17 迷わない手
食事を終えると、リリアがふと周囲を見渡した。
「少し、薬草を見てきてもいいですか?」
レインは頷く。
「ええ。休憩がてらでいいですよ」
腹の傷はまだ完全ではない。歩くたびに鈍い痛みが残るが、座り続けているよりはましだった。二人は川辺から少し離れた草むらへ移動する。朝の光が斜面に差し込み、湿った葉が淡く光っていた。
リリアはしゃがみ込み、手を伸ばす。葉を裏返して葉脈近くにある小さな白い模様を確認し、迷いなく薬草を摘んでいく。もう昔のように質問はしない。チビはその横で草の上に寝転び、退屈そうにあくびをした。
レインはその様子を見ながら、小さく息を吐く。あの時、迷っていた側だった少女が、今は何の迷いもなく手を動かしている。教えた側よりも、作業が素早いのは少しだけ複雑だった。
川辺には、朝の柔らかな光が差し込み、水面がきらきらと揺れていた。レインは革鎧を外し、川の浅瀬へ浸す。昨日の戦いで付着した血や泥はすでに乾き、革の隙間へ入り込んでいたため、軽く水に揺らした程度では簡単に落ちなかった。
「思ったより汚れが残っていますね」
隣で同じように装備を洗っていたリリアが、濡らした布で革の表面を丁寧に拭きながら言った。
「これだけ血まみれになりましたからね」
レインは苦笑しつつ答える。腹の傷はまだ完全には塞がっていない。動けないほどではないものの、身体をひねったり力を込めたりすると鈍い痛みが走る。無理は禁物だと分かっていても、装備の手入れだけは後回しにできなかった。
少し離れた岩の上では、チビが川をじっと見つめていた。進んで水へ近づこうとはせず、明らかに警戒している。
「チビ、こっちに来い」
「キュッ……」
返ってきた鳴き声には、はっきりとした不満が滲んでいた。それでも呼ばれた以上は無視できないのか、チビはしぶしぶといった様子でレインの足元まで歩いてくる。レインは川で濡らした布を軽く絞り、チビの顔周りから順番に汚れを拭き取っていった。乾いた血が落ち、土埃が流れ落ちていく。最初は嫌そうに身をよじっていたチビだったが、次第に抵抗しなくなっていった。
「昨日は頑張ったからな」
「キュゥ」
褒められたことは理解しているらしく、少しだけ胸を張る。レインは苦笑しながら、今度は背中の毛並みを整えるように布を滑らせた。汚れが落ちるにつれて、チビの毛並みには本来の艶が戻っていく。さらに水分を拭き取りながら指先で毛を整えていくと、進化前よりも柔らかく、ふわりとした感触になっていることに気付いた。
「……なんだか前より毛並みが良くなってませんか?」
思わず漏れた言葉に、リリアも視線を向ける。黒く艶のある毛が空気を含んだように柔らかく広がっている。触れれば指先が沈みそうなほどだった。
「本当ですね。前より艶がありますし、少しふわふわしています」
「キュッ?」
チビ本人は何を言われているのか分からない様子で、小首を傾げていた。進化の影響なのだろうか。黒みを帯びた毛色だけでなく、毛質そのものも少し変化しているように思える。とはいえ、今は深く考えても答えは出ない。レインはひとまず頭の片隅へ追いやることにした。
一通り汚れを落とし終えると、リリアが鎧の留め具を磨きながら尋ねる。
「次はどんな依頼を受ける予定ですか?」
レインは革鎧の状態を確かめながら少し考えた。
「しばらくは安定した依頼の方がいいと思っています。昨日みたいな無茶は、まだ早かった気がしますから」
フォレストディアとの戦いを思い返す。勝てたのは事実だが、一歩間違えれば命を落としていてもおかしくなかった。
「確かに、あれは危なかったですね」
リリアも苦笑混じりに頷く。
「薬草採取や下位の魔物討伐を中心にして、まずは確実に稼ぎたいです。装備も整えたいですし」
「短剣もそろそろ限界ですよね」
「優先順位はかなり高いですね」
何度も研ぎ、補修を重ねてきた短剣を思い浮かべる。これから先も迷宮へ潜るつもりなら、武器への投資は避けて通れない。会話は自然と今後の予定へ移っていった。無理をすれば大きく稼げる可能性はある。しかし、その代償として命を危険へ晒すことになる。昨日の戦いは、その現実を嫌というほど教えてくれた。
洗い終えた革鎧を広げてみると、完全に綺麗になったわけではないものの、乾いた血の跡はかなり薄くなっていた。硬くなっていた革も少し柔らかさを取り戻し、まだ十分使える状態に見える。レインは腹の包帯へ軽く手を当てながら、静かに息を吐いた。
「次は無理をせず、できることを確実に積み重ねていきましょう」
「はい。その方が私たちらしいと思います」
リリアの言葉に、レインは小さく笑った。川のせせらぎを聞きながら並んで装備を乾かしていると、不思議と心が落ち着いていく。強くなることも大切だ。稼ぐことも必要だ。けれど、それ以上に生き残ることが冒険者には求められる。焦る必要はない。一歩ずつでも前へ進んでいけばいい。穏やかな朝の空気の中で、レインは改めてそう思った。




