど人が来ない脇道へ入った時だった。フェンが立ち止まる。耳が立つ。チビも肩の上で鼻を動かしていた。


「どうした?」


レインが小声で聞く。フェンが唸る。その直後だった。岩陰から何かが飛び出した。


「っ!」


レインが反射的に短剣を構える。飛び出してきたのは大蜥蜴だった。だが普通ではない。体長は二メートル近い。全身を硬そうな鱗が覆っている。前足の爪も長い。見たことがなかった。


「なんですか、あれ……?」


 リリアが目を見開き、思わず足を止めた。その視線の先には、これまで三階層では見たことのない魔物が立っていた。


 レインもまた、初めて目にする魔物を前に、胸の奥で好奇心が膨らむのを感じていた。未知の魔物との遭遇は、危険であると同時に、冒険者として興味をそそられる出来事でもある。もっとも、目の前の相手は呑気に観察していられるような雰囲気ではなかった。


 姿形は大蜥蜴に似ているが、以前に戦ったレッサーリザードとは明らかに違っていた。あちらが比較的すらりとした体つきだったのに対し、こちらは四足歩行で、胴体も手足もひと回り以上太い。地面を踏みしめるたびに、ずっしりとした重量が伝わってくるようだった。


 全身を覆う鱗は土や泥に汚れ、ところどころに傷のような跡も見える。それでも、太い四肢の先に生えた爪だけは隠しようがなかった。湾曲した爪の表面が薄暗い通路の光を受け、鈍い光を返している。その鋭さを目にしただけで、まともに受ければ危険だと直感できた。


「見た目からして、レッサーリザードとは別物ですね……」


 レインは短剣を握り直しながら、魔物の動きを注意深く観察した。体格から考えれば、動きはそれほど速くないかもしれない。しかし、あの太い脚なら一度走り出した際の勢いは相当なものになるはずだ。爪の届く範囲も広く、正面から不用意に近づくのは避けたい。


 そう考えた直後だった。


 大蜥蜴は威嚇するように口を開くこともなく、地面を蹴って一直線に突っ込んできた。巨体からは想像しにくい勢いに、レインは一瞬だけ目を見張ったものの、すぐに短剣を構えて迎え撃つ。


 刃が鱗へと叩きつけられ、硬い音が通路に響いた。


 手応えはあった。だが、刃は鱗を深く切り裂くことなく、表面を浅く傷つけただけで止まっていた。


「硬っ!」


 思わず声が漏れる。斬り込んだ感触は、普通の魔物の身体を攻撃したときとはまるで違っていた。鱗そのものが厚いのか、それとも内部まで硬いのかは分からないが、少なくとも短剣で簡単に倒せる相手ではなさそうだった。


 考えを巡らせる暇もなく、大蜥蜴の前脚が横薙ぎに振るわれる。


「っ!」


 レインは反射的に身を引いた。爪が目の前を通り過ぎ、革鎧の一部を引き裂く。布と革が裂ける嫌な音が耳に届き、遅れて腕に冷たい感覚が走った。あと一瞬でも退くのが遅れていれば、鎧だけでは済まなかったかもしれない。


 背筋を冷たいものが走る。今の一撃は、単なる力任せの攻撃ではなかった。大蜥蜴は勢いを殺しきらずに身体の向きを変え、間合いに入った相手を逃がさないように爪を振るってきたのだ。


 その動きを見逃さず、フェンが側面から飛び掛かった。


 大蜥蜴の注意がそちらへ向いた瞬間、レインは踏み込む。正面から鱗を斬りつけても効果が薄いのなら、狙うべきは防御の薄い場所だ。短剣を握る手に力を込め、首元へ刃を滑り込ませた。


 今度は、確かな手応えがあった。


 刃が鱗の隙間を捉え、肉へと食い込む。大蜥蜴は苦しげに身体をよじり、太い脚で地面を掻いたものの、やがて力を失ってその場へ崩れ落ちた。


 戦闘が終わったことを確認しても、レインはすぐには短剣を下ろさなかった。魔物の動きが完全に止まったのを見届けてから、ようやく張り詰めていた息を吐き出す。


 フェンも警戒を解ききらない様子で、倒れた魔物の周囲を確認している。リリアは胸元に手を当てながら、緊張からか少し速くなった呼吸を整えていた。


「……強くないですか?」


 リリアの呟きには、戸惑いが滲んでいた。


「そうですね。思っていた以上に厄介な相手でした」


レインは裂かれた革鎧に目を落とし、眉を寄せた。傷は深くないものの、鋭い爪があと少し深く食い込んでいれば、肉にまで届いていたかもしれない。以前の装備のままだったら、もっと深刻な怪我を負っていた可能性もある。修理と補強をしておいて正解だったが、それでも防ぎきれなかったのだ。


三階層の魔物を相手に、これほど装備の心許なさを痛感するとは思わなかった。短剣による最初の一撃も、鱗に弾かれて浅い傷をつけるのが精一杯だった。フェンが側面から注意を引きつけてくれなければ、首元を狙う隙すら作れなかっただろう。


――防御力を上げないと、次は死ぬぞ。


装備を買い替えた際、店主に言われた言葉が脳裏によみがえる。あのときは少し大げさな忠告にも聞こえたが、今ならその意味がよくわかる。装備を更新したおかげで致命傷を免れたのかもしれない。それでも、この革鎧ではまだ足りない。


「……戻ったら、また鎧の修理と補強をお願いしないとな」


レインは裂け目を指でなぞり、小さく息を吐いた。店主は修理のついでに補強もすると言っていた。あの言葉を、今度は素直にありがたいと思えた。


 三階層の魔物として考えれば、明らかに危険度が高い。ゴブリンが数体まとまって襲ってくる場合とも違い、一体だけでも十分な脅威になり得る相手だった。

「おかしいですね」


「何がですか?」


リリアが尋ねる。レインは地図を広げた。そして四階層へ続く道を指差す。


「今まで僕たちが探索してたのって」


「この辺ですよね」


リリアも理解したらしい。


「あ……」


小さく声を漏らす。レインもようやく気付いた。今まで通っていたのは正規ルートだった。冒険者が頻繁に利用する道。四階層へ向かうための主要通路。当然ながら利用者も多い。つまり。魔物も狩られている。討伐されている。数が減っている。強い個体も優先的に倒される。結果として残るのは比較的弱い魔物ばかりになる。


「僕たち……」


レインは苦笑した。


「勘違いしてましたね」


リリアも同じような顔になる。三階層に慣れたと思っていた。安定して攻略できると思っていた。だが実際は違う。安全な道を歩いていただけだった。三階層そのものを攻略できていたわけではない。だから四階層であそこまで通用しなかった。カイたちやベテラン冒険者が普通に進める理由も分かる。彼らは正規ルートだけを歩いているわけではない。三階層全体を理解している。危険な区域も経験している。レインは小さく笑った。悔しさもある。だが納得もできた。


「まだまだですね」


「ですね」


リリアも頷く。チビは肩の上で尻尾を揺らしている。フェンも伏せたまま耳を動かしていた。レインは立ち上がる。四階層へ行けなかった理由が分かった。ならやることも決まっている。三階層を知る。隅々まで。強い魔物も倒せるようになる。そうして初めて四階層へ挑戦する。今度は階段を見ただけで逃げ帰らないために。レインたちは再び未探索の通路へ足を向けた。翌朝。レインたちはいつものように乗合馬車へ乗り込み、ダンジョンへ向かった。昨日の探索で分かったことがある。三階層は思っていたより広い。そして思っていたより危険だった。だからこそ面白い。四階層へ挑む前に、まだやるべきことは山ほど残っていた。

ギルドで受けた依頼もそのためのものだ。今回受けた依頼は2つ。一つ目は《毒蜘蛛の毒袋五個》。調合師ギルドからの依頼で、傷薬や麻痺毒の材料に使うらしい。報酬は銀貨二枚。

二つ目は《岩甲虫の甲殻三枚》。防具職人からの依頼だった。丈夫な小手や胸当ての素材になる。報酬は銀貨三枚。

どれも三階層の奥で見つかる魔物ばかりだった。


「昨日の復習みたいですね」


リリアが苦笑する。レインも頷いた。


「倒せるって分かってますからね」


もちろん油断はしない。だが未知ではなくなった。それだけで精神的な余裕は大きい。ダンジョンへ入り、一階層と二階層を抜ける。最近はほとんど危険を感じなくなった。ゴブリンもラットも問題にならない。フェンが警戒し、チビが索敵する。危険な気配があればリリアが支援魔法を準備する。自然と役割分担が出来上がっていた。三階層へ到着した頃には、以前よりすこし余裕があった。

正規ルートを外れる。昨日と同じく人の少ない通路へ進む。しばらく歩くとチビが耳を動かしフェンもにおいに反応したようだ。


「キュッ」

「ワフ」


何か見つけたらしい。レインたちは足音を殺して近付く。そこには蜘蛛がいた。人間ほどもある巨大な毒蜘蛛だった。壁に張り付きながら待ち伏せしている。以前なら見逃していたかもしれない。しかし今はフェンとチビがいる。レインは小さく笑った。


「頼りになるな」


チビは少し得意そうだった。戦闘は短かった。フェンが正面から注意を引く。蜘蛛が反応した瞬間。チビの糸が脚へ絡む。完全には止められない。それでも一瞬動きが鈍る。そこへレインが飛び込み首を斬る。蜘蛛が倒れた。毒袋も無事に回収できる。


「一つ目です」


リリアが袋へ収納した。午前中だけで三匹の毒蜘蛛を見つけた。昨日より遥かに効率が良い。そして昼前。今度は岩甲虫と遭遇する。岩にしか見えない魔物だった。近付いた瞬間に動き出す。知らなければ不意打ちを受けていただろう。しかし一度見ている。対策もある。フェンが背後へ回り込み、レインが正面から注意を引く。硬い甲殻は厄介だったが、関節部分なら刃が通る。時間はかかったものの無事討伐できた。甲殻も手に入った。昼食は三階層の安全地帯で取った。干し肉とパン。そして水。豪華ではない。それでも十分だった。食べながら地図へ印を付ける。昨日発見した通路。魔物の出現位置。休憩に使えそうな場所。少しずつ情報が増えていく。まるで自分たちの地図になっていくようだった。午後。最も苦労したのは洞窟狼だった。群れで行動する。しかも賢い。一匹が囮になり、別の個体が側面から回り込んでくる。最初に遭遇した時は思わず冷や汗が出た。だが今のレインたちは以前とは違う。フェンが狼の動きを読む。チビが索敵する。リリアが支援する。レインが前へ出る。全員が役割を果たしていた。戦闘後。洞窟狼の牙を回収しながらレインは息を吐く。


「少しずつですけど」


「強くなってますね」


リリアも笑った。その言葉にレインは頷く。昨日のような未知への恐怖はまだある。四階層への不安も消えていない。それでも。今は三階層を攻略しているという実感があった。正規ルートではない。本当の三階層だ。そこを少しずつ前へ進んでいる。それが妙に嬉しかった。そしてこの日の探索終了時には。毒袋六個。甲殻四枚。牙十二本。受注した依頼は全て達成していた。さらに余剰素材まである。荷袋はずっしり重い。だが足取りは軽かった。三階層はまだ広い。知らない場所も多い。それでもレインたちは確実に、このダンジョンへ慣れ始めていた。


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