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09追っていたもの

三階層の探索を終えた翌日の昼頃、レインたちは冒険者ギルドの資料室へ足を運んでいた。


四階層へ挑戦するためには、まず三階層を完全に把握する必要がある。


それは以前から二人が決めたことであり、最近では探索から戻るたびに地図へ新しい情報を書き加えることが習慣になっていた。


その日も依頼を終えた二人は、いつものように資料室の隅にある長机へ腰を下ろしていた。


机の上には三階層の簡易地図と、魔物の生息区域について書かれた古い資料が何冊も積み重ねられている。


レインは一枚の地図を広げながら、三階層の通路を指先でゆっくりと辿っていた。


「この辺りは昨日までに確認できましたので、残っているのは西側の通路だけですね」


「はい、そちらを確認できれば、今まで避けていた区域もかなり把握できそうです」


リリアも地図を覗き込みながら、これまでに書き込んだ印を一つずつ確認していく。


以前なら正規ルートを歩くだけで精一杯だったが、今では危険区域や魔物の出現場所まで少しずつ分かるようになっていた。


それでも、レインの視線は地図ではなく、机の端に置かれた一冊の古い記録へ向いていた。


表紙には薄くなった文字で、迷宮浅層に関する調査記録と書かれている。


「どうかしましたか?」


リリアが不思議そうに尋ねると、レインは少し迷った後に古い記録を手に取った。


「昨日から少し気になっていることがあるんです」


「ミノタウロスのことでしょうか?」


その言葉を聞いた瞬間、レインの手が止まった。


「やっぱり、リリアさんも気になっていましたか」


「一階層に現れた理由については、今まで詳しく調べたことがありませんでしたから」


二人の間に、しばらく沈黙が落ちた。


ミノタウロス。


あの日、冒険者を追いかけ、一階層で二人の前へ突然現れた巨大な魔物だった。


本来なら自分たちのような新人が遭遇するはずもない存在であり、実際にカイからも下層の魔物が迷い込んできたのだろうと聞かされていた。


「リリアさん、あの時のことを覚えていますか?」


「ミノタウロスと遭遇した時のことでしょうか?」


「はい、できる範囲で思い出してみてください」


リリアは目を閉じながら、当時の出来事をゆっくりと思い返していく。


「最初に聞こえたのは、奥から近付いてくる冒険者たちの足音でしたよね」


「そうです」


「その後にミノタウロスが現れて、冒険者たちは逃げていきましたよね」


「はい、そして俺たちも巻き込まれるように逃げることになりました」


レインはそこで一度言葉を止め、古い記録へ視線を落とした。


「あの日は逃げることに必死でしたから、その時には考える余裕もありませんでした」


「今になって考えると、何か気になることがあるのでしょうか?」


「一階層にミノタウロスがいたこと自体が、やっぱりおかしいんです」


レインは机の上に広げた資料へ視線を向けた。


「カイさんは下層の魔物が迷い込んできたと言っていましたけど、それならどうして、あんな場所まで上がってきたのかが気になるんです」


リリアは少し考えるように黙り込んだ。


「迷ってしまった可能性もありますよね」


「もちろん、それもあると思います」


レインは頷いたものの、納得しきれない様子で古い資料をめくった。


「ただ、下層の魔物が一階層まで来ることが本当に珍しいなら、何か理由があった可能性も考えておきたいんです」


「何か目的があったということでしょうか?」


「そこまでは分かりません」


レインは静かに首を横に振った。


「あの時のミノタウロスが何を考えていたのかなんて、俺たちには判断できませんから」


そう言いながら、レインは迷宮での出来事を思い返していた。


あの日、二人は巨大な魔物から逃げることだけで精一杯だった。


その後、カイさんとエルザさんに助けられ、ようやく生き延びることができた。


だからこそ、今になって落ち着いて考えると、当時は気にする余裕のなかった疑問が残っている。


「カイさんとエルザさんほどの一流冒険者がなぜ二人で低階層に」


「そういえばそうですね、クランで深層へアタックを先日もしていましたし二人で行動しているのは今思えば疑問が残りますね」


「ギルドからの調査依頼とかだったりして.....」


「今度会ったら聞いてみます?」


「調査依頼なら守秘義務があるから答えてくれないでしょうね」


「ですよね....自分たちで調べましょ」


「私も、その方がいいと思います」


二人はそれから、資料室に残されている記録を調べ始めた。


浅層に出現する魔物。


階層間を移動する魔物。


本来の生息区域から外れた魔物の記録。


しかし、古い資料の多くは情報が曖昧であり、ミノタウロスの一件に直接繋がるような記述はなかなか見つからなかった。


それでも、いくつか気になる記録が残されていた。


『下層の魔物が浅層へ移動する事例は、極めて稀ながら確認されている』


『階層間の移動については、魔物自身の意思によるものか、迷宮内部の変化によるものか判明していない』


レインはその文章を読み終えると、しばらく黙り込んだ。


「下層の魔物が上へ来ること自体は、昔からあったんですね」


「はい、ただ、それだけではミノタウロスが一階層まで来た理由までは分かりませんね」


「そうですね」


いつの出来事なのかも曖昧で、何の魔物が、何から逃げていたのかすら分からない。


それでも、その記録はレインの中に一つの可能性を残した。


「もし、魔物が何かを理由にして階層を移動することがあるなら……」


「ミノタウロスにも、何か理由があった可能性があるということでしょうか?」


「はい」


レインは頷いた。


「ただ、それが本当にミノタウロスにも当てはまるのかは分かりません」


「そうですよね」


「だから、今の段階では可能性の一つとして考えておくくらいでいいと思います」


リリアは記録へ視線を戻しながら、小さく頷いた。


「それなら、もう少し他の記録も探してみましょう」


「はい、何か似たような事例が残っているかもしれません」


二人は再び資料へ視線を戻した。


それからしばらくの間、紙をめくる音だけが資料室の中へ静かに響いていた。


古い記録を一枚ずつ確認していくものの、ミノタウロスに直接繋がるような情報は見つからない。


それでも、レインの中には一つの疑問が残り続けていた。


なぜ、あのミノタウロスは一階層にいたのか。


そして、もしそこへ来る理由があったのなら、その理由は何だったのか。


「最近、魔物の動きがおかしいですよね」


リリアが資料から顔を上げて、静かに呟いた。


レインも少し考えてから頷いた。


「二階層でも、以前より魔物の姿が少ない時がありましたからね」


「三階層でも、普段とは違う場所に魔物が集まっていることがありました」


「はい」


レインは三階層の地図へ目を向けた。


「ただ、今の情報だけでは、それぞれが繋がっているとは言えません」


「そうですね」


「だからこそ、変だと感じても決めつけない方がいいと思います」


リリアもその言葉に頷いた。


「分からないものを、分かったつもりにならないことが大切なんですね」


「はい、それは迷宮の探索でも同じだと思います」


レインは古い記録を閉じた。


「ただ、一つだけ覚えておきましょう」


「何をでしょうか?」


「ミノタウロスが一階層にいたことには、まだ分かっていない理由があるかもしれないということです」


リリアはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「その理由が分かるまで、あの日の出来事を完全な偶然とは考えない方がよさそうですね」


「はい」


二人はその後も資料を探したが、それ以上に目立った記録を見つけることはできなかった。


「そろそろ戻りましょうか」


「そうですね、今日は十分調べましたから、続きはまた今度にしましょう」


二人は資料を整理し、席を立った。


資料室を出る直前、レインは一度だけ振り返った。


棚には何百冊もの記録が並んでいる。


そのどこかに、あの日のミノタウロスについて詳しく記された記録が眠っているのかもしれない。


あるいは、何年探しても答えなど見つからないのかもしれない。


今のレインには、それを判断することすらできなかった。


ただ、迷宮の奥にはまだ知らない何かがある。


その感覚だけが、以前よりもはっきりと胸の中へ残っていた。


二人が資料室を出た後、誰もいなくなった机の上には、一枚だけ古い記録が残されていた。


そこには、かすれた文字で短い一文が記されている。


『魔物は、何者かに操られ下層から移動していた』


それ以上の記録は、どこにも残されていなかった。

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