6 糸の使い道
ホーンラビットを回収した後も、レインたちはすぐには街へ戻らず、そのまま森の中を歩き続けていた。もっとも危険な区域へ向かったわけではなく、街からそれほど離れていない新人冒険者でも活動できる範囲を選んでいるため、周囲に緊張感はあっても切迫した空気はなかった。
「さて」
レインは肩の上へ視線を向ける。進化を終えたばかりのチビは機嫌良さそうに尻尾を揺らしていた。
「お前は結局、何ができるようになったんだ?」
「キュ?」
問い掛けられた本人は首を傾げている。進化したこと自体は理解しているようだったが、新しい能力を説明してくれる便利な存在などいるはずもない。結局のところ、自分たちで試しながら確かめていくしかなかった。レインは近くに立っていた木を指差す。
「何でもいいからやってみろ」
「キュッ」
元気よく返事をしたものの、その直後にチビの動きが止まった。どうやら何をすればいいのか分からないらしい。それはレインも同じだった。特殊進化した魔物の能力など聞いたこともなく、どのような変化が起きるのか見当もつかない。そんな中で、リリアが何かを思い付いたように口を開く。
「蜘蛛の素材で進化したんですよね」
「そうですね」
「だったら蜘蛛に近い能力が増えていても不思議ではないと思います」
レインはその言葉に頷いた。確かに可能性はありそうだった。蜘蛛から連想できる能力はそれほど多くない。毒かもしれないし、糸かもしれない。あるいは別の特徴を受け継いでいる可能性も考えられた。チビも何となく理解したのか、自分の前足をじっと見つめ始める。そして小さな体に力を込めるように身構えた。数秒ほど経ったところで、不意に小さな音が響いた。ぴん。何かが飛び出したように見えた。レインは目を瞬かせる。チビの前足から伸びた細い白色の糸が、少し離れた木の幹へ張り付いていた。
「おお……」
「本当に糸ですね」
リリアも感心したような声を漏らす。糸は風を受けながら揺れている。その様子を見ていたチビ自身も驚いているらしく、何度も前足を見下ろしていた。そして興奮したように腕を振り回し始める。すると今度は次々と糸が飛び出した。
「キュッ!?」
どうやら本人も制御できていないらしい。慌てた声を上げながら糸を撒き散らすチビを見て、レインは急いで抱え上げた。
「落ち着けって」
しばらくすると糸は止まり、ようやく周囲が静かになる。改めて観察してみると、その糸はかなり細かった。遠くから見れば存在に気付けないほどであり、ぱっと見では強度も高そうには見えない。
「見た目だけならすぐ切れそうですね」
リリアが率直な感想を口にする。レインも同じことを考えていた。しかし念のため指先で摘まみ、軽く引っ張ってみる。当然のように切れると思った。だが糸はびくともしなかった。レインは少しだけ力を強める。それでも切れない。さらに力を込めてようやく千切れた時には、予想以上の抵抗を感じていた。
「思ったよりずっと強いな」
今度は短剣へ巻き付けて引いてみたが、それでも簡単には切断できなかった。細さからは想像できない強度である。
「これは便利そうですね」
リリアが感心したように糸を眺める。レインも同意だった。相手の動きを妨害することもできるだろうし、罠や警報代わりにも使えるかもしれない。迷宮の狭い通路なら活用できる場面はいくらでも思い付いた。そんなことを考えていると、リリアがふと不思議そうな顔をする。
「でも少し意外ですね」
「何がですか?」
「糸が前足から出るところです」
レインは一瞬だけ意味が分からなかった。しかしリリアの表情を見ているうちに、言いたいことを察する。
「蜘蛛ですから」
リリアはそう言いながら小さく笑った。
「普通は別の場所から出るイメージがありますし」
その言葉の意味を理解した瞬間、レインは思わず吹き出した。チビは理由も分からないまま抗議するように鳴く。
「キュッ!」
「いや、別に馬鹿にしてるわけじゃないんだけどな」
そう言いながらも笑いは完全には収まらない。リリアも肩を震わせており、どうやら同じことを想像してしまったらしい。チビはますます不満そうだったが、レイン自身も少しだけ安心していた。もし本当に想像した通りの場所から糸を出していたら、戦闘中に格好が付かないどころの話ではない。ヴェノムラットという名前の印象まで変わってしまいそうだった。
「前足からで良かったな」
そう言いながら頭を撫でると、チビは今度こそ得意そうに胸を張った。その様子が可笑しくて、レインとリリアは顔を見合わせながら笑う。能力の全貌はまだ分からない。毒を持っている可能性もあるし、他にも隠された特徴が存在するかもしれない。それでも今回の検証だけで一つだけ確かなことがあった。ヴェノムラットへ進化したチビは糸を操る能力を獲得しており、その性能は見た目から想像するより遥かに実用的だった。そして進化を重ねるたびに新しい特徴を身に付けている以上、もはや普通のダンジョンラットとして扱う方が無理なのだろうと、レインは改めて実感していた。




