12 識別マーク
その日はそのまま探索を切り上げることにした。ダンジョンウルフを連れて馬車に乗れるかもわからず二人と一匹は歩いて帰ることにした。一匹はレインの肩の上で休んでいた。
街の城壁が見え始めた頃には、西の空はすっかり夕暮れ色へ染まっていた。3階層まで往復した疲労は想像以上に大きく、何度か休憩を挟んだにもかかわらず足取りは決して軽くない。それでもレインの表情は暗くなかった。肩の上では新たな進化を果たしたチビが機嫌良さそうに尻尾を揺らし、その後ろでは新しい仲間となったフェンが静かに歩いている。もっともフェンの様子には少しだけ落ち着きがなかった。初めて見る巨大な城壁や街道を行き交う人々へ頻繁に視線を向けており、森の中にいた時とは違う緊張が伝わってくる。
「やっぱり気になるんだな」
レインが声を掛けながら頭を撫でると、フェンは耳を動かしながら小さく喉を鳴らした。生まれてからずっとダンジョンで暮らしてきた魔物なのだから無理もない。これから入ろうとしている街は、ダンジョンウルフにとって未知の世界そのものだった。そんなことを考えながら門へ近付いていたレインだったが、ふとある問題に気付いて足を止める。
「そういえばまずいですね」
その言葉にリリアも何かを察したらしく、すぐに足を止めた。
「あ……」
門番は街へ出入りする者だけでなく、連れている魔物の確認も行う。テイムされた魔物なら問題ないが、野生の魔物をそのまま街へ入れるわけにはいかない。当然ながら何らかの識別用の首輪や目印が必要だった。フェンは事情も分からず首を傾げている。チビだけは相変わらず気楽そうだった。
「キュ?」
レインが事情を説明すると、リリアは少し考え込んでから頷いた。
「私が先に入って買ってきます」
「すみません、お願いします」
「二匹とも大人しく待っていてくださいね」
そう言い残し、リリアは一人で門を通って街へ入っていった。レインはダンジョンウルフとチビを連れたまま街道脇で待機する。ダンジョンウルフは素直に地面へ伏せていたが、視線だけは忙しなく周囲を追っている。チビはそんなダンジョンウルフの頭へ乗り移り完全にくつろいでいた。しばらくすると、街の方から小走りで戻ってくるリリアの姿が見える。両手には小さな包みが抱えられていた。
「買ってきました」
「思ったより早かったですね」
「事情を説明したら、お店の人がすぐ選んでくれたんです」
どこか楽しそうな様子で答えながら、リリアは包みを開く。最初に現れたのは小さな紺色の布だった。
「これはチビ用です」
「キュッ?」
興味津々といった様子でチビが身を乗り出す。チビの首には、これまで青く色褪せ、ところどころ擦り切れた古い布が巻かれていた。長く使い続けてきたせいで、端はほつれ、元の色も分からないほどくたびれている。リリアはそんな古い布を新しいものに替えてあげようと考えたらしい。
彼女が取り出したのは、以前のものと同じように首に巻ける、柔らかな紺色の布だった。首元に結び直せるようになっているだけでなく、背中にかけて小さな外套のように広がる形に仕立てられている。黒い毛並みによく映える色合いを選んでくれたのだろう。
リリアが古い布をそっと外し、代わりに新しい布を丁寧に巻いていく。紺色の布はチビの首元にしっかりと収まり、肩から背中へとなだらかに流れて、小さな騎士が外套を羽織っているような姿になった。以前の布とは違って生地にも張りがあり、ほつれた端が揺れることもない。黒い毛並みとの相性もよく、思った以上によく似合っていた。
チビはしばらく首元を気にするように身じろぎしていたが、やがて新しい布の感触が気に入ったのか、その場でくるりと一回転してみせた。紺色の外套がふわりと揺れ、チビの得意げな様子に、リリアの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
「キュッ!」
明らかに得意げだった。レインは思わず笑う。
「似合ってるな」
その言葉を聞いたチビはさらに胸を張った。続いてリリアはもう一つの包みを取り出す。こちらは鮮やかなオレンジ色の布だった。
「こっちは、この子用です」
リリアが取り出したのは、灰色の毛並みによく映えそうな、鮮やかなオレンジ色の布だった。彼女がそっと首へ巻いてやると、落ち着いた灰色の中に明るい色が加わり、野性的な雰囲気の中にも程よい華やかさが生まれた。少し派手すぎるかとも思ったが、実際に身につけてみると不思議なほどよく馴染んでいる。
首元の布が気になる様子もなく、その子は嫌がるどころか、どこか誇らしげに胸を張ってみせた。まるで新しい飾りを気に入ったと伝えるような仕草に、リリアも嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり似合いますね」
満足そうに言うリリアに、レインも大きく頷いた。
「どっちも良いですね」
「お祝いですから」
「お祝い?」
「新しい仲間が増えたお祝いです」
そう言って微笑むリリアを見て、レインは少しだけ驚く。自分は識別用の目印としか考えていなかったが、リリアにとっては違ったらしい。フェンは言葉の意味こそ理解していないだろうが、自分へ向けられた好意だけは感じ取ったのか、小さく尻尾を振っていた。その後、門番へ事情を説明すると確認はあっさり終わった。
「ちゃんと管理しろよ」
「はい」
簡単な注意だけを受け、レインたちは無事に街へ入ることができる。しかし門を通った直後、レインはふいに立ち止まった。今さらながら非常に重要な問題を思い出したのである。
「どうしましょう……」
隣を歩いていたリリアが不思議そうに振り返る。
「何がですか?」
レインは無言でフェンを指差した。数秒後、リリアも同じ問題へ気付く。
「あ……」
チビだけなら何も問題はない。小さなネズミを飼っていると言い張れば済む話だった。だがダンジョンウルフは違う。どう見ても立派な狼であり、隠して飼える大きさではない。レインは思わず頭を抱えた。
「父さんが見たら絶対に驚きますよね」
「かなり驚くと思います」
「母さんも絶対に驚きますよね」
「かなり驚くと思います」
まったく同じ返答が返ってくる。ダンジョンウルフは事情が分からないまま二人を見比べており、チビだけが面白そうにその様子を眺めていた。
「キュッ」
どこか他人事のような鳴き声だった。レインは深いため息を吐く。テイムした瞬間は嬉しさが勝っていた。しかし実際に家へ連れて帰る段階になると現実的な問題が次々と浮かんでくる。ギルドへ預けるべきか。知り合いの魔物だと言い張るべきか。適当な言い訳を考えるべきか。色々と思案してみたものの、納得できる答えは一つも浮かばなかった。それでもフェンを置いていくという選択肢だけは最初から存在しない。仲間にすると決めたのは自分なのだから。レインは観念したように肩を落とした。
「とりあえず帰りましょう」
「そうですね」
「絶対に内緒にしないと」」
リリアは堪え切れないように小さく笑う。フェンは何も知らないまま嬉しそうに尻尾を振り、チビは新しい外套を揺らしながら肩の上で上機嫌に鳴いていた。こうしてレインは新しい仲間を連れて帰路につくことになるのだが、その数分後には両親へどう説明するべきかという問題に再び頭を悩ませることになるのだった。




