16 惨敗
数日後。レインたちは再びダンジョンへ来ていた。本来の予定では、もうしばらく三階層を中心に探索するつもりだった。実際、それが正しい。三階層では安定して稼げるようになっている。怪我も少ない。収入も悪くない。経験も積める。焦る理由はなかった。それでも。四階層が気になっていた。あの階段の先。未知の領域。新人卒業の目安と呼ばれる場所。どんな魔物がいるのか。本当に自分たちでは通用しないのか。知りたかった。
「少しだけです」
三階層の奥。四階層へ続く階段の前でレインは言った。
「危なそうならすぐ戻ります」
リリアも頷く。
「偵察だけですね」
フェンも静かに座っている。チビは肩の上から下を覗き込んでいた。レインたちは階段を下りる。一段。また一段。空気が変わる。冷たい。三階層とは違う。何となく肌が粟立つ。やがて最下段へ到着する。四階層だった。天井が高い。通路も広い。壁の色も少し違う。静かだった。妙に静かだった。
「なんだか嫌ですね」
リリアが小声で言う。レインも同感だった。何かがいる。そんな感覚だけはあった。慎重に進む。十メートル。二十メートル。まだ何も現れない。拍子抜けしそうになる。その時だった。フェンが突然低く唸った。
「グルル……」
レインが足を止める。前方。暗がりの奥。何かがいた。最初は岩だと思った。だが違う。それは動いた。巨大な四足獣。黒褐色の体毛。異様に発達した肩。そして頭部から伸びる一本角。ダンジョンボア。おそらくそうだった。だが。大きい。レインが想像していたより遥かに大きい。フォレストディア以上。馬ほどもある。
「大きいですね……」
リリアの声が少し震える。レインも息を呑む。それでも。まだ慢心があった。三階層では負けなかった。フェンもいる。チビもいる。自分たちなら少しくらい戦えるのではないか。そんな考えが頭をよぎる。それが間違いだった。ダンジョンボアがこちらへ気付く。赤い目が向く。次の瞬間。地面を蹴った。速い。あり得ないほど速かった。巨体から想像できない。一瞬で距離が消える。
「避けろ!」
レインが叫ぶ。全員が散る。直後。轟音。さっきまで立っていた場所の壁へダンジョンボアが激突した。石壁が砕ける。岩片が飛び散る。レインの顔から血の気が引いた。もし直撃していたら。革鎧など意味がない。人間の体など簡単に潰される。ダンジョンボアはすぐに向き直る。止まらない。疲れた様子もない。再び突進体勢へ入る。
「まずい!」
レインが短剣を抜く。チビが糸を放つ。細い糸が足へ絡み付く。だが。切れた。あっさりと。まるで意味がなかった。
「キュッ!?」
チビが驚く。レインも驚いていた。今まで通用していた妨害が効かない。フェンが飛び出す。側面から噛み付こうとする。しかし。ダンジョンボアが体を振った。フェンが吹き飛ぶ。悲鳴が上がる。壁へ叩き付けられた。
「フェン!」
リリアが叫ぶ。レインの背筋が冷えた。勝てない。瞬時に理解した。三階層とは別物だ。強さの次元が違う。戦えば死ぬ。本能が警告していた。
「逃げる!」
レインは即決した。迷わない。意地も張らない。チビを抱える。フェンを呼ぶ。幸いフェンは立ち上がった。怪我はしている。だが走れる。レインたちは全力で階段へ向かう。後ろから轟音が追ってくる。ダンジョンボアも走っている。壁が砕ける。石が飛ぶ。まるで災害だった。
「早く!」
リリアが階段を駆け上がる。レインも続く。心臓が壊れそうなほど暴れていた。あと少し。あと少し。三階層まで戻れば。やがて階段を上り切る。直後。ダンジョンボアは追ってこなかった。階層の境界で止まったらしい。レインたちはその場へ崩れ落ちる。誰もしばらく喋れなかった。荒い呼吸だけが響く。やがて。リリアが小さく呟く。
「無理でしたね」
レインは苦笑した。乾いた笑いだった。
「無理でした」
フェンも耳を伏せている。チビも珍しく大人しかった。三階層で順調だった。少しずつ強くなった気がしていた。自信も付いていた。だが。それは三階層までの話だった。四階層は違う。現実を叩き付けられた。完敗だった。戦いにすらなっていない。レインは階段を見下ろす。悔しい。だが不思議と落ち込んではいなかった。むしろ安心していた。挑戦して良かった。無理だと知れたからだ。
「まだ早いですね」
リリアが言う。レインは深く頷いた。
「ええ」
今は三階層だ。もっと強くなる。もっと経験を積む。四階層は逃げない。だから今日は帰ろう。レインは立ち上がる。その背中には、三階層で得た小さな自信が砕けた代わりに、本物の目標が残っていた。




