08 不遇職
チビのレベルを確認した後も、レインはしばらく魔導具の前で腕を組んだまま考え込んでいた。進化した直後にレベル1へ戻っていたはずのチビが、わずかな期間でレベル9に到達している。その成長速度は、いくらなんでも異常としか思えなかった。もっとも、いくら頭を悩ませたところで答えが出る問題ではない。テイマーとしての知識など、レインにはほとんどないのだから当然だった。
「……考えても仕方ないか」
そう呟きながら肩の力を抜いたところで、不意に聞き覚えのある声が飛んできた。
「おーい、レイン!」
振り返ると、そこには見知った二人組の姿があった。講習会で知り合った槍使いのルークと、弓使いのエマである。
「久しぶりだな。最近ギルドで見かけなかったから、どこ行ったのかと思ってたぞ」
ルークが気軽に手を振りながら近付いてくる。
「こんにちは」
レインが挨拶を返すと、エマも小さく会釈した。
「ダンジョンに潜っていたの?」
「ええ、少し前から三階層の探索を始めたところです」
その答えを聞いた瞬間、ルークの表情が目に見えて変わった。
「三階層って、あの三階層か?」
「他にないと思いますけど」
「いやいや、思ったより進むの早くないか?」
驚いたように声を上げるルークに対し、レインは苦笑するしかなかった。自分としては必死に目の前の課題をこなしてきただけで、特別早いという実感はなかったのである。
「調子はどうなんだ?」
改めて尋ねられたレインは、少し考えてから素直に答えた。
「順調だと思います」
銀貨は少しずつ貯まっている。装備も以前より整い始めていた。三階層へ足を踏み入れることもできた。怪我を負うことはあっても、こうして無事に帰って来られている。薬草採取しかしていなかった頃の自分と比べれば、十分すぎるほど順調だった。
「へぇ……テイマーなのにか?」
ルークが感心したような、どこか不思議そうな声を漏らす。レインは思わず苦笑した。冒険者になってから、何度聞いたか分からない言葉だった。
「よく言われます」
「いや、だって普通そうだろ。俺たちの知ってるテイマーって、荷物持ちとか索敵役ばっかりだからな」
「戦闘向きの従魔を連れている人なんて滅多にいないし、いても維持費がすごいって聞くわ」
エマの言葉に、レインは黙って頷いた。確かに、それが世間一般のテイマー像なのだろう。実際、以前のチビも戦闘で役立つ存在ではなかった。周囲を警戒したり、危険を察知したりすることは得意だったが、魔物相手に真正面から戦えるような力は持っていなかったのである。だからこそ、レイン自身が強くならなければならないと思っていた。チビは大切な相棒ではあっても、戦力として頼る存在ではなかったのだ。
しかし、今は違う。フォレストディアとの戦いを思い返せば、その違いは明らかだった。片目を潰したのはチビだった。決定的な隙を作ったのもチビだった。三階層に潜ってからも、索敵や攪乱、奇襲といった場面で何度も助けられている。
今の自分たちが順調だと胸を張れる理由の半分以上は、間違いなくチビの存在にあった。レインは自然と足元へ視線を落とした。当の本人はそんなことなどまるで気にしておらず、椅子の下で一生懸命に毛づくろいをしている。
「キュッ」
視線に気付いたチビが小さく鳴いた。その姿に思わず笑みを浮かべながら、レインは頭を優しく撫でる。
「こいつのおかげですよ。本当に助けられてばかりです」
その言葉に迷いはなかった。ルークとエマも、そんなレインの様子を見て少し驚いたような表情を浮かべている。
「そんなに頼りになるのか?」
「なりますよ」
レインは即答した。以前の自分なら、ここまで迷わず言えなかったかもしれない。しかし今なら断言できる。チビは頼れる相棒であり、戦う仲間なのだ。そして、だからこそ一つの疑問が浮かび上がってくる。なぜ、テイマーは不遇職と呼ばれているのだろうか。弱い従魔が多い。強力な魔物との契約は難しい。育成にも時間と金がかかる。そうした理由は理解できる。だが、進化したチビは明らかに強かった。成長速度も異常なほど早く、戦闘でも十分以上に活躍している。もし他のテイマーたちも同じような従魔を使役できるのであれば、不遇職などと呼ばれるはずがない。
「そういえば……」
無意識に漏れた呟きに、ルークが首を傾げた。
「何がだ?」
「どうしてテイマーって、不遇職って言われてるんでしょうね」
その問いに対し、ルークとエマは顔を見合わせた。そして次の瞬間、ほとんど間を置かずに答える。
「いや、普通に弱いからだろ」
「少なくとも、私たちが知ってるテイマーはそうね」
あまりにも迷いのない返答だった。レインは苦笑しながらも、その言葉を完全には受け入れられなかった。自分の知るテイマーと、世間の知るテイマー。その間には、何か決定的な違いがあるような気がしてならない。もっとも、その正体を今のレインが知るはずもなかった。チビの異常な成長速度も。自由な進化も。そして、融合という特異な能力の存在も。本来のテイマーとは大きくかけ離れたものであることを、彼はまだ理解していない。ただ漠然とした違和感だけが胸の奥へ残り、自分が知る常識と世間の常識が噛み合っていないことを、ぼんやりと感じ始めていた。
そんな会話を続けていると、ふとルークが視線を横へ向けた。
「あれ?」
「どうしました?」
レインもつられてそちらを見る。
ギルドの少し離れた場所に、数人の冒険者が座っていた。
何かを話しながら、時折こちらへ視線を向けている。
「……あいつら、まだ活動してるんだな」
ルークが呟いた。
「知っている人たちですか?」
「いや、直接付き合いがあるわけじゃないけどな」
ルークは少し考えるようにしてから、声を落とした。
「レイン、お前たちが前にミノタウルスに遭遇したって言ってたただろ?」
「はい」
「あそこにいるの、たぶんその時にお前らを置いて逃げていった連中だぞ」
「……え?」
レインは思わずそちらを見た。
遠くにいる冒険者たち。
あの日は必死だったため、顔を確認する余裕などなかった。
だが、言われてみれば覚えがある。
「本当ですか?」
「たぶんな。あの日、ミノタウルスから逃げてきた連中だって、ギルドでも結構話題になってたからな」
エマも頷いた。
「私も聞きました。逃げ切ったことを自慢していましたね」
レインは黙って彼らを見つめた。
あの日、自分たちの前を走り抜けていった冒険者たち。
その後ろから現れた、巨大なミノタウルス。
あの時は生き延びることだけで精一杯だった。
「……あの人たちだったんですね」
「そうみたいだな」
「昔は結構期待されてたらしいぞ」
「期待、ですか?」
「ああ。あの二人、確か優遇職だったはずだ」
レインは思わず彼らへ視線を向けた。
「優遇職なのに、ですか?」
「だからこそ、最初は周りからも期待されてたみたいだ。才能があるからって、ろくに訓練もしなかったらしいけどな」
エマが少し困ったような表情で続ける。
「自分たちは強くなれると思っていたのかもしれませんね。でも、実際の戦闘では思うようにいかなかったみたいです」
「それで、今じゃ落ちこぼれ扱いだ」
ルークが肩をすくめる。
「優遇職だからって、努力しなくても強くなれるわけじゃないってことだな」
レインは黙って二人を見つめた。優遇職。それだけ聞けば、恵まれた立場なのだろう。
けれど、職業が優れているからといって、それだけで冒険者として生きていけるわけではない。
「……難しいですね」
レインが呟く。
「何がだ?」
「職業だけで、強さが決まるわけじゃないんだなと思って」
「まあ、そうだな」
「結局、本人がどう使うかだろ」
その言葉を聞きながら、レインは自然と足元へ視線を落とした。
そこではチビが何事もなかったように毛づくろいをしている。
自分も以前は、テイマーという職業だけで周囲から見下されていた。
弱い職業だから仕方がない、そう思っていた時期もある。
だが、チビが進化してから、その考えは少しずつ変わり始めていた。
職業だけでは分からないものがある。
それは、あの二人にも同じなのかもしれない。
「それじゃ、俺たちはそろそろ行くな」
「はい。また今度お話しましょう」
「ええ」
ルークとエマが離れていく。
レインは二人を見送った後、もう一度だけ遠くにいる冒険者たちへ目を向けた。
あの日、ミノタウルスから必死に逃げていた冒険者たち。
今はこうしてギルドで普通に過ごしている。
けれど、あの日の出来事については、まだ分からないことが多かった。
レインは小さく息を吐き、リリアとともに受付へ向かった。




