2 もふもふ
ギルドで正式な登録を終えた後も、レインたちはすぐにダンジョンへ向かうことはしなかった。新しく仲間になったフェンの登録も無事に終わり、一段落ついたところだったが、リリアが何度かフェンへ視線を向けていることにレインは気付いていた。何か気になることでもあるのだろうかと思っていると、やがてリリアが少し言いづらそうに口を開く。
「レイン君」
「なんですか?」
「その……フェンちゃん、結構汚れてませんか?」
言われて改めてフェンを見ると、確かにその通りだった。灰色だったはずの毛並みには土埃がこびり付き、足回りには乾いた泥が固まっている。三階層で蜘蛛の群れと戦った時の汚れも残っているのだろうし、ダンジョンで暮らしていた期間も長かったはずだ。野生の魔物なのだから当然と言えば当然だったが、こうして近くで見ると予想以上だった。
「そういえば昨日はそれどころじゃなかったですからね」
フェンを仲間にした直後は街へ戻るだけで精一杯だった。登録や説明もあり、落ち着いて様子を見る余裕などなかったのである。
「チビも洗った後はかなり綺麗になりましたし、一度ちゃんと洗ってあげた方がいいと思います」
そう言われてレインも納得した。近くで嗅げば獣特有の匂いもするし、毛並みも少しごわついて見える。せっかく仲間になったのだから、まずは綺麗にしてやりたいと思った。隣ではフェンが不思議そうに二人を見上げていた。
「ウォフ?」
自分のことを見ながら何か話していることは分かるらしいが、内容までは理解できないらしい。レインはそんなフェンの頭を軽く撫でながら口を開いた。
「よし。今日は川へ行くか」
その言葉を聞いた瞬間、チビが肩の上で嬉しそうに鳴いた。
「キュッ!」
どうやら今回は自分が洗われる番ではないと察したらしい。以前、水浴びをさせられそうになった時とは正反対の反応だった。一方のフェンは事情を理解していないため、尻尾を振りながら素直にレインの後をついてくる。新しい散歩か何かだと思っているのかもしれなかった。街外れの川辺へ到着した頃には、太陽もかなり高く昇っていた。水は驚くほど澄んでおり、浅瀬も広いため大型の魔物でも無理なく入れる場所だった。流れも穏やかで、洗う場所としてはちょうど良い。
「フェン、こっちだ」
「ウォフ?」
呼ばれたフェンは素直に近付いてくる。しかしレインが川を指差した瞬間、その足がぴたりと止まった。
「入るぞ」
「……ウォフ?」
不安そうな声と共に一歩後退する。どうやら何となく嫌な予感だけはしたらしい。リリアも笑顔で近付いた。
「すぐ終わりますから大丈夫ですよ」
だがその笑顔が余計に怪しく見えたのか、フェンはさらに周囲を見回し始める。逃げ道を探しているのは誰の目にも明らかだった。
「ウォフ……」
「チビ、頼む」
「キュッ!」
チビが肩から飛び降りると、素早く回り込んでフェンの後方を塞ぐ。前にはレイン。横にはリリア。後ろにはチビ。完全に包囲されていた。フェンはしばらく状況を理解しようとしていたが、やがて観念したように耳を伏せた。
「ウォォ……」
助けを求めるような視線を向けてくるが、レインは気付かなかったことにする。
「諦めろ」
「ウォフッ!?」
その鳴き声には明らかに抗議の色が混じっていた。それからしばらくして、川辺にはしょんぼりとした顔で水へ浸かるフェンの姿があった。レインは桶で水を汲みながら全身へかけていき、リリアはブラシを使って毛並みの奥に入り込んだ汚れを丁寧に落としていく。洗い始めてすぐに分かった。思っていた以上に汚れていたのである。流れ落ちる水は徐々に濁り、毛の間からは土埃や枯れ葉だけでなく、古い血の跡まで流れ出してきた。野生で過ごしていた時間の長さが、そのまま積み重なっていたのだろう。
「かなり汚れていましたね」
「想像以上でしたね」
レインも苦笑しながら頷く。フェンは不満そうに鼻を鳴らしていたが、暴れることなく大人しく洗われている。嫌ではあるが逆らっても無駄だと理解したらしい。
「もう少しで終わるぞ」
「ウォォ……」
その返事には疲労と諦めがたっぷり含まれていた。やがて洗浄とブラッシングを終え、十分に水気を拭き取ったところで作業は完了する。
「終わりましたよ」
「ウォフ?」
フェンは恐る恐る立ち上がった。その姿を見た瞬間、レインとリリアは思わず言葉を失う。灰色の毛並みは本来の色を取り戻し、陽光を受けて柔らかく輝いていた。さらに乾かしながら丁寧に梳かしたことで毛がふわりと膨らみ、以前より一回り大きく見えるほどになっている。野性的な狼という印象だった姿は、もはや別の生き物のようだった。
「すごいですね……」
リリアが感心したように呟く。レインも同じ感想だった。首回りの毛は柔らかく広がり、尻尾も見違えるほどふさふさになっている。狼というより高級な毛皮をまとった獣のようだった。
「もふもふですね」
「もふもふですね」
二人の意見は完全に一致していた。当のフェンは何が起きたのか分からないらしく、不思議そうに首を傾げている。そんな姿を見たリリアが恐る恐る手を伸ばした。
「少しだけ失礼しますね」
指先が毛並みに触れた瞬間、リリアの表情が変わる。
「柔らかいです……!」
思わず声が漏れるほどだった。レインも試しに撫でてみる。指先が毛の中へ沈み込み、想像以上の柔らかさと温もりが伝わってきた。
「これはすごいな」
「ですよね」
フェンは撫でられること自体は嫌ではないらしく、気持ち良さそうに目を細めている。その様子を見ていたチビは、ゆっくりとフェンの隣へ移動した。そして当然のように胸を張る。
「キュッ」
次は自分の番だと言いたいらしい。
「分かった分かった」
レインは苦笑しながらチビの頭も撫でる。
「キュゥ……」
満足そうに目を細めるチビの横で、フェンも尻尾をゆっくり揺らしていた。その光景を見ながらリリアが小さく笑う。
「こうして見ると、本当に仲間が増えたんですね」
レインも自然と頷いた。ほんの数日前までは命を懸けて戦った相手だった。それが今では隣で気持ち良さそうに撫でられている。不思議な縁だと思う。その時、フェンが身体を大きく震わせた。水気を飛ばそうとしたのだろう。ふわりと毛並みが広がる。
「……増えました?」
「増えましたね」
「ウォフ?」
本人だけは何を言われているのか分かっていない。ただ尻尾を振るたびに豊かな毛並みが揺れ、その存在感はさらに増していた。レインは思わず笑う。
「これ、街に戻ったらかなり目立ちそうですね」
「間違いなく注目されると思います」
「ウォフ!」
褒められていると勘違いしたらしく、フェンは誇らしげに胸を張った。その姿はもはや精悍なダンジョンウルフというより、誰もが振り返るほど立派な大型犬そのものだった。




