5 森での試運転
進化を終えた後も、レインたちはしばらく部屋の中でチビの様子を観察していた。しかし時間をかけて見れば見るほど、何が変わったのか分からなくなる。チビは机の上を好き勝手に歩き回ったかと思えば、自分の尻尾を追い掛けてぐるぐる回り始め、少し疲れるとその場へ座り込んで毛繕いを始める。少なくとも見た目だけなら、これまでと何一つ変わっていないように見えた。
「本当に進化したんですよね……?」
リリアが不思議そうに首を傾げる。その気持ちはレインも同じだった。進化先が頭の中へ流れ込んできた感覚も、チビが光に包まれた光景も間違いなく覚えている。だから進化そのものを疑うつもりはないが、結果だけを見ると毛並みの色合いが少し変わった程度にしか見えなかった。
「したはずなんですけどね」
そう答えながらも、自信満々には言えない。当の本人はそんな飼い主たちの悩みなど知らない様子だった。
「キュッ」
機嫌良く鳴いたチビは机の端から飛び降り、そのままフェンの頭へ着地する。突然乗られたフェンは露骨に嫌そうな顔をしたが、振り落とそうとはしない。昨日出会ったばかりの二匹とは思えないほど自然なやり取りだった。チビも当然のように頭の上へ座っている。どうやら二匹の間では既に立場が決まりつつあるらしかった。そんな様子を見ながら、レインは腕を組む。
「このまま考えていても分からないですね」
「能力を確認しますか?」
「はい。進化した以上は何かしら変わっているはずです」
前回の特殊進化でも、チビは索敵能力や隠密能力を大きく伸ばしていた。今回だけ何も変化していないとは考えにくい。問題は、それをどこで試すかだった。レインは少し考えた後、首を横へ振る。
「ダンジョンはやめておきましょう」
その言葉にリリアもすぐ頷いた。お互い同じ結論へ辿り着いていたらしい。フェンは仲間になったばかりで実戦経験がほとんどなく、チビの新しい能力も未知数である。さらにレイン自身も、フォレストディアとの戦いで負った傷がようやく癒えたばかりだった。そんな状態でいきなり3階層へ向かうのは無謀に近い。
「森なら危なくなった時に逃げやすいですからね」
「その方が安全ですし、試したいことも色々できます」
ダンジョンと違い、森なら退路を確保しやすい。能力確認にはちょうど良い場所だった。方針が決まったところで、部屋の外から母親の声が聞こえてくる。
「レインー」
「なんですか」
「お茶いれるけど飲むかい?」
レインは反射的に返事をしようとして、その途中で動きを止めた。今の状況を思い出したからである。自室の中にはリリアがいる。しかも扉は閉まっている。レインはゆっくりとリリアへ視線を向けた。リリアも同じことを考えたらしく、顔を赤くしながらこちらを見返している。お互い何も悪いことはしていない。それでも母親からどう見えているのか想像すると妙に落ち着かなかった。
「の、飲みます」
慌てて返事をすると、扉の向こうから微かに笑い声が聞こえた気がした。リリアはますます顔を赤くして俯いてしまう。事情を何一つ理解していないチビだけが、不思議そうに二人を見比べて首を傾げていた。その後しばらく休憩を挟み、昼前になる頃には再び家を出る。目的地は街の近くに広がる森だった。フォレストディアを倒した場所より手前にある比較的安全な区域であり、新人冒険者でも活動できる程度の危険度しかない。街道を歩く間もフェンは周囲へ警戒を向け続けていた。森で生きてきた魔物らしく、人間より先に物音や気配へ反応している。その一方でチビはいつも通りレインの肩へ乗ったままで、進化したばかりとは思えないほど気楽そうだった。
「まず何から試しますか?」
リリアが隣を歩きながら尋ねる。
「とりあえず実際に戦わせてみましょう」
結局のところ、戦闘が一番分かりやすい。新しい能力があるなら実戦の中で見えてくるだろうし、フェンとの連携も確認できる。森へ足を踏み入れると、空気が少し変わった。木々の青い匂いと湿った土の香りが混ざり合い、遠くからは鳥の鳴き声が聞こえてくる。冒険者になってから何度も歩いた景色だった。しばらく進んだところで、肩の上にいたチビが突然動きを止める。赤い瞳が一点を見つめていた。
「キュ」
短く鳴いた直後、茂みの中から何かが飛び出してくる。現れたのはホーンラビットだった。角を持つ兎型の魔物であり、新人冒険者が最初に戦う相手としてよく知られている。レインは反射的に短剣へ手を伸ばした。しかし、その必要はなかった。フェンが先に動いたのである。灰色の身体が地面を蹴り、一瞬で距離を詰める。その速度はレインの予想を上回っていた。ホーンラビットが危険を察知した時には既に遅く、フェンの牙が首へ食い込んでいる。短い悲鳴を上げた魔物は地面へ倒れ、そのまま動かなくなった。あまりにも一方的な決着だった。
「強いな……」
思わず漏れた言葉は本心だった。リリアも驚いた表情で倒れたホーンラビットを見つめている。
「思ったよりずっと強いですね」
フォレストウルフ系統の魔物である以上弱くはないと思っていたが、ここまで差があるとは想像していなかった。フェンは誇らしげに尻尾を振っている。その頭の上ではチビが不満そうに頬を膨らませていた。どうやら自分の出番がなくなったことが気に入らないらしい。その様子が少し可笑しくて、レインは思わず苦笑する。
「次はチビの番だな」
その言葉を聞いた瞬間、チビは待っていましたと言わんばかりに胸を張った。問題はただ一つだった。ヴェノムラットへ進化したチビが、一体どのような能力を手に入れているのか、まだ誰も知らなかったのである。




