06 帰れる者だけが稼げる
最初に出会ったのは、レインが冒険者になって間もない頃の出来事だった。まだチビと契約したばかりで、依頼の受け方も森の歩き方も何一つ分かっていなかった頃である。あの日も今と同じように財布の中身は心許なく、少しでも稼ごうと薬草採取の依頼を受けて森へ入っていた。しかし森の知識などほとんど持っていなかったレインは、薬草を探すだけで半日以上も歩き回る羽目になってしまう。ようやく薬草らしき草を見つけた時には、心の底から安堵していた。そして喜びながら草へ手を伸ばし、摘み取ろうとしたその瞬間だった。
「それは毒草だぞ」
突然背後から掛けられた低い声に、レインは驚いて飛び上がるように振り返った。
「え?」
突然のことに戸惑いながら声を漏らすと、男は何でもないことのようにしゃがみ込み、その草を一本だけ引き抜いて見せた。
「ほら見てみろ」
そう言って差し出された草は、レインが薬草だと思い込んでいたものとまったく同じに見える。違いなど分からないまま首を傾げていると、男は呆れたように鼻を鳴らした。
「葉っぱの裏側を見ろ」
言われた通りに葉を裏返してみると、小さな黒い斑点がいくつも浮かんでいることに気付いた。さっきまで夢中になって探していた時には、そんな細かな違いなどまったく目に入っていなかった。
「薬草にはこんな模様は出ねぇ」
男の言葉を聞いた瞬間、レインは顔から血の気が引いていくのを感じた。もしあのまま採取して依頼として納品していたなら、依頼は失敗どころかギルドから信用を失っていたかもしれない。
「薬草採取を受けたなら、最低限の見分け方くらい覚えておけ」
男は深いため息を吐きながら、呆れ半分の口調でそう言った。
「すみません……」
情けない気持ちで頭を下げることしかできず、レインは自分の未熟さを痛感していた。
「謝る暇があるなら頭に叩き込め」
厳しい言葉だったが、その口調には相手を見捨てるような冷たさは感じられない。そう言いながら男は森の中を歩き始め、本物の薬草を見つけるたびに立ち止まって説明を続けてくれた。葉の形による見分け方や、根の色による違いだけではなく、香りや生えやすい場所まで惜しみなく教えてくれる。さらに薬草だけではなく、毒草や食べられる山菜、危険な虫の特徴まで一つひとつ丁寧に教えてくれた。気付けば薬草採取の依頼だったはずなのに、半日以上も森の歩き方そのものを教わっていた。
その中でも今でも忘れられない言葉がある。
『森で一番大事なものが何か分かるか?』
歩きながら突然そう尋ねられたレインは、少し考えてから自信なさげに答えた。
『薬草ですか?』
『違うな』
男はどこか楽しそうに笑うと、足を止めてレインの方を振り返った。
『帰り道だ』
予想もしていなかった答えに、レインは思わず首を傾げる。
『薬草を百本見つけても帰れなきゃ意味がねぇだろ』
『……』
レインは何も言い返せず、ただ黙って男の言葉へ耳を傾けていた。
『森でも迷宮でも同じことだ』
男はそう言うと、自分たちが歩いてきた足跡を指差しながら静かに続ける。
『帰れる奴だけが明日も稼げるんだよ』
その一言は、まだ冒険者になったばかりだったレインの胸へ深く刻まれた。それからしばらく歩いた頃、男はふと思い出したようにレインへ視線を向ける。
『ところで坊主、お前の職業は何だ?』
『テイマーです』
その一言を聞いた瞬間、男は少しだけ眉をひそめながら小さく息を吐いた。
『……よりによってか』
その反応だけで、レインには何を言いたいのか何となく伝わってしまう。
『やっぱり、不遇職ですよね』
自嘲するように苦笑しながら尋ねると、男は迷うことなく頷いた。
『ああ。不遇だな』
あまりにも即答だったため、レインは思わず苦笑するしかなかった。
『魔法使いなら魔法を覚えりゃ強くなる。剣士なら剣を振れば強くなる。だがテイマーは違う』
男は革袋から顔を出していたチビへ視線を向ける。
『強くなるかどうかは仲間次第だ』
レインは黙ったまま、その続きを待った。
『弱い魔物しか仲間にできなきゃ、その時点で頭打ちになる』
その言葉は、今のレインの状況をそのまま言い表しているようだった。
『しかも強い魔物は強い冒険者しか近付けねぇ。近付けねぇ奴は契約すらできねぇ』
男は呆れたように肩をすくめながら、小石を軽く蹴り飛ばす。
『つまり弱いテイマーは強い仲間を増やせない。強い仲間がいないから、いつまでも弱いままだ』
その理屈はあまりにも単純で、だからこそ反論の余地がなかった。
『最初から詰んでる職業なんだよ』
レインは思わずチビへ視線を落とす。革袋の中で丸くなっていたチビは、大きく欠伸をしながら眠そうに目を細めていた。
「もちろん例外はいる」
男はそう言うと、小さく笑いながらチビへもう一度視線を向けた。
「運良く強力な魔物と契約できた奴や、突然変異を育て上げた奴なんかは、化け物みてぇに強くなる」
その言葉を聞いたレインは、思わず小さく息を呑んだ。テイマーにも夢がないわけではない。だが、その夢を掴める者はほんの一握りしか存在しないのだろう。
「でも、それはほんの一握りですか」
レインが静かに尋ねると、男は迷うことなく頷いた。
「ああ。だからテイマーは冒険者の間じゃ外れ職って言われる」
厳しい現実を突き付けるような言葉だった。それでも男の口調には、馬鹿にするような響きはまったく含まれていない。ただ長年冒険者として生きてきた経験から、現実をそのまま語っているだけだった。男はそこでレインの目を真っ直ぐ見つめる。
「それでも続けるのか」
森の中は静まり返っていた。風が木々を揺らす音だけが静かに耳へ届き、小鳥の鳴き声すら遠く感じられる。レインは少しだけチビへ視線を向けた。革袋から顔を出したチビは、不安そうな様子も見せず、いつものように小さく鳴いていた。
「キュッ」
その姿を見ると、不思議と迷いは消えていく。
「はい」
短い返事だったが、その声には迷いは一切なかった。男は一瞬だけ目を細めると、どこか満足そうに小さく笑った。
「なら森でも迷宮でも、生き残る術だけは覚えろ」
男はそう言いながら、近くに生えていた若木を軽く叩く。
「強くなる方法は俺にも分からねぇ」
その言葉には、長年冒険者として生きてきた男だからこその重みがあった。
「だが、生き残れば次がある」
「今日より明日、明日より明後日だ」
「生きて帰る奴だけが経験を積んで、少しずつ強くなれる」
レインは男の言葉を一つも聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けていた。
「だから焦るな」
「無茶をして死んだら、そこで終わりだ」
その言葉は決して励ましではない。冒険者として何人もの仲間を失ってきた男だからこそ口にできる、偽りのない忠告だった。
「はい」
レインは力強く頷いた。その返事を聞くと、男は満足そうに鼻を鳴らして歩き始める。気付けば薬草を入れる籠は半分以上も埋まっており、依頼としては十分すぎる収穫になっていた。
それから何度か一緒に森へ入り、そのたびに男は様々な知識を教えてくれた。薬草のことだけではなく、魔物の痕跡の見つけ方や、獣道の見分け方、危険な場所へ近付かないための歩き方まで教わった。レインにとって男は師匠ではない。それでも冒険者として生きるために必要なことを、誰よりも教えてくれた恩人だった。
――そんな昔の出来事を思い出しながら、レインは自然と小さく笑みを浮かべていた。
「何を笑ってやがる」
目の前に座るバルトが、不思議そうな表情でこちらを見ている。レインは懐かしさを感じながら、小さく首を横へ振った。
「いや」
「あの時、『帰れる奴だけが明日も稼げる』って言葉を思い出したんです」
バルトは一瞬だけ考え込むような顔をした後、面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「そんなこと言ったか?」
「言いましたよ」
レインが即座に答えると、バルトは腕を組みながら苦笑混じりに肩をすくめる。
「覚えてねぇな」
そう言いながらも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。レインもつられるように笑みを浮かべる。冒険者として歩き始めた頃から、自分は何も変わっていないようにも思える。それでもあの頃より、少しだけ前へ進めている。そんな気がした。




